2010年8月10日火曜日

韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会

《韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会》が下記の要領にて開催されます。
同志の皆様のご参加を熱望して、至誠をこめ、ご案内申し上げます。
【三澤浩一】



《韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会》

 韓国併合百年に当る今年、菅直人内閣は8月15日に、これに関する「謝罪談話」を出す意向です。これに全面的、根本的に反対する国民意思を示す集りです。これは、韓国併合や日本による朝鮮統治等に関する「歴史認識」を問うものではありません。両国関係、ひいては諸外国との外交関係を何に基づいて構築するか、を問うものです。これこそ日本の古代からの対外関係の課題でした。いま問われているのは、私たち日本の「独立意識」です。

【日時】

 8月12日(木曜日)13時~14時半

【会場】
 憲政記念館 第一・第二会議室
(東京都千代田区永田町一丁目1-1/電話03-3581-1651 /丸ノ内線・千代田線「国会議事堂前」2番出口から徒歩7分/有楽町線・半蔵門線・南北線「永田町」2番出口から徒歩5分)

【登壇者】
与野党国会議員、地方議員、有識者(詳細後報)

【主催】
 韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会実行委員会

【呼掛人】
 荒木和博・井尻千男・遠藤浩一・小田村四郎・小堀桂一郎・高池勝彦・田久保
忠衛・藤岡信勝(順不同・8月8日時点)

【参加費】

 無料

【告知】

 http://www.blog.goo.ne.jp/shazaihantai

【問合せ】

 福永090-7725-6256
中村090-4815-8217
jiyunippon@victory.nifty.jp

【開催趣旨】
 今年は大韓帝国をわが国に併合してから百年目に当る。菅直人内閣はこれを機会に、来る八月十五日に、これを謝罪する「首相談話」を発表しようとしている。
 明治四十三年(一九一〇年)の韓国併合条約は、当時列国から承認され、また今日においてもその国際法上の有効性は、世界の学者から認められている。わが国の敗戦と大韓民国の成立をうけて、昭和四十年(一九六五年)の日韓基本条約及びそれに伴う日韓請求権並びに経済協力協定が結ばれ、日韓関係には新しい時代が開かれた。
 これらの取り決めにより、日韓両国は、相互に相手に対する請求権を放棄し、日本統治時代の個人補償請求問題も「完全かつ最終的に」解決されている。
 以後、日韓関係は、竹島問題をトゲとして内包しつつも、北朝鮮とそれを支援する内外の共産主義勢力の妨害を双方の協力で排除しつつ、おおむね良好に進展してきたのである。
 ところがその後、昭和五十七年(一九八二年)、中華人民共和国がわが国の教科書問題に内政干渉を行ったのを契機として、日韓両国間にいわゆる「歴史問題」が生じてきた。以後、韓国は、わが国を道徳的に断罪し、国家としての「謝罪」と「補償」を要求してきた。
 こうした中で起こったのが、いわゆる「従軍慰安婦強制連行」問題である。平成五年(一九九三年)に、問題の沈静化を狙って、「従軍慰安婦」「強制連行」の事実を認めたかのような河野官房長官談話が出されたが、かえって両国間の紛
糾は激化した。
 国家関係に「歴史認識」の共有を強要し、或いは執権者の道徳的な気分と個人的感傷をもちこみ、確立された条約・協定をゆるがせにすることの間違いは、戦後の日韓関係を巡るこれら紛議の事例によって既に証明されている。そもそも「謝罪」には「償い」が伴うことは、世界的常識であるから、請求権を解決した条約・協定と矛盾しない「謝罪」などありえない。しかも国家の行為を総体として「謝罪」「補償」することは、相手国の名誉を重んじる立場からも、決して行ってはならないものである。
 我々は、日韓両国、ひいては日本の対外関係は次のような原則に基づくものでなければならないと考える。
 第一に、両国関係は、いわゆる「歴史認識」から独立していなければならない。両国関係を特定の「歴史認識」によって基礎づけることは、いずれか一方の歴史認識を相手に強要することになる。
第二に、両国関係は、一方の側の道徳的優越感や断罪と、他方の側の謝罪とに立脚してはならず、国際法に基づき、条約に基礎をおいて善隣友好の関係を築くべきである。「謝罪」が無意味だからこそ条約を締結し、物事は終ったこととするのであり、それが文明国の流儀なのである。
 以上の理由により、我々は、菅内閣による「首相謝罪談話」を取りやめるよう強く要求する。またかりに、文明国の流儀に反して、そうした「談話」が発表されたとしても、それは、当該地位にその時に就いていた者の個人的感想の表白に過ぎず、我々日本国民を、法的にはもちろん、道徳的にも、思想的にも、歴史的にも、拘束するものではないことをここに表明する。
(平成22年8月8日記)


エノラ・ゲイ機長の息子、米大使の広島訪問批判

広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子が5日、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかった」「暗黙の謝罪だ」などと批判した。米CNNテレビの電話取材に答えた。

 取材に応じたのは、機長の息子で米アラバマ州に住むジーン・ティベッツ氏。「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」とも述べた。同氏は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく、戦争を止めたのだ」とコメントしていた。

 米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例。CNNはプライムタイムの番組内で、ルース大使の映像を交えて報じた。ティベッツ機長は2007年、老衰のため92歳で死去した。

 私はここで何度も書くが、アメリカ人はいまだに日本人を猿ぐらいにしか思っていないのである、調査ではアメリカ人の大半が原爆投下に間違っていないと答えている、それではあの広島長崎の式典に来ているアメリカ人は何なのであるか、悔しくてたまらない。
この日が近づくと何時も思い出されることがある......

 人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。
 同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。
 この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。
 落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。


ラダビノード・パール




激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて 死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない

抑圧されたアジアの
解放のため その厳粛なる
誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の
中に在る その啓示
に従って 我は進む


一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール

メコンの風に吹かれながら祖国を想う

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