クンサー
大東亜戦争後支那共産党軍との内戦に敗れた支那国民党軍の大部分は台湾に逃れたが、雲南、四川省方面に駐留していた部隊と家族はビルマのシャン高原に移動した。
その後ビルマ政府軍に追われタイ北部の山岳地帯に逃げ込んだのだ。60年代に北タイに移動、1987年、武装解除と引き換えにタイ国籍を取得した。
ドイ・メーサロン村、中国文化が色濃い、現在は華人としてすっかりタイに溶け込んでいる。
台湾に渡った同士と親交が深く、お茶の苗木を台湾から移植栽培することになります。初めは高山烏龍、軟枝烏龍の2品種が導入されたそうです。
現在は台湾にも引けを取らないぐらいのお茶を生産しています。
ミャンマーの新しい国旗、この国旗はビルマ独立当時の国旗である。元の国旗に戻ったということですね、中にはこの国旗の事を日本軍の傀儡政権の国旗などとわけのわからに事を言っている奴がいますが
新しい国旗はどうしたんだと聞いたところ、まだ間に合ってないんだという答えが帰ってきました、7日の選挙と何か関係があるのか?
此処に来たのは既に7回目であるが、来るたびに街が豊かになって来ているようだ、初めて訪れたのは既に10年以上前であるが舗装などして無かった、ビルマ警察は草履であった。
メーサイからチェーンセンへ行く道は新しい道が出来たということであったが、新しい道がこの通りである、雨季は絶対通れない、メコン川のゴールデントライアングルへ。
この辺は至る所にゴールデントライアングルの看板が立っている、手前がタイ領、左側の奥がミャンマー領、右側の川向こうがラオス領、オレンジの建物やドーム型の建物はカジノホテル、現在ラオス領には続々と建物が立っている、昔のゴールデントライアングルの面影は全く無い、シナ人と韓国人の観光バスが列をなして止まっている。
正面の山の尾根伝いに見える村がドイメーサーロンかつては或れから先の山はトライバル地域クンサーの支配地域でした
ドイメーサロン村国民党軍の村だけあって漢字が至る所に書かれている、看板などは殆ど漢字
アカ族のマーケット、値段が異常に安い、安すぎて不安になるくらい安いしかし買う物は殆ど無い
アカ族の村の入口メーサロン村とは佇まいが全く違う、電気は来ているようである。
ドイメーサーロン村から1時間ほど山を超えていきますとヒンティーク、クンサー軍の司令部跡がある
ヒンティーク、クンサー軍司令部、これ以上先は悪路でバイクでは行けないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿