2010年2月16日火曜日

68年前の今日歴史ではそう遠くない近現代史の一幕

勝者*敗者

 戦争の美しさは人間の力だけではできない立派な形式をととのへて現れて来ることがある。二月十五日敵将パーシバルがユニオンジャックと白旗を持ってフォードの丘を静々と登って来た時、私は壮麗なる野外劇の終幕にみとられていると言う錯覚を訂正するのに困難を感じた。

やがて七時、幕僚数名を伴へた山下将軍の来場に室内はざわめいた。
山下将軍の来場は今までこの部屋の立役者であったパーシバルを一瞬して押しのけ一切の視線を集めてしまう。将軍は一寸会釈をしたのち

「あなたはどなた」

とまずはワイルド少佐を指さして名前を聞いた。

 山下将軍は淡々と
「先ほどワイルド少佐から簡単なお手紙を受け取りましたが、日本軍としてはただ無条件降伏にのみに応じます。無条件で降伏するかどうか、イエスか、ノーか、でお答え願いたい。」

即座に「イエス」という答えが出るものと誰もが思っていた。
パーシバルは伏目のままワイルド少佐に耳打ちした。ワイルド少佐は震えていた、アクセントのない日本語で
「明朝までに相談してご返答いたします。」

と答えて山下将軍の顔を盗み見したが、将軍のこめかみが大いなる憤りのためか痙攣しているをを早くも見て取って、サット顔を伏せた。

「今更の相談があるのですか。いったい貴方には降伏する意思があるのか疑わしい、戦争をおやりになるつもりなら大いにやりませう。日本軍は今夜私の攻撃命令を待っています。シンガポールは今夜夜襲をもって攻撃を加えます。」

その言葉はパーシバルにとって聞くに堪えない恐怖であった。シンガポール夜襲こそ最も惨烈な敗北であることを誰よりもパーシバルがよく知っていた、彼の決心はこの時初めて固まった。

「無条件降伏に応じます」

大英帝国がアジアから敗北するときの力無きその声を今一度繰り返そう

「無条件降伏に応じます」

勝利の夜が明けて二月十六日部隊は全部シンガポールの郊外に駐屯して誰も入城しないことになった。武装解除を監視する憲兵隊と軍政部関係者と新聞記者のみが早朝からどっと進んで行った。町の入口のラッフルズ大学あたりは大きな弾痕をいたるところに刻んでいた。この町で一番高い世界ホテルの頂上に大きな日の丸が立っていた。




 私がよく行くお寺があるそこの住職と時々話すのだがもちろんタイのお坊さんである、あなた方現代の日本人は如何なる事において、やる時にはやりますよという気構えが衰えているのではないでしょうか、それを取り戻す事によってかつての日本人がよみがえるのではないでしょうか。
頭を殴られたような衝撃にかられた、自分もそうだが確かにそういった気構えが退化しているように思える。
タイ人一人一人を見ているとちゃらんぽらんしてこいつらはなんだと思われがちだが、そういった部分では日本人よりも気構えがあるのではないかと思われる行動を何度となく見せつけれれている。
国難にはお坊さんだって立ち上がるのである、我々日本人もそういうものを取り戻さなければ国難には立ち向かって行けない。


ここで言うておきますが日本の坊さんとは根本的にタイお坊さんは違います227の戒律を常に守り実行しております。金儲けをしたり女に触ったり、当然一生独身午後は一切食事を取りません、まったく違うのです日本の坊さんとはこんなものが227ありますしたがって我々凡夫はできませんので尊敬に値するのです。

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