2009年11月22日日曜日
ペダルの進軍
英領マレーへ進軍したわが主力部隊はまず國境に近いジツトラで激戦した。英軍はこのジツトララインで少なくとも三ヶ月は日本軍を支へるつもりであはよくばここで撃退する目算でもあつた。戦争は緒戦によつてその運命が決まるといはれるが、マレー戦線における緒戦はこのジツトラ戦であつた。敵の防備は将に堅固を極め道路両側のゴム林に張りめぐらされた鉄条網は、その深さにおいても長さにおいてもマレー戦線では最大のものであつた。これが攻略の先陣には鉄牛部隊が起つた。装甲自動車以外には戦車らしいものを持たない敵軍は巨大なる戦車の出現に度肝を抜かれたらしい。しかも巨大なる戦車群は鉄条網をメリメリと破壊していきなり的中奥深く進入していつた。
黒人部隊の伝令兵がわが戦車の進む方向とは逆に走つて行つたくらゐである。即ち敵の本部を踏み越えて戦車は驀進して行つたのである.敵はこの戦車めがけて項強な手榴弾戦を試み阿修羅のごとき戦車群も手榴弾の猛雨の中に幾たびか危機に陥つた。十一日午後一時から開始されたジツトラ攻略戦は翌十二日の午後六時まで続けられたが三ヶ月の予定は僅か二十九時間で崩れていつた。敵はこのとき手も足も出ず日本軍の強さを認めなければならなかつた。
苦しい戦いの渦中に入つた兵隊さんたちには申譯ない言葉であるけど、戦線はジツトラ以降は漸く南國的な明るさに満ち坦々と果てなく続くマレー街道をやさしいマレー民衆に迎へられながら椰子の水を飲みマンゴスチンをもぎつつペダルを踏んでゆくアスファルト進軍が続けられた。パンクをすればゴムの汁で直し、壊れればマレー人が新車を提供してくれる。新しい銀輪の大隊列が軽やかに進んでいく後を占獲自動車を加へて太りに太つた自動車隊の段列が百キロも二百キロも続いてゆくのであつた。
太陽こそ 灼熱の攻勢 ではあるけれど道行けばゴムの樹蔭あり、清らかな水は流れ野には南國の花々が乱れ咲き十指にあまる野生の果物が熟していた。星も月も供に美しく、憧れの南十字星の如きも、兵隊さんの表現によれば“ふだんに見られ”特に蛍の光はたけり立つ心を慰めてくれた。
一理毎に規則正しくたつてゐる道しるべを頼つてゆけばそこには美しい町が待つてゐた。ジツトラ戦を了へて累々と道路を生めた敵屍の山を越えると、そこに白亜の回教寺院が青い空に聳へてをり、それの周囲には目を奪ふやうな王宮があつた。美しいこの王宮を囲んで緑の芝に包まれカンナの花に飾られた別荘風の住宅がいくつもいくつも並んでゐた。アロースターの町である。印度人の床屋が器用な手つきで兵隊さんの頭を刈りフランス製の香水をふんだんに振りかけてくれる。
ここから暫く行くとタイピンの町があつた。連邦首都のクアラルンプールに次いで美しい町である。郊外は小高い丘に囲まれ花々に満ちた住宅街があつた。この町には堂々たる兵営があるのだが、僅か六発の爆弾でくしくも敗れ去り、空っぽの兵営の近所には有名なタイピンの博物館があつた。その昔子供を轢かれた親の象が子の仇を討たんと列車に頭を打ちつけて格闘を挑み哀れにも死んでしまつたといふ物語があるが、その巨像の骨が入り口近くに飾つてあつた。金銀で出来た陳列品は采く英濠兵や暴民に掠奪されたが土器や石器はまだそのまま残つてゐた。連邦第一といはれるこの町の公園野猿の群れが走つてゐた。
また自動車の征旅も楽しかつた。戦争とは決して射合ひばかりではない。めまぐるしく遷る環境の中に捏しい“生活”を維持してゆくことも大切なことである。兵隊さんはこの“生活”の維持に天才を発揮する。僅かな小休止の間でも薪を集め水を発見して飯を炊く。きつちりとつまつた生活時間表のなかから睡眠時間を割り出し暇があれば枕を発見しベッドさへ持つてくる。マレーでは敵の遺棄品がおびただしい。ミルク、バター、チーズ、牛乳、コーヒー、砂糖等が山と積まれていることがある。わが兵隊さんたちのトラツク時としてこんな戦利品で一杯になつてゐる。
停止してゐるトラツクの段列を縫うてゆくと「記者さん、コーヒーはいかが」「ミルクはいかが」などと呼びとめられ、時には「焼鳥を食つて行つて下さい」などともいはれる。浅草か銀座を歩いてゐる風景であつた。音楽の好きなインド人が時々バイオリンを持つて戦陣慰問にやつて来る。クルアンの町では「皇軍歓迎の歌」を作詞作曲自演奏といふ印度人さへあらはれた。
しかし楽しい征旅も永らくは続かなかつた、ジツトララインから一斉に敗走した敵は橋梁破壊と地雷施設でわが軍の進撃を遅らせながらイツポ、カンバル、タバー、スリム、タンジョンマリム一帯に幾重にも敵陣を構築し、英兵、豪州兵の精鋭をくりだし、ライオン中将を更迭してパーシヴァル中将に代わらせ一大反撃を企てした。一本の道路上に行われてゐた戦争は籔條の戦線に分れ舟艇機動やジャングル迂回が活発に行われ始めた。主力部隊が西海岸本道近くのジャングルを突破する一方、吉田部隊はベラ河をを南下、また三柴、市川両部隊はマラツカ海上を舟艇機動によつて敵の背後を深く突くなどベラ州全土に多彩な戦局が発展した。敵の使命はまさにこの殲滅戦によつて制せらるべき運命にあつたが元旦前後の猛攻を支へ切れずくしくも敗走した。わが軍はこれをスリムで包囲して最後の一撃を加へたがスリムのいたる或るゴム林の中には折り重なつた六百の敵屍が二キロ四方に屍臭を漂はせてゐた。
一斉に敵を撃墜して半島随一の美しい都クアラルンプールに入城したとき、あんなに楽しみに指折り数えて待てゐたお正月がもう十日も前に終わつてゐることに気がついた。お正月を誰も想ひ出すことが出来ないくらゐ激しい戦ひの二週間であつた。かうしてシンガポールへあと二州を残すのみ、戦局は最後の決戦に近ずいてゐた。
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鳩山・オバマの記者会見後のカルザイの話かな
「イェス、ヨッシャ ラッキー」5000億これで薬物販売は一休みするかな、弟に連絡してをこう
由紀夫ちゃん なんゐよるん ほんと馬鹿ヤネ
実際我々を何処に連れて行くつもりなんですか、まさか宇宙の果てじゃないでしょうね
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