トルコの新聞から
トルコの新聞で東京雑記という記事を見つけた、東京滞在中トルコ人が今の日本について面白いことを書いている。
イスラム金融が一番実践されているのは日本、日本の銀行は怠慢なところだらけですが、しかし他の国へ行けばそんなことは可愛いものです。イスラム金融で一番肝心なのはイスラム法(=シャリア)ですが、これを忠実に実践しているのは日本なのでは?
アメリカや先進国は銭儲け至上主義といいますか、日本も近頃はそのような者が多いような気がしますが。
何も日本がイスラム金融を真似しているわけではありません。
16世紀なかばに来日したフランシスコザビエルは「日本人は貧しいことを恥ずかしがらない。武士は町人より貧しいのに尊敬されている」と驚いた。武士は刀を持っていたから尊敬されていたのではない。高い倫理道徳ゆえである。日本ほど金銭至上主義と縁遠い国は、少なくとも欧米にはなかったと思う。(愚かなり、市場原理信奉者より)
歴史と伝統がある日本国においてはイスラム法をも網羅してしまうのです。しかしそれが崩れて来ているのは現実です。
簡単にご紹介いたしますとシャリア法では利子の受取が教典「コーラン」で禁じられているから金利という概念を用いない。取引相手等の当事者が教義に反する事業(豚肉、アルコール、武器、賭博、ポルノ等)に関わっていないことも、イスラム金融取引の大きな特徴です。
実際金利としてではなく違う方法を用いることが多い、例えばリース契約にするだとか、色々とあります。
Melih Aratの東京雑記
2011年12月25日付 Zaman紙
私はこの記事を、東京のホテルの部屋で書いている。
私は東京で何を見たか?日本では高額な買い物以外ではクレジットカードは使われないか、使われたとしても稀である。完全に現金に基づいたシステムとなっている。私は、欧米諸国を旅行するときは、様々な理由から現金を持ち歩くのがあまり好きではない。
買い物はクレジットカードでする。
世界で二番目に発展した国で、一部の順位では世界一位に来るような国で、クレジットカードが使われていない。トルコの銀行家は怒らないように。小売業者は一銭も銀行に取られることはない。
例えばあなたがあるレストランに行ったとしよう。このレストランであなたは食事をする。その後会計をする。この過程で銀行があなたか、またはレストランに直接行ったサービスがないにも関わらず、最後には銀行に2~5%の割合で手数料を支払う。この手数料は誰が払っているのか?
通常は業者が払っていると考えるだろうが、これは常に、客のポケットから出る金である。日本ではこれがない。こうしたことが利子をなくしまたはとても低く抑えているため、日本人はイスラム的な金銭感覚で生きているのかと考えずにいられなかった。
なぜなら、銀行の仲介が行われないことが、自動的に利子のシステムが入りこむのを防いでいるからだ。クレジットカードは90年代に日本に普及したという。しかしトルコや他の欧米諸国のように、人々はクレジットカードで過度に消費し、物価を上昇させ、90年代半ばにバブルがはじけた。アメリカで2008年に起こった財政危機が、日本では90年代半ばに起こり、徹底的な改革が行われた。現在すべての日本人は支払いに現金を使っているので、どれほど使ったのかを完全に分かっている。日本人は、一人当たりの貯蓄額が世界で最も多い。
世界の国々の多くの首都で、歩行者の交通違反が見られる。歩行者は大都市や首都で、ある程度の混雑に直面すると、自分たちのためにある赤信号を無視して横断歩道を渡る。
ニューヨーク、イスタンブル、ロンドン、パリ、その他の多くの首都で、道路に車がいないのを見た歩行者が、青信号を待たずに道路を渡る。世界で、私がちゃんと待つ人を見た最初の国民は、ベルリンのドイツ人で、二番目は日本人である。この二つの国民には共通の特徴がある。世界で最高の車を作っていることだ。ドイツはBMW、アウディ、メルセデスを、日本は世界の自動車業界のリーダーであるホンダと、トヨタを擁す。
社会という観点から見た、赤信号で止まることの重要性は、つまり社会のシステムや規則を身につけているということである。彼らはそれを自分たちの個人的な利益のために無視したりしない。
日本社会に関して、数多くの例が挙げられて語られうる特徴は、うらやむほどの規則社会、システム社会であるということだ。
世界のどこにでもあるように、日本にもトルコ人学校、トルコ語教室がある。これらに関して情報をくれた経営者と教師から、あることを聞いたのだが、それは日本に関して私が今まで知っていたことの中で最も驚いたことであった。
つまり日本の学校では、生徒が自ら掃除を行っているのだ。トイレ掃除以外の掃除をするための用務員はいない。
すべての生徒が自分たちで教室を掃除し、廊下を班ごとに拭き、ぴかぴかにしている。
学校の生徒に集団責任の考えを教えることほどいい教育はない。
日本にあるバハールエデュケーション株式会社のムスタファ・アスラン代表取締役から、津波で被害を受けた地域を支援するために被災地で支援物資を配っている時のことを聞き、私は驚きを隠せなかった。
支援を行ったすべての場所で日本人は、一定の量(ほとんどの場合は十分とは言えない物資を受け取った後、「私たちはこれで十分です。どうか残りをまだ支援が行き届いていない地域の人たちに届けてください」と言って、残りの支援物資を返したというのだ。これはなんという集団意識であろうか!彼らは危機のときでさえ、自分たちのことよりも他の人たちのことを考えているのである。
(翻訳者:菱山湧人)
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3 件のコメント:
結論は、なんなんだろう。
ただ素晴らしい人種だと云う事なのか、こんな馬鹿な民族だから、支那人に攻め落とされると云う意味なのか?
とうとうNHKの「坂の上の雲」が終わった。
最終回の前日あたりに、バルチック艦隊の敗因を実証する番組があった。
日露戦争は、ただ運が良かった、ラッキーだった戦争みたいだ。
結論ですか、自分にもよくわからないんですよね、しいて言えば外国人はこのように見ていますよという事でしょうか、国内にいると普通のことが外人から見ると普通じゃないんですよね、例えば指摘しているように掃除これは殆どの外人は日本人のようにできません、それとここには書いてありませんが、「段取り」これも出来ません、普通にこの様な事が出来るのは日本人ぐらいですね、しかしそれも崩れて来ているという事でしょうか、と心配しているんです。
坂の上の雲は見たんですがね、その番組は観ていません。なんという番組ですか見たいな、坂の上の雲も最終回は意図的というかなんというか、下らない作りになっていましたね。司馬遼太郎も如何なものかと思いますが、それをも偏向するNHKは一体何なんでしょうか、観てる人にあれが歴史だなんて思われたら困りますね。
まぁ、原作通りに乃木さんに対しては酷い。
児玉さんの事も、ちょっと意地悪に・・
まぁ、僕も実際に御会いした事があるわけでは無いので、否定はしませんが・・・
たぶんDVD出ます、海戦シーンはCGですが、過去ここまで迫力ある映像は無かったでしょう。
山本五十六も、期待できます。
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