タイにおける第11回国勢調査の実施について(2010年7月16日現在)
本年は,10月に日本で国勢調査が実施されますが,タイでも9月にタイ政府による国勢調査が実施されることになっています。タイでは第1回の国勢調査が 1909-1910年に実施され,その後10年ごとに実施されています。本調査の対象者は、国籍を問わず協力することが義務となっておりますので、3ヶ月以上タイに滞在している日本人の皆様については、本調査へのご協力方宜しくお願いします。今年実施される調査は第11回目の調査になります。実施要領の概要は次の通りです。詳しくは実施機関である国立統計局のウェブ・サイト(http://www.nso.go.th/ または http://popcensus.nso.go.th/ )を御覧ください。
1.調査期日
2010年9月1日現在(2010年9月1日~30日の間に調査を実施)
2.調査対象
タイに普段居住している(することになっている)人と世帯すべてが対象。タイ人も外国人も,国籍を問わずすべての人が対象。
タイ滞在の日本人の皆様については,調査期日に少なくとも3か月 タイに滞在していれば,調査の対象になります。また,調査期日にタイを離れていても,通常の居住場所がタイ国内にある場合には調査の対象になります。
3.調査項目
年齢,性別,国籍,宗教,教育,使用言語,職業,出生地,配偶の 関係,子女数,世帯の構成など。収入及び法定の居住資格に関する設問はありません。
4.調査方法
7万人以上の国勢調査員が各家庭を訪問。調査票への記入,国立統計局のウェブ・サイト(http://popcensus.nso.go.th)上での設問への回答,電話による聞き取り調査といった手段によって情報の収集が行われます。
5.調査の実施に関連しての注意事項
日本と同様にタイにおいても,統計法に基づき,すべての調査対象者は,国籍を問わず国勢調査に協力する義務が課せられています。
他方で,国勢調査は,統計調査であり,調査員を含め,調査に携わる者すべてに対して,個人や世帯に関する個別の情報の秘密を保護する 義務が課せられており,違反した場合の罰則も設けられています。また,国勢調査で収集された情報は,統計上の目的以外,例えば,税務,警察など他の行政,に使用することは禁止されています。
なお,日本においても,2005年の国勢調査の際に,調査員を名乗って家に入り金品を奪う犯罪も起きており,国勢調査員が自宅に来訪したときには,調査員であることの証明書を確認することが必要です。
(問い合わせ先)
○在タイ日本国大使館国際機構部
電話(代表):(66-2)207-8500、(66-2)696-3000 内線:531
FAX(代表) :(66-2)207-8510
世界最高の都市はバンコク 米旅行誌読者投票
米旅行雑誌トラベル+レジャーが実施した読者投票で、世界最高の都市にバンコクが、2位にタイ北部チェンマイが選ばれた。3位はフィレンツェ、4位メキシコのサン・ミゲール・デ・アジェンテ、5位ローマ、6位シドニー、7位ブエノスアイレス、8位メキシコのオアハカ、9位バルセロナ、10位はニューヨークだった。
アジアでは3位京都、4位がアンコールワットがあるシエムリエップ。インドのウダイプル、ジャイプルが5、6位。7位香港、
8位ハノイ、9位東京、10位北京。
ペニンシュラ・バンコク
ホテル部門ではバンコクのペニンシュラ・バンコクが総合7位、チェンマイのフォーシーズンリゾート・チェンマイが27位に
ランクインした。
フォーシーズンリゾート・チェンマイ
トラベル+レジャーの読者投票は毎年行われ、今年で15回目。今回は昨年12月から今年3月にかけ、雑誌とホームページで実施した。
バンコクでは4、5月に大規模な反政府デモ・暴動があり、約90人が死亡、1400人以上が負傷し、市内最大規模のショッピングセンターが
放火で一部倒壊した。
http://www.newsclip.be/news/2010715_028052.html
街全体がユニバーサル・スタジオみたいで、定期的に軍の衝突やクーデターや街中で銃撃戦があって火災が有ったりして話題には事欠かない、夜は夜で大人のナイトサファリがあったりして入場料も要らずアトラクションが盛り沢山、また治安も悪いという程ではなく、そういう風に考えると世界で一番なのかも知れない、アメリカ人が喜びそうだ。
ロシア下院 在外ロシア人に関する新法案を採択
ロシア議会下院(国家会議)は在外ロシア人との活動における国家政策に関する新たな法案を採択した。
この法律は、ロシア国外に住むロシア人に加え、外国籍を持つロシア系住民をも対象としている。
新たな法律では、基本法で規定されていた在外ロシア人の登録に関する条項が取り除かれているほか、在外ロシア人のロシア国家に対する義務が盛り込まれている。
新法では、ロシアの高等教育機関への入学に関し等しい権利が約束されているほか、ロシアへの移住の支援などが見込まれている。
何だコレは中国の国家総動員法みたいなものか?
ロシア、終戦記念日を制定 法案が上院通過
露上院(連邦会議)は14日、日本が第2次大戦の降伏文書に調印した9月2日を国家記念日とする法案を賛成多数で可決した。ノーヴォスチ通信が報じた。
日本は45年9月2日、東京湾に停泊したミズーリ号上で第2次大戦の降伏文書に調印。国際法的には同日が終戦の日とみなされる。
立案者は議員らに示した説明メモのなかで、ソ連による参戦の前提となったヤルタ会談の決定に言及し、「祖国と連合国に対する義務への献身を発揮した同胞たちの記憶を留めるため」と目的を指摘。さらにソ連軍が参戦の結果、満州、南樺太(現サハリン南部)、千島列島を解放し、大戦終結を早めた点も強調した。
法案は大統領の署名により成立・発効する。04年のベスラン学校占拠事件の結果制定された「テロとの戦いにおける団結の日」が9月3日であることから、国家記念日が並ぶことになる。
また上院は同日、参戦の結果身体障害者となった国民について、同居する家族の公共料金を半額値引きする法案も可決した。
近頃短波ラジオを買ったが入りが悪いのである、まともに聞ける日本語放送はベトナムの声日本語放送ぐらいで、あとはアウト。
こんな時代に短波ラジオかと思いの人もいると思うがネット時代だからこそ短波ラジオなのである、ガザガザという合間に聞こえる日本語の声汗をかきながら周波数を合わせるのである、しかしこの各国の日本語プロパガンタ放送は今も昔も変わらない、ふと思い付いてグーグルで検索をかけてみると、なんとネットで現在聞けてしまうと言う事が判明、因みに上記の記事はロシアの声「ガバリットモスクワ」放送興味がある方は聞いてみてください腹が立つほどプロパガンタ放送です。
http://japanese.ruvr.ru/jap_schedule/
そこで今月15日の放送ではロシア下院は7日、9月2日を大戦終結の記念日とする法改正案を可決した。
北方領土の実効支配は第2次大戦の結果だと主張するロシアに対して、これに付いて日本の外務省職員は、「日本については言及されておらず、日本の利益に対して一定の考慮がなされているものである」等と売国的発言をしている、海外で発言することなど分からないと思っているのだろうか、日本のメディアは一行たりとも取り上げていない。
とこのようなロシアに住む日本人が公共の電波で売国発言を垂れ流しているということでした。
映画「氷雪の門」
杜父魚文庫ブログ
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』予告編
近頃、太秦はホント良い映画ばかり配給してくれるよ
<1974年に製作され、ソ連の圧力で全国公開出来なかった映画「氷雪の門」 (北海道・稚内市にモニュメントが在る) が再評価され、上映の見込みが立った。
敗戦直後、樺太真岡郵便局電話交換嬢9人の物語。日米戦争を知らない世代は必見の映画。(産經新聞 7月18日 朝刊17面 カルチャー時評から)>札幌在住のメルマガ「頂門の一針」愛読者からの通信である。
メルマガの主宰者渡部亮次郎は、この映画の製作総指揮に当った小倉寿夫、製作の守田康司の両氏と上映不能になった事件をきっかけに知り合った。特に小倉氏は晩年が不幸だっただけに他人事(ひとごと)とは思えない。
「ウィキペディア」から引用して、コトの経緯を振り返る。
「樺太1945年夏 氷雪の門」 監督 村山三男 製作総指揮 三池信 小倉寿夫 製作 望月利雄 守田康司 脚本 国弘威雄
出演者 二木てるみ 藤田弓子 岡田可愛 鳥居恵子 栗田ひろみ 音楽 大森盛太郎 主題歌 九人の乙女
あらすじ
終戦間際の1945年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた(樺太の戦い)。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。
8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出された。そのため引揚者も順次でたが、8月20日のソ連軍の上陸掃討作戦開始まで間に合わなかった。
志願して職場に留まり、そのために追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。
九人の乙女の像にも刻まれた「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉。
1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送後も継続された、ソ連軍の樺太(現サハリン)侵攻がもたらした、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の悲劇(真岡郵便電信局事件)を描いている。
。原作は金子俊男の『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』。
元新東宝のプロデューサーであった望月利雄が真岡郵便電信局事件の映画化を立案、まず八木保太郎に、次いで松山善三に脚本執筆を依頼したが、八木稿も松山稿も反戦色の強い脚本となり、望月の製作意図にそぐわないものだった。
そこで望月は国弘威雄に依頼、おりしも発刊された金子俊男の『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』を原作にして国弘稿が脱稿された。
一方、製作資金集めに奔走した望月は、知人の斡旋で小倉寿夫(小倉興業社長、元新東宝専務)を紹介され、小倉の先輩である三池信(元郵政大臣)が協力を約束した。
1972年5月に三池会長、小倉社長、望月専務の顔ぶれで株式会社ジャパン・ムービー・ピクチュアー(JMP)が設立され、1973月5月末に『氷雪の門』は撮影を開始した。
ソ連戦車の進撃場面には陸上自衛隊の協力が必要と感じた望月は、4年にわたり防衛庁と交渉を続け、その努力が実って、御殿場で撮影された戦闘場面には、戦車18台がソ連戦車として登場している。
完成した『樺太1945年夏 氷雪の門』は、多くの団体から推薦され、1974年4月から東宝系劇場での上映が予定されていた。「東宝配給」という記述が今も散見されるが、この時点では『樺太1945年夏 氷雪の門』はJMPの自主配給であり、東宝は劇場チェーンとして上映を行なう予定であったにすぎない。
だが、1974年3月7日、モスクワで開かれた東宝・モスフィルム合作映画『モスクワわが愛』の完成披露パーティーの席上、モスフィルム所長が「非常にソビエトにとって面白くない映画が東宝配給で日本で公開されようとしているのは理解に苦しむ」という苦言を口にした。
これは『樺太1945年夏 氷雪の門』配給 東映洋画部を東宝配給と誤解しての発言であり、パーティに出席した東宝のプロデューサーにとっては寝耳に水であった
この事実を掴んだ東京新聞モスクワ特派員が「東京のソ連大使館が内容を反ソ的とみているという話が当地に伝わってきており、代わりに“モスクワわが愛”の封切りさしとめの声も出ているようだ」と本社に報告、3月12日付け東京新聞夕刊は「ソ連『氷雪の門』に渋い顔」と報じた。
同日、かねてよりソ連の反応を気にしていた東宝営業本部は、自社チェーンでは『樺太1945年夏 氷雪の門』を上映しない旨を決定した。のち3月23日になってモスクワ放送が「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対して非友好的」という論評を流している。
東映の岡田茂社長が事態の収拾に乗り出し、自社が『樺太1945年夏 氷雪の門』を配給するという話を在日ソ連大使館の参事官に通したところ、「たいへん結構です」と感謝されたという。
だが、東映洋画部配給による8月17日からの興行は規模を大幅に縮小、北海道・九州での2週間ほどの劇場公開となり、ほとんど日の目を見なかった。
その後、一部名画座での限定上映や、ホール等での非劇場上映などがおこなわれていたが、製作から約36年後の2010年7月17日より全国で順次劇場公開されることになった。
撮影 西山東男 編集 エディー編集室 配給 東映洋画部 公開 1974年8月17日 上映時間 109分(公開時) 153分(ホール等での上映時) 119分(再公開時) 製作費 2億3千万円
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