2012年1月8日日曜日

軍馬

War Horse軍馬という映画が日本でも3月2日より公開される、スピルバーグ監督の作品で1982年に出版された小説『War Horse』を題材に、第一次世界大戦下、イギリスの農村に暮らす少年アルバートの愛馬であるジョーイが軍馬として売られ、フランスの戦地に送られてしまう。アルバートは徴兵年齢に満たないにもかかわらず、ジョーイと会いたいがため激戦下のフランスへ旅立つ。とこのようにまさに軍馬の映画なのであるが事も有ろうに邦題は『戦火の馬』と言う事になっている。日本では映画界も左翼が牛耳っている為、この様なことになるのだろうか、あまりにも情けない。スピルバーグ監督が泣いてしまう。

タイ中部のナコンサワンという街がある、チャオプラヤー川の源流があり昨年の洪水では街全体が1-2メートル冠水した街である。昭和20年8月タイ国に駐屯していた日本軍は連合国に武装解除を命ぜられ各地を転々としていた、昭和21年2月ナコンサワン及びナコナヨーク、タイ全土にいた日本軍軍馬1000頭以上が武装解除と共に銃殺された、それも友軍の手により銃殺されたのだ、軍馬といえども戦友である殺す側も殺される側もどんなに辛かっただろうか、馬を世話していた兵隊は何とか殺さずにすむように連合国側に嘆願したらしい、日本に連れて帰ることが出来なければ、タイにこのまま置いて貰えないか、しかし連合国側の返事は日本軍が使用していたものは全て廃棄、また軍馬や軍犬は銃殺と言うものだった、ここで言う連合国はイギリス軍の事である。

昭和17年3月有色人種によって大英帝国が初めて無条件降伏により武装解除を命ぜられた積年の恨みがあったのだろう、しかしあまりにも不条理である。

実は昨年ここには来たかったのですが洪水で同仕様もない状況でしたので、今に至りました洪水の心配をしていまして案の定、慰霊碑があるお寺もかなりのところまで浸水していました。

井上朝義氏(軍医、階級大尉、慰霊碑を建立された方)はこの様に語っている。
THAILAND-JAPAN FRIENDSHIP MEMORIALより
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page055.html
 インパールとコヒマの戦いで日本軍は大きな敗北をした。これが原因で各地の戦闘でも破れた。応援の部隊をいくら送り込んでも取り返すことの出来ないものだった。相手も認めた強い軍と兵だったが、高い山、深い谷、そしてジャングルに阻まれたのだ。

 将校朝義氏は病気が治り、急いでチェンマイに向かった。メーホンソンからアンプーパイを通って、チェンマイ県に入ったところがメーテンのバンメーマライで、そしてメーリンのノンホーンにある大きな基地に着いた。そしてここで日本の敗戦を知った。

 その後、ナコンサワンに行った。ここでは、世話する馬が30頭いた。日本兵は武装解除させられて捕虜となった。その後ナコーンナヨークに行くために、イギリス軍の命令で馬を殺した。大きな穴を掘って馬をいれて、頭を銃で撃った。
日本軍が使うものはすべて処分された。
 馬を殺したことはとても悲しいことだった。自分は悪いことをしてしまった。自分が感謝しているものを殺してしまった。本当は助けてあげなければいけないのに。そのときの馬の泣き声とその目は、今でもまぶたに残っている。イギリス軍には、馬を逃がしてくれと強く嘆願した。しかし相手は冷たく断った。これは戦争のルールだと。当時ナコンナヨーク県のカオチャゴでは、1千頭を超える馬が同じやり方で殺された。日本の馬はタイの中に残さなかった。

 馬の世話をしていた兵隊はとても心を痛めた。胸がしめつけられるような思いだった。馬とは長い時間をすごしてきた。そして苦しいとき楽しいときも一緒に、戦争を乗り越えてきた。馬は自分の子であり友であった。馬は人を覚えていた、その匂いも知っていた、命令も理解していた。食べるとき、寝るときも、戦争で一緒に苦労した仲間だった。馬も人を愛していた、人も馬を愛していた。

 銃で一発一発、馬の頭を撃った。馬は驚いて叫んだ。そして馬は、互いに隣にいる馬の目を見て泣いた。自分を撃った人は、私が好きで信頼している人だ。もしもこのことが人間だったら許されることなのですかと。なぜ自分を殺すのか、自分は何を悪いことをしたのか、裏切り者と!叫びたい気持ちだったのではないのか。
 馬は戦争に行ったとき爆弾の音、銃の音に驚くことはなかった。こんな馬たちだったが、このとき初めて銃の音に驚き、そして今までに聞いたことのないような叫び声をあげて泣いた。馬は自分が殺されることが分かったのだろう。このときの泣き声は、馬たちの本当に悲しい泣き声だった。このとき日本の兵隊はみんな泣いた。そのまま埋葬した。そして馬が天国にいけるように祈った。

 戦後も、このときの馬の泣き声が心の中にあった。40年経ってナコンサワンに来て、馬の法要を行い、そして慰霊碑を建てた。馬の慰霊と自分の償いのために。

井上朝義氏の忘れられない思い出より



奥に見える2頭の馬の慰霊碑





ここまで水が来た



少々荒れてはいましたがこれがお寺だからこのくらいですんでいますが、何処とも知れない所に建立していたらもっと朽ち果てていたでしょう、日本人もほとんど来ることが無いので馬も泣いているのではと思い、熊本県護国神社より頂いた神酒を持参し、一様ロンポー(住職)にお酒をかけて良いですかとお伺いして(タイのお寺では酒の持ち込みや飲酒は厳禁)、許可をもらい神酒を上げてきました。
この後ロンポーが日本の馬は酒も飲むんだねと笑っていました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

読んで泣いてしまいました。

東郷 さんのコメント...

ロンポーが色々と説明して下さり、資料ももらい、画像にもあります馬の遺骨を見た時は胸がつまり、目頭が熱くなりました。