2011年2月21日月曜日

竹島は日本の領土です


        2011年(平成23年)は竹島の島根県告示から106周年です。

              韓国による不法占拠から58年目です。



竹島とは?


 竹島は、島根県隠岐郡隠岐の島町に属し、隠岐島の北西約157km、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、その総面積は21万平方メートルで東京ドームの約5倍の広さがあります。島は飲料水にも乏しく人の常住には適しませんが、島の周辺一帯は南からの対馬暖流と北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに極めて豊富です。

 排他的経済水域200カイリ時代を迎えた今日、竹島周辺海域は、島根県のみならずわが国にとって水産業の発展と水産資源の確保の観点から非常に大きな価値をもっているといえるでしょう。


竹島年表(20世紀以降)

1904.9.29(明治37年)
中井養三郎、内務・外務・農商務省に竹島の領土編入と貸下げを出願
1905.1.28(明治38年)
閣議で竹島と命名し、本邦所属、島根県隠岐島司の所管とするを決定
2.22
島根県知事、島根県告示第40号で竹島の名称と所管を告示
5.17
島根県、竹島を隠岐国四郡の官有地台帳に登録
6.5
島根県知事、中井養三郎外3名に対しアシカ漁業の許可をする
7.22
海軍人夫38名竹島に上陸し、仮設望楼を建てる
8.19
島根県知事松永武吉、随員3名とともに海軍用船京都丸にて竹島視察
1906.3(明治39年)
島根県第3部長神西由太郎外43名、竹島の実態を調査
1939.4.24(昭和14年)
島根県隠岐郡五箇村議会、竹島を五箇村の区域に編入することを議決
1940.8.17(昭和15年)
島根県、竹島の公用を廃し、海軍用地として舞鶴鎮守府に引き継ぐ
1945.11.1(昭和20年)
海軍省消滅に伴い、竹島は大蔵省所管になる
1952.1.18(昭和27年)
韓国大統領李承晩、海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)により竹島の領有を主張
1953.6.27(昭和28年)
島根県、海上保安庁協働で竹島を調査し、韓国人6名に対し退去命令をし、領土標識(木柱)を建てる
1954.9.25(昭和29年)
日本政府、竹島問題の国際司法裁判所への付託を韓国に提議
1965.6.22(昭和40年)
日韓基本関係条約調印、竹島問題は解決せず
1965-1976(昭和40年-昭和51年)
島根県知事、県議会議長連名で国に対して竹島の領土権確保を要望
1977.3.19(昭和52年)
島根県議会、竹島の領土権確立及び安全操業の確保について決議
4.27
島根県竹島問題解決促進協議会(促進協)設立
1977-1955(昭和52年-平成7年)
促進協、国に対して竹島の領土権の確立及び安全操業の確保を要望
1987.3.11(昭和62年)
竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議設立
1982-現在(昭和57年-現在)
国への重点要望として竹島の領土権及び安全操業の確保を要望
2004.3.15(平成16年)
島根県議会、国における「竹島の日」制定について意見書を採択
10.25-26
島根県、「竹島の日」制定を国へ要望
2005.3.16(平成17年)
島根県議会、本会議で「竹島の日を定める条例案」を賛成多数で可決
3.25
島根県知事、条例を公布・施行


「竹島の日」式典 県招待の外相ら菅政権閣僚ら招待者6人全員が欠席へ

 政府は18日の閣議で、島根県が「竹島の日」の22日に開く記念式典に前原誠司外相、高木義明文部科学相、鹿野道彦農水相、佐藤正典水産庁長官、外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長、文科省の山中伸一初等中等教育局長の6人が招待されたが、6人全員が「日程上の都合」で欠席することを明らかにした。浅野貴博衆院議員(新党大地)の質問主意書に答えた。同式典には民主党国民運動委員長の渡辺周衆院議員が出席する。


自民党もそうだったが政権与党につくと、自国の領土などどうでもいいらしい、よく政府の大臣などは北方領土や竹島は勿論自国領土だと言っているが、自国領を守らない若しくは、相手が居るなどと戯けた事を言っているようでは政治家の資格はないので早急に退場願いたいものである。


 竹島問題は遠い何処かの島ではないのです、自宅で起きていることなのです、家の垣根を壊し隣の朝鮮人が我が家に居座っているのです、こんな事をされて黙っている者がいますでしょうか、私は草食系でもないし、犯されて快感を覚えるマゾヒストでも御座いませんので、武力を持ってでも朝鮮人を追い出したいのであります、ここタイで直近ではカオプラビハーン(カンボジア名プレアヴィヒア)で近隣の住民を巻き込んで銃撃戦になり兵士住民が血を流しました、国際司法裁判所も既にカンボジア領と認めているにも拘わらずタイは一歩も引きません、又タイの南部地域では此処4年間で兵士住民含め6000人とも7000人とも言われる人達が死亡しております、良し悪しは別として其れくらいの覚悟が日本にも必要ではないでしょうか。

2 件のコメント:

副長 さんのコメント...

今日は、攻めて来ます!

Unknown さんのコメント...

今日は韓国大使館ですか
しかし都内は凄いんでしょうね今日は。