2009年2月27日金曜日

228事件


【 張七郎の死は政敵の報復 】
中央研究院台湾史研究所は26日、228事件の新しい資料を公開した。そのなかに1947年に花蓮県で殺された張七郎父子3人は落選を恐れた政敵の張文成・花蓮県長が21師団の連隊長に密告し、「密裁」(秘密処刑)されたとする公文書があった。研究所所長は「スパイが情報を軍に手渡したために処刑された。資料は歴史の真実を表している」と語っている。張三郎の孫は「そのような資料は前からあった。処刑は意外、濡れ衣だったと言いたいのだろうが、殺害は国民政府がやったことは明白だ。研究所の発表は歴史を曲げている」と批判している。

【 第21師団は中国に戻る 】
228事件を主導した第21師団は陳儀の求めで蒋介石が精兵に編制替えして台湾に送られ、台湾のエリートを殺戮する「清郷」政策を執行した。台湾では5カ月駐屯しただけで、1948年8月に国共内戦のため支那に戻された。第21師団は上海防衛戦で解放軍第31軍によって壊滅された。その解放軍第31軍の中には多くの台湾人兵士が含まれていた。陳儀が1946年に国府軍として送り込み、さらにこの軍が解放軍に敗れ、解放軍に組み入れられたからだ。台湾人兵士はその後、さらに義勇軍として朝鮮戦争にも送られた。張七郎を殺すよう指示したとされる張文成・花蓮県長は228事件後、行方が分からないが、支那に戻ったとも伝えられている。張七郎は当時、国民大会代表で県長選挙に立候補が伝えられていた。

228事件
日本に洗脳されたと間違った分析をした国民党

1945年に日本が敗戦した後の台湾には、連合国軍の委託を受けて日本軍の武装解除を行うために大陸から蒋介石率いる支那国民党政府の官僚や軍人が進駐し行政を引き継いだ。

大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で質が悪く強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

比較的不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいものであった。人々の不満は、いやが上にも高まっていった。
台湾の人々は、自らを近代化した存在と自負し、日本時代に作られた議会を発展させて自治政府を作りたいと考えた有力者もいた。だが、大陸からきた人々(外省人)は、「台湾人が受けた日本の教育は奴隷化教育であり、日本に洗脳された台湾人の文化や自治意識など、尊重するに値しない」と考えた。しかも支那からきた国民党政権は腐敗しており、日本から接収した財産を私物化する傾向が強かった。

 こうした摩擦の上に、日本時代に政府の専売品だったタバコ、酒、石油製品などの販売が、国民党政権になっても自由化されなかったことが、台湾人の反感を強めた。ヤミでタバコを売り続ける市民に対し、国民党政府は専売局の武装した取締官を巡回させ、摘発に抵抗する市民を力で弾圧する政策を展開した。

1947年2月27日、台北市内の市場で専売局の取締官が、ヤミタバコを売っていた女性を見つけ、制裁のため暴力をふるったことから、周りにいた市民が取締官に詰め寄り、恐怖を感じた取締官が発砲し、市民一人を殺害して逃げた。

翌2月28日、この事件に抗議する市民のデモ行進が企画され、台北市内を専売局に向かって行進しはじめたが、国民党当局はデモ隊に向かって発砲し、多数の死者が出た。事件当時の台北の政府当局は、南京の中央政府に向けて「台湾人は国家に叛旗を翻し、独立を企てている」という報告書を送り、この事件は反逆罪なので厳しい鎮圧が必要だと要請した。

台北の当局は大陸からの応援軍を待って、台湾人に対する弾圧を強化して戒厳令を敷いた。40年後の1987年まで、戒厳令は解除されなかった。

蒋介石が支那共産党軍に敗れて台湾に敗走したのは1949年であリ、それ以降主権の問題や日本の領土放棄など踏んだり蹴ったりである。
日本人の中に、現在でも台湾が中国の一部等と思い込んでいる者が可也いる、当時の支那共産党、国民党全て満州人に支配されており、日本が領土放棄した時点では中国其の物が無かったのである。

したがって台灣は中華人民共和国の一部ではない、と言える。

満州人というの漢族とは全く別民族なのです、日本人に有りがちな考え方大陸は繋がっているので、大して違いは無いだろうと、日本人とロシア人位の違いがあります。

其れでは台湾の領有権は何処にあるか、本来ならばアメリカに有る筈ですが、此処は日本が今まで台湾にとって来た態度等をを悔い改めて、台湾の本土復帰(日本、内地)を適へ用では有りませんか。
勿論台湾人の主権は台湾人自身がその帰属を決めるべきでありますが、これからも今までの様な曖昧な政策を日本政府が取るようであれば、台湾はどんどん日本から離れていきます。
此れだけは、知って置いてください、竹島、北方領土同様、台湾を守らなければ、今後日本の生きる道は狭まれるのです。

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