2013年2月6日水曜日

2月7日は北方領土の日



北方領土の日


◆連合国の「領土不拡大」原則 第2次世界大戦で連合国がとった戦後処理の原則。日本・ドイツ・イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、そのほかの土地の割譲は求めないというもの。日本にたいしては、1943年に米英中3国首脳が発表した「カイロ宣言」で明確にされました。45年7月の「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、ソ連を含む連合国全体のものとなりました。

 ◆ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」 アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳は、第2次世界大戦末期の1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開きました。この会談でスターリンは、ソ連の対日参戦の条件に、日本の正当な領土である千島列島の引き渡しを要求。米、英ともこれを認め、3国の秘密協定に盛り込まれました。

 ◆サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」 第2次世界大戦後、日本がアメリカなどと1951年に調印した「サンフランシスコ平和条約」の第二条C項のこと。千島列島については、日本が「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。この条項は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。

 ◆幕末・明治初期の日ロ間の国境画定条約 条約は2つあります。最初の条約は1855年(安政元年)の日魯通好条約で、千島列島の択捉(えとろふ)島以南を日本領、得撫(うるっぷ)島以北をロシア領とし、樺太(サハリン)は両国民混住の地としました。政府は条約を結んだ2月7日にちなんで、この日を「北方領土の日」としています。その後1875年(明治8年)に結んだのが樺太・千島交換条約。樺太全体をロシア領とする一方、ロシア領だった得撫島以北の千島は日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。


ヤルタ協定なるものが今では何も書面すら残っていないと言う事は誰もが知る事実で、こんなものは履行する必要がない、ロシアがあくまでも返さないのならば放棄した千島や台湾や樺太も含め、当事者の住民投票などを含めて、島民に決めてもらおうじゃありませんか、今後島民へのロビー活動を含めてアプローチをしなければなりません。今後日本人になると選択する人はかなりの数に上ると思いますよ。

それよりも北方領土の事に関心も示さない日本人を装っている似非日本人の盆暗どもに怒りを感じる。


1日も早く全千島列島及び南樺太を取り戻しましょう。



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