2012年11月26日月曜日

青年日本の歌



三島由紀夫が死んで42年まさに三島由紀夫が予言したとおりになっている。

三島由紀夫は、1970年(昭和45年)77日付のサンケイ新聞夕刊の戦後25周年企画「私の中の25年」寄稿の中でこの様に言っている、「このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」まさしくその通りである。

政治で変えられなければクーデターでもしないかぎり日本の現状は打破できないのか、こんなことを言うと物騒だの言う人もいるかもしれない、しかし他の国では今でも当たり前のように行われている。

現代の日本はまさに226事件当時と一緒ではないか?
 





青年日本の歌

一、泪羅の淵に波騷ぎ 巫山の雲は亂れ飛ぶ
  溷濁の世に我立てば 羲憤に燃えて血潮湧く

その昔屈平が身を投げた泪羅の淵より憂国の魂が感応し、
騒ぐ。巫山の雲は風雲急を告げて乱れ飛び、世の乱れに怒りあり。
道理の通らぬ乱れ濁った世に直面している、したがって我らの
怒り、正義感はいかともすべからず、怒りに燃えて血潮が湧き
上がってくる。

二、權門上に驕れども 國を憂うる誠なし
  財閥富を誇れども 社稷を念う心なし

官位、権力を占める輩は、上にあって権勢を恣にしているが、
誠この皇国を憂うる誠意をもっていない。
財閥は莫大な富を蓄え力を誇示しているが、不甲斐なく
我国を想う赤心を持ってはいない。

三、噫呼人榮え國亡ぶ 盲いたる民世に踊る
  治亂興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

国は栄ながらも滅びの道を辿っている。
それを自覚せず道理を悟らぬ輩は大手を振ってまかり通っている
まるで夢のように世界の歴史は治乱興亡を続けてきたが、
その姿は正に一局の碁を打っているかのように。
我国はその兆しを見ているのか?

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