2011年2月4日金曜日

エジプトのニュースに押されて全く国際政治の表舞台から消えているニュース

ニュースクリップタイ

これも凄い事件なんだけど

自動小銃乱射、住民5人死亡 タイ深南部パタニー

3日朝、タイ深南部パタニー県パナレ郡の村で、ピックアップトラックに乗った数人の男が路上の住民に向け自動小銃を乱射し、73歳の男性ら5人が死亡、12歳の少年を含む4人が負傷した。死傷者はいずれも仏教徒住民。治安当局は周辺一帯を封鎖し、犯人グループの行方を追っている。

 パタニーでは同日朝、7カ所で古タイヤや電話ボックスが放火される騒ぎもあった。

 タイ深南部(ヤラー、パタニー、ナラティワートの3県とソンクラー県の一部)はマレー語方言を話すイスラム教徒が多数派で、タイ語、仏教徒が中心のタイで異質の地域となっている。タイからの独立を求めるマレー系イスラム組織による武装闘争が2001年から激化し、過去6年で約4000人が銃撃、爆破などで死亡した。

 今年1月19日にはナラティワートのタイ軍基地が数十人の武装グループに襲撃され、タイ軍兵士ら4人が死亡、7人が負傷し、銃、銃弾多数が奪われた。ヤラーでは同25日、山道を走行中のピックアップトラックが道路に埋設された爆弾の直撃を受け、猟から帰る途中の住民9人が死亡、2人がけがをした。今月1日にはヤラー市郊外の草むらで、ナラティワートに住む仏教徒の一家4人の射殺体が見つかった。




軍が軍服の着用に警告

2011年02月02日付 Al-Ahram紙


軍は、軍に属さない人間が軍服を着ることに警告を発した。これに反した者は軍事法廷で裁かれることを強調した。実際に、軍服を着用した何人かの人間が逮捕されている。

彼らは民間人のなかに入り込み、人々の間に対立を発生させ、デマを流した。また武器を集め、パニックを引き起こして市民と軍の間に対立を起こそうとした。



デモ参加者らを襲った「ムバーラク派」について


2011年02月02日付 al-Quds al-Arabi紙

用心棒たちはムバーラクを救えない

エジプト政権は、罪なき人々の死体を残さねば去らぬつもりらしい。人々は、文明的な手段で現政権に無血の退陣を要請し、30年の抑圧と腐敗による悲惨な現状から自国を再生すべく、新たな指導層を選出する場を明け渡せと言っているのだが。

タハリール広場でデモ隊を攻撃しているのは、民主主義者たちではなく市民でもない。彼らは、あらゆる醜悪な手段を用いることで国民に忌み嫌われている治安要員の集団である。

ムバーラク大統領はエジプトを炎上させる決意を固めつつあるようだ。殺戮と破壊以外の言語を解さず、奉仕すべき国民を飲み込んで口を拭うことしか知らないかのように。

テレビを通して我々が見たタハリールでの流血沙汰は、不公平なものであった。一方は、エジプト再生を願い、その国力で飢える国民を救い国の尊厳を回復したいと思う人々で、もう片方は武装治安部隊である。彼らは、国民がもうたくさんだとして平和的な抗議を通じ終わりにすると決めた政権を救おうとしている。

デモ隊へのこのファシスト的攻撃が昨夜の大統領スピーチの後に行われたのは偶然ではない。スピーチで大統領は、国外退去はせず、この9月まで大統領官邸に居座り、改憲により国民の要請に応え自由でクリーンな選挙を実施すると述べた。

しかし、独裁者は改革の約束を守らず、国民の要請にもこたえない。時間を稼ぎ怒りの波が引くのをまって、敵対者に襲いかかり粛清する。ムバーラク大統領もその一人だ。

百万がカイロの中央広場へ出て退陣を叫んだとしたら、それは国民投票に等しい。受理し、その要請に沿って動くべきであろう。だがムバーラクは元々投票箱に信をおかない。エジプトの国民感情など尊重してこなかった。彼の政権はねつ造行為のモデルとなり、その専門家たちを近隣諸国へ輸出しているほどだ。

大統領と政権幹部らが発する挑発的な口調は驚くべきものではない。彼らが暴力に訴えたのも不思議ではない。彼らが同盟国イスラエルに「アドバイスを求めて」きたことが今、流血という形で実を結び始めた。イスラエルはエジプト革命に恐れおののき、現政権救出に動いた。ワシントン他欧米政権との関係と巨大なマスコミの力を用いて政権継続を訴え、その代替手段を世界は恐れるべきと主張している。

ムバーラク政権があと7カ月残存すれば、恐らくその後数年間さらに延長される。それは、エジプト国民の福祉と利益には適わない。しかしキャンプデービッド合意の維持には貢献する。つまり、イスラエルの国境と安全を守るエジプトの役割を残すことができ、抵抗勢力に対抗できる。抵抗勢力とは、アラブ再生を望みイスラエルの傲岸さゆえに中東地域が陥っている恥ずべき状況に終止符を打とうとする高貴な勢力のことである。

治安部隊を用いて混乱と恐怖をばらまいているムバーラク政権の戦略は明らかである。治安部隊による強奪、放火は、政権交代とは混乱と無秩序を意味するという意識を国民に植え付けるためだ。そうでなければ、平服で破壊行為を行ったのち、この部隊が街頭や公共施設からあっという間に消えた説明がつかない。

偉大なるエジプト国軍が、圧政者側にすり寄り、政権の用心棒集団と歩調を合わせたのをみて、我々は苦々しさを禁じえない。中立姿勢はごまかしだったのか。毅然としてエジプトの尊厳を守りアラブ・イスラーム共同体全体の襟を正させたこの軍が、ごろつきの用心棒どもをタハリール広場に通すとは、我々は思っていなかった。この数日間平和的な抗議活動を維持し、軍は味方だと思っていた国民を守るために介入もしないとは。

我々は大殺戮の鳥羽口にいる。国民の間に亀裂が起きることは大打撃である。国民が一丸となって暴力を回避し、圧政に抗議してきたことに意味があったのだ。


デモ隊が国を破壊すると、エジプト政権関係者は繰り返し述べていた。政権こそが国の維持を保証していたのだと言う。しかし事実は逆で、国とその諸機関を破壊するのは腐敗に染まった彼らである。国民を襲わせるためにごろつき集団の手綱を解き、権力の座から離れようとしない。

専制政治は多々行われてきたが、ムバーラク大統領のように自国を破壊しようとする独裁者はそういない。イランのシャー、エジプトのファールーク国王、フィリピンのマルコスでさえムバーラクとその取り巻きに比べればかわいいものだ。彼らは国民に拒否されている事を理解し国を去った。彼らの軍は国民の要請を支持したのだ。国軍と国民は分かちがたいものであり、国民の血を流すことは軍にとって大罪にあたるからだ。

エジプト民衆革命は、専制政権が追い落とされ、偉大なるエジプトに自由と尊厳の太陽が昇るまで続くだろう。高潔なるエジプトの人々は、犠牲にひるまず道半ばであきらめない。彼らは自由を実現するだろう。いや既に彼らは自由そのものだ。殉教者の血から新生エジプトが立ち上がるだろう。暴君は去り、エジプトとその国民が残るのだ。

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(翻訳者:十倉桐子)


シリア:アサド大統領支持派と反体制派が「フェイスブック」でネット戦争


2011年02月02日付 al-Quds al-Arabi紙

アサド大統領支持者とダマスカスで「怒りの金曜日」断行を呼びかける人々による「フェイスブック」を舞台としたネット戦争

SMS「フェイスブック」で現在、シリアのバッシャール・アル=アサド大統領を支持し、シリアの現指導部に反対する集会やデモの呼びかけを拒否する人々と、デモを主唱し、様々な名前で決行日を指定する人々がネット上で熱い戦いを繰り広げている。

シリアで規制されている「フェイスブック」上には、在外居住者によるものと思われる様々なグループが作られている。これらのグループは首都ダマスカスでシリアの現体制に反対する抗議行動を呼びかけている。さまざまな名前がつけられたこれらの呼びかけのなかで代表的なのが「シリア怒りの日」、「シリア革命」を名乗るグループである。これに対して、この呼びかけを拒否し、大統領への愛を誇示し、彼を「レジスタント、勇敢」と称賛するグループも数多く作られている。こうしたグループのなかでもっとも代表的なのが、「2月5日[にデモ実施を呼びかける]立場に反対」、「シリア怒りの日に反対」、「シリアをアッラーが護らんことを」といった名を冠するグループであり、いずれもシリアの地図にアサド大統領の顔をあしらい、「我々は彼を愛している」という言葉が書かれた写真を掲げている。

「シリア怒りの日」を名乗るグループのなかで作成者は次のように書いている。「我々の決行日は2月4日の金曜礼拝の後である…。我々の決行日は変革とともにある…。我々とともに平和的デモに参加しよう…。シリアのすべての都市で…。我々の要求が実現されるまで」。

これらのグループはまた、「自由シリア人」と彼ら自身が名づける在外居住者に対して、同じ日時に居住地のシリア大使館前でデモを呼びかけている。この呼びかけはとりわけヨルダン、イエメン、トルコ、カタル、イラク、レバノン、ロンドン、米国、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランス、ドイツ、カナダ、ノルウェー、オランダに対して向けられている。

一方、「あなたのプロフィール写真をレジスタンスする指導者バッシャール・アサドの写真へ替えよ」を名乗る別のグループは次のようなメッセージを載せている。「シリアの旗と指導者バッシャールの写真を各人の窓やバルコニーに掲げよう。その日は、国中をシリアの旗とレジスタントであるバッシャール・アサドの写真で飾ろう。自らの手で、その日を誇りの日としよう。シオニズムの汚れを知らず、世界の諸国民のなかで尊厳を護り、勇気と能力をもって諸権利と公正なアラブの大儀を常に支持し、不正に喘ぐ人に対して門戸を開け放ち、その権利回復を支援してきた白い手で。これこそ、我々自身があなたに対して誇るゆえんなのである」。

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(翻訳者:青山弘之)



Egyptと言ったらアラブのタイと言われくらいボーとしてまして、どことなくタイに似た国なんですけど物価も安く観光客には適度に楽しい国なんですね。

本当に貴方達そんなに虐げられていたの????

 よく解らないなニュースなど読んだところで全然解らない、イスラムにはどの國も最高意思決定機関、イスラム評議会などがあり、宗教警察などがある國が殆どだ、そのなかで民主主義など本当に育つのか、イスラムにはそぐわないと思うのですが、この最高決定機関は選挙などでは選ばれないし、そこは神聖なところで何人たりとも犯すことは出来ない、人間が考えたものではないのだから有無を言わず其れに従わなければなりません、これがクーアランの教えなのです。
私はイスラムの道徳心がなくなってきたのではないかと思います、其れはイスラムだけに限ったことではないのですが、、、、、、

3 件のコメント:

副長 さんのコメント...

しかし、世界的に宗教戦争になるね。
エジプトもイスラム国家になったら、また中東戦争勃発ですね。

あぁでも、我が隣国社会だけは、未だに共産帝国との紛争だな。

Unknown さんのコメント...

その通りですね、おまけに日本は赤化が進んでるように見えるのですが

副長 さんのコメント...

支那と戦争になって負けた時に、生き残る事を模索してるんでしょう。