2012年10月22日月曜日

奉祝 地久節



地久節を奉祝いたし、両陛下のご健勝と皇国の弥栄を謹んで祈念いたします。

皇后陛下お誕生日に際し(平成24年)

問1 東日本大震災から約1年7カ月が経ちます。古里に帰れない被災者は多く,復興への道筋は簡単なものではありませんが,今年はロンドン五輪で日本選手団が大活躍し,日本を元気づけた年でもありました。皇室に関連しては,「女性宮家」の創設が政府で検討される中,皇太子ご夫妻の長女・愛子さまは,おひとりで元気に通学されるようになり,秋篠宮家では長女・眞子さまが英国留学され,来年には次女・佳子さまが大学進学をされる節目の年となります。長男・悠仁さまも小学校進学を控え,健やかに成長されています。この1年を振り返ってのご感想をお聞かせ下さい。

    皇后陛下

    東日本大震災からすでに1年7ヶ月が経ちましたが,質問にもありましたように,復興への道のりは険しく,被災した多くの人々が,今も各地で苦しい生活を余儀なくされています。痛ましいことに,災害以来これだけの月日が経っておりますのに,行方不明者の数は今も2千7百名を超え,家族の人々の長引く心労を思わずにはいられません。また,目に見えぬ放射能の影響下にある福島や周辺地域の人々の不安には,そこを離れて住む者には計り知れぬものがあると思われます。どうかこれらの人々が,最も的確に与えられる情報の許(もと),安全で,少しでも安定した生活が出来るよう願うと共に,今も原発の現場で日々烈しく働く人々の健康にも,十分な配慮が払われることを願っています。

    今年は4年に1度の五輪と障害者五輪がロンドンで開かれ,多くの日本選手が立派に活躍し,私どもに心楽しい興奮と,少し眠い数週間を贈って下さいました。被災地の人たちへの大きな贈り物でもあったでしょう。

    この五輪の時期を含め,今年の7,8,9月は例年にも増して暑く,とりわけこのような高温に慣れぬ北海道や東北の人たちにとり,辛い夏であったと思います。集中豪雨も多く,昨年に引き続き西日本の各地が大きな被害に遭い,被災者の中には今なお避難生活を続けている人のあることを案じています。8月には南海トラフ巨大地震の被害想定が発表され,大災害の可能性の高いこの列島に住む私どもが,どんなに真剣に災害につき学び,かつ備えねばならないかを,深く考えさせられています。

    皇室では,6月に三笠宮寬仁親王が薨去され,三笠宮同妃両殿下お始め,ご家族の皆様の深いお悲しみをおしのびいたしました。お若い女王殿下方が,どうか健やかにこれからの人生を歩まれますよう祈っております。

    この1年の記憶に残る出来事の一つとして,先述の五輪,障害者五輪における日本選手の活躍と並び,スカイツリーの完成がありました。日曜日の朝,よく陛下と散策中に東御苑の本丸跡に登り,近くのビルの上に少しずつ姿を現し,やがて完成に向かう姿を見ておりました。関係者の細やかな注意により,高所で働く人の多いこの大工事が,大きな事故もなく終了したことに安堵と誇りを覚えます。

    新しい横綱の誕生も,今年のよい報せでした。これまで一人横綱を懸命に務めて来た白鵬関の長い間の苦労を思っています。

    世界の出来事としては,世界の人口が遂に70億に達したこと,打ち続く世界経済の不況と失業率の上昇,長引くシリアの内戦や各地のテロ,とりわけシリア内戦における日本の女性ジャーナリストの惜しまれる死などを記憶しますが,喜ばしく,又驚くべきニュースの一つとして,日本の学会もそのことに関わった,ヒッグス粒子の発見がありました。今から3年前の夏,何名かの日本のノーベル賞受賞者の方々のお招きにより,陛下のお供で筑波で開かれたアジア・サイエンス・キャンプに参加した折,ポスターセッションでこのヒッグスという珍しい言葉に何度か出会っており,十分に分からぬながらも「知ってる,知ってる」という感じで,一入(ひとしお)嬉しく思ったことでした。

    この回答を書いております今,山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞受賞の嬉しいニュースが入ってまいりました。山中さんの許(もと)で,又,山中さんのこれからのご研究の上に,これから更に幾つもの業績が一つ一つ重ねられ,難病の患者方を始め,苦しむ多くの人々の幸せにつながっていくことを願っています。

問2 天皇陛下は昨年11月に気管支肺炎で入院され,今年2月には心臓の冠動脈バイパス手術を受けられました。皇后さまは献身的に付き添われ,大変ご心配になったと思います。当時のご心境や,具体的にどのようにお支えになられたかをお教えください。陛下は無事に回復され,英国ご訪問や被災地ご訪問など以前と変わらないペースで公務を続けていらっしゃる印象ですが,来年には80歳を迎えられ,健康面では今後一層の配慮が必要になります。お元気に公務を続けるために,両陛下はどのような健康管理をされていらっしゃいますか。

    皇后陛下

    2回にわたる御入院生活,とりわけ心臓の冠動脈バイパスの御手術の時は,不安でならず,只々お案じしつつお側での日々を過ごしておりましたが,全期間を通じ,東大,順天堂,二つの病院の医師方が,緊密な協力のもと全てを運んで下さいましたことは,有り難く,本当に心強いことでした。力を尽くして治療に当たって下さった医師や医療関係者に深く感謝すると共に,皇居や各地で陛下の御回復を祈って記帳して下さった方々を始め,心を寄せて下さった国内外の多くの方々に,心から御礼を申し上げます。

    よい御手術をお受けになりましたのに,陛下には術後お食欲を失われ,結果的に胸水がいつまでも残り,御退院後2度にわたり,胸水穿刺(せんし)をお受けにならなければなりませんでした。一時は,これで本当によくおなりになるのだろうかと心配いたしましたが,少しずつ快方に向かわれました。そして執刀して下さった天野先生が御退院時に言われたとおり,春の日ざしが感じられるようになった頃から,御回復のきざしがはっきりと見えてまいりました。歩行が日増しにしっかりとおなりになり,3月にはご一緒に御所の門を出て,ノビルやフキノトウを摘みにいくこともできました。

    何よりも安堵いたしましたのは,陛下が御入院の前から絶えずお口にされ,出席を望んでいらした東日本大震災1周年追悼式にお出ましになれたことでした。5月の御訪英も間ぎわまで検討が続けられたようでしたが,実現いたしました。ウィンザー城で御対面の女王陛下も日本の陛下もお嬉しそうで,お側でお見上げしながら,私もしみじみと嬉しゅうございました。

    陛下や私の,これからの健康管理については,これからも医師や周囲の人々の助けを得,陛下の御健康を尚一層,注意深くお見守りしつつ,しかし全般的にはこれまでとさほど変わりなく過ごしていくことになると思います。

    季節と共に美しく変化する自然に囲まれて日々を送ることが出来る幸せに感謝しつつ,特に痛かったり,不自由の感じられる体とも何とか折り合って,心静かにこれからの日々をお側で送ることが出来ればと願っています。

問3 宮内庁は4月,両陛下のご意向を受けて,土葬から火葬への変更を含めた喪儀方法の見直しを検討すると発表しました。生前にお決めになったことで時代の変化を感じ,自身や家族の人生の終え方について考えるきっかけになった国民も少なくありません。宮内庁幹部の会見では,両陛下が喪儀の簡素化を望むお気持ちがあることから検討が始められたと伺っております。また,皇后さまが陛下とご一緒の合葬の方式はご遠慮すべきだとお考えであることも伝えられています。ご喪儀の見直しについて,陛下とどのようなお話をしていらっしゃるのかお聞かせください。
 
質問3については,宮内庁としては,事柄が両陛下のご喪儀に関することであり,この問題に対するお気持ちを皇后陛下のお誕生をご慶祝する日にお示しいただくことは適切ではないと判断し,別の機会にご回答いただき,お伝えすることとしました。




2012年10月1日月曜日

薩摩遠き 墓の鎮めの 千草雨


9月9日

熊本護国神社へ、インパール訪問のご報告をしてきました。

9月10日

桜山神社にて



明治政府が樹立され急激に欧米化が進んだ。敬神党の志士達は、日本古来の伝統文化が衰退するのを憂いて決起した。いわゆる神風連の変である。

9月14日

靖国神社





9月19日

田原坂、薩軍墓地

美少年象前



宮崎八郎肖像

谷千城、後の台湾総督樺山 資紀

薩軍墓地

薩摩遠き 墓の鎮めの 千草雨



台湾教育先駆者、平井数馬先生の碑 場所: 熊本市小峰墓地




日本滞在中は友人知人、親方、副長、本部長皆様方に大変お世話になりました、此処で改めて御礼を申し上げます。













2012年9月10日月曜日

気品ある日本兵の姿を

インド人監督がインパール作戦題材にメガホン

インド人の映画監督が今秋、第2次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

 メガホンをとるのは、モーヘン・ナオレム氏(34)。「マイ・ジャパニーズ・ニース」(私の日本人のめい)と題された作品では、インパール作戦で戦った日本兵のめい「アサダ」が戦後、現地を訪れる。すると、おじが夢の中である村を訪ねるようアサダに呼びかける。そこでアサダは、日本兵らが残した数々のメモや日記を発見するというストーリーだ。

 インド人の手でこうした映画が制作されるのは初めてで、撮影は9~10月ごろに始めるという。

 日本軍は1944年のインパール作戦で、連合国側の中国への補給路を断とうとしたが、無謀な計画のために敗れ、多くの戦死者を出した。

 現地で取材中のナオレム氏は産経新聞の取材に「マニプール州の人々には日本人とともに戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしてくれており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」と答えた。
ただ、「日本兵の記憶が徐々に人々から失われている」といい、「まだ知られていない話を集めて映画で伝えたかった」と撮影にかける思いを吐露した。

 また、「欧米では日本兵の残虐行為や犯罪に関する話が書き立てられているが、日本兵はもっとも気品があり親切な心を持った人々だった」としている。

 ナオレム氏は同州での公開後、日本での上映に向けて協力者を探している。アジア各地での発表も模索しているという。

 アサダ役には、大阪府箕面市のモデル、浅田結有(ゆう)さん(23)が挑み、今回がデビュー作。浅田さんは電話取材に「インパール作戦のことは何も知らず、今回勉強した。日本の若い人にも知ってもらえるきっかけになれば」と話した。

産経ニュース6月24日http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062420040013-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062420040013-n1.htm


ウ号作戦の映画は日本からの視点ではこれまでほとんど作られていない、よい映画になることを願期待し、日本の配給会社が付く事を願うばかりだ。


2012年8月16日木曜日

何!退去強制!!


この中で
不法上陸・入国の容疑で逮捕され、その他に容疑がない場合は、検察には送致されず、入国管理局によって強制送還されるケースが多いという。

だったら入管法適用して入国警備に渡せば良いじゃないか!(入国警備と入国審査は違う、皆様がご存知なのは入国審査官、警備は警察と一緒です)
出入国管理及び難民認定法

不法入国

第70条  3年以下の懲役若しくは禁錮若しくは300万円以下の罰金に処し、又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する。

入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者

これを不法入国という、海保や警察では運用が難しいが、この事案については合同でやっているので、初めから不法入国罪で逮捕する向きで行動したのだと思われる、このような時は入管法で運用することは初めから解っているので法の運用にはなんら問題ない。

たとえば東京入管に不法入国した者がが出頭した場合、有効な旅券が必要であるが、ない場合にはその国の大使館領事館と協議になる、もちろん其処で発行するのに数日かかる、尚且つ本国まで帰る旅費がいる、もしこの者が所持金ゼロの場合大使館領事館と協議になる、大使館領事館が旅費の捻出を拒否した場合、外国人センター(昔は難民収容所といっていた、関東では横浜、千葉、九州は大村)送りか若しくは入管内の拘置所で3ヶ月から長いものになると6ヶ月は待たされていた。決して日本国は出さないのである。

この者達はどうであろうか、旅券を持っていない、中国だから旅費や旅券はどうにでもなるだろうが、船を拿捕した場合は罰金を貰わないといけない、この罰金を貰わないうちは返すことが出来ない、又これだけ騒ぎを起こしたのだから世間に与えた被害は甚大だ、これだけでも現在運用できる範囲の最高刑を言い渡すことが可能だ、しかし其れをせずに退去強制手続きをやるというのはどうも府に落ちない、間違いなく政府の弱腰の何者でもない。

今回はそれでは収まりつかないよ民主党諸君!!

余りにも日本は舐められている、鮮人大統領の我が国領土への不法入国、又我が国天皇陛下への非礼な発言、やはりこの様な国とはお付き合いをしてはならないのである。いくら近場といえ、ご近所付きあをしない覚悟が日本人には必要だ。


日本のニュースでクンユアンが紹介されていました、実際バンコクはどうでも良いがこんなところ日本からの観光客は行ってもらいたいですね。






2012年8月15日水曜日

宮城遥拝

『 凛として愛 』
恥ずかしながら一昨日初めて観させていただきました。


制作の経緯

靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監督でした。
監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。
映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。
上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止にしてしまったのです。

YouTubeで全編見れますので是非観ていただきたい。


この中で高村光太郎は一遍の詩に書きつづっている

 黒船以来の総決算の時がきた 民族の育ちがそれを可能にした
 長い間 こづきまわされながら なめられながら しぼられながら

 仮装舞踏会まで敢えてしながら 彼らに学び得る限りを学び
 彼らの力を隅から隅まで測量し 彼らのえげつなさを満喫したのだ

 今こそ古に帰り源にさかのぼり 一瀉千里の本流と成り得る日が来た

 大東亜戦争は黒船来航以来、長い間欧米列強にこづきまわされてきた日本人の白人社会の強圧に対する総決算であることを詩に託している。

また軍令部総長永野修身は

 戦うも亡国かも知れぬ だが戦わずしての亡国は
 
 魂までも喪失する 永久の亡国である

 たとえ一旦の亡国となるとも 最後の一兵まで戦い抜けば

 我らの子孫は この精神を受け継いで 再起三起するであろう

ピューリツア賞を受けたアメリカの従軍記者ジョン・トーランドはその著書の中で

 アメリカのように天然資源と広い国土に恵まれ 外国に攻撃される恐れもない国が
 どうして日本のように小さく、ほとんど資源もなく 常にソ連のような仮借ない
 隣国の脅威にさらされている島国の 置かれた立場を理解することができるだろうか

 アメリカが口にする正義は 結局は自己の目標を貫かんがためであり
 唱える道義は その奥底において 自らの利益のためであった。

東京裁判の中でブレイク二ー弁護人は

1946年5月14日

「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

戦後このやり取りは隠され続けられてきた、今でも全部は公開されていない。


最後に映画の締めくくりとして

 日本よ陽はまた昇る 

  祖国 日本を防衛するために 陸 海 空に散華された方々に

  私たちは誇りと 叡知を此の胸に抱き 凛として愛を 捧げる

  それがあって 初めて 日本の 新しい時代が始まる


永野修身軍令部総長は

たとえ一旦の亡国となるとも 最後の一兵まで戦い抜けば
 我らの子孫は この精神を受け継いで 再起三起するであろう

戦後我々は果たして再起三起しているであろうか、本日は終戦の日毎年恒例の護国神社の参拝は今年は出来ません、遠隔地からの宮城遥拝にてご勘弁願い明日の日本を考えたいと思います。






2012年8月9日木曜日

ラオスと中国人



 1年ぶりにラオスに行きました、行く度に町の様子が変わっていて、ここ1-2年の変わりようはすさまじい、新しいホテル、カフェ、レストラン、マーケットやゴルフ練習場、ゴルフをやっている奴がいるのかと覗きに行っきましたが、やはりいるんですね。

其れよりも何よりも中国人の進出がすさまじい、観光客は然る事ながら、労働者や定住者の流入が凄いことになっている。

ラオスのビエンチャンと言えばやはりメコン川、対岸の町はタイのノンカイ、夜になるとノンカイの夜景が観え情緒が有る所です。

数年前からここにベトナムの資本を注入して公園が出来た、そして今年は其処に一大ナイトマーケットが出来たのである、以前から小規模のマーケットはあったものの、其れはタイの地方都市のマーケットよりも可也小ぶりの物だった。
観光客にとってはメコン川の流れと夜景とがセットになって雰囲気をか持ち出している。

しかしその横に中国の看板で隠された巨大開発地帯があった、なんだろうかと覗いたら、ラオスの一等地のメコン川沿いに住宅開発をやっているのである、こんな物はここの景観に合わないだろう、中には開発途中の毒々しい色の屋根、同じ建売住宅が並んでいた。

ホテルの者に「あそこの建売住宅は誰が買うんだ」と聞いてみたら、「殆ど外国人でしょうね」との答え、「其れも中国人でしょうね」と、驚いたことに現場で働いているものたちも殆ど中国人だとの事、それで連中は仕事が終わっても国には帰らずラオスに住み着くのだという、又その者達が中国から家族を呼び寄せどんどん中国人が増えていくのだという、いまや市場やマーケットもラオス人の商売人たちは追い出され中国人が幅を利かせているのだという。

其れは昔からのようにも思えるが、ここ最近はその数がすさまじい。その兆候は4-5年前からあった国境のデューティフリー等でもタイ語が通じないのである(ラオス語はタイ語に似ているので殆どのラオス人はタイ語を理解する)中で働いている者達が中国語とも何処の言葉とも知れない言葉を話しているのである。その数ビエンチャンの人口の2割くらいになっていると言う。

運転手に聞いてみる

「しかし中国とは兄弟国だろ」

「何を言ってるんだベトナム人の流入はいい我々は戦争を共に戦った兄弟国だから、
そして日本人もウエルカムだ日本は貧しいラオスに道路を作ってくれ橋を架けてくれ我々の生活は向上した、しかし中国は違うラオス人の職場を奪い人口が増えたことによって物価も上昇した奴らが来て何も良いことはない、よくなっているのはラオスの大統領と中国人だけだ」

ラオスは未だに一党独裁の国だ、その国で政治的批判等はおおぴらには出来ないのである、そしてラオス人は何事にもゆったりした気性で余りこの様な発言はしないしかも外国人に、可也国の行く末を危惧しているのだろうと伺える。

これはラオスの知識人でもなんでもない一ドライバーから聞いた話なのである、殆どのラオス人がいまや中国人流入問題で頭を抱えている。

現在の関係が、はじめから中国優位で構築されたため、ラオスが中国と同等の関係を構築することは大層困難であろう。ただ、中国との紐帯を維持しつつも、無作為に援助や投資を受け入れるのではなく、自国と国民にとっての利益を見極めることは重要である。特にASEAN の一員として中国にどう向き合うかも重要な課題である。いずれにせよ、地理的かつ歴史的な辺境国家故に、ラオスは外交において難しい舵取りを迫られている。

唯一の望ましい道は、ラオス人が本来土地持ちであることを有利に活かすことによって、地主や資本家の立場から中国人を働かせるくらいのパワーを持つことである。困難ではあるが、ラオス内でもやり手の企業家が生じつつあることもその意味で大事である。





こんな写真は載せたくありませんが、北朝鮮の最高人民会議常任委員長、キム・ヨンナム
がラオス訪問するとあって街中はこんな具合でした、私はこの訪問も臭いと思うのですが、特にこのところ中国人の流入だけではなく韓国人の進出もすさまじい、そしてここは北朝鮮から脱北者の東南アジアにおける一大拠点になっているからであるラオスには数千人からの脱北者がいると言われており、ここで様子を見てタイ側に密入国してタイ国境警備隊に捕まるというのが手順である。






2012年8月1日水曜日

タイは仏事


タイは明日から仏事です2日アサラハブーチャ(三宝節)3日カオパンサー(入安居) (いりあんご)です。

アサラハブーチャ(三宝節)
陰暦8月の満月の日で、釈迦が最初の説教を行い、最初の子弟ができた日です。これにより、仏・法・僧の3つ(三宝)が揃った日でもあります。人々はこの日を祝い、寺院にお参りに行きます。
明日の準備

カオパンサー(入安居) (いりあんご)
陰暦8月の十六夜の日です。この日から出安居の日までの約3ヶ月の間、僧は仏教の修行に専念するため寺にこもります。かつて、僧が雨季に外出して百姓が植 えた稲を踏んでしまわないように寺に篭ったのが始まりであると言われていますが、現代でもこの日から出安居の日まで僧は寺に篭って修行に専念します。
また、この日人々は大きなロウソクの山車を行列になって寺社に奉納します。この習慣から、現代では様々な彫刻を施したロウソクの山車や踊りのパレードが見られる「ろうそく祭り」が行われています。

3ヶ月後の満月の日に「オークパンサー」出安居(であんご)が行われる。

近くのお寺






タイ深南部でカーボムホテル破壊

7月31日午後7時15分ごろ、タイ深南部パタニー市のホテル、CSパタニーホテル(9階建て、客室数125)の裏手でピックアップトラックに仕掛けた爆弾が爆発し、ホテルの宿泊客と従業員5人がけがをした。また、ホテルの外壁が破損し、客室約80室と厨房の窓ガラスが割れた。近くの民家数棟でも窓ガラスが割れるなどの被害が出た。CSパタニーホテルは1日から営業を停止している。

ラマダンに入って激しさを増してきている、相も変わらずタイの報道はイスラム過激派の仕業とのオンパレード、報道関係者が殆ど立ち入りしていないと言うのも問題である、発表を全部鵜呑みしてているので、各紙全て同じの横並び報道となる、ましてや日本語メディアにいたっては、記者すら現地に入らないのでおこぼれ記事を貰っている様な状態、最低マレー語記事とインドネシア語記事ぐらい目を通してもらいたいものだ。


surabayapost
http://www.surabayapost.co.id/?mnu=berita&act=view&id=0d7035c1c8ee765568736a4c06afc93f&jenis=c81e728d9d4c2f636f067f89cc14862c