2015年11月27日金曜日

テインセイン大統領こそノーベル平和賞

良い悪いの選択だけだったような気がする。

USDP=軍事政権=悪 

 NLD=アウンサン将軍=アウンサンスーチー女史=良い

テインセイン大統領率いる与党USDPの解せない部分が多々ある。

初めから選挙に負けると思っていた節がある、それではなぜ対策を講じなかったのか、対策が出来なかったもしくは負けてよいうと思っていたのではないか?

以前テインセイン大統領はこんなことを言っていたことがある。

「ミャンマーの民主化が進めば軍人は兵舎に帰る」と2012年に語っている。

軍人議員を政治から遠ざけるために一度は下野すれば、混乱なく今後民主化が進むと思ったのではないか。
以前これに似たような話を聞いたことがある、1970年代経済をシナ人とインド人に牛耳られていた際、ネ・ウィンは鎖国し、貿易を絶った。ために経済は停滞してビルマは最貧国に落ちた。

彼はまたデノミと借金を棒引きにする徳政令を何度もやった。
貿易をとめられたうえに徳政令では経済と金融を握っていた華僑やインド人には何のうまみもなくなって、ビルマから出て行った。

残るは警察と軍隊を握る山岳民族だが、ビルマ人は山に帰れとは言わず、共存を訴えた。
その証としてビルマ人の国を意味する「ビルマ」を「ミャンマー」に変えた。

華僑やインド人を追い出すために、自ら進んで世界でも最貧国に落ちたのである。

先の前例のようにビルマ人は先を読む力がある、テインセイン大統領も自ら軍を捨てたのではないだろうか民主化のために。


これを本気でこのシナリオを考えていたとしたら、テインセイン大統領こそノーベル平和賞である。



2015年11月19日木曜日

ビルマの夜明け

ミャンマー総選挙

11月8日ミャンマーの総選挙があった、大方の見方通りNLD国民民主連盟の圧勝に終わった。

選挙の前にヤンゴンに住む友人と電話で話した際、メディアが言う程NLDは勝たないよという言い方をしていた、私もそう思った、それは現在の民主化のロードマップを敷いたのはテインセイン大統領であるからだ、アウンサウンスーチー氏を解放したのもテインセイン大統領である、しかし国民は評価しなかった。
軍の陰りでも見えるものは嫌だと言う事なのだろう、気持ちはわかるしかし政治家一年生に何が出来ると言うのだろうか?

僕も見立てでは少数民族地域で多少は地域政党が勝つのではないかと思ったが惨敗であった。

変革の言葉に騙されたのだろうか?

今からが正念場、国防大臣以下3大臣は軍からの選出である軍抜きでは現憲法下では政治はやれない、「ビルマの夜明け」となるのだろうか?




2015年11月18日水曜日

モエイ川を渡れ

桜街道慰霊祭

11月11日ターク県メーソートにて桜街道主催の慰霊祭が執り行われました。
自由戦士の碑
カレン解放軍に軍人軍属として身を置き戦死戦病死された日本人3戦士の碑である。
メーソートの町からモエイ川沿いを20キロほど走った処にお寺があるがミャンマー側が見える位置に碑は建っている。

ミャンマーを眺めながら当時「モエイ川を渡れが」合言葉ではなかったのだろうかなどと思いにふける。




カンチャナブリ日本軍鉄道隊慰霊塔

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