2010年11月25日木曜日

延期になっていたトラサミットがロシアで開催

【台湾人日本兵】消えゆく歌声


ルマガ「遥かなり台湾」より転載


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毎年11月25日は台中にある宝覚寺で台湾籍日本軍人軍属戦没者慰霊祭が挙行されています。この慰霊祭に平成11年から毎年欠かさず日本の福岡から日華(台)親善友好慰霊訪問団(小菅亥三郎団長)が参列しています。今年で12回目となる訪問団は「台湾同胞の英霊3万3千余柱の顕彰するために、台湾各地の日本人慰霊碑やその関連施設を訪れ、これまで現地関係者との親密な交流を深めてきた」のです。
台湾籍日本兵の高齢化に伴い、毎年参加できる人たちが少なくなっている現況において訪問団の参列は大きな存在となっているのです。

過日、図書館で台湾籍日本兵に関する本を探していたら、偶然にも『台湾光華雑誌2005年9月号』に「消えゆく歌声」というタイトルの下記のような文章を目にしました。

◆◆消えゆく歌声~台湾籍日本兵のラバウル小唄◆◆ラバウルは、パプアニューギニアのニューブリテン島にある。第二次世界大戦で重要な軍事基地だったこの地は、連合軍との戦いで多くの日本兵が命を落としたことで知られる。が、彼らの中に日本の軍服を来た「台湾人」が多く混じっていたことを、あなたはご存知だろうか。「今でも自分が戦地にいる夢を見て、台湾に帰ったはずなのに、なぜまだここにいるのかと自問していることがあります」と言うのは83歳の台湾籍元日本兵である劉英輝さんだ。劉さんにとって60年前のあの戦争は過ぎ去ったことではない。

●埔里の40人1943年(昭和18年)4月25日、「台湾第三回特設勤労団」として埔里出身の19~20歳の若者40名は、高雄港から輸送艦で出発した。マニラ、パラオを経て一ヵ月後にラバウルに到着、7129部隊の103兵站病院に配属された。出発前、神社に参拝をすませて出征する彼らを、沿道では埔里酒造所の従業員や学生たちが日の丸を振りながら見送った。だが劉英輝さんの妻は見送りに行かず、四ヶ月になる長男を抱きかかえて家の中で懸命に働いていた。「そうするしかなかったのです。手を休めると涙が出てきましたから」と、84歳の夫人の脳裏に当時の記憶が鮮明によみがえる。40人の中には、日本人警官に半ば強制的に徴集された人もいたし、軍の俸給を得るために加わった人もいた。劉英輝さんの場合は「愛国心」のために仕事を捨て、家族の反対も顧みずに出征した。「あの時代、戦争に行くことは栄誉でした。お国のために、勝つためにと、そればかりを念じていました」と、劉さんは背筋を伸ばしたいつもの姿勢で語る。「軍服に着替えれば戦士です。殺すのでなければ殺される。そう考えていました」

●指一本の遺骨
ラバウルの野戦病院での仕事は死傷者を担いだり、防空壕を掘ったり、さらには畑で野菜を育てたりもする、まさに「特設勤労」だった。10万の精鋭部隊をラバウルに投入した日本軍だったが、連合軍の集中砲火に多くの死傷者が出た。「沖を見ると米軍の戦艦、航空母艦などが、まるで運動会で生徒が手をつないで並んでいるように連なり、空からは虫が卵を産むように無数の爆弾が降ってきました」と劉英輝さんは、戦友の潘友元さんといっしょに当時を振り返る。戦争末期は爆撃が激化、遺体を埋める仕事も忙しさを増した。「大きな穴一つに50人埋めるのですが、人数がそろうまでは椰子の枝や葉で穴を覆っておきました」「私たち台湾少年は本当に気丈なものでした。戦死者の手を切り落とすこともしたのですから」と劉さんは説明する。遺体を荼毘に付す油や木材も欠乏したため、手だけを切り取って火葬にし、遺骨として祖国へ送ったのである。「それも最期には指1本に限られてしまいました」という。1000体以上を荼毘に付したという辜文品さんは、今でも火葬場の近くで臭いを嗅ぐだけで体のどの部分が燃えているのかわかる。「最も燃えにくいのは心臓で、ガソリンを足す必要がありました」という。1945年8月15日、連合軍の捕虜として収容所にいた台湾籍日本兵たちも玉音放送を聞いた。「なぜ負けたのかと涙を必死にこらえました」と劉さんは言う。計30回組織された台湾特設勤労団では、死者が半数に及んだ回もあったが、幸いに劉さんたち40人は全員が無事だった。台湾へ戻る船上、南十字星を眺めながら、心は船よりも早く故郷に馳せていた。

●別世界
故郷に戻ってみると、日の丸に替わって青天白日旗が翻っていた。日本語で教育を受けた台湾日本兵たちは、新たな「国語」ができないため、元の職場に復帰できないことが多かった。酒造所で働いていた劉さんも家で畑仕事をするしかなかった。潘友元さんの場合はさらに悲惨だった。命からがら故郷に戻るや二二八事件が勃発、それに続く全国的な粛清で投獄されたのである。「『爪の手入れだ』と言われては爪の下に針を刺され、『飛行機に乗せる』と言われては逆手に縛られて天井から吊るされました」と、拷問の様子を語る。
先住民平埔族の血を引く潘さんはその大きな目を見開いて「あの時、一回死んだようなものです」とつぶやく。
「違法に銃弾を保持していた」という当時の判決は未だに無実が晴らされず、名誉回復もなく、潘さんは人生の半分以上をくず拾いでしのいできた。

●鬱積する思い
「悔しいです。戦場での命からがらの経験に耳を傾けてもらえないどころか、国民政府とともに来た外省人からは『おまえら日本兵なんか』と罵られました」と劉さんはため息をつく。国民政府の教育を受けた子供たちも日本は悪いと言い、敵のために戦ったと父を批判した。賠償問題では日本への怒りもある。劉さんは「天皇のために戦ったのは同じなのに、日本人には当時の7000倍の額、台湾人には120倍しか賠償してくれません」と訴える。日本政府の仕打ちは、かつて日本の皇民であったという彼らの誇りを引き裂いた。多くの台湾籍日本兵は慰問金の受け取りを拒否している。「それぐらいで借りを返したと思って欲しくない」からだ。結局、日本からは「もう日本人ではないから日本が世話する必要はない」とされ、国民政府からは「敵のために出征した」と言われ、どちらからも顧みられず、彼らは時代に取り残された。今年、台湾団結連盟主席の蘇進強氏が日本の靖国神社に参拝したことについて、劉さんは「この60年で初めて、台湾の政治家が具体的な行動で台湾籍日本兵を肯定してくれた立派な行為だ」と感じている。おそらく何度も自問したことがあるであろう、「日本人のために出征したことを後悔していませんか」という問いに劉さんはしばらく考え、慎重にこう答えた。「私たちは日本時代に生まれ、日本の教育を受けました。日本人との間に差はあったとはいえ『台湾人』
とは呼ばれず、彼らを『日本人』と呼ぶこともなく、本島人や内地人と呼び合いました。支那事変(盧溝橋事件)が勃発し、当時の我々にとっての国家が中国と戦争をしたので、絶対負けてはならぬとお国のために戦ったのです」「あの時代に我々が自分のより所と見なしたもの、それが『日本精神』です。今なら『台湾魂』と言ってもいいでしょう。現代人のように『自分はなに人か』と悩むこともありません。国民政府とともに来た兵士たちは、かつては『反共、反共』と言っていたのに今では『大陸と和平を』などと、言うことがころころ変わります」と、彼らは時代とともに軽々と転向することなど思いもかけないようである。今年の夏、劉さんは孫を連れて日本へ行き、戦友に会い、愛知万博を見てくる予定だ。「日本の技術や礼儀正しさを孫に見せるつもりです。裕福になった台湾も礼儀を知らなくてはいけません」日本を見せると言うよりは、かつて日本兵であった汚名をそそぎたいのかもしれない。長年の沈黙の後、彼らは台湾籍日本兵が「悪者」ではないことを証明したいと思っている。

●最後の誕生祝い
戦後35年を経て戒厳令が解除され、民間で団体を組織することもタブーではなくなった時、埔里40名の元特設勤労団員は誕生会という名目で定期的に集まるようになった。年々人数が減り、現在「動ける」人はたっ8人、ほかに中風の人が2人となってしまった。そんな現状を見て、交流を続けてきた日本の「第十野戦気象隊隊友会」が、生活に困っている元日本兵に贈ってほしいと、最後の会費日本円15万を劉さんに託した。日本政府は責任を果たしたとは言えないが、戦友の情は厚い。だが、このような戦友会も姿を消しつつある。来年、劉さんは集まりの規模を大きくし、すでに亡くなった戦友の家族も招いて最後の会を行う予定だ。会では例年のように、当時南洋で大流行した「ラバウル小唄」を最初に斉唱する。

「さらばラバウルよ、又来るまでは。しばし別れの涙がにじむ。恋し懐かし、あの島見れば、椰子の葉かげに十字星」





トラを守れ!国際トラ会議によせて 
 ロシアの北の都サンクトペテルブルグでは現在、国際トラ保護会議が開かれている。
 トラは絶滅する確率が最も高い動物ではないが、国際社会の最も高いレベルで人間の尽力を結集させる運命を持つ最初の動物となった。

 サンクトペテルブルグでは23日、ロシアのプーチン首相を始め、バングラデシュ、ブータン、カンボジア、中国、インド、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、ネパール、タイ、ベトナムの13カ国の政府代表者らが、トラの保護に関する宣言に署名した。これは、野生のトラを絶滅から守るために各国の尽力結集を目的としたものだ。

 トラは現在、上記13カ国に生息している。アジアの象徴であるトラの運命は、まさにこの13カ国に委ねられている。今回の会議で掲げられている課題は、22年までに野生のトラの生息数を3500頭から7000頭にまで倍増させることだ。そのためには必要なのは何か。

 まずは、トラの生息圏を保護し、密漁を撲滅し、トラの毛皮やトラ製品の不法売買を防ぐことだろう。トラの生息地に隣接する地域に住む人々は、生物の多様性の保護に関心を示している。自然保護区域に産業やその他の施設を建設する際には、環境に関する要求を一段と厳しくし、施設などの稼働状態を管理することも重要だ。トラの生息数の増大およびトラの移動に関するモニターリング活動では、国際協力を組織することも必要となる。サンクトペテルブルグで開かれている会議の参加者たちは、今回練り上げられた戦略が、多岐にわたる問題の解決を助けるであろうと期待を抱く。

 世界銀行の「グローバル・トラ・イニシアチブ」プログラムの責任者ケシャフ・ヴァルマ氏は、この問題に関して次のように語る。

 ―トラの問題が解決された後では、ヒョウやその他の野生動物の救済に向けて進むことができる。トラの救済は、我々に共通する環境問題について合意し、解決する事に関する人類の能力を示す指標となるだろう。

  ロシアはトラの救済に積極的に取り組んでおり、自国の経験を他の国と分け合う用意がある。ロシア天然資源環境省・環境保護分野における国家政策局のアミルハノフ副局長は、次のように語る。 

 ―トラの個体数を倍増させるという課題は、非常に壮大なものだが、ロシアではこれが可能だ。例えば、すでにトラが生息していない南中国などの地域では、この課題の遂行が難しいと考えられる。イランとカザフスタンの代表者たちは、以前に両国に生息していたカスピトラを復活させる期待を表明した。我々がロシア極東でアムールトラの生息数増加に成功した場合には、他の国家にも援助することが出来るだろう。

 アジア諸国では現在、経済が急速に発展している。これらの状況の中で最初の課題となるのは、生物の多様性の保護だ。各国の代表によって署名されたサンクトペテルブルグでの宣言が、自然保護活動における国際的な協力基盤となることに期待がもたれている。


プーチン首相 ディカプリオさんとトラの保護問題を協議

 ロシアのプーチン首相は23日夜サンクトペテルブルグで、米国の人気俳優レオナルド・ディカプリオさんとトラの保護問題について話し合った。同市では現在、国際トラ会議が開催されている。ディカプリオさんは、この会議に出席するため同市を訪れた。
 同会議には、野生のトラが生息する世界13カ国の代表者、自然保護分野の主要な専門家らが出席している。

 プーチン首相は、ディカプリオさんにロシアでトラ支援プログラム創設のアイデアが誕生した経緯について語ると共に、ディカプリオさんがトラの保護問題に取り組むきっかけに関心を示した。

 首相からの問いかけに対してディカプリオさんは、トラの保護を訴える専門家らから話がもちかけられたことや、トラが生息するインド、インドネシア、ネパールへの訪問について語った。

 プーチン首相は、ディカプリオさんがロシアに到着する過程で見舞われた災難についても質問した。ディカプリオさんは、会議に出席するためニューヨーク発の旅客機に搭乗したが、同機では飛行中にエンジンの1つが故障、空港に引き返し緊急着陸した。ディカプリオさんは別の便に乗り換えたが、大西洋上で燃料不足となり、燃料補給のためにヘルシンキに降り立ったという。

2010年11月18日木曜日

ロイクラトン2010 スケジュール

大使館からのお知らせ

タイ在留邦人の皆様へ

      【大使館からのお知らせ】
                    緊急一斉メール

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反独裁民主戦線(UDD)によるデモ集会実施に関する注意喚起
(11月17日現在)

1.治安当局によれば、19日(金)、反独裁民主戦線(UDD)は、5月19日のUDDデモ終結から6ヶ月を迎えることを受け、以下の通りデモ集会を行う模様です。
 【UDDデモ集会予定】
◎ 日  時 11月19日(金)18時~19時
◎ 場  所 ラチャプラソン交差点
◎ 人  数 約1万5千人が参集する可能性有り
◎ デモ概要 バンコク都周辺に存在するUDDメンバーを同交差点に集め、
     3月~5月のデモ行動期間における犠牲者の追悼を実施予定

2.バンコク都内は未だ非常事態宣言が継続発令中であり、上記のUDDのデモが予定されていることに加え、7月25日以降、不審な爆弾事件(爆発未遂事件を含む)が複数発生しています。このため、治安当局は公共施設等を重点警戒対象に指定し、警備強化を実施しています。

3.つきましては、19日(金)夕刻、ラチャプラソン交差点周辺では同デモ集会による交通渋滞が予想されることも含め、できるだけ近づかないようにし、止むを得ず、同付近に行かれる必要がある場合には、事前に報道等から最新情報の入手に努めるとともに、デモ活動に注意を払い、不測の事態に巻き込まれないようにしてください。

(問い合わせ先)
○在タイ日本国大使館領事部
 電話:(66-2)207-8502、696-3002(邦人援護)
 FAX :(66-2)207-8511


ロイクラトン


 バンコクのサンチチャイプラカーン公園、クルンテープ橋からクルントン橋までのチャオプラヤー川沿いで11月19日~21日、タイの灯籠流し「水の彩り、ロイクラトングフェスティバル2010」が開催される。

 観光年を記念して全国6カ所で開催するタイ国政府観光庁主催のロイクラトング祭り。スコータイやアユタヤでは王朝時代の歴史が感じられる伝統的な灯籠流しが行われるほか、チェンマイ、ターク、サムットソンクラームでもロイクラトングの盛大なイベントが催される。

 タイの灯籠流しには、川の女神コンカーへ川を汚したことを謝罪するという意味があると同時に、悪運を水に流すことができると考えられ、各地の川や水路などのほとりで行われる。

 バンコクでのハイライトはチャオプラヤー川で、電飾のイルミネーション船の水上パレードが行われ、両岸で無料観覧できる。今月中は、川沿いのホテルやビル、寺院などの歴史的建造物にイルミネーションがともされ風情ある景色を演出する。

 会場となる川沿いの公園では、タイダンスのショーや最近では珍しくなった懐かしいタイの伝統菓子などの店なども出店する。

 開催時間は18時~21時。詳しくはTATコールセンター(TEL 1672)まで。


各地のロイクラトン祭りの日程は下記の通りです。

<北部>
●スコータイ
日程:2010年11月21日(日)
場所:スコータイ歴史公園
ハイライト:クラトンとコムローイ(ランタン)作り大会、伝統的な灯篭流し、光と音の祭典
●ターク
日程:2010年11月21日(日)
場所:ピン川沿い
ハイライト:8,000個のクラトンサーイを流すターク県民による灯篭流し大会
●チェンマイ
日程:2010年11月21日(日)
場所:ターぺー門近辺及び市内
ハイライト:クラトンによるパレードとミス・イーピン・コンテスト

<中部>
●バンコク
日程:2010年11月17日(水)~21日(日)
場所:サンティ・チャイプラカン公園
ハイライト:17日に行われる美しく電飾された船の行列
●アユタヤ
日程:2010年11月21日(日)
場所:バンサイ・ハンディクラフト・センター
ハイライト:クラトンのコンペティション
●サムット・ソンクラーム
日程:2010年11月21日(日)
場所:アンパワー地区
ハイライト:バナナの葉で模られたオリジナルのクラトン流し

*お祭りは記載された日程とその前後でも行われる予定です。ただし、日程等は変更になる場合がございます。予めご了承ください。

スリン 象祭り 2010


その昔、象とともに生活していたスリン県のクワイ(スワイ)族。
スリン象祭りでは、当時をしのんで象がスリンに集結、街を練り歩きます。

ナロン・スタジアムで行われるエレファントショーでは、サッカーやゲーム、象に乗って行われていた古代戦闘の様子を再現したデモンストレーションなど見応えのあるパフォーマンスが繰り広げられます。

今年は、2010年11月11~20日に開催。
エレファントショーは、2010年11月13日(土)、14日(日)の2日間行われます。

2010年11月17日水曜日

広州アジア大会、ルール逸脱の“愛国”行為横行

東京新聞

広州アジア大会で中国選手団や観客らによるルールを逸脱した“愛国”行為が横行し、他国の選手らが冷たい視線を投げかけている。大会幹部は開幕前「金メダル数にはこだわらない。ホスト国にふさわしい、温かいもてなしと大人の対応をする」と語っていたが…。

 十六日のセパタクロー男子団体予選、マレーシア対中国では、試合開始時間になっても審判団が現れなかった。大会関係者に聞くと「中国チームが主審を中国人に代えろと急に言いだしまして」。

 さすがに主審の変更は認められなかったが、線審二人は中国人で、ライン際のボールをことごとく中国に有利に判定。試合は中国の“工作”も実らずマレーシアが勝ったが、「勝つためには何でもありなのか」と関係者はため息をついた。

 十三日に全五種目があったダンススポーツでは、採点者の印象に残りやすく有利とされる最終演技者は、すべて中国チームだった。演技順は抽選で決めるが、五種目全部で中国が最終になる確率は七千七百七十六分の一。その結果、中国勢がすべての金メダルを獲得した。日本チーム関係者は苦笑いを浮かべるだけだった。

 応援もすさまじい。競泳会場の中国応援席には、使用禁止の太鼓が持ち込まれ、中国選手の登場のたびに大きな音で連打。持ち込んだ経緯を聞こうと、応援席に近づくと「日本人はあっちへ行け」。入場ゲートの安全検査員も知らんぷりだ。

 運営スタッフの公私混同も。卓球会場では、ボランティアが観客席の最前列に陣取り、頭の上で大きく手をたたき、「中国、頑張れ」と応援を統率。近くにいた国際大会の取材経験が豊富な外国人記者らは「ありえない」と首を横に振った。


日本男子敗れ1勝1敗に=アジア大会・セパタクロー

 セパタクローは17日、男女団体1次リーグが行われ、男子B組の日本はマレーシアに0-3で敗れ、1勝1敗となった。

 セパタクローは事実上の世界大会であるから、世界チャンピオンのマレーシアにいくらもがいても支那など勝てるはずがない、セパタクローもダンススポーツも観ていましたが、タイの解説者も少々呆れ気味に解説していたような気がしました。

村本さん銃撃、治安部隊の可能性…タイ局長言及

タイ特別捜査局(DSI)幹部は16日、記者会見し、4月にバンコクで治安部隊と反政府デモの衝突を取材中、撃たれて死亡したロイター通信の日本人カメラマンの村本博之さん(43)が治安部隊に銃撃された可能性があることを明らかにした。

 村本さんの事件で捜査当局幹部が治安部隊による銃撃の可能性に触れたのは初めて。

 記者会見したDSIのタリット局長は、タクシン元首相派勢力「反独裁民主戦線」(UDD)と治安部隊の衝突などで死亡した89人のうち、18人の捜査を終了したと発表。

 兵士や市民ら12人はUDD側の攻撃が原因と断定し、村本さんなど6人に関しては再捜査を指示した。局長は読売新聞に、「村本さんのケースは治安部隊側が原因だった可能性もある」と語った。


以下私が9月8日にツイッターでツウイートしたもの
長谷川平蔵
dukutougou 長谷川平蔵
ロイター通信のカメラマン村本さんが射殺された場所を岡田克也外相が訪問し献花した。岡田外相はタイのカシット外相に村本さんの死因の究明を要請した。本日、タイ海軍報道官とゴルフをしたのだが彼は先日日本大使館に出向き村本さんの死の原因に付いて、日本大使館に話をしたということであった。
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長谷川平蔵
dukutougou 長谷川平蔵
日本大使館や岡田などは既に原因に付いてはすべて掌握しているとのことと言っていた。また原因に付いてはここには書かないが話の中でベリーソーリーと私に3回も言うのである、おそらくは皆が思っているとおりであると思うが、岡田の偽善ぶりには参ったもんだ政治家とはこういう者だろう。
9月8日 お気に入り 返信 削除
»
dukutougou 長谷川平蔵
何故海軍なのか、事件を知っている方であればお分かりと思うが、差支えが出るといけないのでここには書かないが
9月8日 お気に入り 返信 削除



ツイッターには書きませんでしたがソンバットタイ海軍報道官は私に海軍関係者だと言っていた、この9月8日以前に大使館も当時の岡田外相も既に報告は受けていたものと言える、ロイター通信には未だ説明もあっていないのだろう。

2010年11月11日木曜日

誰が取り仕切ったのか知らないが?

やまと新聞転載

天皇皇后両陛下への敬意を表せなかった式典への疑問
高市早苗先生のブログより

あまりにひどくないでしょうか。
以下高市早苗先生のブログから転載です


天皇皇后両陛下への敬意を表せなかった式典への疑問
この件では、あまりの憤りに冷静に言葉を選ぶことができそうになかったので、気持ちが落ち着くまで時間を置きました。
 去る10月8日に奈良市で開催された「平城遷都1300年祭記念祝典」での出来事です。
  朝から晴天に恵まれ、天皇皇后両陛下をお迎えしての盛大な記念祝典。私は、ワクワクしながら出かけました。
 平城遷都1300年事業を実施する為に、長年に渡って予算措置などにご尽力いただいた全国各地の国会議員も駆けつけて下さっておりました。
  天皇皇后両陛下がステージ上にお出ましになる前に、司会者から「会場の皆様は、お座りのままでお願いします」というアナウンスがあり、「えっ?」と驚きました。
  国会開会式では、天皇陛下が議場にお出ましになる前に起立し、お言葉を賜る間も含めて陛下が議場を出られるまでは、全員が起立したままでいるのが普通でしたから、「何故、起立して両陛下をお迎えできないのだろう」と怪訝に思いました。
 司会者の言葉に、周囲の国会議員たちも、腰を浮かせかけながら戸惑っている様子でした。
  「着席のまま両陛下をお迎えしなければならない理由」として、その時点で私が想像したことは、次の2点でした。
  1つは、警備上の事情から「出席者を起立させないように」と警察から主催者に申し入れがあったのかも…ということでした。
 もう1つは、既に引退された元奈良市長の大川先生が障害者福祉に熱心な方でしたので、会場のどこかに車椅子で来ておられる方々が多く居られて、両陛下から「着席のままで」というご配慮のお言葉があったのかも…ということでした。
  立ち上がってしまいたい衝動を抑えながら、心の中で非礼をお詫び申し上げつつ、着席のままで両陛下をお迎えしたのですが、その直後に驚くべきことが!
  天皇皇后両陛下がステージ上の御席に着かれた途端、司会者が言ったのです。
「国歌を斉唱いたしますので、皆様、ご起立下さい」
  会場内の方々が、一斉に起立しました。
 ここで、私が想像した前記2つの着席理由が的外れなものであったことが判明。
 
 遠路はるばる奈良県までお出まし下さった天皇皇后両陛下を、ごく当然の作法でお迎えできなかったことが情けなく、世界各国の特命全権大使が来賓としてご臨席の中で、日本人が両陛下に敬意を表さないという印象を与えてしまった様にも思えて、悔し涙が出そうでした。
  そして、私の怒りに更に火をつけたのが、最前列から2列を占めて座っておられた宮内庁記者会の方々の態度。
 国歌斉唱の時に、頑なに口を結んで歌おうともしない記者が数名。天皇皇后両陛下の御前で、足を組んでだらしない姿勢で座っていた最前列の記者が数名。
  その後のことはよく思い出せないほど憤慨していた私は、同世代で親しい自民党県議会議員に「何故こんなことになったのか、県議会で質問して下さいねっ」と言い残して上京しました。

(編集部)
絶対に許せません!
「天皇皇后両陛下の御前で、足を組んでだらしない姿勢で座っていた最前列の記者が数名」
いったいどこの記者だ!血圧が上がります。

やまと新聞社は宮内記者会に所属していません。というよりできていません(涙)
こんな態度で取材して掲載もしない記者は退会させて、やまと新聞社を是非入れて下さい。
天皇皇后両陛下のお姿を皆様にお届けできるのに・・・・・



陛下の前で座っているそんな事が出来るのか、日本人はそんな事は出来ないと思うのだが


無視できないミャンマーの核兵器=専門家の警告

ミャンマーが内密に開発している核兵器は、今は脅威的ではないが、北朝鮮のような野心ある国が援助に乗り出したら、無視できない状況になるだろう、と国連原子力機関(IAEA)の前高官が危惧を示した。

 10月末にバンコックで開かれたタイ海外記者クラブの専門的な概況説明で、米国で核を専門とし、かつてIAEA核兵器上級監査員を務めたロバート・ケリー氏は、ミャンマー軍が内密に開発している核兵器開発プログラムは十分ではなく、管理も行き届いていないとコメントした。

 現在のところは、上から下に命令するだけの管理システムで、どのようにやるかの説明もなく作業も劣っており、あと数年は脅威となることはないとケリー氏は見解する。しかし、このプログラムを重視しない場合、真に脅威となる可能性があると警告している。

 「知識、物資、管理の仕方など、現在ミャンマー軍が直面している問題を解決するカギを備えた国が関わった場合、プログラムは躍進する可能性がある。この場合、支援国として北朝鮮が浮上してくる」

 ケリー氏は、『ビルマの民主主義の声(Democratic Voice of Burma)』という報告書を6月に発表している。亡命したサイ・テイン・ウィン(Sai Thein Win)少佐が提供した文書、設計図、写真などの情報・証拠を主に利用して作成された。

 34歳のサイ少佐は、高官の補佐官として核兵器開発プログラムの概況を把握する立場にあった。同少佐は、ロシアで機械工学士として養成された経歴を持ち、ミャンマー連邦共和国の元首 タン・シュエ上級大将も同席する概況説明に列席している。

 タン・シュエ大将はこれらの説明会で「核爆弾が欲しい。そのために原子炉を作りたい」と語っていたという。 サイ少佐はミサイルや核開発プログラムのための部品の原型を製作する特殊機器工場でも働いたことがあり、同少佐の話は信頼に値する、とケリー氏は見解している。

 同少佐の提供した情報には、タベイキィン(Thabeikkyin)にある核のために設定された大隊の詳細も含まれている。核爆弾に必要なウラニウムを精製するために原子炉を建てる指図が出ているという。

 ケリー氏によると、ミャンマーの核開発プログラムは、同軍事政権がIAEAとASEANと結んだ合意に違反する。「…法に抵触するものです。長年、この仕事に携わってきたので、早期にみつけて停止させたいのです」と、過去にIAEAの派遣で南アフリカとリビアを視察した同氏は、その思いを語る。

 「今のところ、核のキノコ雲が、明日地球を覆うというものではない。しかし、すべての系統に脅威を与える可能性はある。この動きを無視することは、私たちの選択肢にはない。

 今回、脅威になる前の段階で公表したのは、長年この分野に携わり、実に重要な情報を得ても誰にも語らなかったため、誰も何もしないという経験を味わってきたからだ。誰かが必要な措置に出られるよう、そして行動が不十分だと警告できるよう、ここに情報を開示することにした」


(バンコック記者・James Burke/ 翻訳編集・鶴田)

2010年11月10日水曜日

かくすれば、かくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂

ビデオ「流出」名乗り出たのは40代の主任航海士

産経新聞

2010/11/10 14:28


 ビデオ映像を流出させたのは、やはり内部関係者だった-。沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出した事件で、10日、第5管区海上保安本部神戸海上保安部(神戸市)の職員が「自分が流出させた」と上司に名乗り出たことは、海保の関係者へ大きな衝撃を与えた。幹部らは「言葉が見つからない」と苦悶(くもん)の表情を浮かべた。

同本部の40代の主任航海士が「流出させた」と上司に名乗り出たことが一斉に報じられた同日午後、同保安本部は、「5管の職員ではない」といったん否定。その後事実関係を認めたうえ「本人が自分が流したと言っているらしいが、判断はすべて捜査機関に委ねている」と強調するなど、混乱ぶりが浮かび上がった。

 同本部が、問題となっている尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像を見ることができる立場にあるかどうかについて幹部は沈黙を守っており、「記者会見を開くにしても本庁の情報が入らないと何も話せない」と説明。続々と詰めかける報道陣の対応にも追われ、同保安本部の職員らに動揺が広がった。

 流出を告白したとされる主任航海士が所属する神戸海上保安部の担当者は「言葉が見つからない」と神妙な表情。別の幹部職員は、苦り切った表情で「あまりに近くで起きた出来事で、職員たちも動揺している」と打ち明けた。


海保の40代の主任航海士は、本来なならば拍手喝采ですが組織上そういう訳にも行かないだろうから訓告で十分。



ミャンマー東部の戦闘 タイ西部に難民9000人

ミャンマー東部のタイ国境地帯で起きたミャンマー軍と少数民族カレン族の戦闘は9日、タイ北部ターク県メーソート郡の国境ではほぼ沈静化し、タイ領内に避難したカレン族など約1万人が同日中にミャンマー側に戻った。「タイ側に残っているのは2000人程度」(メーソート郡のキティサック郡長)という。

 一方、メーソートから南に約300キロのタイ西部カンジャナブリ県サンカラブリ郡の国境地帯では9日も戦闘が続き、タイ領内にも流れ弾が着弾した。同郡に流入したミャンマー難民は約9000人に達したもようだ。

 カレン族は第2次大戦後すぐからビルマ族中心の政府に対し武装闘争を続けてきた。戦闘は互いに敵の死肉を食い合うほど激しいものだったが、1990年代にキリスト教徒カレン族主導の体制を不満とする仏教徒カレン族のグループが離反し、軍事政権側に立つ武装組織「デモクラティック・カレン・ブッディスト・アーミー(DKBA)」を結成。軍政と結んでキリスト教徒中心の反軍政組織「カレン・ナショナル・ユニオン(KNU)」と対立してきた。今回軍政に歯向かったのはDKBAの分離派とみられる。


 日本では余り関心もないんでしょうがミャンマーという國はビルマ族がかなりを占めております、がシャン州やカチン州地方に行きますとミャンマーという言葉すら出てこないんです、皆違う人種ですからビルマ人などとはこれっぽっちも思っておりません、又ここで難民などと日本の各メディアは伝えておりますが、APF通信社の山路徹代表捕まったミャンマーミャワディ側では、既でに政府軍との戦闘が有るという情報は街には伝えてあり、デモクラティック・カレン・ブッディスト・アーミーDKBA、カレン民族解放軍、カレン民族同盟が住民をタイ側に一次避難させたわけです、こういう事は全く伝えられない、現地取材している日本人ジャーナリストは情報は得ているにもかかわらず、全く違うニュアンスで伝えてしまう、一体何なんでしょうかこれは??

2010年11月9日火曜日

シナのマップワールド

中国のオンライン地図、領有権違反個所の修正要求
ベトナム
 外務省のグエン・フオン・ガー報道官は5日、中国国家測絵局(測量地図機関)が開始したインターネット地図情報サービス「マップワールド」<http://www.chinaonmap.cn/>で、ホアンサ諸島(英名:パラセル諸島、中国名:西沙諸島)とチュオンサ諸島(英名:スプラトリー諸島、中国名:南沙諸島)が中国領として表示されていることについて、「ベトナムの領有権に対する重大な違反行為であり、国連海洋法条約で規定する排他的経済水域と大陸棚に関するベトナムの主権と管轄権に違反している。また、2002年にアセアンと中国が署名した『南シナ海における関係国の行動宣言』の精神にも反している」と述べた。5日付ハノイモイ紙電子版が報じた。

 ガー報道官は中国側に対し、この地図の違反個所を修正すると共に、南シナ海における係争を複雑化・拡大化させず、平和と安定を維持するとした両国首脳の共通認識を遵守するよう求めた。

尖閣、台湾は勿論の事、ブルネイマレーシア沖まで自国の領土になっている、尖閣も釣魚島、赤尾崎になっているし此れについて日本は何らかの抗議はしているのだろうか?なぜこんなにも反日日本人が幅を利かせる様になったのだろうか。


マップワールド
http://www.chinaonmap.cn/map/index.jsp

Col.Saw Lha Pwe, the commander of breakaway DKBA Brigade 5, is known as Mr.Beard (Photo:ALEX ELLGEE /THE IRRAWADDY)

DKBA Brigade Leader Rejects Election Result

Tuesday, November 9, 2010

Col Saw Lah Pwe, commander of the breakaway Democratic Karen Buddhist Army (DKBA) brigade now locked in conflict with the Burmese Army in the Burmese border town of Myawaddy, told The Irrawaddy on Tuesday that Sunday's election was a sham that would not bring democracy to Burma.
Heavy fighting broke out between troops of the colonel's Brigade 5 one day after the election, and by Tuesday morning Burmese Army forces had reportedly retaken some of the positions occupied by DKBA soldiers.

Fighting between Brigade 5 troops and Burmese Army forces was also reported on Monday from the Three Pagodas Pass area of the Burmese-Thai border.

The clashes in and around Myawaddy sent an estimated 10,000 Karen refugees in search of safety in neighboring Thailand on Monday and more crossed the border on Tuesday. However, Thai authorities in Mae Sot said on Tuesday morning the fighting appeared to have died down and preparations were being made to repatriate the refugees.

Saw Lah Pwe's force broke with the rest of the DKBA after rejecting the regime's plan for a Border Guard Force (BGF). The core DKBA accepted the plan, which calls for armed ceasefire groups to disband and join the BGF.

Sunday's election was dismissed as a sham by Saw Lah Pwe, who said: “They [the regime] only shed their skin. They forced people to vote in this election.”

イラワジニュース

 イラワジニュースが伝えたことによる今夜8日夜から9日未明、ビルマ政府軍の大規模な掃討作戦がる模様で、カレン民族解放軍、カレン民族同盟はこれに備え必要に応じてカレン仏教徒軍への支援を提供すると伝えた、又アウンサンスーチーは13日には解放されないだろうと伝えている。


カンジャナブリ国境でも戦闘 親ミャンマー軍政組織が反乱か


8日、ミャンマー東部のミャワディーで少数民族カレン族の武装組織とミャンマー軍が戦闘を始め、双方に死傷者が出ているもようだ。戦闘地域に隣接するタイ北西部ターク県メーソート郡では同日朝、タイとミャンマーを結ぶ友好橋近くにミャンマー側からロケット砲4発が撃ち込まれ、このうち1発が爆発し、タイ人5人、ミャンマー人5人の計10人が負傷、イヌ1頭が死亡、自動車1台が破損した。

 メーソート郡のキティサック郡長はニュースクリップの電話取材に対し、「午後に入ってもミャンマー側から散発的に銃声、砲声がしている。これまでにミャンマーから約2000人がタイ領に避難し、ターク県知事が戦闘地域近くの住民に避難勧告を出した」と話した。

 タイのテレビ報道によると、ターク県知事は7日にミャワディーで不法入国容疑で拘束されたAPF通信社の山路徹代表の解放をミャンマー側に打診したが、これまでのところ返答はないという。
 
 ミャンマー軍とカレン族の戦闘はメーソートから約300キロ南のタイ西部カンジャナブリ県の国境でもぼっ発し、8日、タイ領内に着弾したてき弾(小型砲弾)でタイ人1人がけがをした。ニュースクリップがカンジャナブリ県サンカラブリ郡の役場に電話取材したところ、戦闘を避けるため、ミャンマーからカレン族など約2000人がタイ領内に避難しているという。

 今回の戦闘について、タイのテレビ、新聞は、ミャンマー軍政傘下のカレン族武装組織「デモクラティック・カレン・ブッディスト・アーミー(DKBA)」が待遇の引き下げを不満として反乱を起こしたと報じている。DKBAはキリスト教徒カレン族が中心の反軍政武装組織「カレン・ナショナル・ユニオン(KNU)」から離反して軍政側についた仏教徒カレン族の組織で、これまではミャンマー軍の同盟軍としてKNUの弾圧に当たっていた。KNUはDKBAの反乱を受け、DKBAとの共闘を検討しているという。

 ミャンマーではビルマ族中心の軍事政権とカレン族など少数民族が過去60年にわたり武力闘争を続けている。軍政は7日、20年ぶりに総選挙を実施したが、民主化指導者のアウン・サン・スー・チーさんら政治犯の立候補を認めず、軍の政党による勝利が確実視されている。




ミャンマー軍、少数民族の反政府武装組織と衝突…掃討に着手か 1万人超、タイ側に避難


ミャンマーからの情報によると、同国東部カイン(カレン)州のミャワディで8日、ミャンマー国軍と少数民族カレン族の武装組織の一部が衝突、これまでに数十人が死傷し、1万数千人の避難民が出ているようだ。ミャンマー政府関係者は本紙に対し、今回の戦闘が反政府武装組織に対する政府軍の掃討作戦の一環であることを示唆した。今後、衝突が拡大すれば、他の少数民族の反政府武装組織も加わり、本格的な戦闘に発展する可能性がある。

 ミャンマー軍政は今回の総選挙を前に、カイン州のカレン族やシャン州のワ族など少数民族の武装組織に対し、新たに国軍の下に組織する国境警備隊に入るよう指示し、事実上の武装解除を求めていた。

 しかし、少数民族側は軍政側の要求を拒否。このため、軍政はカイン、シャン、カチンなど5州の多くの村での投票を取りやめるとともに、ロシア製のヘリ50機を導入したほか、部隊を増派していた。

 反軍政メディア「イラワジ」によると、衝突は「民主カレン仏教徒軍(DKBA)」の第5団と国軍の間で、8日朝から本格化した。同団はDKBA指導部の方針に従わず、軍政による武装解除命令を拒否していた。同団の指揮官は「国軍が先に銃撃してきた」としている。

 これまでに民間人ら7人が死亡し20人以上が負傷したという。ミャワディの住民は町から避難するよう指示され、1万数千人がタイ側に逃れたという。タイ側の国境の町、メソトでは、取材中のフジテレビのタイ人女性スタッフと運転手が砲弾の破片で軽傷を負った。

 少数民族側は、新政府が発足する前に、国軍が武装組織の掃討作戦に踏み切ることを警戒し、各民族間で同盟を組むことで合意したとされる。衝突がこのまま続けば、カレン以外の民族も巻き込み、東北部一帯に戦闘が拡大する可能性がある。

 すでに「カレン民族同盟(KNU)」と、傘下の「カレン民族解放戦線(KNLA)」は戦闘態勢に入っている。

 一方、7日の投票を受けて野党、国民民主勢力(NDF)幹部のキン・マウン・スエ氏は8日、記者会見し、「開票などでの異常な行為について、選管から明確な説明がない限り、選挙結果を認めない」と述べた。同氏らによると、票の買収や有権者への脅迫だけでなく、開票途中で野党候補が大きくリードしていると開票作業が中止されたりするなどの事態が相次いでいるという。

ビルマ領ミャワディーからメーソートへ難民発生10000万人規模

ターク県メーソット

ミャンマー領ミャワディ平時はこんな感じんです。

この国境は数カ月前より閉鎖されているので恐らくミャワディーで不法入国容疑で拘束されたAPF通信社の山路徹代表 はこの川を渡って行ったのだろう、何処の国境でもそうだが、平時でもこの国境は悪の温床で、夜になると車だろうがなんだろうが川を行き来する当然許可など無い、夕方6時には橋が閉まるのだから。

ミャンマー領ミャワディ



平時でもミャンマー側からロヒンギャやイスラムの連中が不法に川を渡ってくる、ミャンマー側が如何にもイスラムを弾圧しているように見えるが、バングラディシュ国境では逆の事態になって仏教徒が弾圧されている事実を忘れてはならない。

タイ国境警備軍


最後にAPF通信社の山路徹代表ですがどうせ不法入国するのであれば此処から入国する必要はなかったと思うのですが。
少数民族のトライバル地域からの方が断然良かったなという感じです。

2010年11月7日日曜日

メーサロン

クンサー

 大東亜戦争後支那共産党軍との内戦に敗れた支那国民党軍の大部分は台湾に逃れたが、雲南、四川省方面に駐留していた部隊と家族はビルマのシャン高原に移動した。

その後ビルマ政府軍に追われタイ北部の山岳地帯に逃げ込んだのだ。60年代に北タイに移動、1987年、武装解除と引き換えにタイ国籍を取得した。
ドイ・メーサロン村、中国文化が色濃い、現在は華人としてすっかりタイに溶け込んでいる。

台湾に渡った同士と親交が深く、お茶の苗木を台湾から移植栽培することになります。初めは高山烏龍、軟枝烏龍の2品種が導入されたそうです。

現在は台湾にも引けを取らないぐらいのお茶を生産しています。
ミャンマーの新しい国旗、この国旗はビルマ独立当時の国旗である。元の国旗に戻ったということですね、中にはこの国旗の事を日本軍の傀儡政権の国旗などとわけのわからに事を言っている奴がいますが

新しい国旗はどうしたんだと聞いたところ、まだ間に合ってないんだという答えが帰ってきました、7日の選挙と何か関係があるのか?

此処に来たのは既に7回目であるが、来るたびに街が豊かになって来ているようだ、初めて訪れたのは既に10年以上前であるが舗装などして無かった、ビルマ警察は草履であった。


メーサイからチェーンセンへ行く道は新しい道が出来たということであったが、新しい道がこの通りである、雨季は絶対通れない、メコン川のゴールデントライアングルへ。

この辺は至る所にゴールデントライアングルの看板が立っている、手前がタイ領、左側の奥がミャンマー領、右側の川向こうがラオス領、オレンジの建物やドーム型の建物はカジノホテル、現在ラオス領には続々と建物が立っている、昔のゴールデントライアングルの面影は全く無い、シナ人と韓国人の観光バスが列をなして止まっている。

正面の山の尾根伝いに見える村がドイメーサーロンかつては或れから先の山はトライバル地域クンサーの支配地域でした

ドイメーサロン村国民党軍の村だけあって漢字が至る所に書かれている、看板などは殆ど漢字

アカ族のマーケット、値段が異常に安い、安すぎて不安になるくらい安いしかし買う物は殆ど無い

アカ族の村の入口メーサロン村とは佇まいが全く違う、電気は来ているようである。

ドイメーサーロン村から1時間ほど山を超えていきますとヒンティーク、クンサー軍の司令部跡がある

ヒンティーク、クンサー軍司令部、これ以上先は悪路でバイクでは行けないのである。

2010年11月6日土曜日

日本人の変態チャイルドマスター

このブログには日本人の恥は載せたくありませんが、こいつはあまりにも異常なのであえてパスポートナンバーまで載せます。

タイの新聞を読むから
13歳未満少年に対する性的暴行で日本人の男(61)を逮捕、パッタヤーで

 各報道によると、警察と児童・青年福祉センターの合同チームは1日20:00(報道による19:30)頃、13歳 (報道により15歳)未満者に対する性的暴行容疑で61歳(報道により65歳)の日本人の男をチョンブリー県パッタヤー地区内にある民家内で逮捕し、ビデオ等を押収した。

 報道により男がアパート前で立っているところで逮捕されたとするものもある。

 調べによると、男は、12歳少年に対して性的暴行を加えたとされ、少年の保護者から通報を受けた警察が証拠固めを行った上で逮捕状を請求していた。

 尚、報道により、男は、先に同様な容疑で逮捕されたタイ人の男(40)や世界的な指揮者として知られるロシア人(53)の男が属する組織から少年の斡旋を受けていたと報じている。

 男は当初の取り調べに対して容疑を全面的に否認していたが、男が多数の少年相手に性的行為に及んでいるビデオを決定的な証拠として見せられた後は黙りを決め込んでいるという。

逮捕の模様はこちらの動画で、少年相手に性的行為に及んでいるビデオも一部公開している
http://76.nationchannel.com/playvideo.php?id=119845



Handa isao

半田 勲
パスポートナンバー TG5761700
生年月日 1944年11月5日 昭和19年11月5日

パスポート有効期限2004年07月28日ー2014年07月28日
本籍地  東京
 
このようなペドファイル &ゲイ爺がいるから日本人が馬鹿にされるのです、既にこいつは、保釈されている模様、おそらく日本に帰っても日本の法律が適用されるので、カンボジアやベトナムラオス辺りに潜伏する可能性がある。日本大使館には直ちに身柄の確保をしてほしいものだ。

2010年11月5日金曜日

中国漁船衝突映像

尖閣・中国漁船衝突事件 流出映像

全部削除されたのでチャンネル桜から



タイのネーションチャンネルでも映像を流していました、ベトナムの友人に聞いたところ、ベトナムでも流していたそうです。