「噫 忠烈戦歿勇士の慰霊塔」
ランプーン県パサーン郡
藤田松吉さん昭和14年陸軍に志願入隊する。長崎の大村で入隊し、久留米で菊兵団に編成された。配属された師団は、菊の紋章をかたどり陸軍の最強部隊とうたわれていた。マレー、シンガポール、ビルマ、ふーこん作戦などに従軍。
以下、2008年のインタビュー記事
「還らなかった日本兵」より抜粋
12年したら再び日本軍がやってくるという噂話を聞きつけ、タイ北西のメーホンソンあたりでシナ人の農作業を手伝いながら、身を隠していた。60キロの荷物を担いて、人一倍、仕事をしていたが、身分がはっきりしないため、労働賃金が叩かれる。
戦後、再び日本軍はやってこなかったが、代わりに高速道路をつくる日本企業の前田建設がタイにやってきた。タイ語ができる藤田さんは、現場で監督になった。日本の企業に尽くし、高速道路をひたすらつくり、その功績をタイの高官に認められ、タイ国籍を取得した。そして、日本に帰るために貯金をし始めた。
貯金でランプーンに家を構え、戦後10年ほどたったある日、何度も夢に日本の兵隊が出てきて、ここにおるから探してくれと藤田さんの枕もとに立たれた。中には、古井戸の中にいるから引き上げてくれと具体的に場所を伝える英霊もやって来た。それ以来、足が動かなくなるまで、ひたすら遺骨収集をなさった。帰国のための貯金は、遺骨収集に投入された。
藤田さん曰く、1000体以上を収集できたが、まだまだ遺体は眠っております。それに付け加えて日本の遺骨収集団がある時期にやって来たけど、何かわからん数字だけ確認して、途中でまた来なくなったとこぼされる。
藤田松吉さんは2009年1月25日午前、肺炎のためタイ北部ランプーン県の病院で死去。享年90歳。
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