2009年4月5日日曜日

海角七号


海角七号
「大東亜戦争終結による日本統治時代が終わった台湾で、
日本へ引き揚げる男性教師が台湾人女学生にあてて書いた7通のラブレターをもとにした作品。

2008年/台湾/日本公開未定 魏徳聖(サミュエル・ウェイ)監督
日本統治時代であった1940年代に、台湾最南の町恒春に派遣された日本人の教師(引揚者)(中孝介)は日本名小島友子(梁文音)と言う地元の少女と恋に落ちる。 大東亜戦争の日本敗戦の後(1945年)に、彼はやむを得ず内地に戻るが、 途中で彼は、駆け落ちを約束していた恋人の友子を、台湾に置いてきたため、後悔や惜別から7通の恋文(こいぶみ)を書き綴った。

彼が友子を置き去りにした約60年の後に、台湾南部で物語りが再び時を紡ぎだす。アガ(范逸臣)は台北で成功を夢見たが、挫折した恒春出身の歌手だった。 彼が故郷である恒春に戻った後に、町議長を務めるアガの継父(馬如龍)は、友子一行バスとのオートバイ事故の後で休暇中の老齢の茂伯(林宗仁)の代わりとして、アガに郵便配達人の仕事を世話する。 ある日、アガは郵便局に返されるべきであった「非-提出物」(あて先不明)の古い手紙を見つける。それは、もうすでに亡くなった日本人の教師の娘が、その7通の恋文を発見した後、父が渡せなかった恋文を台湾に届けようと郵送したものだった。 興味を持ったアガは、詳細を知るために不法にも、封を破って開けるが、もう古い日本統治時代の住所である「高雄州恒春郡海角七番地」をみつけることはできなかった。

その間、墾丁国家公園の中にあるリゾートホテルでは、中孝介(60年前の日本人教師と日本人歌手である本人の一人二役)が公演するビーチコンサートを計画がもちあがり、アガは継父が「コンサートの伴奏のバンドのメンバーが地元の人から選出されるべきだ」と主張する彼の公的立場を利用し、かなり職権乱用的に急場凌ぎでアガを中心に6人の地元の人々で、バンドが結成される。そしてこの多くの問題を抱えるバンドをマネージメントする立場として友子(田中千絵)(中国語が話せる恒春に派遣された盛りを過ぎている日本人のファッションモデル)に白羽の矢が立つ。 そして、さなざまなアクシデントやトラブルを経て、アガと友子は唐突に急接近する。ホテルの女性従業員である明珠(林曉培)などをはじめとする多くの人々の助けとともに、友子もアガが小島友子(7通の恋文の正しい受取人)を探し出し手紙を渡す事を、手伝うようになる。 アガは、問題だらけ(?)のこの地元のバンドと共に、中孝介のビーチリゾートのコンサートにのぞむ。

* 2008年台北映画祭 首賞(最優秀賞)・撮影賞・音楽賞
* 2008年アジア海洋映画祭イン幕張 グランプリ(最優秀賞)
* 2008年米国ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞
* 2008年マレーシアクアラルンプール国際映画祭 撮影賞
* 2008年台湾金馬奨 主題歌賞・音楽賞・年間台湾映画従業人賞・年間映画作品賞・観客投票選出映画賞(観客賞)・助演男優賞の6部門を受賞
タイタニックの興行記録を抜いて台湾歴代映画興行成績第一位 未曾有の大ヒット
ストーリーは上記の通りですが

個人的思い

第一封
1945年12月25日。

友子、太陽がすっかり海に沈んだ。これで、本当に台湾島が見えなくなってしまった。

君はまだあそこに立っているのかい?

友子、許しておくれ、この臆病な僕を。二人のことを決して認めなかった僕を。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
君を捨てたのではない、泣く泣く手放したということを。

皆が寝ている甲板で、低く何度も繰り返す。

「捨てたのではない、泣く泣く手放したんだ」と。


サミュエル・ウェイ監督は39歳の若さで日本と台湾の歴史を非常に理解してこの作品を作ったのではないかと思った。

最後の下りはまさに台湾の思い、又日本からすれば台湾を見捨てたわけではない

「泣く泣く手放したのだと」

久し振りに素晴らしい作品を観させていただきました

是非日本公開を願うばかりです。

海角七号

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