ペナン憲兵隊事件とは、陸軍第5師団大隊が戦時反逆の華僑ゲリラ掃討作戦を行い、約1,000名を逮捕した。その後の日本側処置内容は不明であるが、1,000名以上を虐殺したとされ、歩兵大隊ではなく偶々残留させられていた憲兵分隊員が逮捕、訴追された。
粛清事件の証人は華僑であったが、法廷で粛清事件の証言を求められ「一切知らない」と答えて、検察を慌てさせたそうである。
急遽休廷して、再開後に同じ華僑証人が「毎日死体が運ばれ、その数1,000人以上」などと詳細に証言し、これが死刑の決め手となった。
同掃討作戦において逮捕・処刑されたゲリラは、戦時重罪の戦争犯罪者であり、日本軍と同じ状況にあれば、世界中の軍隊が同じ作戦を実施し、同じ処罰をしたであろう事から、冤罪以前に不当裁判である。
山下大将がそうであったように、イギリスのリンチ裁判としか言いようがない、この様に無実の罪で散っていったBC級戦犯の処刑者は1000人を超えている。
ここにペナン憲兵隊事件で散っていった江草忠義憲兵伍長の遺書を紹介する。
46/12/17
遺 書
父上、母上大変御世話様になりました。
今迄の数々の不孝お許し下さいませ。
考えてみますと戦争犯罪等と名義付けられ戦争裁判等といふ実に形式的一方的宣伝本位の裁判で味噌も糞も無く死刑と決定付けられた事に付いては飽く迄も残念であります。
然し軍人としての本分を尽した事が敗戦の結果斯くの如き情況に到ったものでありまして決して破廉恥罪等の如き恥づべき事で殺されるのではありませんから此の点絶対に御安心下さい。
此処に散って逝くことは大君の為であり国家の為であります。
皇国の復興を残存者後継者に依頼し且霊魂の不滅を信じ清く従容と散って逝きます。
喜んで下さい。
「最後迄磨き続けん大和魂」にて今迄日を送って参りました。
又是から何日あるか分りませんが是で進んで行き断じて心の動揺は生じませんから御安心下さいませ。
思へば幼少時代軟弱で常に御心配のみかけましたが学校時代は御陰様で十一年皆勤で通し、入隊以来二年四ヶ月間勤務を一日も休んだことはなく教習隊時代マラリヤで一回発熱致しましたが休みませんでした。
刑務所に於ても病気にはならず現在は誠に立派な身体であります。
是皆御蔭のことと感謝致して居ります。何卒御安心下さい。
次に命日は本日にして頂いてよいと思います。
後日執行された日が分りましたら其の日に変更して頂けば結構と存じます。
では追々年も重なること必ず必ず無理をせられないで御長命をお保ち下さい祈って居ります。
たらちねの父母よやすらげ
己が身は誠尽して花と散りせば