2009年3月31日火曜日

アンカー


カンボジア、タイ軍兵士が領土侵犯と 国境線紛争の寺院周辺
プノンペン(CNN) カンボジア政府当局者は25日、同国北部にありタイと帰属権を争うクメール寺院プレアビヒア周辺のカンボジア領土内に現地時間の同日午後1時40分ごろ、タイ軍兵士約100人が侵入したと述べた。タイ陸軍はこれを否定している。
カンボジア首相府のパイ・シパン報道官が明らかにした。武装衝突は起きず、カンボジアはタイ軍に撤退するよう求めた。タイ陸軍当局者は、自国軍の動きは通常の任務交替に伴うもので、入るのが許されない地域には踏み入れていないと領土侵犯を否定した。
両国は昨年10月、同寺院周辺の国境未確定地域で軍が衝突、死傷者も出ていた。寺院は昨年7月に世界遺産に指定されていた。両国はこの後、係争地帯から両 軍を後退させ、一時的に両国共同でこの地帯を管理するなどの暫定策で合意しているが、国境線画定では進展がないままとなっている。
国際司法裁判所は1962年、カンボジアに同寺院の主権を認めているが、タイ側は寺院周辺の約4.6平方キロの部分の国境線画定は未解決と主張している。寺院へ接近出来るルートはほとんどがタイ側からとなっている。


国境タイ軍、カンボジア農民の収穫を禁止
カンボジアのタイ国境に近いバンティアイ=ミアンチェイ州オー=チロウ郡Sila村に20日、武装したタイ兵15名が現れ、2人のカンボジア人住民が自分の田で行なっていた刈り取り作業を止めさせた。カンボジア王国軍503国境部隊のスィン=トーチ副司令が22日述べた。
タイ兵たちは2人に、ここはタイ領なので作業は違法だと告げたという。
「タイ軍の兵隊はカンボジアの領土を尊重せず、いつも国境のあちこちで土地問題を起こそうとしている。今回の件は現在タイ軍と協議中だ。じきにお二人には農作業を再開してもらえるだろう」と同司令。
同郡警察のソー=チョン副長官は、この2人は1993年以来ずっとこの14ヘクタールを耕してきたと述べ、タイ軍の行為を非難した


ポル・ポト特別法廷、元収容所長の公判を再開
カンボジア・ツールスレン(CNN) カンボジアで70年代後半に起きた国民の大量虐殺で、当時のポル・ポト政権幹部らの罪を問う特別法廷は30日、最初の被告となった元収容所長の公判を再開し、本格的な審理に入った。
多数の収容者が虐待、殺害されたツールスレン収容所の元所長、カン・ケク・イウ(通称ドッチ)被告(66)は、人道に対する罪や戦争犯罪、虐待、殺人の罪で08年8月に起訴された。その後、元幹部4人が同様の罪で起訴されている。
検察によると、同収容所では子どもを含む収容者が鉄製のベッドに縛り付けられ、虐待を受けた末に殴り殺されるなどした。国内には当時、同様の収容所が189カ所置かれていたとされる。
ポル・ポト政権時代の犯罪を調査する独立組織、カンボジア史料センター(DC―Cam)によると、同政権下では強制労働や処刑、飢餓、伝染病などで、国民の4分の1近くに当たる170万人以上が死亡した。
同法廷は06年、国連と同国政府の合意で設置されていた。判事はカンボジア人と外国人で構成され、最高刑は終身刑。同被告の判決は3―4カ月後に言い渡される見通しだ。


アンカー
クメール・ルージュ時代は国全体が強制収容所になったような状態で、例えば村長になると、彼らが一番最初にやること は、「こいつはアンカー(=組織)に対して謀反を企てている。」、アンカーの悪口を言っていると告げ口する、言われた人間は次の日には連行される。その とき村人はポル・ポトもクメール・ルージュという言い方も知らない、アンカーという言葉しか知らない。殺されるか、強制労働、死に等しい労働を させられ、相手を陥れることが自分の忠誠を証明する事、自分の地位を保つためにいろんな人たちに濡れ衣を着せるわけだ。そういう村長も誰か に告げ口される、密告社会の典型。
元看守たちは、上からの命令で仕方なかった、やらなければ自分が殺されていたという言葉を繰り返し、“組織(アンカー)”を絶対視していた。
当時のカンボジア人はアンカーが何なのか、誰なのか組織の人間ですら分からなかったと言う、目に見えない化け物アンカー、ツールスレン収容所の元所長、カン・ケク・イウ(通称ドッチ)被告(66)本人は否定しているが、こ奴もアンカーの一人だろう、市中引き回しの上公開釜茹での刑にした所で、遺族の気持ちは治まらないであろう。


芸能人のカンボジアに学校、自分の金は出さなくて、あれを見ていると情けなくなってくる、学校を建てるのは良いが1億円や2億円では話にならない
桁が2桁ぐらい違いますよ、気張って100億や200億ぐらい集めてくれ




写真はポル・ポト政権最高幹部 アンカー

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