2011年11月22日火曜日

何か違うようで全く一緒

SAPIO2011年11月16日号

韓国の反日団体 ソウルの日本大使館前に慰安婦記念碑建設計画

韓国にとって最大の反日テーマとなっている慰安婦問題。いまや彼女たちは独立の功労者のような扱いになっているという。産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏がレポートする。

* * *
韓国では、日本統治時代の昔、抗日独立運動など日本の支配に抵抗した経歴のある人を「独立有功者」として顕彰している。政府に届けている元慰安婦の老女たちも似たような処遇を受けている。政府が生活支援をしているほか、亡くなると必ず顔写真付で経歴を紹介した死亡記事も出る。元慰安婦の老女たちは、支援団体とマスコミによって今や「独立有功者」並みになってしまったのだ。

元慰安婦の老女たちは、反日・抗日の功労者つまり「独立有功者」の役割をさせられてきたというわけだ。

「チョンデヒョプ(挺対協=挺身隊問題対策協議会)」など慰安婦支援団体は、その反日運動の象徴的建造物として以前から「記念館」と「記念碑」の建設計画を進めてきた。その目標がソウルの日本大使館前での「水曜デモ1000回」(1990年代以来毎週行われてきたデモ)の今年なのだ。

ところがまず、ソウルの旧西大門刑務所跡の独立運動記念公園に建てようとした記念館構想が頓挫した。独立運動関連団体に反対されたからだ。

日本の支配と戦った「光復会」などからすると「慰安婦がなぜ独立運動と関係あるのか」というわけだ。「挺対協」の機関紙にも「(運動の過程で)わが民族の恥をなぜ自慢そうにマスコミに広めるのか」と言った抗議や反対に直面した、とある。

「慰安婦記念館」は結局、場所を移し街はずれのさる場所に決まったが、支援団体としては今度は「何としても“記念碑”でガンバラなくっちゃ!」とばかり、こちらは日本大使館前の路上に建てることになった。

「日本大使館前に反日記念碑」とは、大胆不敵かつ国際的に前代未聞だ。

世界各地で反米運動があるが、米大使館前に反米記念碑などどこにもないだろう。反日では時に韓国以上に激しく厳しい中国でもそんな発想はない。

路上の建造物は地元の鍾路区役所の許可だが、認める方針という。外交的配慮も国際化時代もあったものじゃない。日本大使館は舞台裏で阻止工作に懸命だが、韓国政府(李明博政権)が政治的外交的配慮に動くかどうかだ。

日本大使館前に反日・慰安婦記念碑など何とも品がない。阻止に失敗すれば駐韓日本大使は本国召還ものだろう。

慰安婦問題では最近、韓国の憲法裁判所が支援団体などの訴えを受け入れ「政府が日本に補償交渉をしないのは人権無視」と判断したため、支援団体は意気上がっている。早速、韓国政府は日本に協議を要請したが、過去にかかわる対日請求権は1965年の日韓国交正常化条約に「完全かつ最終的に解決された」と明言されている。

「対日請求権資金は政府がまとめて受け取ったので個人補償は韓国政府に要求してほしい」といえば済む話なのに、それがいえずにまた日本に話をもってくるといういつもの図式だ。あんなに豊かになった韓国なのに。


「月3000万ウォン稼げる」誘惑に…
日本遠征売春を摘発
 中央日報 2011年10月07日12時05分


ソウル警察庁国際犯罪捜査隊は、韓国人女性の日本風俗店就職を斡旋した容疑(性売買斡旋等行為の処罰に関する法律違反)で、チェ容疑者(35)らブローカー6人を書類送検したと6日、明らかにした。
警察はキム容疑者(22)ら売春女性16人も書類送検した。

警察によると、ブローカーのチェ容疑者らは昨年8月から最近まで「日本で働けば月3000万ウォン(約200万円)の 高所得が得られ、名前も知られない」と言いながら女性を募集し、1人当たり100万ウォンずつ紹介料を受け、日本人と同居中の女S(45)が経営する東京の出張風俗店(デリバリーヘルス)に送っていた疑い。

チェ容疑者の紹介で日本に行った女性の中には負債に困っていたホステスのほか、女子大生、30-40代の離婚女性もいたと警察は説明した。

チェ容疑者は募集した女性の写真をスマートフォンで日本の事業主に送り、事業主が選抜した日本人好みの女性に面接を受けさせた。日本人事業主は日本に到着した韓国人女性に対し、30代の日本人男性を通して性関係の要領のテストを
受けさせたりもした。日本に行った女性は一度に2万-15万円の料金を受け、うち40%を事業主に手数料名目で支払った。

日本人男性に隠しカメラで撮影された映像をインターネットに載せられた女性は、うつ病と自殺衝動で精神科の治療を受けたと、警察は伝えた。 .

10万もの韓国人女性が国外で売春に従事、うち日本は5万人


 韓国ハンナラ党の議員がこのほど、韓国国外で売春を行っている韓国人女性は10万人以上に達し、そのうち5万人が日本で売春を行っていると発表した。環球時報が伝えた。

  韓国メディア「Newsis」は28日、日本では全体の半分にあたる5万人もの韓国人女性が売春に従事しているほか、オーストラリアで2500人、グアムで250人、さらにシンガポールや中国、香港、米国などを合わせると10万人以上の韓国人女性が売春に従事していると伝えた。

  統計によれば、韓国国内で買春容疑で逮捕された容疑者は2005年の1.8万人から09年は7.3万人まで増加したという。ハンナラ党の議員は10万人以上の韓国人女性が国外で売春を行っている現実に対して危機感を示したうえで、「韓国政府はすぐに適切な対策を立てなければならない」と訴えた。


ここ数年前から韓流ブームが韓国芸能界と日本の売国広告代理店によって作られているが、ブームに乗っている日本人は、日本で騒いでいるのではなく、韓国へ行って現状を見ればあのようにドラマで作られているような物では無いという事がはっきりして、幻滅するのではないかと思うのです。しかしツアー等で連れて行かれたら、良いとこだけを見せ付けられて、もっと乗ってしまう可能性もありますが、現実の韓国を見れば如何にドラマと現実離れしているか、と言う事が判ると思うのです。

 戦時中の韓国売春婦の問題はすでに識者が調べつくし国の関与はなかったと言う事になっていて、有ったと言う人の証言やその他の資料は既に論破されつくしており、何も疑う余地はありません。
戦時中の韓国売春婦の問題は国に訴えるのではなく、当時の女衒を訴える事であり、しかしその女衒も既に死んでいる者が殆どで、当時の売春婦(当事者)は訴える事はおろか、自分を連れて行った者すら知らないと言うのが現状なわけです。こう言う時はどうすればよいのか、矢張り自国の法律に照らし合わせて訴えを起こすなり、何なりやって頂く、しかし70年も前の話を韓国の法律に時効が有るか無いかは分かりませんが、恐らく取り合ってもらえないでしょう、と言うことは、仕方がないと言うことなのです。
国が関与する事でもなんでもないのですから、ごね得を許してはなりません。

中央日報の二つの記事、これは先月の記事ですが、私が考えるにその国々の人がどんな歴史の捏造をしようが、その国の人々の精神構造等はそんなに変わらない物だと思っております。
戦時中女衒によって全く同じような事が行われてきたわけです、そして現在日本で売春をしている5万人は近い将来日本政府に対して難癖をつけて何らかの形で損害賠償でもやるのでしょうか?

2011年11月19日土曜日

国賓ブータン国王に非礼の限りを尽くした民主党



私はタイムリーにテレビを見ることもないし、新聞も読んでいない、しかしこのニュースはあまりにも酷過ぎるし、あまりにも恥ずかしい。

民主党の非礼の限り

FNN
ブータン国王夫妻を歓迎する宮中晩さん会の閣僚欠席問題で、波紋が広がっている。
午後1時すぎ、JR福島駅で盛大な歓声を浴びるのは、来日中のブータンのワンチュク国王夫妻。
18日は、東京駅から東北新幹線に乗り込み、震災と原発事故に揺れる福島県を訪問した。
一方、永田町では、16日にブータン国王夫妻を歓迎する宮中晩さん会を欠席し、民主党の同僚議員の政治資金パーティーで、「私は、こちらの方が大事」とあいさつしていた一川防衛相が、ワンチュク国王とは対照的に罵声を浴びせられていた。
一夜明けた18日、一川防衛相は「官房長官から『厳重に注意するように』という、注意を受けていますので、そのことは、その段階で、しっかりとこれから反省したいと(伝えた)」と述べた。
そして、一川防衛相と同様、宮中晩さん会を欠席していたことが明らかになった川端総務相や、細野環境相、山岡国家公安委員長らも、公務や先に交わしていた約束を優先して欠席したと釈明に追われた。
山岡国家公安委員長は「拉致問題などで、面談や協議が立て込んでいたから」、細野環境相は「ごみの広域処理問題を優先した」、川端総務相は「前から予定していた公務があったから」としている。
しかし、川端総務相の公務の内容は明らかになっていない。
これらの問題について、藤村官房長官は17日、「(晩さん会には)できるかぎり、出席したほうがいいとわたしは思いますが、やはり仕事の都合等で出られないことは、過去も多々あったようでした」と述べた。
さらに、石原都知事も晩さん会を欠席したという。
石原都知事は18日、「国家のために大事な話をするため、そっちに行きました。そこに出席するよりも、資金パーティーに出るほうが、プリファラブル(望ましいこと)だったということは、それは出た会合の人たちへのリップサービスにしても、わたしは軽率だったと思う」と述べた。
そして一部報道で、蓮舫行政刷新担当相が宮中晩さん会前のカクテルパーティーに出席中、携帯電話を使っていたと報じられた。

蓮舫行政刷新担当相は「ブータン国王ご夫妻の御前ならびに、晩さん会では、一切使っていません。おそらくご指摘は、招待客が集まる控えの間のことではないかと思います。そこでは、確かに使用しましたが、配慮はしています」と述べた。


何と言う非礼此処まで劣化しているのか、陛下の前で居眠りしてみたり、早く座れよと言ってみたり、政治資金パーティーの方が大事、携帯電話まで使ってしまう、これは恐らく日本人ではないでしょう、何だ!!日本人じゃなかったのか通りで。
とこの様には終われない、れっきとした日本人なのである、忙しいや、仕事や等の言い訳は礼を尽くした立派な大人ならば、その様な発言は出来ないはずです、もしアメリカの大統領と会うとしたら?恐らく属国根性丸出しで是が非でも会うことでしょう。
先帝陛下の崩御の際は国を挙げて喪に服してくれたブータン、又東日本大震災の翌日2011年3月12日、ブータンでは国王主催の「供養祭」が挙行され、さらに3月18日、国防費1500万ドルの国が義援金100万ドルを日本に贈ったのです。
その国王が来日しているというのに、何と言う非礼の限り、率直に日本人をやめて貰いたい。



宮内庁
国賓 ブータン国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成23年11月16日(水)(宮殿)

(御名代皇太子殿下のご代読)

国王王妃両陛下をお迎えするこの席において,私自身歓迎の言葉を申し上げるべきところ,病気のため,かなわぬことになりました。誠に残念に思い,その失礼をお詫(わ)びし,皇太子に私の言葉の代読を依頼いたします。

この度,ブータン王国ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王陛下が,ジツェン・ペマ・ワンチュク王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。この御訪問は,当初,本年5月に国王陛下を国賓としてお迎えする行事として予定されていましたが,東日本大震災のため,陛下の深い御理解を得,半年を経た今日まで延期のやむなきに至っておりました。この間,貴国においては去る10月,陛下と王妃陛下の御成婚の儀がめでたく執り行われ,ここに,御成婚間もない国王王妃両陛下をお迎えできますことを,誠に喜ばしく思います。

去る3月の東日本大震災に際しては,国王陛下から,私に対し,2度にわたって哀悼とお見舞いのお気持ちをお伝えいただき,また,日本赤十字社に対して心温まる御支援を頂きました。さらに,震災直後の3月12日には,ティンプー市内で国王陛下の主催により,災害における犠牲者に対する追悼式が行われた他,貴国の各地で追悼式や様々な募金活動が行われました。貴国から頂いた,このように誠に心のこもったお見舞いと支援に対して,改めて私どもの深い感謝の意を表したいと思います。

振り返りますと,皇后と私が初めて貴国王室の方とお会いしたのは1975年,皇太子・皇太子妃の立場としてネパール国の今は亡きビレンドラ国王の戴冠式に参列した時のことでした。この時,貴国を代表して出席されましたのは,前国王陛下の姉君,貴陛下の伯母君に当たられるデチェン・ワンモ・ワンチュク王女殿下でいらっしゃり,まだ20代になられたばかりのお若さながら,その立派な立ち居振る舞いで,参列者一同の注目を集めておられました。私どもはすぐに親しくなり,ネパールを発(た)つ前には日本大使公邸にお招きし,朝食を共にいたしました。

陛下にお目にかかりましたのは,その時から31年の後,今から5年前,現在洪水の被害が深く案じられているタイ国バンコクにおいて,プミポン国王陛下御即位60年慶祝式典が挙行された折のことでした。当時,まだ皇太子でおられた陛下と,チャオプラヤ川を進む美しいロイヤル・バージを展望するなど,式典の様々な行事に御一緒したことが思い起こされます。

御父君のジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王陛下には,昭和天皇の崩御に際し,大喪の礼に御出席いただき,また,私の即位の礼にも御列席いただいたことを,深く感謝しております。前国王陛下が,お元気にお過ごしでいらっしゃると伺い,誠に喜ばしく思います。また,前国王陛下にお招きいただき,これまで,皇太子と秋篠宮同妃が,貴国を訪問いたしましたが,それぞれの訪問に際し,ブータン王室から温かいおもてなしを頂いたことに深く感謝いたします。

本年は,貴国と我が国の間の外交関係樹立25周年に当たりますが,両国間の交流は,外交関係樹立以前から行われていました。植物学者の中尾佐助氏は,1958年に貴国に数箇月間滞在し,翌年,貴国の状況を本格的に紹介する書物を著しましたが,これは,我が国国民にとり,貴国のことを知る上で,初めての本となり,私もまだ若かった20代にこの本を味わい深く読んだ思い出を持っています。中尾氏は,両国の照葉樹林の植生の共通性や,貴国の風習や習慣,豊かな自然について驚きと感慨を持って観察し,また,竹細工,漆器,手漉(す)き紙などや,段々畑,棚田,米,麦,蕎麦(そば)の作付けなど,我が国にも通じる貴国の伝統工芸や伝統的農業についても,興味深い記述を残しました。

さらに,両国の交流の歴史で忘れてはならない一人に,1964年にコロンボ計画の農業専門家として貴国に派遣された西岡京治(けいじ)専門家がおります。西岡専門家は,その生涯を通じて,貴国の農業振興に貢献した功績がたたえられ,前国王陛下より,「ダショー」の称号を授けられました。ダショー西岡の意志を受け継いだ人たちが,現在では貴国政府・関係機関の要職を占め,貴国の農業発展のために日々活躍していると聞き,心強く思っています。

貴国では,1990年代の終わりから,王制から立憲君主制への移行準備が進められ,2008年に,議会制立憲君主制への移行が,平和裡(り)に実現されました。この過程において,国王陛下御自身,皇太子として,また即位後は国王として,全国を行脚され,民主化の重要性について国民との対話に努められたことに,深い敬意を表します。

前国王陛下が提唱された「国民総幸福量」は,貴国の国家運営の指針となり,貴国では経済成長を過度に重視せず,伝統的な社会や文化,自然環境の保護に十分注意を払った国づくりが進められています。我が国においても,「国民総幸福量」に学ぶところは大きいと受け止められています。

この度の御訪日を契機に,両国間の交流がますます活発になり,友好関係が一層進展していくことを望んでやみません。

我が国は,今,秋も深まり,美しい紅葉の季節を迎えております。この度の御滞在が実り多く,思い出深いものとなりますよう,期待いたしております。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下の御健勝と,ブータン国民の幸せを祈ります。


Remarks by His Majesty the Emperor at the State Banquet in Honor of His Majesty King Jigme Khesar Namgyel Wangchuck and Her Majesty Queen Jetsun Pema Wangchuck of the Kingdom of Bhutan (November 16, 2011)

It is most regrettable that, due to illness, I am not able to attend this State Banquet to offer my words of welcome in person to Your Majesties the King and the Queen. I would like to express my sincere apologies. I have asked the Crown Prince to read my words of welcome on my behalf.

I wish to extend a heartfelt welcome to Your Majesties King Jigme Khesar Namgyel Wangchuck and Queen Jetsun Pema Wangchuck of the Kingdom of Bhutan on the occasion of your State Visit to Japan. Initially, we were scheduled to welcome Your Majesty the King as a State Guest in May this year. However, because of the Great East Japan Earthquake, we unfortunately had to postpone the event, with Your Majesty's kind understanding, until today, half a year after the earthquake. In the meantime, the wedding of Your Majesties the King and the Queen was held in October in your country, and we are delighted to be able to welcome Your Majesties soon after your wedding.

After the Great East Japan Earthquake in March, Your Majesty the King graciously expressed your condolences and sympathy to me on two occasions and provided kind support to the Japanese Red Cross Society. On March 12, the day after the earthquake, Your Majesty hosted a memorial ceremony in Thimphu for the victims of the disaster, and other memorial services and various fund-raising activities were held across Bhutan. I would like to reaffirm our deep appreciation for the heartfelt sympathy and support that your country has extended to Japan.

Looking back at our relationship, the first time the Empress and I met a member of the Royal Family of Bhutan was in 1975, when we attended the Coronation of the late King Birendra Bir Bikram Shah Dev of Nepal. At that time, we were Crown Prince and Princess. Bhutan's representative at the coronation was Her Royal Highness Princess Dechen Wangmo Wangchuck, who is your aunt and an elder sister of His Majesty former King Jigme Singye Wangchuck. Although she was still in her 20s at that time, all those attending the coronation were impressed by her dignified demeanor. We immediately developed a friendship with the princess and, before we left the country, we invited her to breakfast at the residence of the Japanese Ambassador to Nepal.

Thirty-one years later, that is, five years ago, we met Your Majesty the King for the first time in Bangkok, Thailand - where flood damage is now raising grave concern - on the occasion of the ceremony to celebrate the 60th anniversary of His Majesty King Bhumibol Adulyadej's accession to the throne. I remember various events and scenes from the ceremony which I attended and watched together with Your Majesty, who was Crown Prince at that time, including a view of the beautiful royal barge that sailed down the Chao Phraya River.

Your father, His Majesty former King Jigme Singye Wangchuck, attended the Funeral Ceremony of my father Emperor Showa, and the Ceremony of my Accession to the Throne, for which I am most grateful. I am delighted to learn that His Majesty is in good health. At the invitation of His Majesty, the Crown Prince and Prince and Princess Akishino have visited your country, and I am deeply grateful for the warm hospitality that they received from the royal family of Bhutan during their respective visits.

This year marks the 25th anniversary of the establishment of diplomatic relations between our two countries. However, there have been mutual exchanges between our countries since before the establishment of diplomatic relations. A Japanese botanist, Professor Sasuke Nakao, spent several months in your country in 1958 and the following year wrote a book that provided the first full account of Bhutan in Japanese. It was through this book that the Japanese people learned about Bhutan, and I, too, remember reading and enjoying the book in my 20s. Professor Nakao was surprised and impressed to observe the commonality of the vegetation of the broad-leaved evergreen forests in Bhutan and Japan, as well as Bhutan's manners and customs and bountiful nature. He also made interesting observations relating to the common features of the traditional crafts and agriculture of our two countries, including bamboo work, lacquerware and handmade paper as well as terraced fields and rice-paddies and the planting of rice, wheat, barley, and buckwheat.

Another person we must not forget in the history of our two countries' mutual exchanges is Keiji Nishioka, who was sent to Bhutan in 1964 as an agricultural expert of the Colombo Plan. His Majesty the former King awarded Mr. Nishioka the honorable title of "Dasho" for his life-long contributions to the promotion of Bhutan's agriculture. I am heartened to hear that people who have inherited Dasho Nishioka's spirit now hold important positions in your country's government and related organizations and are playing an active role in the development of Bhutan's agriculture.

In the late 1990s, Bhutan started making preparations for a transition from an absolute monarchy to a constitutional monarchy, and succeeded in achieving a peaceful transition to a parliamentary constitutional monarchy in 2008. I would like to express my deep respect for the fact that during that process, Your Majesty the King made a tour of the whole country, first as Crown Prince then as King after your accession to the throne, to engage in dialogue with the people on the importance of democratization.

Gross National Happiness, which was proposed by His Majesty the former King, has become a benchmark for the conduct of government policy in your country. Bhutan is promoting national development without placing excessive emphasis on economic growth and paying due consideration to traditional social values, culture, and conservation of the natural environment. In Japan, too, we realize that we have much to learn from this concept of Gross National Happiness.

I strongly hope that Your Majesties' visit to Japan at this time will lead to further mutual exchanges and greater friendship between our two countries.

In Japan, we are well into autumn, with leaves tinged in beautiful autumnal colours. I sincerely hope that Your visit will be a fruitful one that will leave Your Majesties with many wonderful memories.

I would now like to propose a toast to the good health of Your Majesties the King and the Queen, and to the happiness of the people of Bhutan.

2011年11月18日金曜日

TPP問題など


2008年食糧危機が起こりました、エジプトではパン屋に長蛇の列が出来、待てど暮らせどパンが買えないと子供を抱えた母親が泣いていました。その様な燻りが今年のアラブの春に繋がったわけですが、各地で暴動やデモが起き「パン屋はパンを売れ!」その時食料輸出国は何をやったか覚えているでしょうか、中国、インド、ブラジル、インドネシア、カンボジア、ベトナム等、穀物の輸出をストップしたわけです、勿論自国の国益を守るためその様な国を攻める事は出来ません。
しかしWTO加盟国等ではその様な事は許されないのですが、現状、誰が止めるのでしょうか?その様な人はいません、と言う事は緊急時には、やりたい放題だと言うことが分かったのです。
TPPに参加すれば日本の農業は壊滅状態になると言われております、他方で「良いじゃないか安い物が入ってくるのだから」と言う人もいます。日本では食料自給率が40%弱だと言われており、TPP加盟でこの自給率がますます減ることは間違いないでしょう。

近頃世界の人口が70億人に達したと言うニュースを見ました、今後世界の人口はドンドン増えてゆくことでしょう、そんな中でもし食糧危機などが起きたならば、日本はどの様に成るのでしょうか?

日本では2008年の食糧危機も又今年の津波の大災害時でも一時的には物がないという状態がありましたが、そんなに長い間物が無かった訳ではありません、私は現代の日本人は本当に物が無いと言う状態を経験していませんので、今後起こりうる食糧危機TPP加盟による農業の衰退、又他国からの輸出禁止この様な事態が起こった時TPP加盟国は輸入に頼っている日本を助けてくれるのでしょうか、其れは無理でしょう、助けてくれ云々の前に売国商人の言う事など無視してTPPには参加しないという事が先決だと思います。

よく言われる韓国は参加して然も儲かった的発言やバスに乗り遅れる的発言、乗り遅れて結構じゃありませんか。

野田首相は事前協議に参加すると表明いたしました、可也アメリカの圧力が有ったのだろうと思いますが、参加したが最後日本の官僚も政治かもアメリカにエクスキューズをいえる力など持ち合わせておりません、ウスバカゲロウの幼虫が待っている蟻地獄に落ちて行く蟻と同じなわけです。悲しいかなアメリカがいう事には絶対逆らえない訳です、一連の参加する否か、これは日本政府が国内向けに茶番をやっていたと言うことです、もしアメリカに駄々を捏ねれば、其れでおしまいだと言う事が民主党にも分かったのでしょう。しかしこの様な事が許されるのでしょうか、恐らく今時こんな事を言うと笑われるでしょうが、私は最終的には日本国民がアメリカと一戦交える覚悟が必要なのだと思うのです。



大使館からのお知らせ(危険情報)

タイ在留邦人の皆様へ

タイに対する渡航情報(危険情報)の引き下げについて
          (2011年11月16日現在)


 当国における洪水被害の現状を踏まえ、10月27日付をもって、首都バンコク、アユタヤ県、パトゥムタニ県、ノンタブリー県、ナコンパトム県及びサムットサコン県に対して「渡航の延期をお勧めします。」の危険情報を発出しました。同危険情報については、その国又は地域への渡航を予定している邦人に対して渡航の延期を勧めると同時に、既にその国又は地域に滞在する邦
人に対しては、邦人の「生命・身体」に直接的な危害を及ぼす事案が現実的に存在し、それがある程度継続する場合には、退避の可能性の検討や準備を促すメッセージを含むものです。当国における今次洪水被害については、現在の危険情報のレベルに引き上げた時点においては、「生命・身体」に直接的な危害を及んでいたというよりは、むしろ、洪水被害がさらに拡大する場合には、「生命・身体」に対する危害が直接及ぶ可能性があったため、「渡航の延期をお勧めします。」との危険情報を発出したものです。一方で、現下の洪水被害の状況は、拡大から縮小の方向に転じ、改善してきています。今後、仮に、想定外の事態が生じ再び洪水被害が拡大したとしても、その際の被害の程度は、「生命・身体」に直接危害を及ぼすようなものではなく、むしろ「日常生活に多少の不便・不都合」が生じる程度のものであると判断し、今般、以下のとおり、危険情報の引き下げを行いました。


1.首都バンコク(プラナコーン区、ドゥシット区、バーンラック区、バーンカピ区、パトゥムワン区、ポムプラーブサットルーパーイ区、プラカノーン区、ヤンナワー区、サムパンタウォン区、パヤタイ区、トンブリー区、ファイクワーン区、クロンサーン区、ラートブーラナ区、ディンデーン区、サートーン区、バーンコーレーム区、プラウェート区、クロントゥーイ区、スワンルアン区、ラーチャテーウィー区、ワッタナー区、サパーンスーン区、ワントーンラーン区、ラートクラバン区、バーンスー区、バンナー区及びトゥンクル区)(*11月15日現在バンコク都から対象となる区の全域又はその一部の地域に対して「退避勧告」が発出されていない地区)
:「十分注意してください」(渡航される方は、情報収集・把握に努め、洪水被害に巻き込まれることのないよう安全対策を講じて下さい。また,既に滞在中の方は,洪水被害に巻き込まれることのないよう安全対策を講じるとともに,情報収集・把握に努め,洪水状況の推移・見通しに注意を払いつつ,自らの安全確保に努めてください。)


2.首都バンコク(ノンジョーク区、バーンケーン区、ミンブリー区、バンコクヤイ区、タリンチャン区、バンコクノーイ区、バーンクンティエン区、パーシージャルン区、ノンケーム区、バーンパラット区、ブンクム区、チャトゥチャク区、ジョムトーン区、ドンムアン区、ラートプラーオ区、バンケー区、ラクシー区、サーイマイ区、カンナヤーオ区、クロンサムワー区、タウィーワッタナー区及びバーンボーン区)(*11月15日現在バンコク都から対象となる区の全域又はその一部の地域に対して「退避勧告」が発出されている地区)
:「渡航の是非を検討してください。」(渡航される方は、情報収集・把握に努め、洪水被害に巻き込まれることのないよう十分な安全対策を講じてください。また、既に滞在中の方は、洪水被害に巻き込まれることのないよう十分な安全対策を講じるとともに、洪水状況の推移・見通しに注意を払いつつ、滞在先周辺に浸水被害が及ぶおそれが認められる場合には、安全な場所の確保若しくは安全な地域への移動など自らの安全確保に努めてください。)

3.アユタヤ県、パトゥムタニ県、ノンタブリー県、ナコンパトム県及びサムットサコン県
:「渡航の是非を検討してください。」(渡航される方は、情報収集・把握に努め、洪水被害に巻き込まれることのないよう十分な安全対策を講じてください。また、既に滞在中の方は、洪水被害に巻き込まれることのないよう十分な安全対策を講じるとともに、洪水状況の推移・見通しに注意を払いつつ、滞在先周辺に浸水被害が及ぶおそれが認められる場合には、安全な場所の確保若しくは安全な地域への移動など自らの安全確保に努めてください。)


【外務省海外安全ホームページ関連部分】
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcmap.asp?id=007&infocode=2011T199&filetype=1&fileno=2


在タイ日本国大使館
○領事部
電話:(66-2)207-8502、(66-2)696-3002(邦人援護)
FAX :(66-2)207-8511
○経済部(日本企業支援センター、夜間は上記連絡先に願います)
電話:(66-2)207-8595
FAX :(66-2)207-8517
○日本大使館ホーム・ページ
「タイ洪水被害関連情報」
http://www.th.emb-japan.go.jp/
○Twitterを開始いたしましたので、こちらも参照してください。
http://twitter.com/#!/japanEmb_Thai

2011年11月13日日曜日

日露首脳会談

静かな環境の下で解決に向けた実質的な議論
僕は政治的日程やその他のことは分からない、何かその様な環境や会談が予定されているのだろうか、それとも話だけなのだろうか?「あらゆる分野で協力関係をやりたい」、野田首相は色んな事を言っておりますが、ロシアとはあらゆる分野で協力関係をしないことが北方領土が帰ってくる一番の近道ではないでしょうか、又ロシア政府を代弁するロシアの声は経済関係以外はまったく興味をしていませんと言う論調です。

産経新聞

日露首脳会談 首相、領土問題解決に意欲も…問題の再確認に終始

野田佳彦首相は12日午後(日本時間13日午前)、ロシアのメドベージェフ大統領とホノルル市内のホテルで会談した。首相は北方領土問題を解決して平和条約を締結することに意欲を示した。ただ、両首脳は問題解決の必要性を再確認するにとどまった。

 北方領土問題について首相は「交渉は日露両国で達成された諸合意に基づいて行う必要がある」と強調。同時に「静かな環境のもとで解決に向けた実質的な議論を行いたい」と述べると、大統領はこれに同意した。

 日露関係について首相は「アジア太平洋を取り巻く安全保障環境が大きく変わりつつある中で、あらゆる分野で協力関係を拡大し、真の友好関係の構築を目指したい」と述べた。大統領は「日露間の政治対話が発展していることを歓迎している。外相レベルの対話や議員交流などさまざまなチャンネルを活用したい」と応じた。

 両首脳はまた、安全保障分野で防衛当局による対話を進めることで一致。サハリン沖の石油・天然ガス事業などを念頭に、エネルギー分野の協力を推進していくことでも合意した。

 大統領は首相のロシア訪問を招請し、首相は「感謝する。検討したい」と答えた。


ロシア政府を代弁するロシアの声

露大統領:クリル問題に関わらず経済関係発展必要

 ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ大統領は、ハワイのホノルルで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力)実務サミットの参加者らの質問に答えた中で、クリル諸島を含むロシアへの日本からの投資を歓迎するとの考えを明らかにした。

 大統領は、「我々は日本からの投資を待っている。」と強調した上で、日本の野田首相との会談では、経済プロジェクトに関しても話が及んだと指摘している。

 メドヴェージェフ大統領は、平和条約問題および領土問題が両国の関係を妨げていることに触れたなかで、ロシアのクリル諸島に関する立場は変わらないものであり、歴史的事実および文書に基づいたものだと強調した。

 大統領は、経済関係こそが最終的には両国関係の発展を促すものだ、と述べている。


 「我々は日本からの投資を待っている」、と言っている通り、これはロシア人にとって最高のアプローチなのです、この様なアプローチには乗らない、石油が出る天然ガスが出ると言ってもモスクワだけは潤っているかのようですが、車で2時間も走れば、乞食のような生活をしている様な者ばかりなのです、日本からの投資が喉から手が出るかの如く欲しくてたまらないのです。
日本人のアキンドにはたまに経済と政治は別だなどと言う輩も居ますが、ロシア連邦に限ってはその様なことは通用しません。
此処は一つ民主党の皆様には「静かな環境の下解決に向けでジックリ頭を冷やされて」お考えになった方が得策と考えます。

2011年11月12日土曜日

大使館からのお知らせ

「洪水発生時に起こりうる感染症についての注意喚起」についての補足説明
(2011年11月11日現在)

10月28日付大使館からのお知らせ「洪水発生時に起こりうる感染症についての注意喚起」発出後、在留邦人の方から多くの問い合わせが寄せられていますので、次のとおり補足説明をします。

お知らせ発出の経緯
被災地域では汚水の貯まった状態が長期間続いていることから、衛生状態の悪化が懸念され、念のため起こりうる感染症について前もって注意喚起をしました。現在のところ、洪水による特定の感染症の流行の報告があるわけではなく、またお知らせを発出した時期に特に感染症の流行が懸念されたわけではありません。

1.起こりうる感染症について
①コレラ、A型肝炎、腸チフス等
②レプトスピラ症、結膜炎、破傷風等
③デング熱、マラリア等
④インフルエンザ等

2. 一般的に洪水発生時に起こりうるものとして①~④を記載しました。
いずれもタイ保健省の統計では、普段ある程度タイ国内で患者数発生がみられるもので、特別なものではありません。
今後衛生環境が悪化する場合には、ある程度の感染症の流行が起こる可能性はありますが、適切な予防策をとっていれ ば、相当程度防ぎ得るものと思われます。

3.予防策について
手洗いの励行や飲食物の注意等、いずれも基本的なもので、特別なものではありません。普段からタイで生活するうえで気をつけるべきものとほぼ同じであるとも言えます。
上水の汚染を心配される方もいますが、少なくとも現時点で上水の水質は概ね安全ということであり、これだけでも上記①の感染症の流行の可能性はかなり低くなります。また飲用にはボトル水を利用することをおすすめします。
また、洪水の水のなかにはできる限り入らないのが一番です。入らざるをえない場合、汚水にさらされた後は十分に洗い流すことが重要です。その後に発熱等なにか症状がある場合には、速やかに医療機関の受診をおすすめします。

4.ワクチンについて
洪水時に限らず普段からタイで生活するうえでは、A型肝炎、B型肝炎、および破傷風のワクチン接種をすすめています。洪水時に破傷風が増えるという報告は特にありませんが、状況的に水の中を歩いたり洪水後の作業をしたりすれば、何かを踏んで破傷風に感染する可能性は普段よりは増えるものと考えられます。なお、それぞれのワクチンの詳細については、こちらのサイトをご参照ください。

5.その他
疲労等で免疫力が下がると、それだけで感染の危険度は増えます。インフルエンザを含め風邪や胃腸炎が増加する等、災害時における感染症という面では、実際にはむしろこちらの要因によるものの方が、発生件数としてはずっと多いものと思われます。十分な休養を取り、心と体の健康の維持に気をつけていただければと思います。

6.まとめ
衛生環境の悪化により、被災地域での感染症の流行は多かれ少なかれ予想されますが、基本的な感染予防の注意をしていれば、ただちに邦人社会に大きな流行が及ぶ危険性は高くないものと思われます。過度な心配や不安を抱くことなく、普段の日常生活の中で、適切な予防対策を取るよう心がけていただければと思います。

(問い合わせ先)
在タイ日本国大使館
  ○医務官宛
電話:(66-2)696-3000, (66-2)207-8500 (代表)
FAX:(66-2)207-8511(領事部)


twitter
Japan-Embassy Thai
@JapanEmb_Thai Bangkok, Thailand
在タイ日本大使館のツイッターです。タイ政府等が発表する洪水関連情報のポイントを仮訳したhttp://www.blogger.com/img/blank.gifものも発信しています。情報の詳しい内容については、タイ政府等の公式発表でご確認下さい。メッセージへの返信は行えませんのでご了承下さい。
http://www.th.emb-japan.go.jp

2011年11月1日火曜日

セデック・バレ賽德克-巴莱

10月23日台湾鳥来にて

高砂義勇隊記念碑に慰霊、ここも物凄く体力が要りました、台北駅から淡水線に乗って古亭へ、古亭で乗り換え新店線に乗って新店まで、駅前から鳥来行きのバスに乗って約40分、台北からバスも出ているのですがこちらは約1時間30分。

鳥来高砂義勇隊の慰霊碑がある場所までは、鳥来から歩くこと30分、トロッコ列車の駅がある、其処でトロッコ列車に乗り約2-3キロ、お土産店などが並んでいる所から、其処から又山道を歩くこと30分、以前は手前に有ったらしいのですが、撤去命令がで、此方に移転したと言う事でした。







高砂義勇隊
「高砂族」とは、タイヤル族、アミ族など台湾原住民11部族の戦前の総称。当時の高砂族約15万人中6千名が志願して大東亜戦争に参加、約半数が散華。高砂義勇隊の活躍には目を見張るものがあり、日本兵はおおいに勇気付けられた。

蔡焜燦氏は高砂義勇隊について、このようにおっしゃっています。

高砂の人達はたいへん勇猛な戦士だったんです。何千人もが軍の募集に志願して、中には血判書を持ってやって来る者も多かったといいます。これには軍の方がびっくりしたぐらいですよ。・・・高砂の兵隊は、忠誠心が強かった。ジャングルの生活に慣れた彼らは食料調達もやったんだね。彼らは日本の兵隊に食べさせるために必死で食料を探したんです。そしてこの食料調達の途中で高砂の兵隊が餓死したことがありました。それも両手に食料を抱えたままね。高砂の兵隊はそれを食べれば死なずにすんだのに食べなかった。日本の戦友に食べさせるものだから自分は手を付けずに餓死を選んだんですよ。戦友愛、ハイ、それは立派でした。
井上和彦「親日アジア街道を行く」より引用


セデック・バレ

『海角七號』を制作した魏德聖監督の2011年最新作『セデックバレ』

タイトルになっている「セデック・バレ」は原住民の言葉で「真の人」の意です。セデック族の男性は首を刈る事で一人前の男「セデック・バレ」になることが できその証として顔に入れ墨をいれる習慣がありました。彼らは虹を信仰の象徴としていて死後虹の橋を渡り先祖の家(天国)に帰るのですがその際に額の入れ 墨が橋を渡る資格になるとのこと。また女性は男性の着物を織れるようになると顔に入れ墨を入れていたそうです。


「虹の橋の一族の地に、
太陽の一族がやって来た。
彼らは虹と太陽は一つの空にあることを忘れていた…」


 確かに抗日映画であるが 日本のメディアが紹介するように『セデックバレ』は「反日映画」ではありません、「海外では残酷シーンが多すぎで民族主義の過剰などで酷評されてい る」ようです特に中国人評論家、又この映画で面白かったのは原住民語と日本語で構成されているので台湾人は字幕が無いと理解しにくい、私もそうで有りましたが。日本と台湾の歴史を理解する上で日本の人々には是非とも見てほしい作品だと考えます。前編後編合わせて4時間20分の大作です。日本で無事公開されることを望みたいと思 います。


霧社事件
暴動の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に日本人巡査が原住民の若者を殴打した事件である。その日、巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。巡査を宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(霧社セデック族村落の一つマヘボ社のリーダー)の長男、タダオ・モーナが巡査の手を取ったところ、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキでタダオを叩いた。侮辱を受けたと感じたタダオは巡査を殴打した。この殴打事件について警察からの報復をおそれた人々が、特にモーナ・ルダオは警察の処罰によって地位を失うことを恐れ、暴動を画策したと言われている。

霧社事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/霧社事件