2010年12月30日木曜日

パキスタン北部で地元の長老23人が拉致



 パキスタン北西部で活動する「パキスタン・タリバン運動」のタリバン戦闘員らは、現地に住むパシュトゥン人の長老ら23人を拉致した。

 長老らは今月7日、アフガニスタンとの国境付近にある南ワジリスタン地区へ視察に訪れたパキスタンのカヤニ陸軍参謀総長と会談した。拉致の原因はこれに関連しているという。地元マスコミが28日、パキスタン諜報部からの情報として伝えた。

 「パキスタン・タリバン運動」は、長老らをどうするのかについて何の声明も表していない。

2010年12月28日火曜日

インドネシアの新聞から

宗教心のある人々はもっと幸せ

ジャカルタ

 宗教的義務に熱心な信者はもっと幸せになる。インドネシア調査サークル(以下 LSI)が行った全国調査の結果から、このことは明らかになった。インドネシア国民の大多数である84.7%が彼らは幸せだと回答していることを、調査は示している。

 その数字〔84.7〕のうち、14.2%〔分〕の回答者が非常に幸せで、その他の70.5%〔分〕が十分に幸せだと答えている。一方、あまり幸せでない、全く幸せでないと回答した人々の数は〔全体の〕12.2%に達した。宗教的義務を行うことに熱心な人々とそうでない人々の幸福の価値観には相違がある。

 「宗教的義務を行うことに熱心な人々は、あまり熱心でない人々と比較して幸福のレベルが少し高い」火曜日(11月30日)にジャカルタで、LSIのスナルト・チプトハルジョノ取締役はそう述べた。同取締役によれば、その調査の結果に基づくと、宗教的義務を行うことに熱心〔だと回答した〕人々の集団のうち、86.2%は非常に幸せだ、あるいは十分に幸せだと答えている。幸せでないと答えている人々はたったの11.7%だ。

 もう一方は、宗教的義務を行うことに熱心でない〔と回答した〕集団だ。〔その中で、〕81.0%の回答者が幸せだと答え、その他の15.5%が幸せでないと答えている。同取締役は次のように述べた。とりわけ人生での重要な決断をする前に、宗教の教えをしばしば考慮する人々と滅多に考慮しない人々の集団では、幸福レベルの相違も見られる。

 しかしその相違はほんのわずかだ、と同取締役は述べた。人生において重要と考えられる決断をする前に、宗教の教えを非常にあるいは十分によく考慮する〔と回答した〕人々の集団のうち、86.0%の回答者が幸せだと感じている。人生において重要とみなされる決断をする前に、時々、それどころかこれまで宗教の教えを考慮したことがない人々のうち、81.5%が幸せだと答えている。

 同取締役によれば、この調査は無作為〔抽出で回答者を選んで〕に行われたという。「宗教や一定の教育レベルで選んでいない。しかし、回答者の大部分、すなわち86.2%はイスラーム教徒だ」と同取締役は述べた。この調査では、19歳以下の回答者は非常にあるいは十分に幸せだと答えており、〔その合計は〕 95.8%に達する。50歳以上の回答者で非常にあるいは十分に幸せだと答えている人々は、たったの82.7%だ。

 〔回答者の〕教育レベル〔ごとの分析〕に基づけば、小学校またはそれ以下の〔レベルの〕卒業生である回答者の80%が、幸せだと答えている。一方、大学で学んだことがある回答者で、幸せだと答えている人々は90.6%に達する。

 収入〔レベルに基づいても〕同様だ。収入が40万ルピア〔約4,000円〕以下の回答者は、73.3%が幸せだと答えている。一方、100万ルピア〔約 1万円〕以上の収入がある人々は、90%〔が幸せだと答えている〕。この調査は2010年10月初めにインタビュー〔形式〕で行われた、と同取締役は述べた。許容誤差はプラスマイナス4%で、1,000人の回答者〔が対象だ〕。

イスラーム化〔もう一つの調査結果から〕

 一方、シャリフ・ヒダヤトゥッラー国立インドネシア大学の宗教・文化研究センター(以下CSRC)は、〔LSIとは別に独自の調査を実施し、〕その研究結果を通じて次のように述べた。オルデ・バル(訳注1)後の〔個人の内面的な信仰だけはなく〕公共領域におけるイスラーム化においては、社会、政治、経済部門が中心的課題に位置づけられなかった。〔インドネシアのイスラーム教徒にとっての〕イスラーム化とは、信仰、宗教的義務、道徳〔といった個人の内面、および〕ハラル食品〔という限定された公共領域のみで〕の問題〔の範囲〕からいまだに留まったままだ。

 CSRCの研究員であるスクロン・カミル氏は、次のように説明した。この結論は2010年の3月から8月まで〔にかけて行った意識調査に対する〕研究結果〔得られたもの〕であり、南スラウェシ、北スラウェシ、北スマトラ、西スマトラ、アチェ、ジャカルタ首都特別州、バンテン、東ジャワ、バリ〔島〕、東カリマンタンの10州出身で1,500人の回答者が参加した。

 その結果は次のことを示している。公共領域でのイスラーム化は次のようなことと関連がある。〔回答者にとって関心のある分野は、まず内面的信仰については〕イスラーム六信(訳注2)が93%、イスラーム五行(訳注3)が94%、イスラーム的道徳が88%、結婚と相続が67%〔であるのに対し、公共領域については〕、ハラル食品が87%、イスラーム経済が40%、イスラーム刑法が44%、イスラーム国の確立が36%だ。イスラーム法の施行が39%、でイスラームにおける逸脱した宗派〔イスラーム過激派、テロ集団など〕が65%だ。


訳注
1) オルデ・バル: 「新秩序」の意味。具体的には、スハルト政権下の1963年から1998年までの時期を指す。スハルト以前のスカルノ政権時代は、オルデ・ラマ(旧秩序)と呼ばれる
2) イスラーム六信: イスラーム教徒が信じなければならない6つの信仰箇条。唯一全能の神、天使の存在、啓典、使徒・預言者、来世の存在、定命である。
3) イスラーム五行: イスラーム教徒に義務として課せられた5つの行為。信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼である。

(翻訳者:川名桂子)


原題:Larisnya Buku Kisah Nabi
http://koran.republika.co.id/koran/14/124855/Larisnya_Buku_Kisah_Nabi


タイの新聞


タクシン元首相派の野党プアタイの下院議員がタクシン氏(61)が滞在するアラブ首長国連邦ドバイを次々と訪れている。来年に予想される下院総選挙を前に、「党主」であるタクシン氏に選挙資金を無心したり、首相を目指す派閥領袖への支持を訴えているもようだ。

 選挙戦を戦う顔となるプアタイの「党首」選びは混沌としている。ミンクワン下院議員(元商務相、58)を推すグループはドバイ訪問後の27日、タクシン氏の支持を取り付けたと主張したが、プロームポン党報道官は「党首選びを急ぐことはない。下院解散が先だ」と述べ、ミンクワン氏支持が固まったわけではないことを匂わせた。

 プアタイの党首には現在、元内務次官のヨンユット氏が就いている。ただ、ヨンユット氏は政治経験がなく、お飾り的な立場なのは明らかで、実際の党首候補はチャワリット党会長(元首相、元陸軍司令官、78)、チャルーム党下院議員会長(元内相、62)、ミンクワン氏、タクシン氏の妹で不動産会社社長のインラク氏(43)らとみられる。

 このうちチャワリット氏は1997年のアジア通貨危機当時に首相を務め、有効な対策を打てないまま政権を投げ出した。その後は政治的な漂流を続け、能力やビジョンの欠如という評価が定着した。

 チャルーム氏は論客として知られるが、自身の様々な汚職疑惑や3人の息子の殺人・暴行容疑などで、首相の資質にかけるという見方が専らだ。

 ミンクワン氏はトヨタのタイ法人に28年勤務し経営幹部を務めた後、タイ国営テレビ会社MCOTの社長に転じ、MCOTの一部民営化・上場を指揮した。経営能力は証明済みだが、海千山千の政治家を束ね、特権階級・軍の後押しを受ける与党民主党と対決するのは荷が重いという指摘もある。


野生ゾウに襲われ女性骨折 タイ東部ラヨン


27日朝、タイ東部ラヨン県のアンルーナイ自然保護区に隣接する天然ゴム園で、除草作業を行っていた農家の女性(57)が野生ゾウに襲われ、ろっ骨を折るなど重傷を負った。女性は森の外れにいるゾウ2頭をみつけ、声を上げて追い払おうとしたが、このうちの1頭が女性目がけて突進し、体当たしたという。タイ字紙コムチャットルクなどが報じた。


中国初の空母、来年にも誕生か 軍事拡張への疑念が強まる


中国が購入した旧ソ連製空母ワリャーグの修復作業は、米軍事専門家の当初の予想より1年早く進んでおり、来年の7月1日、中国共産党建党90周年のタイミングで運用が始まる可能性が高い。また、ワリャーグを参考に、純国産空母2隻の建造も同時に進められている。23日のロイター通信が報じた。

 一方、中国国家海洋局が今年5月に発表した「中国海洋発展報告2010」に、「2009年、中国は空母建造の構想と計画を定めた」との一文をそっと登場させていた。空母保有へ闊歩する姿や、空母計画を当局出版物の中に隠すように公表するやり方に対し、中国の軍事的意図に対する国際社会の疑念がさらに強まった。

 空母建造の狙いについて、ロイターの同報道によると、中国の消息筋は「空母があれば、南シナ海の主権は守れる。我々(中国)には覇権の野心はない」と話しており、中国の空母建造はアメリカと競争するためではないと主張している。

 中国国防部は空母についてのコメントを避けている。

 一方、台湾元防務高官・林仲斌氏は、ワリャーグはマラッカ海峡に配備され、中国のインド洋における石油航路の安全確保に利用されると推測している。また、中国は空母の配備で、南沙諸島(スプラトリー諸島)への勢力拡大も目論んでいると指摘した。

 23日の米軍事ウェブサイトstrategypageによると、ワリャーグはすでに「施琅号」と改名したという。「施琅」は清の康煕帝配下の海軍名将の名前で、1683年に清が台湾を治めたことから、今回の空母命名で台湾に脅威を与える狙いもあるとみている。

 ワリャーグは旧ソ連時代に建造された空母だが、ソ連の崩壊で建造が中止された。1998年に2千万ドルで香港の会社に海上カジノの名義で売却されたが、背後にある本当の買い主は中国当局だった。2002年にワリャーグは大連港に入り、そこで改修作業が進められてきたという。

 一方、空母の建造はスタートにすぎず、空母のもつ戦闘力を発揮させるには数十年かかることもある、とカナダの防衛評論家ロバート・カーニオルはロイターに語った。中国軍筋も、中国はまだ空母で戦闘機を発着させる技術をマスターしていないとロイターに話している。「この技術の習得には巨大な財力と命の代価を伴うことも認識してほしい」と米海軍専門家は指摘した。

 なお、ロイター通信は中国軍筋の話として、中国国産空母2隻の建造は世界最大の造船所・上海江南造船所で行われていると明かした。


北朝鮮:日本の国連安保理常任理事国入りに反対
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、日本の国連安全保障理事会・常任理事国入りに断固として反対している。北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞が、同国指導部の見解として報じた。

 同紙によると、日本の外交政策は現在、米国の戦略的要求と利益に完全に合致しており、これは日本に米国の基地があること、米軍人に特別な権利を与えていることで証明されているという。

 記事の中では、日本は米国が始めた北朝鮮向けの偽プロパガンダ活動に最も積極的に参加していると指摘されている。

ビルマのニュース

中国雲南省の水力発電所が稼働開始、シャン州北部の住民ら16,000人の生活に影響

 シャン州北部を流れるシュエリー川の上流(中国雲南省)をせき止めて造った水力発電所の稼働開始にともなって、ビルマ国内におけるシュエリー川の水位が日によって著しく上下するようになり、水上交通による商品輸送に支障が出ている。生活必需品の供給が滞るなどして、シャン州ムセ郡およびナムカム郡の住民ら計16,000人の生活に影響を及ぼしているが、中緬両政府とも今のところ何の動きも見せていない。


カレン州コーカレイ郡ウォーレイ村に少女2人の変死体

カレン州コーカレイ郡ウォーレイ村で、今年夏にカレン族の親軍政武装組織「民主カレン仏教徒軍(DKBA)」から分離した同第5旅団(旅団長:ソーラーポェ少佐)の兵士ら約60人が、同村内の基地へ徒歩で移動中の国軍兵士ら約100人を奇襲して十数人を死傷させた。ウォーレイ村は、かつてDKBA第5旅団の重要拠点であったが11月末に国軍に制圧され、以後、同村内では両軍の戦闘が散発的に発生している。こうした中、村民の多くがタイなどへ避難したが、生計維持のためにウォーレイ村で生活を続ける者も少なくない。
そのウォーレイ村で12月22日、避難先から戻った村民らによって2人の少女の変死体が発見された。このうち1体は16歳のカレン族の少女と判明し、もう1体は斬首されていて身元の特定が困難なもののモン族の少女とみられており、いずれも強姦された跡があった。こうした蛮行はウォーレイ村に駐屯中の国軍兵士らによるものであり、村民らはやり場のない怒りと悲しみを抱えている。

DKBA第5旅団を率いるソーラーポェ少佐

2010年12月26日日曜日

Press Conference on the occasion of His Majesty's Birthday (2010)

Questions by the Press to be answered by His Majesty on the Occasion of His Majesty's Birthday(2010), and the Activities of the Emperor over the Past Year
Press Conference on the Occasion of His Majesty's Birthday (2010)


Question 1
This year, while there have been bright news such as the Nobel Prize in Chemistry being awarded to two Japanese scientists, there have also been, domestically, the problem of the elderly people unaccounted for and externally, the Senkaku Island issue. Looking back over the past year, please tell us Your Majesty's thoughts with regard to these issues and also with regard to the friendship and exchanges with neighbouring countries.


Answer 1

Many things have happened in the past year.

The cases of the elderly people unaccounted for, which you referred to in the question, came as a surprise to myself as well, as it was totally unexpected. I used to think that it was a blessing for people to live long and reach old age. It has now become evident that, among those elderly who were thought to be well and sound, there are some whose fate and whereabouts are unknown, which is most regrettable. In this ageing society, it is extremely important to provide proper care for the elderly. I know that there are numerous difficulties such as shortage of people involved in medical care and nursing care, but I earnestly hope that the number of people dedicating themselves to the care of the elderly will increase so that the elderly will be able to live their old age in peace.

While there was not much damage caused by typhoons this year, heavy rains in many parts of the country during the rainy season caused disasters resulting in casualties. In October, torrential rains, the likes of which the local people had never experienced before, struck Amami-Oshima island in Kagoshima prefecture, causing a major disaster and loss of lives. I deeply sympathise with the sorrow of the bereaved families and the suffering of those who lost their homes. The islanders, who had to spend hours cut off from transportation and communication, must have been so anxious. More than 40 years ago, the Empress and I visited Amami-Oshima and traveled the mountain path from the then-Naze city to the then-Sumiyo village, which suffered major damage this time. Recalling our visit back then, I can well imagine the difficulties encountered by the people involved in rescue operations in such a mountainous island with the roads cut off.

We had a long spell of intense heat in many parts of the country during the summer, and it was tragic that many elderly people lost their lives due to heatstroke. There have been cases of elderly people living by themselves or doing farm work who died because they did not realise that they were in serious danger of heatstroke. It is important, therefore, to improve our knowledge of heatstroke and to encourage everyone to care more about health. The scorching heat caused major damage to agriculture as well, and I feel for the people engaged in agriculture and the hardships they are going through.

A major incident in agriculture was the outbreak of foot-and-mouth disease in Miyazaki prefecture. I deeply sympathise with the sorrow of the people who were forced to kill all the cows and pigs that they had raised with care for many years, and with the hard work of the veterinarians and many others engaged in the vaccination, killing of the animals, and other operations that are physically dangerous. I think very highly of the cooperation extended by the people of the prefecture who managed to prevent the damage from spreading to other prefectures.

One of the bright news was, as you pointed out in the question, the Nobel Prize in Chemistry being awarded to two Japanese scientists. I felt truly happy watching the news on television of the two receiving their medals from His Majesty the King of Sweden at the ceremony. I am looking forward to hearing from the two scientists and their wives about the event early in the new year.

The landing of the asteroid explorer "Hayabusa" on the asteroid "Itokawa" and its return with micro-particles was a truly delightful feat of the year. Hayabusa overcame many malfunctions, including being lost for sometime, and finally returned to earth. I was deeply moved by the fact that even when Hayabusa went missing, those involved never gave up hope, came up with various ideas, and finally managed to bring it home.

This year, 2010, was the International Year of Biodiversity declared by the United Nations, a year in which participants from many countries were welcomed to the city of Nagoya for the 10th Meeting of the Conference of the Parties to the Convention on Biological Diversity. Many lively discussions took place, and I was pleased that the conference concluded successfully by ultimately achieving a consensus among all the participating countries. I believe it was a meaningful conference which raised more people's awareness of biodiversity.

Towards the end of this International Year of Biodiversity, one additional species of freshwater fish was found in Japan: kunimasu, Oncorhynchus kawamurae , a species of trout whose discovery was reported in the press recently. Kunimasu lived only in Lake Tazawa, but it died out sometime between 1935 and 1945, when highly acidic river water was drawn into the lake to increase its water volume in order to use the lake water for power generation. Before kunimasu died out, however, the fish's roe had been transplanted to Lake Sai-ko in Yamanashi prefecture. It was confirmed this year that the fish had been propagating to this day in the lake. I think we can truly call it a miracle fish. Kunimasu brings back memories of the time when I was 12 years old. I read in a book titled Shonen Kagaku Monogatari (Boys' Science Stories) by Dr. Masamitsu Oshima that kunimasu in Lake Tazawa would one day become extinct as a result of the inflow of acidic water. This remained deeply engraved in my mind. Sixty-five years thence, I heard the good news about the surviving kunimasu. I wish to express my deep respect to Professor Tetsuji Nakabo of Kyoto University who made a major contribution to this discovery of kunimasu and who will soon publish a paper on kunimasu. I am also pleased that "Sakana-kun," Visiting Associate Professor at Tokyo University of Marine Science and Technology, and many others were involved in and worked together for the discovery of the fish this time. As for the future of kunimasu, when considering that it has succeeded in surviving until today while the Lake Sai-ko Fisheries Cooperative managed the fishery of the lake, it seems best to continue to watch over kunimasu in that way. At the same time, it is absolutely necessary to consider spreading the risk so that kunimasu does not become extinct in the future.

With regard to the friendship and exchanges with neighbouring countries, I believe it is extremely important to nurture them. On the question related to the Senkaku Islands issue, in my position, I wish to refrain from touching on the subject.


Question 2
Your Majesty is celebrating Your 77th birthday. This year Your Majesty experienced some health problems, a Norovirus-induced acute enteritis in February and a cold in June. Her Majesty the Empress, in Her written response to a question on the occasion of Her birthday, wrote: "I also often experience symptoms that seem to be caused by ageing. I find these incidents amusing at times, but I also feel a bit helpless." Please tell us how You feel about Your own ageing and also about Your official duties as Your Majesty advances in age.


Answer 2

Since the autumn of the year before last, I have had problems with my health including an irregular heartbeat and several schedules were cancelled or postponed. At that time it was decided that some of my official duties should be reduced. At the moment I am not planning on making any more major reductions of my work load. As you mentioned in the question, I had some health problems this year as well, which meant some of my schedules had to be changed, causing the people concern. Nowadays, travelling through the streets by car, I often hear people calling out, "Please take care." I am deeply grateful that many people care and are concerned about my health.

With regard to ageing, I have become somewhat hard of hearing, so when I receive people, I ask those around me to tell this to them and to ask them to try to talk to me in a louder voice. When watching the news and other programmes on television, I can understand what the announcers are saying but when it comes to listening to the other people's conversations on TV, I find myself often relying on subtitles. I never realized until now that announcers speak so clearly and are so easy to understand.

This summer I climbed Mount Sekison with Prince Akishino's family. Climbing was not such a problem, but the climb down was slippery, and I was sometimes helped by Prince Akishino and Mako, who walked behind me. This is something that did not occur to me when I climbed the mountain before. I have touched on some of the signs of ageing that I have experienced as one of the elderly, but I think there are many symptoms of ageing that younger people would find hard to imagine. In our society today, where the ageing population continues to grow, it is my sincere hope that there will be further understanding of the needs of the elderly and that more and more attention will be paid to make buildings and towns better equipped to serve the needs of the elderly.


Question 3
This is a question about the Imperial Family. As Your Majesty sees the four grandchildren at the Imperial Residence and at the Imperial Villas, You must be impressed by how they are growing up. Please tell us about the thoughts that have occurred to Your Majesty through Your contacts with Your grandchildren, perhaps by referring to some specific episodes. Princess Aiko, the eldest daughter of Their Imperial Highnesses the Crown Prince and Princess, has not been able to go to school in the normal way since March, and Crown Princess Masako has had to accompany Princess Aiko to school every day, which has prevented Crown Princess Masako from adequately performing her official duties. How does Your Majesty regard the current situation of the Crown Prince's family?


Answer 3

This year Aiko, who became a third grader at Gakushuin Primary School, found it difficult to go to school, which was something we did not foresee, and we are worried about it. I am also much concerned for the Crown Prince and Princess, who must be so worried as well. Because of this, opportunities to see Aiko have been limited, so, regrettably, it is difficult to tell you anything in terms of exchanges with her. The Empress has much affection for Aiko as she does for all Her grandchildren, and Aiko also expresses her love for the Empress whenever she comes here by presenting Her with flowers which Aiko has picked from her garden. When she came the other day, she eagerly showed the Empress a video of her cat on her camera. In the visual footages of her school field day, Aiko looked lively and seemed to be enjoying herself as she did last year, and I was relieved to see it.

I am pleased that Mako, who entered International Christian University, seems to be enjoying college life. In the summer she participated in an overseas English training programme and spent almost 40 days in Ireland living with people from different countries. After returning to Japan, she showed us photographs with detailed explanations. It is my hope that she will spend her days at university in such a way that one day she can look back on those days and think that it was a meaningful time.

Kako has advanced to Gakushuin Girls' High School. From this year she has started to attend, together with Prince and Princess Akishino, the All-Japan High School Cultural Festival, which Mako used to attend every year while she was in high school. I think it is a good thing for her to have the opportunity to talk with students from other high schools at events for high school students. When the Crown Prince's family and Prince Akishino's family gather at our Residence and the grown-ups are engaged in conversation, Kako often looks after Aiko and Hisahito and plays with them. It gives me pleasure to watch the care and consideration Kako shows to others.

Hisahito entered Ochanomizu University Kindergarten, and seems to be enjoying kindergarten life. He loves insects, and in the autumn, he came to the Biological Laboratory of the Imperial Household and also the gardens of our Residence, and caught grasshoppers and mantes. He is also interested in fruits and enjoyed observing how the grapes were growing in the Biological Laboratory of the Imperial Household and picking persimmons, and so on. On Prince Akishino's birthday, when the Empress showed Hisahito a fragrant karin (Chinese quince) fruit that She had picked in the garden that day, Hisahito went around carrying that heavy fruit very dearly wherever he went; it was a most endearing sight.

Regarding the current state of the Crown Prince's family, as the Crown Princess is not well I would like to refrain from making any comments. Much is said about her official duties, but it is my hope that she will strive first and foremost to regain her health.


Related Question
Last year Your Majesty visited Canada and Hawaii with Her Majesty and strengthened friendship and goodwill during the two-week journey. Your Majesty did not make any overseas trips this year, and as efforts are being made to lessen the burden on Your Majesty, taking into account your advancing age, any overseas visits will need to be considered even more carefully than before, particularly regarding the itinerary. What are Your Majesty's thoughts on future overseas visits?
Answer

Regarding overseas visits, I often receive invitations from the heads of state of foreign countries, and my answer to them always is that it is up to the Government of Japan to consider and make decisions regarding my visit. That is how it is with my overseas visits, and when the place is decided, I shall do my best to make the visit meaningful.

The Activities of His Majesty the Emperor Over the Past Year


His Majesty the Emperor celebrated Kiju , His 77th birthday, in good health this year.

Over this past year, His Majesty the Emperor carried out his official state duties approximately twice a week, signing and setting his official seal to as many as 885 documents received from the Cabinet.

At the Imperial Palace, His Majesty attended many ceremonies and events including the Imperial Investiture of the Prime Minister, the accreditation of senior Japanese officials (Ministers of State and others totaling 136), and presentation of Letters of Credentials by 32 newly arrived foreign ambassadors, presided over awards and decoration ceremonies for the Order of the Grand Cordon and the Order of Culture, and also received in audience the recipients of decorations. In addition, His Majesty received briefings from administrative vice-ministers of government ministries, the Governor of the Bank of Japan and others. Together with Her Majesty the Empress, His Majesty further received in audience people who have made contributions in various fields and attended many events such as luncheons and teas. As the Winter Olympics and Paralympic Games were held in Vancouver this year, Their Majesties invited the award-winners of both games to tea to honour their achievements.

At the Imperial Residence, Their Majesties met, as They do annually, with members of the Japan Academy and the Japan Art Academy; Director General of the Research Promotion Bureau of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology and others; Japan Overseas Cooperation Volunteers who had returned to Japan and representatives of youth and senior overseas volunteers; and the recipients of the Japan Foundation Awards, among others. Their Majesties listened to regular reports from the Director-General of the Foreign Policy Bureau of the Ministry of Foreign Affairs, and received briefings prior to Their attendance at various events, on a total of 47 occasions this year. Furthermore, on a total of 54 occasions, His Majesty received the Palace voluntary workforce, voluntary helpers at the Imperial Palace Sanctuary, and offerers of first-crop rice for the Niinamesai ritual.

While They made no overseas visits this year, Their Majesties welcomed to the Imperial Palace and Residence many guests from overseas. In May, They welcomed His Majesty the King of Cambodia as a State Guest in whose honour They held a State Banquet. Their Majesties also received the following heads of state who were on official working visits to Japan and hosted court luncheons for them; the President of the United Mexican States and his spouse, the President of Lao People's Democratic Republic and his spouse, the President of Romania and his spouse, the President of the Republic of Ghana, the President of Mongolia and his spouse as well as the President of the Plurinational State of Bolivia. Their Majesties met with the President of Timor-Leste, the President of the Islamic Republic of Afghanistan, the President of the Republic of Ecuador, the President of the Republic of Botswana, the President of the Republic of Guatemala, and the President of the Republic of Djibouti, as well as with the President of the Gabonese Republic and his spouse, and His Majesty the Sultan of Brunei Darussalam. Furthermore, Their Majesties met with the Speaker of the Senate of the Republic of Poland, the Prime Minister of Malaysia and his spouse, the President of the European Council and his spouse and the President of the European Commission, the President of the Parliament of the Kingdom of Sweden, the President of the National Assembly of Lao PDR and his spouse, the Premier of the State Council of the People's Republic of China, the Prime Minister of the Kingdom of Spain, the President of the Grand National Assembly of the Republic of Turkey, the Prime Minister of the Republic of India and his spouse, and the Prime Minister of the People's Republic of Bangladesh. This year, as usual, Their Majesties invited to teas newly appointed foreign ambassadors and their spouses, to luncheons foreign ambassadors and their spouses who have resided in Japan for more than three years, and received in audience foreign ambassadors and their spouses finishing their postings in Japan. Together with Her Majesty, His Majesty met with newly-appointed Japanese ambassadors and their spouses departing for overseas posts. Their Majesties also extended invitations to tea to Japanese ambassadors and their spouses returning to Japan and listened to various accounts of their experiences in the countries they had been assigned to.

At the Imperial Residence, Their Majesties hosted luncheons and dinners for His Majesty the King of the Hashemite Kingdom of Jordan and members of the Royal Family, the Crown Prince of the Kingdom of the Netherlands, Their Royal Highnesses Princess Maha Chakri Sirindhorn and Princess Chulabhorn Walailak of the Kingdom of Thailand, and His Royal Highness Prince Albert II of the Principality of Monaco and his fiancée. Their Majesties invited to dinner the Prime Minister of Canada and his spouse who were visiting Japan to attend the APEC Economic Leaders' Meeting and expressed their gratitude for the hospitality They received during Their visit to Canada last year.

In and around Tokyo, His Majesty attended the opening of the Diet, and as He does each year with Her Majesty, attended the Memorial Ceremony for the War Dead, numerous anniversary ceremonies and events held this year, including the award ceremonies for the Japan Prize, the International Prize for Biology, the Japan Art Academy Award, and the Japan Academy Prize, and at ceremonies marking a special anniversary year, His Majesty delivered addresses. As has been the case every year, around the time of Children's Day in May, Respect for the Aged Day in September and the Week of Disabled Persons in December, Their Majesties visited relevant institutions and gave words of encouragement to those living or working in those institutions. In June, as an observation of industrial facilities, His Majesty visited a manufacturer of medical equipment known for its nano technology, as a way of showing His encouragement of industry. Altogether, His Majesty made visits in and around Tokyo on 45 occasions.

As for the Science Council of Japan's international conference, which He attends once a year, His Majesty attended the opening ceremony and reception of the 14th International Congress of Endocrinology held in Kyoto prefecture in March as a fiscal 2009 visit, and the opening ceremony and reception of the 21st IUPAC International Conference on Chemical Thermodynamics held in Ibaraki prefecture in August, as a fiscal 2010 visit.

During this past year, His Majesty has made official visits to nine prefectures: Kyoto, Kanagawa, Shizuoka, Gifu, Aichi, Ibaraki, Chiba, Nara and Saitama. On these visits, His Majesty attended ceremonies such as the National Arbour Day Festival (Kanagawa), the National Convention for the Development of an Abundantly Productive Sea (Niigata) and the National Sports Festival (Chiba). On these visits, Their Majesties also observed the local culture, welfare and industrial conditions. They also attended commemorative ceremonies in Nara city as the city celebrated the 1300th anniversary of the Nara Heijo-kyo capital, and observed the local conditions. On this occasion Their Majesties also paid visits to the Imperial Mausoleums of Emperor Genmei and Emperor Konin, the first and last emperors of the Nara Heijo-kyo capital, as well as to temples with historical associations. Their Majesties visited a total of 29 cities, five towns and one village in the course of their official duties in the past year.

On Their way to the Suzaki Imperial Villa in early April, Their Majesties enjoyed strolls through a coastal forest that encourages fish breeding ( uotsuki ho-an-rin ) in the town of Manazuru, Kanagawa prefecture, and a satoyama called "Ike-no-sato" in the city of Ito, Shizuoka prefecture. In July, Their Majesties visited the Nasu Imperial Village and as in other years visited a farmhouse. Accompanied by Nasu park rangers, They enjoyed Nature, strolling through the grounds of the Nasu Imperial Villa, which was placed under the purview of the Ministry of the Environment in 2008.

As to the ritual ceremonies of the Imperial Palace, in addition to the annual ceremonies, His Majesty attended a total of 28 ritual ceremonies over the past year including the 300th anniversary of Emperor Higashiyama, the 1600th anniversary of Emperor Hanzei, the 2300th anniversary of Emperor Kouan and the 1700th anniversary of Emperor Oujin. With regard to Niinamesai , His Majesty the Emperor attended the evening ritual as always and the morning ritual for a limited time only. As for the Shunsai held on the first day of each month, His Majesty attended the rituals on May 1st and October 1st, and a chamberlain worshipped on His behalf on other days.

With regard to Fishes of Japan with Pictorial Keys to the Species , His Majesty has been involved in the chapter on gobioid fishes from its first edition published in 1993. Work has now started on the third edition, and His Majesty meets with the editor Dr. Tetsuji Nakabo, professor of Kyoto University, at the Biological Laboratory of the Imperial Household about three times a month to discuss the classification of gobioid fishes together with the staff of the Laboratory. He attended the monthly meeting of the Fish Systematics Seminar held in the Annex of the National Museum of Nature and Science six times this year. In February, together with Her Majesty, He visited the Exhibition "The World of Goby and Its Diversity" commemorating the 20th Anniversary of His Majesty's Accession to the Throne, held at the National Museum of Nature and Science.

As in every year in the past, His Majesty himself hand-sowed seed-rice, transplanted it, and hand-reaped the rice crop in the paddy field of the Biological Laboratory of the Imperial Household. His Majesty also sowed millet-seeds and harvested the millets with His grandchildren, and offered some of it for use in the Niinamesai ritual together with the hand-reaped crop of rice. His Majesty also offered rice plants with roots still attached, which He Himself had planted, to the Ise Shrine on the occasion of the Kannamesai ritual.

Since His Majesty underwent an operation for prostate cancer in 2003, He has been undergoing hormonal therapy to prevent its recurrence, which, at the same time, causes a decline in bone density as a side effect. To ensure that this side effect does not lead to osteoporosis and to keep fit, His Majesty continues with His exercise regimen. Their Majesties take early morning strolls near the Imperial Residence and, on Sunday mornings, in the East Garden of the Imperial Palace. On weekends and holidays when They do not have official duties, Their Majesties might play tennis or do other exercises. In early February, His Majesty showed signs of acute enteritis, and upon examination by His physician, acute enteritis caused by Norovirus was diagnosed. In June, His Majesty showed fever and other cold-like symptoms while staying at the Hayama Imperial Villa. As a precaution, some of the scheduled outings from the Imperial Villa were canceled.

On December 23rd, His Majesty the Emperor will celebrate His 77th birthday.

On the morning of His birthday, after attending the Tenchosai to be held in the Imperial Palace Sanctuary at 9:00 a.m., His Majesty will attend five separate events at the Imperial Palace to receive felicitations from various people, including the members of the Imperial Family. His Majesty will also have a toast of celebratory sake with the members of the Imperial Family. In between these events, His Majesty will appear on the balcony of Chowa-den in the Imperial Palace to receive congratulations from the public on three separate occasions. In the afternoon, His Majesty will have a luncheon with the leaders of the three branches of government, members of the Cabinet and representatives of various fields. There will also be tea with former senior officials of the Imperial Household Agency, which will be followed by tea with the diplomatic corps. His Majesty will then return to the Imperial Residence, where He will receive felicitations from the Grand Chamberlain and staff members of the Board of Chamberlains. In the late afternoon, His Majesty will attend the last official event of the day, which is tea with lecturers, friends and others. In the evening, His Majesty will privately receive birthday wishes from his grandchildren. Later, His Majesty will sit down to a birthday dinner together with Her Majesty, the children and their spouses.


The Imperial Household Agency :
1-1 Chiyoda, Chiyoda-ku, Tokyo, Japan 100-8111

天皇陛下お誕生日に際し(平成22年)

天皇陛下の記者会見(全文)

会見年月日:平成22年12月20日
会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇陛下


宮内記者会代表質問

問1 今年は日本人2人のノーベル化学賞受賞など,晴れやかなニュースの一方,国内では高齢者の所在不明問題,対外的には尖閣諸島問題などがありました。この1年を振り返り,こうした社会問題や近隣諸国との友好・交流についてお考えをお聞かせ下さい。


天皇陛下

この1年を振り返りますと様々なことがありました。

質問の中で言及された高齢者の所在不明問題は,私自身思いも掛けなかったことで驚きました。私はこれまで人々が無事に高齢に達することを喜ばしいことと思っていましたが,元気に過ごしていると考えられていた高齢者の中に,その生死が分からない状況にある人々がいることが明らかになったことは非常に残念なことでした。高齢化の進む社会にあって高齢者がしっかり守られていくことは極めて大切なことと思います。医療や介護に携わる人々の不足など様々な困難もあることと察せられますが,高齢者のために力を尽くす人々が増え,人々の老後が安らかに送れるようになっていくことを切に願っています。

今年は台風の上陸が少なく,死者を伴うような災害はありませんでしたが,梅雨期に各地に大雨が降り,死者を伴う災害が起こりました。また10月には鹿児島県の奄美大島を,この地域の人々がこれまで経験したことがないような激しい豪雨が襲い,死者を伴う大きな災害をもたらしました。亡くなった人々の家族の悲しみ,住む家を失った人々の苦しみに深く思いを致しています。交通や通信が途絶した中で,かなりの時間を過ごさなければならなかった島民の不安な気持ちはいかばかりであったかと思います。40年以上も前に,私どもは奄美大島を訪れ,当時の名瀬市から,山道を通って,この度大きな災害を受けた当時の住用村に行きました。当時を思い起こすとき,このような道路が寸断された山地の多い島で,救助活動に当たった人々の苦労がしのばれます。

夏は各地で猛暑が続き,多くの高齢者が熱中症で亡くなったことは痛ましいことでした。一人暮らしの高齢者や農作業中の高齢者が,熱中症にかかっていることを気付かずにいたために,亡くなっている例もあることから,熱中症に対する知識を深め,皆で健康に気を付けていくことが重要なことと思います。猛暑は農業にも大きな被害をもたらし,農業に携わる人々の苦労が察せられます。

農業関係の大きな出来事としては,宮崎県で発生した口蹄疫があります。長年にわたって大切に育ててきた牛や豚をことごとく処分しなければならなかった人々の悲しみ,ワクチン接種や殺処分など危険を伴う作業に携わった獣医師始め多くの人々の労苦に深く思いを致すとともに,この被害を他県に及ぼすことなく食い止めた県民の協力を深く多としています。

質問にあるように,晴れやかなニュースとしては,日本人2名のノーベル化学賞の受賞が挙げられます。授賞式において,お二人がメダルをスウェーデン国王陛下から受けられる様子をテレビのニュースで見て誠にうれしい気持ちを覚えました。年が明けてから,両夫妻にお話を聞くのを楽しみにしています。

小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し,微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し,ついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず,様々な工夫を重ね,ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました。

今年は国際連合が定めた国際生物多様性年に当たり,また,生物多様性条約第10回締約国会議が多くの国々の参加者を名古屋市に迎え,開催されました。この会議では,様々な論議が交わされましたが,最終的に各国の同意を得て,会議が滞りなく終了したことは喜ばしいことでした。より多くの人々が生物多様性に関心を持つようになった意義ある会議であったと思います。

この生物多様性年も終わりに近い頃,日本の淡水魚が1種増えました。それは,最近新聞などでも報じられたクニマスのことです。クニマスは田沢湖にだけ生息していましたが,昭和の10年代,田沢湖の水を発電に利用するとき,水量を多くするため,酸性の強い川の水を田沢湖に流入させたため,絶滅してしまいました。ところがこのクニマスの卵がそれ以前に山梨県の西湖に移植されており,そこで繁殖して,今日まで生き延びていたことが今年に入り確認されたのです。本当に奇跡の魚(うお)と言ってもよいように思います。クニマスについては,私には12歳の時の思い出があります。この年に,私は,大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に,田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により,やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年,クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され,近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに,この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり,協力したことをうれしく思います。クニマスの今後については,これまで西湖漁業協同組合が西湖を管理して,クニマスが今日まで守られてきたことを考えると,現在の状況のままクニマスを見守り続けていくことが望ましいように思われます。その一方,クニマスが今後絶滅することがないよう危険分散を図ることは是非必要です。

質問にありました近隣諸国との友好・交流については,これを増進することが極めて重要なことと思っています。尖閣諸島の問題に関しては,私の立場として,これに触れることは差し控えたく思います。

問2 天皇陛下は喜寿のお誕生日を迎えられました。今年,陛下は2月にノロウィルスによる急性腸炎,6月には風邪で一時体調を崩されました。皇后さまはお誕生日の文書回答の中で「加齢によるものらしい現象もよくあり,自分でもおかしがったり,少し心細がったりしています」と心情をつづられていますが,陛下はご自身の加齢や今後お年を重ねられる中でのご公務のあり方についてどのようにお考えでしょうか。

天皇陛下

一昨年(おととし)の秋から不整脈などによる体の変調があり,幾つかの日程を取り消したり,延期したりしました。これを機に公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません。今年に入ってからも,質問にもあったように,時に体調を崩し,日程の変更をすることがあり,心配を掛けました。自動車で道を通っているときに,よくお大事にと声を掛けられます。多くの人々が私の健康を気遣ってくれていることに深く感謝しています。

加齢のことですが,耳がやや遠くなり,周囲の人には私に話をするときには少し大きな声で話してくれるように頼んでいます。テレビのニュースなどで,アナウンサーの話していることは分かるのですが,他の人の会話はかなり字幕に頼ります。アナウンサーがこんなに分かりやすく話してくれているのかということを,以前は考えたこともありませんでした。

この夏軽井沢滞在中,秋篠宮一家と石尊山に登りました。登りはまあまあでしたが,下りは滑りやすく,時々後からついてきた秋篠宮や眞子に助けられました。以前登ったときには考えられなかったことです。私も高齢者の一人として,私の経験した加齢現象の一端に触れましたが,加齢による症状には,年齢の若い人にはなかなか想像のしにくいことがたくさんあるのではないかと思います。高齢化が進む今日の社会において,高齢者への理解がますます進み,高齢者へ十分配慮した建物や町が整備されていくことを切に願っています。


問3 ご家族についてうかがいます。4人のお孫さまとは,御所や静養先などでお会いになり,ご成長ぶりをお感じのことと思います。お孫さまとの交流で感じられたことを具体的なエピソードを交えてお聞かせ下さい。特に,皇太子ご夫妻の長女愛子さまは,3月以来,通常の登校ができず,日々通学に付き添われている雅子さまもご公務が十分に行えない状態です。皇太子ご一家の現状について,どのように受けとめられていますか。

天皇陛下

今年は,学習院初等科3年になる愛子に,登校が難しくなるという思い掛けない問題が起こり,心配しています。皇太子,皇太子妃の心配も大きいことと案じています。そのようなことから愛子と会う機会も限られ,残念ですが,交流としてお話しできるようなことはまだありません。皇后は他の孫たち同様,愛子をとてもかわいがっており,愛子もこちらに来るときには必ず庭の花を摘んできて皇后に手渡しています。先日来たときには,飼っている猫の動画を熱心に皇后に見せていました。運動会の映像で見る愛子は,昨年と変わらず,元気に楽しんでいるようで,安堵(ど)しています。

眞子は,国際基督教大学に入学し,学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し,アイルランドで,ほぼ40日間,国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後,写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来,大学生活を振り返り,有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています。

佳子は,学習院女子高等科に進学しました。眞子が高等科在学中毎年出席していた全国高等学校総合文化祭に,今年から佳子が秋篠宮,同妃に付いて出席することになりました。このような高校生の行事で,他の高校の生徒と話し合う機会があることは,非常に良いことと思っています。御所で,皇太子一家,秋篠宮一家が集まり,大人同士が話し合っているようなとき,佳子は,よく愛子や悠仁の面倒を見,一緒に遊んでくれます。佳子のこのような気遣いをうれしく思っています。

悠仁は,お茶の水女子大学附属幼稚園に入園し,楽しく幼稚園生活を送っているようです。虫が好きで,秋には生物学研究所や御所の庭に来て,バッタやカマキリを捕まえたりしています。果実にも関心があり,生物学研究所のブドウの実が大きくなっていく様子を見たり,カキの実を採ったりしています。秋篠宮の誕生日に,皇后がその日庭で採ったよい香りのするカリンの実を持って行って悠仁に見せたところ,悠仁はその重い実を大事に抱えて,行く先々へ持って行く姿がとてもかわいらしく見えました。

皇太子一家の現状については,皇太子妃が病気ですので,お答えすることは差し控えたく思います。皇太子妃の公務のことがよく言われますが,何よりも健康の回復に心掛けるよう願っています。


問 天皇陛下は,昨年皇后陛下とカナダ・ハワイを訪問され,2週間の旅で友好親善を深められました。今年は外国ご訪問はありませんでしたが,お年を召され,ご負担軽減も進められる中,今後の外国ご訪問はこれまで以上に日程的な検討も必要になってくるかと思われます。陛下は今後の外国ご訪問について,どのようなお考えをお持ちでしょうか,お聞かせください。


天皇陛下

私の外国訪問については,よく外国の元首からご招待を頂きますが,その時に,訪問については政府が検討し決定するということになっていますとお答えしています。ですから,外国への訪問についてはこのようなことで,そういう場所が決まった場合には,力を尽くして,意義のある訪問に努めていきたいと思っています。

問い合わせ先
宮内庁長官官房総務課報道室広報係
〒100-8111 東京都千代田区千代田1番1号
E-mail:information@kunaicho.go.jp

宮内庁:
〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1

2010年12月23日木曜日

奉祝 天長節


 天皇陛下におかせられましては、今日の佳き日に、77歳の御誕生日をお迎え遊ばされました。

 謹んで奉祝の誠を申し上げますと共に、今後も天皇皇后両陛下がお健やかにまします事と、御皇室の弥益々の御繁栄を、衷心より御祈念申し上げます。


今日の吉(よ)き日は 大君(おほきみ)の。

  うまれたひし 吉(よ)き日なり。

  今日の吉き日は みひかりの。

  さし出(で)たまひし 吉き日なり。

  ひかり遍(あまね)き 君が代を。

  いはへ諸人(もろびと) もろともに。

  めぐみ遍(あまね)き 君が代を。

  いはへ諸人(もろびと) もろともに。

「聖寿の万歳」を、皆さんと共に、声高らかに御唱和致したいと存じます。


「天皇陛下 万歳」

「万歳」

「万歳」

2010年12月22日水曜日

バンコクの非常事態宣言、本日解除

 タイ政府は21日の閣議で、バンコクと周辺3県の4都県(バンコク、ノンタブリ、パトゥムタニ、サムットプラカン)に発令している非常事態宣言の解除を承認した。22日付で施行する。ポストトゥデー(電子版)が報じた。
タクシン元首相派の反独裁民主戦線(UDD)の反政府活動に対応して4月7日に発令された非常事態宣言は、8カ月半ぶりに全面的に解除されることになった。

非常事態宣言解除に伴い、治安対策で国軍の役割が大幅に縮小され、警察が主体となる治安維持法(ISA)が発令される。

年末、クリスマスシーズンを控え、観光、小売り、対外イメージなどに配慮した。今後暴力的な反政府デモが発生した場合は、非常事態宣言に似た内容の国内安全保障法で対応する方針だ。

 非常事態宣言は5人以上の集会禁止、容疑なしでの30日間の身柄拘束、報道統制などを合法化するもので、タクシン元首相派の大規模な反政府デモを受け、4―5月にタイの全76都県中24都県で発令された。その後順次解除されたが、首都圏では爆破事件の散発やタクシン派、反タクシン派双方のデモなどで継続されていた。

 タクシン派は過去数カ月、非常事態宣言を無視する形で、バンコク都内で数千―1万人規模の反政府集会を繰り返しているが、軍・警察との衝突は起きていない。

 タイでは2005年の下院選で議席の75%を占めたタクシン政権(2001―2006年)が翌2006年に軍事クーデターで追放され、以来、タクシン政権の低額医療制度やマイクロファイナンスなどで恩恵を受けた低所得者層、東北・北部などの地方住民がタクシン派、タクシン氏を反王室、腐敗政治家と批判する特権階級、バンコクの中間層が反タクシン派という大まかな色分けで、政治闘争が続いている。

 タクシン派は今年4―5月にバンコク都心部を長期間占拠し、5月19日に軍によって強制排除された。一連の衝突による死者は91人、負傷者は1400人以上に上る。

2010年12月21日火曜日

ヤラセの落札!!

「釣魚島」の証拠文書、1億6000万円で落札―中国

12月21日サーチナ

 中国が「釣魚島」(日本名:尖閣諸島)の帰属権を主張する証拠の1つと呼ばれる清代の文学作品がオークションにかけられ、1325万元(約1億6600万円)の高値で競り落とされた。中国網が伝えた。

 この文学作品は、『浮生六記』という作品に収められている『海国記』。清代中期に出版されたもので、『浮生六記』の一部として収録されていたものが後に散逸、2005年に発見された。『海国記』中の「冊封琉球国記略」の部分に、釣魚台(島)が中国領内にあり、琉球に属するものでないことが明記されているという。時間的には、日本人が尖閣諸島を発見したとされる時期より約60年ほど早い、と紹介された。

 この「証拠文書」を競り落としたのは代理でオークションに参加したという身分不明の男性。取材に対して、「本当の買主は『海国記』を国外に流出させたくなかったと語っている」とコメントした。
こんな物が1億6千万ヤラセに決まってるじゃないの
シナ人がやるような事である

台湾は日本の生命線!
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1218.html
幼稚すぎる中国の学者、メディア

日本が尖閣諸島を領有する一八八四年だが、沈復が琉球へ渡ったのは一八〇八年のことだから、「中国は釣魚台を日本より七十六年も先に発見していた。国際法の先占の原則により、釣魚台は中国の管轄ということになる」「沈復は自分の楽しみで書いたものなのに、二百年後に国家の境界の真相を明らかにするとは」などと言っているわけだ。

一躍時の人となった彭令氏も意気軒昂だ。先日日本人から「『記事珠』を一千万人民元で譲ってくれ」と言われたが拒否した。「私も夏華の子孫(中国人の意)。一億元積まれても、これは中国に留めるべきだと思う」と言っている。

四月には人民文学出版が新版『浮生六記』の第五巻に、同氏発見の「海国記」が収録された。

だがこの程度では日本の学界は「震撼」しない。「震撼」するとしたら、中国の学者、メディアの幼稚なレベルの低さに対してだろう。

発見された銭沈が書写した「海国記」。これが「鉄の証拠」と学者たちも自信満々だが…。

 同氏が発見したという「海国記」まさか勝手に捏造発見したのではなかろうか?尖閣の周辺では古代の石物と称したものを勝手にばら撒き後に発見するという愚行もやっている支那人の考えそうなことである、「海国記」なるもの一体何の証拠になるというのだろうか、それにしても既成事実作りが如何にもベタでは?尖閣諸島は日本固有の領土ということはいささかも疑いの余地がないところであるが、此の様なベタな作戦にやられてしまうというところの脇の甘さは考え直す必要がある。




ネットユーザーがテレビを見ていてムカついた瞬間

いまインターネット上で「テレビを見ていてむかつく瞬間」という話題が盛りあがっています。テレビは身近な存在ですが、だからこそ意識しなくても日常的にテレビから情報が入ってくるため、番組の内容が不愉快なものでも、意図せず頭に入ってきてしまうものです。

それゆえ、テレビを見ていてムカつくことも多々あるものです。今回は、インターネットユーザーが「テレビを見ていてむかついた瞬間」を一部抜粋してご紹介したいと思います(偏見や極端な意見もありますが、ありのままにお伝えします)。あなたと同じ理由でムカついている人がいるかも!?

・テレビを見ていてむかつく瞬間

「おんなじCMが2回も3回も繰り返し流れるとき」
「食べ物でもてあそぶ番組」
「イジメを笑いだと勘違いしてる芸人」
「若者のテレビ離れを報じないテレビ」
「ネットで拾った動画ばっかりの番組を同時期に各局がやる」
「韓国芸能人がウザいので、最近はあまりテレビを観なくなりました」
「メニュー全制覇系の番組。大食い番組と同じで不愉快」
「芸能人のカラオケ大会とかどうでもいいわ。プライベートで仲間内で勝手に盛り上がってろとおもう」
「デブキャラが白いご飯下さ~い! とか言い出して周りがそうそうご飯欲し~い! と同調するパターン」
「芸能人に飯食わせてそれをカメラで撮ってるだけの番組の多い事」
「戦場カメラマンは喋り方がイライラするから早く戦場に帰って働いてほしい」
「子供が殺されたニュースで近くの小学生相手に不審者情報の取材って何なんだよ……聞くこと自体非常識」
「話す気の無い奴にしつこくインタビューするレポーター」
「小森純もイモトも言葉使いが悪すぎる。もっと品のある芸能人をテレビに出してほしい」
「ファミレス全品食べつくしとか、大食い早食いとか、素人に料理を作らせて下手さを笑うとか」
「VTR中にスタジオの音声入れる事。特にナレーションが入ってるのにそれにかぶせてしゃべるのがむかつく」
「テレビのワイドショーでは、コメンテーターが反日媚韓な発言ばかり繰り返す」
「島田紳助の沖縄乗っ取り計画。宮古や八重山に行きたくなくなる」

意見として多くあったのは、食べ物をテーマにした番組に対する批判です。食べ物をオモチャにしていると感じている人が多いようです。確かに、食べ物は粗末にするべきではないので、そのような批判が集まるのも当然かもしれませんね。

その通りである

 私は殆どテレビを観ないのであるがたまに観ると唖然呆然、此の様なテレビで楽しめるのだろうか?テレビはシナリオどおりに進んでいく全てやらせで、突っ込みから偶然を装うところまで全てシナリオ通りあんな物を観て楽しいとは全く思えないのである、報道にしても殆どヤラセではないか、唯一楽しまれるとしたらスポーツ以外にないと私の見解、ヤラセの最高峰WWESmackDown!HDこれはおもしろい。

WWFの活動は疑問だが

 ミャンマー、タイ、中国との境に位置する闇市は、違法取引を促進している極めて重大な役割を持っており、こうした違法取引はトラや他の生物種にとって致命的なものである、とトラフィックやWWFは言う

 レポート『The Big Cat Trade in Myanmar and Thailand』は、野生の大型ネコ科動物が売られている闇市場についてまとめている。絶滅のおそれのあるトラや希少なインドライオンを含め、生きた大型ネコ科動物が取 引されていることが確認された。また10年近くにおよぶミャンマーやタイでの調査では、トラやヒョウの400を越える個体に相当する、何百もの体の部分が確認されている。

 レポートは、とりあげられている違法取引について紹介する『Closing a Deadly Gateway』と呼ばれる短いドキュメンタリー映像と一緒に発表される。この動画には、密猟者のインタビューや、解体されたトラの驚くべき映像などが含まれている。

 「世界的にみてもトラは野生に3200頭ほどしか生息していない。このレポートで示されている大規模な取引がおこなわれていることは軽く受け止められる問題ではない。違法な取引は、トラの存続にとってもっとも差し迫った悲惨な脅威をもたらす。さらに、すべてのアジアのネコ科動物は、取引によって深刻な危機にさらされている」とトラフィックサウスイーストアジアの地域事務局長のウィリアム・シードラは言う。

 「ミャンマーやタイの野生生物の法律は明らかに、トラや他の大型ネコ科動物の取引を禁じている。私たちは、不正取引に与える法の重責を果たすよう当局に強く要請する。」

 「中国の国境近くのミャンマーのモンラや、タイの国境地域にあるタチレなどの地方の市場や小売店は、大型ネコ科動物の部分の大規模販売において極めて重要な役割を担っていることがわかった。こうした部分には、全身の皮、骨、足、ペニス、歯などがある。製品は、道路や海路を通じて中国、タイに運ばれ、賭け事や外国産の野生生物を消費するためにミャンマーの国境を越えてやってくる中国人に販売される。

 「野生のトラを守るための重大な責任のひとつは、トラの部分の違法取引を止めさせることだ」

 調査結果は、国内外の法律の存在にもかかわらずミャンマーを通じてトラや他の野生生物の違法取引が活発であることを示している。この取引の大部分は、ミャンマー北部と中国南部の間の政府の管理が及ばない地域で起きている。こうした地域においては、ミャンマーの中心地とはつながりのない独自の政府が維持されており、これが協調のとれた効果的な法執行活動を難しくしている。

 「もしこの地域において、衰退しているトラ個体群を守るのであれば、至急取り組みを強化する必要がある。私たちは、集めた情報を強化し、政府や非政府機関が、局所的なレベルから地域の規模まで、透明性が高くタイムリーな形で情報を共有できるようにする必要がある」とタイのWWFのグレーター・メコン地域のトラ保護のコーディネーター、ピーター・カッターは言う。

 カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイを内包する地域であるグレーター・メコンのトラの個体数は、前回の寅年1998年に推定1200頭だったのが、今日およそ350頭まで数が急落している。

 「おどろくべきことに、ミャンマーとタイの間の地勢は、この地域においてのトラの個体数回復への期待がもっとも大きい」とカッターは言う。「しかし、これは野生生物取引と対抗するためのこれまでに例のない、地域で協調された取り組みがおこなわれてはじめて、現実のものになる。」

 「このトラフィック/WWFのレポートは、トラの全身や部分、派生物がミャンマー内やラオス、タイ、マレーシア、インド、インドネシアを出所としていることを示している。そして国境を越えてミャンマーの政府の管理が及ばない地域 に運ばれる。ミャンマーの政府の管理下にない地域の野生生物の取引業者は、高利益のマージン、腐敗した当局、逆襲のおそれがほとんどないことで、禁止されている野生生物をおおっぴらに取引することができると、報告している。しばしば地元コミュニティーが関与しているが、彼らは違法な行為を引き起こす主要な推進力となることはめったにない。

 トラフィックサウスイーストアジアの事務局長、ウィリアム・シードラは問題をまとめてこう言う。「この地域は統治の問題と闘っており、トラは、マフィアのようなグループから非政府的な立場のグループといった人々にとって楽に手に入る金なのだ。こうした人物の中には、直接的に法執行活動に対抗する者もいるだろう。他には、この問題に取り組むために地域協定や国際機関を通じた活動を受け入れる理解ある者もいるかもしれない。」

レポートはこちらからダウンロードできます。
『The Big Cat Trade in Myanmar and Thailand』
http://www.trafficj.org/publication/10_Reduced_to_Skin_Bones.pdf


詳細に関するお問い合わせは:

Elizabeth John, Senior Communications Officer, TRAFFIC Southeast Asia,
T: , +60122079790 Email: jlizzjohn@yahoo.com

Nicole Frisina, Communications Manager, WWF Greater Mekong Programme,
Mobile in Thailand (from afternoon on Nov 17th) +66837878859. Email: nicole.frisina@wwf.panda.org


 私も何度もタイ、ミャンマーの国境地帯の市場を覗いたことがあるが現在は減少したような気がする、が依然リクエストを入れれば、虎の皮や虎の牙、ワイルドキャット(1メートル程の山猫)に至っては生きたままバンコク都内でも売っている、このレポートにも載っているがモンラーや支那との国境地帯に行けばタイ側などとは比べられないほど此の様な業者がいる、又肉やその他は支那人や朝鮮人たちが好んで食する、カンボジアなどではそのような食ツアーまでありたまに現地で支那人や朝鮮人たちが捕縛されたニュースなどが流れたりもしている、取引をした者は死刑にでもしない限りまず此の様な取引は無くなりはしないであろう。

2010年12月20日月曜日

formula 1 Bangkok

ラジャダムヌン通り

F1マシンがバンコク疾走

 今年のF1世界選手権でドライバーとコンストラクター(製造者)の2冠に輝いたレッドブル・レーシングのF1マシンが18日、プミポン・タイ国王の誕生日を記念するイベントで、バンコクのラチャダムヌン通りでエキシビション走行を行った。F1マシンを間近で見られる滅多にない機会とあって、沿道には数万人が詰めかけ、熱気に包まれた。

 レッドブル・レーシングの親会社でドリンク剤メーカーのレッドブルはタイ生まれのドリンク剤「クラティンデーン(レッドブル)」の製造販売会社とオーストリア人実業家の合弁会社で、今回のイベントはこうした関係で実現した。
レッドブルは17日、プミポン国王が入院中の病院にF1マシンを運び込み、チームのF1ドライバーで今季総合3位のマーク・ウェバー(オーストラリア)らが国王に今年のレースやマシンを説明した。18日にはラチャダムヌン通りで、ジャズ楽団を乗せたトラックのパレード、スポーツカーによるドリフト走行などを行った後、ウェバーが運転するF1マシンが轟音を響かせ大観衆の前を疾走した。


デビッド・クルサードと思っていたらM.ウェバーでした
GT-Rも参加

F1 Show in Thailand by Mark Webber


F1 Mark Webber: street of king rajadumnern redbull bangkok




タクシン派、ラチャプラソン交差点を占拠 次回は1月10日か

19日午後、タクシン元首相支持派の市民数千人がバンコク都心のラチャプラソン交差点を占拠し、政府に対し、3―5月にタクシン派と治安部隊の衝突で死亡した市民、兵士、ロイター通信の日本人カメラマン、村本博之さんら91人の死亡状況に関する捜査報告の公開と、5月から身柄をこう留されているタクシン派幹部、メンバーの釈放を要求した。周辺の交通が麻ひしたが、警官隊との衝突はなかった。

 タクシン派は今後、毎月10日と19日に反政府集会を開く方針を示している。

 タイでは2005年の下院選で議席の75%を占めたタクシン政権(2001―2006年)が翌2006年に軍事クーデターで追放され、以来、タクシン政権の低額医療制度やマイクロファイナンスなどで恩恵を受けた低所得者層、東北・北部などの地方住民がタクシン派、タクシン氏を反王室、腐敗政治家と批判する特権階級、バンコクの中間層が反タクシン派という大まかな色分けで、政治闘争が続いている。タクシン派は今年4―5月にラチャプラソン交差点一帯を長期占拠し、5月19日に軍により強制排除された。


新婚夫婦「因習」殺害事件、悲しみの葬儀―「そんな因習はない」の声
2010年12月14日付 Radikal紙


イスラム教徒の花婿とアルメニア人の花嫁を殺害した花嫁の兄は、「因習」を口実にした。アルメニア人たちはこの事件で「こんな因習はない」と話した。

「二人は互いに本当に愛し合っていた。そして結婚した…」息子の棺を肩にのせて運ぶ際に父ムラト・ヴラル氏は、息子ゼケリヤさんと嫁のソネイ・ヴラルさんの、最後は死とともに終わってしまった愛の物語をこのように述べた。
29歳のゼケリヤさんはバトマン(トルコ南東部)出身で、アラブ系家族の息子だった。売り子として始めた宝石屋の仕事を軌道に乗せ、宝石商店街で店を開いた。家族は彼が養っていた。

ソネイさんは26歳だった。マルディン出身のアルメニア系の家族の娘だった。家族は20年ほど前サマティアへと引っ越してきた。ソネイさんは5人兄妹の末っ子だった。コジャムスタファパシャのある薬局で働いていた。

5〜6ヶ月ほど前だった。ゼケリヤさんが、偶然ソネイさんの働く薬局へ来て、彼らの間に愛が芽生えた。ゼケリヤさんはしょっちゅうその薬局へと行くようになった。彼らは結婚したがっていた。しかし、一つ問題があった。それはソネイさんの家族が、花婿候補がキリスト教徒ではなかったために結婚に反対したことだった。二人ともこの問題を乗り越えるために努力した。ゼケリヤさんは必要ならば改宗さえすると話していた。ソネイさんは最近になって家族の態度が軟化してきたと話すようになっていた。だが結局、彼らは「承認」を得ないまま結婚することを決意した。ソネイさんはその日、ウェディングドレスの代わりに黒い服を着てファーティヒ結婚式場へ行った。「はい」と答えたときは、緊張もしていたし、幸せでもあった…。

ソネイさんの家族はこの結婚を良くは思っていなかった。兄ギョナイ・オーメンの供述によるとこの二人の若者たちは次のように死へ、一歩ずつ歩み寄っていった。

■『ソネイは無表情な目で見た』

ギョナイ・オーメン曰く:
「(妹のソネイは)この結婚のあと姉ザラの家に泊まっていた。私も話し合うためにまず姉の家に行った。『私たち家族はこのようなことを認めていない』と話した。妹はゼケリヤがキリスト教徒になることを受け入れたと話した。またあとで話そうということになった。12月11日の夜、フンドゥクザーデにあるレストランで(彼らと)会った。ゼケリヤのことをまだ知らなかったので、こっそりと銃を持っていっていた。食事をしている際にゼケリヤに、(彼が)キリスト教徒になると話していたことをもう一度話題にした。すると逃げるかのように『なっても、ならなくても…私たちにも面目があります。自分から『教会で結婚式をする』とは言えない』と話した。蔑むような言葉を使った。その後私たちは席を立った。ゼケリヤの車に乗った。解決策を示して欲しかった。だが、また同じ返事を返してきた。私も『私たちにも面目はある。私たちの習慣では教会で結婚式を行う』と話した。ゼケリヤは私に対してひどい言葉を放った。私は銃を出してゼケリヤの頭を撃った。ソネイは後ずさりながら無表情な目で私を見た。彼女の頭にも銃を撃った。」

ゼケリヤさんとソネイさんの遺体はその日の夜遅くに見つかった。二人は車のなかにいた。ソネイさんは夫の胸のなかにいた。
殺人容疑の兄は、鳩を飼っており、コジャムスタファパシャにある鳩愛好協会で逮捕された。

■友愛の生き方をお許しください

葬儀でお祈りをしたイマームも「平和と友愛」について話した。「異なる宗教に属していても、私たちが生きるこの環境で友愛のために、愛の結びつきを強くする生き方を神が与えてくださいますように。一人の人間を殺した者は、全ての人を殺したも同然だ。何に属していようとも、このことは変わらない。『一人の人間に生を与えた者は、全ての人に生を与えたも同然だ』とイスラムでは言っている。これは基本的な決まりである。神よ、(人間が)生を与える存在であることをお許しください。異なる宗教に属していようとも、同じ世界を友愛をもって、互いに理解をして、平安のなかで生きられますように。」

■ソネイさんの葬儀は今日

ソネイ・ヴラルさんの法医学協会に安置されていた遺体は、昨日の午後、家族によって引き取られ、コジャムスタファパシャにあるスルプ・ケヴォルク教会へと運ばれた。ソネイさんは今日教会で行なわれる葬儀のあと埋葬される。ソネイさんのコジャムスタファパシャにある実家は静寂に包まれていた。

■私たちには因習も家族会議もない

この殺人事件はアルメニア人コミュニティにもショックを与えた。ジャマナック新聞のセヴァン・デーイルメンジヤン編集長は、アルメニア人の間で異なる宗教、あるいは人種との結婚が禁止されているとは言えないと述べ、「禁止ではないが、偏見はもちろんある。良いと思われることではないかもしれない。しかし決して死に値するほどの激しい問題とはならない。よく考えることを勧められるが『家族から消してしまおうとか、こいつらと会わないようにしよう』というような反応ももう起きない。因習や家族会議のようなものがあると言及することはできない。」

■自分の宗教を生きるはずだった

ゼケリヤ・ヴラルさんが昨日、コジャムスタファパシャのシュンブル・エフェンディ・モスクでの葬儀の後で埋葬される際、母親ハザル・エミネ・ヴラルさんはずっと泣き叫んでいた。
「息子はただ愛していただけなのに。」

父親のムラト・ヴラルさんはこの殺人事件に関して重要な疑いを持っていた。「嫁の家族は結婚に反対だった。母親も父親も脅迫し、『娘も(私たちの)息子も殺させる』と話していた。そうであるならば、子どもたちは分かっていたはずだ。みな自分の宗教を生きるはずだった。その後、息子をだますために承認したかのように見せかけた。息子もその日『彼女が私に兄を紹介してくれる』と話していた。息子を殺すためにだましたのだ。容疑者一人が決めたことではない。家族が話し合い、みなで一緒に決めたことだ。これは放っておくことはできない。」

叔父であるジェミル・ヴラルさんも「因習殺人」の疑いについて話していた。
「あの消音銃はだれのものだったのだろう?どちらにしろ親族は(二人の結婚に対して)『ダメだ』と話していた。彼女の母親がきて、『私が殺させる』と言った。殺人は用意されたものだった。」

■アルメニア人の親族も葬儀に

葬儀にはソネイさんの親戚であるアトロニック・ヨンタンさんも参加した。ヨンタンさんはアルメニア人の伝統には因習殺人はないことを述べ、「宗教の違いは問題になるべきではなかった。しかし、ギョナイはアルメニア人の伝統を知らずに殺人を犯したらしい。私たちはショックを受けた」と話した。

(翻訳者:小川玲奈)
(記事ID:20965)

アラブやインドやアジア、南米などでも世界的に名誉の殺人や因習殺人が未だに年間数万件起きているという。

2010年12月17日金曜日

大使館からのお知らせ(UDDデモ)

タイ在留邦人の皆様へ

      【大使館からのお知らせ】
                    緊急一斉メール

===========================

反独裁民主戦線(UDD)によるデモ集会実施に関する注意喚起
(12月17日現在)

1.治安当局によれば、19日(日)、反独裁民主戦線(UDD)は、5月19日のUDDデモ終結から7ヶ月を迎えることを受け、以下の通りデモ集会を行う模様です。

【UDDデモ集会予定】
◎日  時 12月19日(日)16時~20時
◎場  所 ラチャプラソン交差点
◎人  数 約1万人が参集する可能性有り
◎デモ概要 バンコク都周辺に存在するUDDメンバーを同交差点に集め、3月~5月のデモ行動期間における犠牲者の追悼を実施予定

2.つきましては、19日(日)夕刻、ラチャプラソン交差点周辺では同デモ集会による交通渋滞が予想されることも含め、事前に報道等から最新情報の入手に努めるとともに、不測の事態に巻き込まれないように安全確保に十分注意を払ってください。

(問い合わせ先)
○在タイ日本国大使館領事部
 電話:(66-2)207-8502、696-3002(邦人援護)
 FAX :(66-2)207-8511



不敬極まりないタイの政治家

Wikileaks、サマック元首相がクーデターの責任の一端が王妃にあると指摘

 Wikileaksが公開した2008年10月1日付けのアメリカの機密公電より、サマック元首相が2006年のクーデターの責任の一端が王妃にあると指摘していた事が明らかになった。

 アメリカ大使と面会した際にサマック元首相は、7ヶ月の首相在任中に政治的な圧力を受けていた事を明らかにした上で、2006年のクーデターや民主主義市民連合による混乱の責任がシリキット王妃にあると尊大な態度で指摘していたという。

 サマック元首相によると、王妃がプレーム枢密院評議会議長や王党派を通して連合を操っていたのだという。

 しかし、国王に関しては、自分に反対する者以上の忠誠心を持っており、首相在任中は国王からの支えを受けていたとしたが、王子に関してはコメントをする事は無かったという。


Wikileaks、プレーム議長が首相を好評価 - タイの大物が王子に対して否定的な見解

 Wikileaksが新たに公開したアメリカの機密公電により、今年1月にアメリカ大使がプレーム枢密院評議会議長を初めとする影響力を持つ人物を表敬訪問した際に、プレーム議長がアピシット首相に対して肯定的な評価を下す一方で、外務大臣経験がある枢密院評議会議員のシッティ・サウェートシーラ氏は、同首相の問題解決能力や効率的に政策を遂行するチームの不在に不満を示していた事が明らかになった。

 またタクシン元首相に関しては、面会したプレーム議長、シッティ議員及びアーナン元首相何れも同元首相による政府への直接的な攻撃や王室に対する間接的な攻撃に注目しており、特にアーナン元首相は、国王の健康不安が同元首相による間接的攻撃の動機の一部になっているとの見方を示していたという。

 一方、次期国王継承者とされる王子に関しては、3者何れも否定的な見解を示し、特にアーナン元首相は、王子以外の者を国王に据える為の手続きが他に存在してれば国家はより良い状態になるとの認識を仄めかしていたという。

 その際に、シッティ議員はシリーントーン王女が次期国王として望ましいとの見解を示したが、それに対してアーナン元首相は、次期国王継承者を変更する事ができるのは国王のみであると指摘した上で、そのような継承者の変更が起こる可能性は極めて低いとの認識を示していたという。

Wikileaks

Browse by Embassy Bangkok
http://213.251.145.96/origin/98_0.html

しかしこう言う事は思っていても言うてはいけない、タイには「不敬罪」という法律があるからです、「不経済」ではありませんよ。
ウイキリークスも誰もが知っていることばかりで、もうちょっと良いネタはないのかね?

2010年12月15日水曜日

「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止、何時までアメリカの背後霊と付き合うつもりなのか?

昭和20年12月15日GHQが神道指令を発令

 1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。

覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を果たすために出されたものである。 当初は政教完全分離を目指していたが、1949年(昭和24年)を境に適用条件が大幅に緩和された

「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するという米国の判断のもと、これらの用語の使用も禁止された。

国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止を命じた、これが神道指令である。

【靖国神社焼却計画】

 ポツダム宣言にしたがって降伏した「有条件降伏」を「無条件降伏」にすり替えた占領軍は、日本の復讐を恐れ、日本人の激しい敢闘精神・抵抗心を根源から打ち崩そうと、靖国神社をはじめ、明治神宮、伊勢神宮、熱田神社の焼き払いを計画した。靖国神社は焼き払って跡地をドッグレース場にしようと考えた。

占領軍は日本の戦争遂行の精神的支柱を神道だと決め付けたのだ。

これに対してはさすがに躊躇があり、マッカーサーは駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父に意見を求めた。

ビッテル神父は以下のように答えた。


「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。

無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。

歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。

国家のため死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」

マッカーサーはこの意見にに従い靖国神社焼却という暴挙を思いとどまった。

しかし靖国神社などの焼き払いは免れたが、マッカーサーは神道指令を発布した。


古代シュメールと十六菊花紋章&サダム・フセイン



古代シュメールに見られる十六菊花紋
パキスタン(イスラム共和国)のタッタ遺跡のもの、インドとも隣接している。皇室紋章やユダヤ王家の石棺と同じ16菊花紋が刻まれている。


 よく『日ユ同祖論』というのが言われますが、天皇の象徴である『十六菊花紋』が、ユダヤの紋章として多く使用されている訳ですが、実はユダヤに関連する以外にも、古代シュメール文明の跡地の、至る所に見受けられるのです。つまり、十六菊花紋自体に関しては、ユダヤ=日本という図式は、少々短絡的であるのです。

 上記日本超古代王朝とシュメールの謎』によりますと、例のイラ・イラ戦争の折り、サダム・フセイン大統領が、バグダッドの官邸で戦闘情勢に対しての記者会見を行った際に、以下のようなエピソードがあったそうです。

ヨーロッパの或る記者が、大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て
「大統領閣下、閣下が身につけておられる腕輪の紋章は、日本の皇室の物とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」
すると、サダム・フセイン大統領は、こう答えた様です。
「あなたがたは古代メソポタミヤの歴史について、もっと勉強をしてほしい。この紋章は我が国の祖先が、世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いていた、王家の紋章です」

古代シュメールと日本の風俗に、関連性は見られるか?

仮に、シュメール民族が後のユダヤの民、日本へと分化して渡ったのだとしたら、何かしらの共通項が残っているはずです。

1漁法

古代ペルシャ湾ににて行われた漁法には、鉢巻きやヘラにセーマン(五芒星マーク:護身の意)とドーマン(縦4本横3本の格子マーク:海の女神の意)という文様を付ける習慣があり、ペルシャ湾と日本にのみ見られる習慣。

2石像

初期シュメール王朝の、遺跡に王の左手が王妃の右手を握り、王の右手が王妃の右肩にのせている石像があり、これと全く同じモチーフの石像(道祖神)が、日本に見られる。

3家紋

日本に使われている家紋の多くは、シュメールの遺跡から見付かった模様と同一の物が殆どである。

4十六菊花紋

日本では、天皇家の象徴として使われている、一六菊花紋がシュメールの遺跡(ペルセポリスの牡牛像など)からも、多数見られる。
 上記のように、様々な所から、古代シュメールと日本の類似点を挙げる事ができます。これらの、デザインなどでは、偶然の産物という事も可能だと思います。「菊花、或いは太陽をモチーフにデザインをしろ」と言われれば、現在でも似たようなデザインを、偶然複数の人間が創り出す事は、別段不思議でもないように思います。

 ただ、神話に関する部類では、余りにも類似性があり、少々偶然というだけでは、こじつけに近いと思います。古代において、その様な出来事があったかどうかは別としても、シュメール人の部族の幾つかが、日本に渡ってきた渡来系であると、見た方が自然であると思います。

シュメール=スメラ民族
大本とシュメールの関係


 人類史上最も古い文明は、メソポタミヤ文明と言われていますが、その文明を築いた民族シュメール人は(シュメール[Sumer]とは英語読みの発音で、ラテン語では「スメル」と発音するようです)原住民の骨格とは異なっており、民族不祥とされていますが、忽然と現れて、学校・建築・農業・工業・法律など、様々な文明を築いた後に、また突如と消えてしまったのは、なぜなのでしょうか?

 また、記録ではシュメール人が、自らを表現するのに、「キ・エン・ギ」という呼び名を使っていた様です。このキ・エン・ギとは「葦(あし)の主の地」という意味があるそうです。イラクのチバイッシュという所などに、葦の茂った区域がある事等から、こう呼ばれていたのではないかと思われます。

 という事は、霊界物語中の「メソポタミヤの顕恩郷、豊葦原の水穂国・・・」という表現も、判らなくも無い、という感じです。普通「豊葦原の水穂国」というのは、神話に描かれた日本の呼称なので、メソポタミヤが豊葦原の水穂国というのは、無茶苦茶なのですが、かつてその様に呼ばれていたのかも知れないとも、感じます。もっとも、その表現はメソポタミヤだけではなく、世界中を指して呼んでいた様です。

 また王仁三郎氏の『霊界物語』では太古の歴史において「国常立之大神の神政は最初トルコのエルズレムであったものの、ヤマタオロチ、金毛九尾の狐が神人に憑依し、次第に神政も乱れて、遂には地球の東北にあたる日本に押し込められてしまった」という事が描かれています。

古代シュメールの音楽と雅楽は同じものだった

 九鬼家は大本と因縁が深いと、直子氏は王仁三郎氏に毎日言っていたという逸話からも伺えるように、大本と九鬼家とは、深い因縁があるようです。その九鬼家の家紋である『九陽紋』は、古代シュメールで神を現わす文字「ディンギル」がルーツではないかと、言われています。その九鬼家にまつわる、興味深い話しを発見しました。

 1960年にメソポタミヤの、シュメール文明の首都ウルの遺跡から発見された粘土版の中から、古代の楽譜が発見されましたが、カルフォルニア大学のアンネ・D・キルマー女史は、それを現代の五線譜に再現する事に成功し、その再現された音楽を、評論家の岩田明氏がテープにダビングする機会がありました。
私はこの古代のメロディを聴いた時に、初めて聴くにしては妙に懐かしいものを感じた。

・・・(中略)・・・
 もしかしたら日本の古い音楽と関係があるのかもしれない。そう思った私は、このテープを持って紀伊半島の熊野本宮神社の九鬼宗隆宮司を尋ねた。快く迎えてくれた九鬼宮司は、テープを聴きはじめたかと思うとすぐに中断し、「禰宜(神官)どもにも聴かせてやってほしい」と禰宜の方を集められた。

 5分程そのテープの旋律を聴くと、九鬼宮司と禰宜の方達は異口同音に「当社で行う伝承雅楽と実によく似ている」と感嘆の声を漏らされた。

-『日本超古代王朝とシュメールの謎』/岩田明著:日本文芸社刊より-

 以上の様な経緯で、九鬼家と出口家、或いはシュメール民族との関連について、もう少し突っ込んだ研究が待たれます。というのも、九鬼家は、水軍の出身で海人族(あまぞく)と推察され、渡来系ではないかと考えられます。又更に、大本の発祥の地である丹波や丹後辺りも、渡来系民族が住みついたと思われる、遺跡などが沢山に見付かっているとの事です。

 また『富士文献』では、国常立尊は高天ノ原から日本にやってきたという事ですが、太古の高天原は現代のイランとイラクの付近であったという事ですから、仮に「シュメール人が日本に渡来してきた」という事が本当であるなら、いかに王仁三郎氏が大化け物といえども、この符合は驚かざるを得ないと思います。

 たしかにこの問題はなかなか面白いのですが、もっと中央アジアなど所謂シルクロードなどの研究者と相互的に研究が進めばもっと多くの謎が溶けるような気がします、中央アジアには日本建国以前に消えた民族が居ると言う事も分っていて、何処に行ったかと言う事は分っていないので、語語学と一緒にその辺の研究が進めばもっと面白そうなのでああるのですが、、、、



日本の神話

1 スサノオノミコトの別名は、牛頭天王と呼ばれ、同じように牛の角を生やしている。

2 スサノオノミコトが、人身御供で人間を食らう頭が八つもあるヤマタオロチに、酒を飲ませて酔わせてから退治する。その時にオロチの尻尾から、鉄の剣(草薙の剣)を手に入れる。


シュメール神話

1. 古代シュメールの伝える神の一つ、バール神は牛の角を生やしており、天候(暴風雨)の神といわれていた。

2. 太古シュメールの神話には、ヒッタイトの守護神である7つの頭を持つ龍が、人間を生け贄としていた。そこでバール神が、龍を酒に酔わせて退治し、龍の中からヒッタイトの鉄を手に入れる。


さて皆さんはどう考えるのでしょうか?

2010年12月14日火曜日

日本大使館は既に知っている

タクシン派、「村本さん殺害の証拠」を日本大使館に

ニュースクリップ

13日午前、タクシン元首相支持派数十人がバンコクの在タイ日本大使館前に集まり、ロイター通信のカメラマン、村本博之さんが4月10日、バンコクでタクシン派と治安部隊の衝突を取材中に射殺された事件の「証拠」を大使館の職員に手渡した。「証拠」は軍が村本さんを撃ったことを示す写真や目撃証言という。

 タイ政府は村本さん、イタリア人カメラマンのファビオ・ポレンギさん、タクシン派の市民ら衝突で死亡した91人の死亡状況に関する捜査報告を発表しておらず、タクシン派は日本やイタリア、人権団体などを通じ、タイ政府に圧力をかけたい考え。

 村本さんが死亡した事件については、ロイター通信が10日、関係者から入手したタイ法務省特捜局(DSI)の捜査報告書に「兵士がいる方向で銃火が見えた後、村本さんが倒れた」という証言があったと報じた。報告書は公表されておらず、DSIのタリット局長はロイターの報道について、「否定も肯定もしない」とコメントした。タリット局長はまた、「村本さんの事件については日本大使館に何度も説明し、理解を得ている」と話した。

 此処で何回も言うように日本大使館も日本政府もは既に知っていることです。誰の弾があたったかまで特定されて大使館は既に知っていますよ、口が裂けても言えないのだから、日本の利益は守りませんが他国の利益を守ることは日本大使館職員は得意中の得意ですからね、日本大使館に訴えた所で何にもなりません職員は触るぬ神に祟りなしで仕事などする気はないんだから。

 赤服の皆さんもっと日本大使館を煽りたいのならば、其れよりもいい方法を教えましょうか、しかし此処に書くと売国奴と言われそうなので辞めにします。


ウィキリークス

「日本はデブの負け犬」 旭重叙勲のシンガポール高官が発言か

豪シドニー・モーニング・ヘラルド紙(インターネット版)が内部告発サイト、ウィキリークスから得た米公電として報じたシンガポール政府高官の発言の数々が物議をかもしそうな雲行きだ。

 同紙によると、発言の主はシンガポールのピーター・ホー氏、ビラハリ・コーシカン氏、トミー・コー氏の3氏で、いずれも外務次官、大使などを歴任した外務官僚トップ。発言内容は2008―2009年に米高官に語ったものという。

 トミー・コー氏(現シンガポール外務省無任所大使)は東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国が関係を改善している現状について、日本を「ビッグ・ファット・ルーザー(図体のでかいデブの負け犬)」と批評。日本の「愚かさ、劣悪なリーダーシップ、ビジョンの欠如」がASEANでの地位後退を招いたと指摘した。

 また、インドを「ASEANに半分入って、半分出ている愚かな友」と表現。中国に関しては、「投資と知的な外交」をほめ、「中国に同化されるのは怖くない」と語った。

 コー氏は昨年、「日本とシンガポール間の知的交流及び相互理解の促進に寄与した」として、日本政府から「旭日重光章」を叙勲されている。

 コーシカン氏、ホー氏は隣国マレーシアの政治家を「競争力がない」などと酷評。コーシカン氏はタイについても、「タクシン氏(元首相)は反対派を含む誰とも同様、腐敗している」と辛らつな批評を加え、タイ王室に関しても、タイ国内なら不敬罪間違いなしという発言を重ねた。また、「中国、インドといったミャンマーの隣国は、ミャンマー軍事政権の崩壊がユーゴスラビア分裂のアジア版を招きかねないと懸念している」「核を持ったイランより核を持った北朝鮮のほうが気楽」「ロシア経済は第3世界」などと論じた。

 シンガポール政府はタクシン政権時代にタイと緊密な関係を築き、2006年にタクシン氏から携帯電話サービス、通信衛星などからなるタイ通信最大手シン・グループを買収した。この取引がバンコクの中間層の猛反発を浴び、タクシン氏没落の一因となった。

日本政府から「旭日重光章」を貰っておきながら、これが本当ならばふざけた野郎ですね、本当でしょうけど。


ウィキリークスで星政府高官によるマレーシア論評が流出

米国の外交機密情報の暴露で物議を醸している内部告発サイト「ウィキリークス」が、シンガポール政府高官がマレーシアに関して行なった論評を暴露。アンワル・イブラヒム元副首相の同性愛事件に関する見解のほか、マレーシア政府要人を批判する内容が含まれており、両国関係の新たな火種となっている。

「ウィキリークス」が公表した情報は、豪州の情報当局者がシンガポールの情報当局から得たものだとされる。同性愛事件についてアンワル氏は一貫して否認、野党を中心とした支持者などは現政権によるでっちあげ説を主張しているが、リー・クアンユー上級相のほかシンガポール情報部は実際にあったことと信じているが、ただ政敵によって仕組まれた罠にかかったものだと考えている。これについてアンワル氏が事実上の指導者を務める人民正義党(PKR)のティエン・チュア党首補は、アンワル氏に対する罪状が捏造されたものであるのは間違いないと主張。外国の情報当局が何を論評したかは問題ではないと述べた。

「ウィキリークス」によると、ナジブ・ラザク首相に対してリー・クアンユー上級相が日和見主義者だと評価しているという。また外務省幹部がマレーシアについて、「役に立たない政治家によってマレーシアの危険な転落が助長される」と評し、マレーシアが人種対立の可能性により混迷と危険性を増していると分析。またマレーシアの一番の問題が真のリーダーシップ欠如だと語ったとされる。

2010年12月13日月曜日

副長のブログから

問題提起!
http://blogs.yahoo.co.jp/otw2006/27505792.html
宣戦布告 2
http://blogs.yahoo.co.jp/otw2006/27582206.html

日本一のおかき屋さん。

初日に会った時にも「宣戦布告」したけど、改めてするよ。

どんな大物右翼出してきても辞めないから。

最初は1台でも2台、4台と増えてきたでしょ。

今週は、もっと増えるから(笑。


みなさん。

信じられない事ですが、向こうにも右翼が付いてました。

裏がだんだん見えてきましたよ。

日本一のオメコ処 播磨屋助平
http://blogs.yahoo.co.jp/otw2006/27593689.html


御本人は国粋者だと

名前は今井と言うんですね

ツイッターで写真お借りしました


以下ツイッター


dukutougou 長谷川平蔵
身を捨てて天皇の怠慢を詰問します?お前に言われることはないよ、自分の頭の心配をしなさいhttp://plixi.com/p/62686509
8分前 お気に入り 返信 削除
»
長谷川平蔵
dukutougou 長谷川平蔵
異次元の宗教家&おかき屋か?はた又おかきの焼き過ぎで頭がおかしくなったか日本一のおかき屋播磨屋本店兵庫県豊岡市神美台1-1http://plixi.com/p/62686760
11分前 お気に入り 返信 削除
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長谷川平蔵
dukutougou 長谷川平蔵
不敬極まりない、妄想から目覚めるのは貴方ではないのか http://plixi.com/p/62686677
15分前 お気に入り 返信 削除
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長谷川平蔵
dukutougou 長谷川平蔵
「地球革命」云々真実身命をとして天皇に諌言します、言葉遣いもそうだが、貴方こそ不敬とは思わないのか?http://plixi.com/p/62686620
17分前 お気に入り 返信 削除
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長谷川平蔵
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國の子 行動記録問題提起!http://blogs.yahoo.co.jp/otw2006/27505792.html 日本一のおかき屋播磨屋本店、異次元の宗教家かそれとも不敬極まる大罪人かhttp://plixi.com/p/62686469
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「地球革命」云々革命を起こさなければならないのは本人の頭中ではなかろうか、覚醒しなければいけないのは貴方ではなかろうか。

2010年12月10日金曜日

アメリカ大使館、信仰の自由に関する2010年国際報告書翻訳

信仰の自由に関する2010年国際報告書―日本に関する部分

国務省民主主義・人権・労働局

2010年11月17日発表

 日本国憲法は信仰(信教)の自由を定めている。宗教はおおむね自由に実践されており、その他の法律および政策がこれに寄与している。

 政府は実際に、信仰の自由をおおむね尊重した。本年の報告期間(2009年7月1日から2010年6月30日まで)中、政府が信仰の自由を尊重する状況に変化はなかった。

 宗教的な帰属、信条、または実践に基づく、社会的な虐待または差別に関する報告が何件かあった。

 米国政府は、人権促進に向けた総合的政策の一環として、信仰の自由の問題に関して日本政府と話し合いをしている。

第1節 宗教統計

 日本の総面積は37万7839平方キロメートル、総人口は1億2750万人である。政府は宗教団体に対し信者数の報告を義務付けていないため、各宗教の信者数を正確に把握することは困難である。文化庁の報告によると、各宗教団体の報告による信者数は2007年12月現在、合計2億600万人であった。この数字は日本の総人口のほぼ2倍であり、日本国民の多くが複数の宗教を信仰していることを表している。例えば、多くの日本人は仏教と神道の両方の儀式を実践している。

 2007暦年の統計を掲載した2009年発行の文化庁の宗教年鑑によると、信者数は、神道が1億500万人、仏教が8900万人、キリスト教が200万人、そして「その他」の宗教が900万人いる。

 日本国内のイスラム教徒の数に関する政府統計はない。イスラミックセンター・ジャパンの概算では、日本にはおよそ10万人から11万人のイスラム教徒がおり、そのうち1万人が日本国民である。

 2007年12月現在、1951年の宗教法人法に基づき政府が認識している仏教宗派は154ある。主な仏教宗派は、天台系、真言系、浄土系、禅系(曹洞宗と臨済宗)、日蓮系および奈良仏教系の6宗派である。このほかにも、仏教系在家信者団体が多数あり、そのひとつである創価学会は、800万「世帯」の信者数を報告している。神道の主な宗派は、神社本庁と教派神道の2つである。

第2節 政府による信仰の自由の尊重の現状


法的・政策的枠組み

 日本国憲法は信仰の自由を定めている。宗教はおおむね自由に実践されており、その他の法律および政策がこれに寄与している。

 文化庁によると、2007年12月現在、22万3428の宗教団体のうち18万2310団体が宗教法人として政府に認証されている。政府は、宗教団体の登録または認証申請を義務付けてはいないが、認証された宗教法人には税制面の利点がある。2007年までに宗教団体の82%以上が認証を受けている。

 1995年に東京で発生した、オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機として宗教法人法が改正され、認証を受けた宗教団体を監督する権限が政府に与えられた。この法改正により、認証された宗教団体は資産を政府に開示することが義務付けられ、政府には、営利活動に関する規定に違反している疑いがある場合には、調査を行う権限が与えられた。宗教団体がこうした規定に違反した場合、当局は当該団体の営利活動を停止する権限を持つ。

 政府はいかなる宗教上の祭日も国の祝日としていない。

信仰の自由に対する制限

 政府は実際に、信仰の自由をおおむね尊重した。本年の報告期間中、政府による信仰の自由の尊重の状況に変化はなかった。

 日本国内に宗教を理由とする囚人や被収容者がいるという報告はなかった。

強制改宗

 統一教会の報告によると、家族および専門のディプログラマーから、同教会から脱会するよう圧力をかけられた信者が数人いた。

第3節 信仰の自由の社会的な尊重の現状

 ほとんどの宗教団体が、信仰の自由は広く容認・尊重されていると報告しているが、宗教的な帰属、信条、または実践に基づく、社会的な虐待に関する報告が何件かあった。

 ディプログラマーが家族と協力して、統一教会、エホバの証人、その他少数派宗教の会員を数年間にわたり拉致してきたとの報告があった。統一教会と、エホバの証人の関連団体である「ものみの塔」の報告によると、件数は過去10年間で大幅に減少した。一方で統一教会は、本年の報告期間中に5人の会員が拉致されたと報告した。こうした報告を独自に確認することはできなかった。統一教会が報告を誇張あるいは捏造(ねつぞう)したと非難する非政府組織(NGO)もあった。

 家族と専門のディプログラマーにより、自らの意思に反して12年以上にわたり拘束されていたとする統一教会の成人会員は、2008年に解放された。検察は、証拠不十分で本件を不起訴とした。本年の報告期間終了時点で、本件について不服申し立てが行われていた。

 2009年11月に、ある有力な国会議員がキリスト教を「排他的で独善的な宗教」と呼んだ、との報告があった。カトリック教徒とプロテスタントの組織である日本キリスト教連合会は、発言の撤回を要求した。

 本年の報告期間中、宗教の違いを超えた意義深い取り組みが継続された。異宗教の団体から成るNGOの日本宗教連盟は、宗教文化の振興と平和への貢献のために活動した。イスラミックセンター・ジャパンのメンバーは教会で講演し、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒と共に宗教間の平和の祈りに参加した。2009年11月、諸宗教の団体で構成される世界宗教者平和会議日本委員会は、外務省の協力を得て、アフガニスタンの平和をいかに促進すべきかを議論する会議を国会議員と共催した。この会議にはアフガニスタン、パキスタン、サウジアラビア、イランなど18カ国から外交官、軍人、研究者、専門家、宗教指導者が参加した。

第4節 米国政府の政策

 米国政府は、人権促進に関する総合的な政策の一環として、信仰の自由の問題に関して日本政府と話し合いをしている。

2010年12月9日木曜日

孔子平和賞って何?

ノーベル平和賞に対抗か 中国、「孔子平和賞」設立

【大紀元日本12月9日】ノーベル平和賞が中国で監禁中の民主活動家・劉暁波さんに授与されたことに対抗して、中国は自分たちの平和賞を立ち上げた。初年度の受賞者は台湾の連戦・国民党名誉主席に決定したもよう。

 AP通信は、中国の組織委員会からの声明文の内容を引用して、同平和賞は名づけて「孔子平和賞」、設立の主旨は「中国人の平和への認識を表現するため」と報道した。

 組織委員会の会長・譚長流氏は、同組織は政府機関ではないとしながらも、中国最高指導部の文化部と密接な協力関係にあると説明した。

 また、同組織委員会はいつ設立したのか、5人の審査委員はどうやって選出されたのかなど、さらなる情報について、同会長は説明を行わず、関連情報は今後公表するとしている。

 初回の候補者は6人、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長や、南アフリカのマンデラ元大統領、カーター元米大統領、パレスチナ自治政府のアッバス議長、 中国政府が認定したチベット仏教のバンチェン・ラマ11世が含まれている。初の受賞者は台湾の元副総統で国民党の名誉主席・連戦氏に決まったという。な お、受賞者へは賞金として10万元(約130万円)を贈るとしている。

 AP通信の報道によれば、連戦氏の受賞理由は両岸の交流にキーマン的な役割を果たしたことだという。一方、台北にある連戦氏の事務所の関係者は、AP通信の取材に対し、受賞の事実を知らないとしてコメントを避けている。

 初回の受賞式がいつ、どこで行われるのかもまだ公表されていない。


 ノーベル平和賞授賞式の1日前の12月9日に北京で「孔子平和賞」授賞式を行うそうだが茶番も良い所だ、こんな物で支那が言うメンツが保たれるのか、メンツを保ちたいのならば本物のノーベル賞(1億円以上)以上に賞金でも出したらどうだ 。



支那人の民族性、支那人とは何か?

ぼやきくっくりさんのブログから
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid923.html#sequel


ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」(77年前の本)から引用

◎【改革・進歩は幻】

〈中国に〉進歩を期待する者は、まだまだ「素人」である。慈善事業家が、さも明るい未来があるかのように寄付を呼びかけ、討論会を開いている。確かに中国の「進歩」関連記事は紙上を賑わしている。国民党の出す公衆衛生、法の施行、刑務所の改善、国民の教育、農業改良などの政府刊行物だけを読んだら、簡単に騙される。さて、そのうちどれだけのものが実践されているか。要するに、これは海外向けの宣伝なのである。現に、中国人は現実が分かっているから、白けたものである。お人好しで、物を深く考えない外国人を欺くプロパガンダなのだ。多くの「物書き」はすっかり騙されているのである。

〈中略〉情報が氾濫しているが、まず中国人とはどういう人なのか理解することが問題解決の糸口となる。新聞で農民虐殺、成り上がり者による政変、内乱等を読んだら是非考えて欲しい。持って生まれた性格は変わらないのである。◎


◎【義和団事件と南京事件】
それにしても、なぜ中国人は外国人を虐殺したがるのであろうか。それは、外国人が裕福であるからである。また中国の指導層も同じで、略奪権を与えるのである。もちろん、中国軍が自国民つまり中国人を襲うことは日常茶飯事であるばかりか、殺そうと何しようとまったく平気である。外国人を狙うことはそう頻繁にあるわけではないが、やっても捕まらないと判断した時、やるのである。中国人に寛大な人が増えているから、ますます増長しているのである。◎

◎【中国人の特異性と残虐性】
「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。◎

◎【複雑怪奇な性格と伝統】
国際化する世界は国際法というものに合わせて動いているのであるが、中国人が、もしこの国際法を尊重するようになったとしたら、世界中が平和になるが、違うのである。逆に、彼らの強烈な国民性ゆえに、中国関係はギクシャクしているのである。そればかりか、中国人同士でさえも良好な関係は築かれないのである。◎

◎【西洋社会と交わるところがない】
中国人でも我々の考えを理解できる。できなくても、努力することぐらいはできる」と考える向きもあるかもしれない。しかし逆のことばかり起きている。何の根拠もない単なる空想である。確かに、西洋文明を取り入れることはできる。ただし物だけである。◎

◎【虐殺されても中国人をかばう宣教師】
毎回同じことの繰り返しだ。クリスチャンに対する大々的な虐殺、略奪がしばらく鳴りを潜めると、宣教師たちは「とうとう中国人もキリスト教徒となってくれた」と喜びの声を上げる。一方、民間人は、「ちょっと待ってくれ。元の中国人にすぐ戻るよ」と。

数十年経っても同じことの繰り返しである。民間人の方が正しく、宣教師がトンチンカンな反応をしている。例えば、反宣教暴動が勃発する数週間、もしくは数ヶ月前の宣教師の文書をめくると、「これで反布教運動は終わった。目覚めた政府に導かれ、民衆は福音に目覚めたのである。これほど素晴らしい国民はいない。素晴らしすぎて褒め称える言葉が見つからない」とまで書いてある。

〈中略〉同様の賛辞に騙され、数千人が2年後の1900年、血の海に沈んだ。「守護神」であったはずの政府が外国人撲滅運動を画策していたのである。いわゆる義和団事件である。◎

◎同僚が惨殺されるのを何度も目の当たりにしながら、疑うことを止めないのが宣教師である。1926年になってさえも、国民党を中国人救済の最後の「盟友」と持ち上げている。おめでたい限りである。その1年後にはどうなったか。反クリスチャンの嵐が荒れ狂い、日本やフィリピンへと避難する羽目に陥ったのではないか。中国人の正体がわからないのか、知ろうとしないのか。攻撃体勢が整うまでは本心を表さない、手練手管に長けたのが中国人である。「同じ目的に向かい、手に手をとって進もうではありませんか」等と言われ、すっかりその気になるのが宣教師である。◎

◎ どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。宣教師はこの辺のところを見逃してきた。何度死んでもわからない。◎

◎【巨額の援助を不満とする中国人】
しかし前述したように、アメリカの一流大学に留学しても、出来が悪いのは同じである。実は、彼らに本当に必要なものは「徳育」である。これこそ中国人に欠けたものだが、簡単にできるようなものではない。◎

◎【犠牲者は圧倒的に住民】
〈共産党と国民党の戦いで〉もちろん、300万もの人間が戦えば(300万とは大げさだが、理論的にはいくつもの集団が集まって戦闘に参加するのだからこういう数字になる)、多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず「友軍」に奪われるからである。◎

◎【中国に共和制などあろうはずがない】
本のタイトル「中国共和国」には皆笑ってしまった。もちろん、中国に共和制などあろうはずがない。政府と言われるものがあるにはあるが、選挙によって指導者を決めるわけではない。全くの独裁政権、
崩壊寸前である。◎

◎【南京虐殺に関する声明文】
ところが、この虐殺がピタリと止んだ。米英の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破壊行動が止んだ。これで兵士の暴虐、破壊活動は上が命令した組織的行動だったことが証明された。

以上は嘘偽りの無い事実なのである。

この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家*1である。これらは外国人だけでなく中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。◎

◎【パール・バックの偽善】
中国人を絶賛するパール・バックが書いていないものがある。あの時、南京では何が起こっていたか。中国兵は笑いながらイギリス領事をその庭先で撃ち殺した。無抵抗のアメリカ人も一人、同様になぶり殺しにした。アリス・ティスデイル・ホーバート夫人邸に逃げ込んだ50人の外国人に、雨あられと弾丸を浴びせた。幸い、この50人は軍艦からの援護射撃の下、上陸してきた部隊に無事救出された。こういうことを、パール・バックは一切書いていないのである。


タイで山田長政描いたタイ映画、出足好調

「ヤマダ・ザ・サムライ・オブ・アユタヤ」Yamada The Samurai of Ayothaya

17世紀前半にタイで活躍したとされる武将、山田長政を描いたタイ映画「ヤマダ・ザ・サムライ・オブ・アユタヤ」が2日に公開された。5日までの興行収入は400万バーツで、11月29日―12月5日の興行収入ランキングで5位に入った。

 「ヤマダ」は約1億バーツの製作費を投じ、3年がかりで製作された。主役の山田長政を演じるのはタイで活躍する日本人俳優の大関正義さん。K―1などで有名なキックボクシング選手のブアカーオさんも出演している。


山田 長政(やまだ ながまさ):通称は仁左衛門(にざえもん)

  天正18年頃~寛永7年、(15/9/0~1630)
山田長政は江戸時代前期にシャム(現在のタイ王国)の日本人町を中心に東南アジアで活躍した人物で、1590(天正18)年ごろ駿河国沼津(駿府馬場町の紺屋の津ノ国屋、現在の静岡市)で生まれたと言われていますが、出身地については駿府、伊勢、尾張、長崎の諸説があります。駿府説が通説となっているようで、駿府の浅間神社近くの馬場(ばばん)町に染工(紺屋)を職業とする山田九平次という人物がいて、実子がなかったので、伊勢の人で伊勢神宮の御師(下級の神官でお札を諸国へ配って歩く)だった九左衛門友昭という人を養子にしました。その九左衛門のもとへ、3才の長政を連れ子にして再婚してきたのが、駿河国安倍郡藁科村(現静岡市)の寺尾家出身の女性(長政の母)で、尾張へ嫁して長政をもうけ夫に死別後に長政を伴って実家へ帰っていたのが再婚したのでした。駿府で長政がどのような生活をしていたのかについては明らかでない部分も多いのですが、学問を馬場町近くの臨済宗の名刹「臨済寺」(今川家の菩提寺)で学び、浅間神社前の宮ヶ崎にあった関口八郎左衛門という人の町道場に通って武芸を修行したといわれています。その後、駿府を飛び出し沼津で沼津藩主・大久保治右衛門忠佐のお抱えの駕籠かきの仕事をしていましたが、それも辞めて駿府に舞い戻った長政が、海外へ出て行くことを決意した契機としては、駿府郊外の久能の海岸で、清水港の遊び人(ちんぴら)を数人殺傷してしまって追われる身となり、警吏の追及を恐れて国外へ逃亡したとする説もあります。

1607(慶長12)年に家康が大御所として駿府城に在城し、駿府が日本の政治・経済の中心地となり活気にあふれた 「日本の大航海時代」の頃に少年時代を過ごした長政は、時の貿易奨励策で海外へ進出する商人たちに刺激されました。1610(慶長15年)年(1612年説有)に駿府の商人の太田治郎右衛門と滝佐右衛門の仕立てた台湾行きの御朱印船 「富士丸」に乗り込み清水港を出帆しました。台南でシャム行きの便船を待ち、長崎の豪商の木屋弥三右衛門の船でタイ王国アユタヤの日本人町に上陸しました。その後に、津田又左右衛門が筆頭の日本人傭兵隊に加わり、頭角を著しアユタヤー郊外の日本人町の頭領となりました。

アユタヤ王朝のソンタム国王の信任を得て、第三位身分のオークヤー(あるいはプラヤー)・セーナーピムックという官位・欽賜名を授けられて、1630(寛永7)年に南タイのナコンシタマラート県のリゴールの王に任ぜられました。そして、バンコックを通ってタイランド湾に流れ込んでいるチャオプラヤー川に入る船から税を取る権利を得ました。その後、ソンタム王の死去による後継者争いに巻き込まれました。そのいきさつは、ソンタム王の死後、長政はソンタム王の遺言に従い、シーウォーラウォン(後のプラーサートトーン)と共同でチェーターティラートを王にたてましたが、チェーターティラートはシーウォーラウォンに不審を抱き排除しようとして失敗して、シーウォーラウォンに処刑されました。その後チェーターティラートの弟のアーティッタヤウォンが王としてたてられましたが、あまりに幼すぎるので、官吏らはそのころチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進していたシーウォーラウォンが王位に付くことを願いました。長政はこれに頑固に反対したために、宮廷内で反感を買いました。この時、当時アユタヤの貿易を独占していた日本人勢力と対立関係にあった華僑の勢力の圧力が宮廷内におよび、長政は六昆(ナコーンシータマラート、Ligor)の防衛を理由にシーウォーラウォンによって左遷されました。

1630(寛永7)年に隣国との争いが生じたときに足に受けた傷に毒を塗られて死亡したといわれています。それは長政が1630年にパタニ軍との戦闘中に脚を負傷して、傷口に毒入りの膏薬を塗られたことによるのでした。毒を塗られたのは 「カラーホームの密命による」とオランダの史料が記していると伝えられています。また、1630(寛永7)年にリゴール(南タイのナコンシタマラート)でリゴールの王(知事)となった長政が前リゴール王(知事)の弟オプラ・マリットによって毒殺されたとの説も有ります。その後、ナコーンシータマラートの王(知事)は息子のクン・セーナーピムックが引き継ぎましたが、内部対立があり同じ日本人傭兵によって殺され、長政の死と同じ年にプラーサートトーン(シーウォーラウォン)が「日本人は反乱の可能性がある」として、シャイフ・アフマドらが率いるアラビア人、タイ族、華僑の組織する兵によってアユタヤ日本人町は焼き打ちされて滅びました。

長政は1626(寛永3)年に故郷駿府の浅間神社に戦艦図を奉納しており、この戦艦図は焼失しましたがその写しは今も神社に伝えられています。1842(天保13)年の馬場町絵図には、「ここが津の国屋九左ヱ門の屋敷なり」 と記してあり、そこが山田長政の生家跡とされています。


りゴール(Ligor)はナコーンシータンマラートの主要都市で、アユタヤ王朝下ではマレー半島貿易でにぎわう一方、度々離反するマレー系諸王朝(パタニ王国など)に対する防衛都市として機能しました。山田長政の左遷先もナコーンシータンマラートであり、ここでパタニ軍と交戦した後に、死亡したと伝えられています。ナコーンシータンマラートはチャクリー王朝 5代目の国現王ラーマ5世(チュラーロンコーン、1853~在位1868~ 1910 )のチャクリー改革の後、周辺の地域と共に県(チャンワット)を形成して、県庁所在地となりました。

タイ王国には、アユタヤでの日本人町の発掘や記念碑建立、1983年以降のタイ国側の要請による日本人町復元整備計画などがあったようです。