北辰斜にさすところ
五高(現・熊本大学)と七高(現・鹿児島大学)の野球部は長年のライバル。1926年には勝利した七高応援団が五高の校歌の替え歌を歌い、五高は侮辱され たとして七高に乗り込んで乱闘騒ぎとなり、熊本近代スポーツの父・宇土虎雄の仲裁により応援団長・重松俊明が土下座して一件落着するといった事件もあっ た。時は流れ、現代の福岡市。両校のOBたちの間で対校試合100周年の記念試合を催すという話が持ち上がる。開催地は七高同窓会の本田と海路が一芝居打 ち、熊本県人吉市にある川上哲治記念野球場に決まる。彼らは七高の伝説のエース、上田兄弟の出身地である人吉市での開催を望んでいたのだった。兄の勝弥は 神奈川で開業医となり、今では息子の勝弘に病院を任せていた。孫の勝男も高校の野球部でエースとして活躍していたが、練習中に靭帯断裂の大怪我を負ってし まう。そんな折、本田に同窓会の会報に載せるインタビューを頼まれた勝弥は、孫に聞かせるという形を取って七高のでの日々を語り始める。勝弥が第七高等学 校造士館に入学したのは昭和11年。同郷の先輩・草野正吾を慕っていた勝弥は彼と同じ東寮に入寮し、「天才的なバカになれ」と言われる。数学の伊藤教授と の語らい、ロウソクの火を頼りにしたロウ勉、山登り。野球部でバッテリーを組んだ西崎とは無二の親友となり、第二高等女学校(ツヴァイ)のマドンナだった 妹・京子と交際を始める。草野は山形屋デパートで評判の美人だったナポレオンの手を握り、後に結婚することとなる。ある夜、酔っ払った寮生がポストを倒し て破壊したために郵便物が川に流れてしまう。草野は罪を被ったためにドッペル(留年)となり、勝弥が先に卒業を迎える。弟の勝雄は昭和15年に入学した が、卒業短縮により17年に京都帝大に進み、18年に学徒出陣で入隊する。そして昭和20年、指宿市より沖縄に向けて出撃し、帰らぬ人となっていた。イン タビュー後、記念試合の開催が来年の11月3日に決まるが、勝弥は電話をかけてきた海路に試合には行かないと告げる。そこへ大阪に住む西崎の妻から西崎が 入院したという連絡が入る。娘の富子とともに見舞いに訪れた勝弥は思わず一緒に試合に行こうと励ますが、自宅を訪れた本田、海路、後輩の真田には改めて行 く意思がないことを伝える。医者になるため慶應大学への進学を考えていた勝男だったが、祖父の話を聞き、対抗試合に出るために鹿児島大学への入学を決意 し、見事に合格を果たす。試合を間近に控えたある日、西崎の訃報が届けられる。勝弥は西崎の妻に懇願され、久し振りの帰郷を決意する。11月1日、勝男と ともに指宿市の花瀬望比公園に行った勝弥は、軍医として赴いた戦場で草野を見殺しにしたことを思い起こす。そして試合当日、途中から勝男も登板し、試合は 3対3のまま9回裏五高の攻撃を迎える。
観たいな