2011年3月1日火曜日

大佐の小鳥たち

カダフィ大佐に忠実な部隊が国境付近に集結、米軍は艦船移動

 【トリポリ1日ロイター】 地元住人によると、リビアの最高指導者カダフィ大佐に忠実な部隊が1日、チュニジアとの国境付近の町ナルートに集結している。一方、米国はリビア周辺に艦船や空軍を移動させていることを明らかにした。
 ナルートはチュニジアとの国境から約60キロの地点にあるリビア西部の町。住人は、反体制派からナルートを奪還しようとカダフィ大佐支持派が攻撃の準備をしているのではないかと懸念している。

 米国をはじめとする各国政府は28日、緊迫化するリビア情勢に対応するための軍事的選択肢を協議した。

 ライス米国連大使は、カダフィ大佐について「現実から切り離されており、自国民を虐殺している」と非難。指導者にふさわしくないと指摘した。

 同大使は、米国が軍事的選択肢について北大西洋条約機構(NATO)加盟国と他の同盟国と協議していることを明らかにした。米国はまた、同国にある約300億ドルのリビア資産を凍結し、カダフィ大佐とその一族がアクセスできないよう阻止したことも明らかにしている。 

 キャメロン英首相は、カダフィ大佐の退陣を要求し、退陣圧力をかけるために全ての措置を講じる考えを示した。

 首相は「われわれは、軍事資産を活用する可能性を排除しない。飛行禁止空域を設ける計画について友好国と協力するよう、国防相と防衛スタッフ責任者(CDS)に求めた」と述べた。

 また、オーストラリアのラッド外相は、リビア上空での飛行禁止区域設定を承認するよう国連に求める考えを示した。 

 かつてリビアの宗主国であったイタリアのフラッティーニ外相は、ロイターに対して、飛行禁止区域設定は効果的な措置であるが、まず国連安全保障理事会での承認が必要、との考えを示した。また、他国がイタリアの基地を使用することを許可することを検討していることも明らかにした。

 クリントン米国務長官は、ジュネーブで開催されている国連人権理事会での演説で、カダフィ大佐に即時退陣を迫った。 

 一方、カダフィ大佐は米ABCと英BBCの共同インタビューで「全ての国民は私を愛している。彼らは私のために死ぬだろう」と述べた。

Battle at Kruger 



コラム:リビア革命と欧米の偽善

 al-Quds al-Arabi紙


【アブドゥルバーリー・アトワーン】

チュニジア革命のデモ参加者たちは旧政権幹部全員の辞任を要請しており、ムハンマド・アル=ガンヌーシー首相はそれに応じた。そのことは、イスラエルの親友たる元英首相トニー・ブレア言うところの「統制された変革」の概念が少なくともチュニジアには浸透し、エジプトでも浸透しつつあるということを示す。ムバーラク大統領の前で宣誓したアフマド・シャフィーク内閣も、チュニジア政府と同じ運命をたどることが見込まれる。

合衆国が主導する欧米勢力は、表層的な変革しか望んでいない。体制や政策が変わる必要はないのだ。それは、彼らの目的が、間断なく安価な石油を入手すること、ならびにイスラエルを核武装した大国として残すことであるからだ。

日産160万バレルのリビアの石油輸出が半減し価格が1バレル110ドルを超えるまで、欧米各国は、リビア国民の革命に真の同情を示さなかった。ヒラリー・クリントンは、バハレーン国民の蜂起にはしかるべく同情を示さず、バグダード、アンバール、モースル他のイラク各地で続いている国民蜂起、あるいはスライマニーヤでジャラール・タラバーニーの政府と彼の政党の汚職に反対する人々について、ひと言もない。クリントン氏がイラク、バハレーンでの蜂起に同情的でないのは、まず第一に石油に起因する。欧米はイラクからの石油供給が途切れることに耐えられない。そして、それより割合は少ないがバハレーンからの供給も、リビア石油をめぐる情勢が不透明な現在、途切れさせるわけにはいかない。リビア情勢によって石油価格は1バレル200ドル300ドルを超えるかもしれない。もしそうなったら、欧米経済を現在の低迷状態から脱出させるべく兆単位を費やして行われている努力が水泡に帰す事態である。

そして、以下のことが指摘される。米政権がチュニジア、リビア、エジプトでのアラブ諸国民革命に偽の同情を示した時、それは、パレスチナ政府の要請によりアラブ連盟が国連安保理に提出した、占領地におけるイスラエルの入植非難決議に拒否権を行使した時であった。スーザン・ライス米国連大使が評したように入植は域内の和平プロセスを乱すものであり、非合法なのだが。

同様に、イエメン国民の蜂起に対しても欧米の冷やかさは顕著である。この「冷たさ」の理由は石油ではなく、アル=カーイダである。米政権は、カーイダに対抗し、合衆国がはじめた「対テロ戦争」に協力的なイエメン政府に多大に依拠している。

欧米世界は、リビア政権が汚職まみれであり、人権侵害について悪しき記録を保持し、自由と尊厳ある生活を送る権利を奪って国民を迫害していたことをよく承知していた。しかし、ほんの2年前イタリアのラクイラで行われたG8サミットでは、賓客として赤いじゅうたんをひいてカダフィ大佐を歓迎することを全くためらわなかった。大佐は、米英、イタリア、フランス、日本、ドイツ、中国、ロシアの首脳と肩を並べ、ブレアと仲良しになり、ライス国務長官はトリポリの彼のテントを訪問した。ベルルスコーニー首相もサルコジ大統領も同様のことをやっており、お仲間は大勢いる。

リビアの大佐を二年ばかりで犯罪的テロリストから親友へ変えた魔法の言葉が石油であった。それにくわえ、2千億ドルを超えるリビアの資産と商取引、その元首が自分の破たんした理論の実験場にした国、つまりインフラも上部構造も何もない国の再建という巨大なビジネスチャンス。

カダフィ大佐は、核プログラムと生物化学兵器を放棄し、水面下であるいは表立ったチャンネルを通じてイスラエルと対話し、専門分野でムスリム諸国に技術支援を行っていたパキスタンの核科学者アブドゥルカーディル・ハーンの活動を暴露した。そのとたん我々は、欧米の各都市に大佐のテントが設営されるのを見ることになる。牝ラクダ(カダフィは新鮮な牝ラクダの乳を好んでいた)、美貌の革命防衛隊、魅力的な欧米女性へのイスラーム解説講座などのアクセサリーも一緒に。

民主主義、人権、自由は、欧米首脳陣にとって重要なアジェンダである。しかしそれらは、利益によって、石油価格によって、前進したり後退したりするのだ。キャメロン英首相が、自国軍需産業振興のため代表団を率いてアブダビの軍需見本市IDEX[第10回国債防衛展示会・会議、2011年2月20日から開催]へ赴き腐敗したアラブ諸国の独裁政府と数十億ドルの取引を行ったのには驚かされた。

腹立たしいのは、少なくとも私の憤りを招いたのは、キャメロン氏が民主主義とそれを求める国民の革命を支持しながら、この革命により放逐されるべき政権首脳らと交渉し、彼らの抑圧的軍事力増強に貢献したことである。

我々がリビア、チュニジア、エジプト、イラク、イエメン、バハレーンで見ている輝かしい国民革命は、腐敗した独裁政権の排斥だけではなく、欧米との関係の根本的見直し、少なくともこの30年間続けられた従属的政策を終わらせることを目標としている。

ところでリビア政権は、欧米に対する立場を180度転換させ、欧米の政策の従順な召使となり、ネオコンと組んでイラクとアフガニスタンという二つのムスリム国を破壊したトニー・ブレアの親友になった。その政権が現在、欧米の帝国主義的介入、つまりNATOが監視する飛行禁止区域の設定のようなことを警戒している。

しかし、このような国際的介入が発生するには、革命勃発以来、非武装のリビア人に対して行われてきた虐殺、自国民に対抗するための傭兵招集、あらゆる政治経済改革の拒絶、国を腐敗した腹心のための領土と化すこと等々を経なければならなかったのだ。

もし国民蜂起がサウジアラビアへ至ったら、欧米の不安は頂点に達するであろう。そこには世界の石油資源の40%が存在する。日に900万バレルのサウジの輸出が減少したら、我々は、欧米首脳がかぶる偽の民主主義マスクが音を立てて崩れ落ちるのを目の当たりにするだろう。

サウジ国王は、国民革命が自国へ至るのを防止するため300億ドルを拠出し、奨学金、ローン免除、住宅保障、教育、保健分野での改革、雇用創出等々を約束した。しかし国民が求めているのは立憲君主制ならびに政治改革であり、それらが彼らの正当な要請の正に主眼なのだ。


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(翻訳者:十倉桐子)




コラム:大佐の小鳥たち

2011年02月28日付 al-Quds al-Arabi紙


【イリヤース・ホーリー】

狂気と廃墟のただなかで、自分の政権の死を目の当たりにしているリビアの大佐は、最早道化でしかない。血とアフリカの民族衣装の鳥の羽根と米ドルにまみれたピエロが、息子たちに囲まれながら孤独の中にいる。時代が彼に反逆し、待つのはただ転落のみということを信じられずに。

『緑の書』政権の時間を要する血みどろの死は、アラブ世界を席巻する国民革命の中で訪れた。国民革命は、抑圧、搾取、恐怖の元に成り立っていた世襲共和国や軍のクーデターによる政権と決別し、新たな政治的正当性を求めている。この現状は、クーデター時代に様々な形で起きた文化的背信というものへの根本的批判を呼び覚ます。

座を追われたエジプトの独裁者の最後の政府で、文化相にガーベル・ウスフールが据えられた衝撃は、彼に対する批判の嵐の後ウスフールが「健康上の理由」で辞任を表明して終わった。ウスフールは彼に向けられた批判に対抗し得なかった。彼の「啓蒙的」武器庫が空になったからではなく、通りに血が流れたからだ。1月25日の革命家たちが、独裁者の誓約や彼の弱々しい素振りにごまかされなかったからだ。

エジプトの文化シーンは、独裁者と歩調を合わせることにより原理主義者たちの攻撃から守られるという盲目的考えに毒されてきた。スーザン・ムバーラクの宮殿でファールーク・ホスニーが操縦する抑圧機構に同調する政権の小鳥たちの言い訳は、そのようであった。しかし、リビア人大佐の狂気が終わりを迎える時、明るみにされるのは、過去のあらゆる文化的背信に対する恥辱以上のものである。

読者は、スペインの大作家フアン・ゴィティソロが拒否したカダフィ世界文学賞の話を憶えておられよう。エジプトの評論家サラーフ・ファドルは、傲岸さの目立つ貧弱な議論で、ゴィティソロは賞を拒否したのではなく授与されなかったのだ、スペイン人作家の勘違いだなどと主張した。イブラーヒーム・アル=クーニーが、結局ガーベル・ウスフールに与えられたその賞の選考委員だったのには驚かされる。ウスフールはもちろん受賞に同意した。文化人男女の一団を引き連れトリポリへ行き、20万ドルをもらった。ゴィティソロに拒否された賞を救うために。一方、スペインの作家はアラブの友人であり、血ぬられた独裁者が与える賞で彼の名誉を汚したくなかったのだ。

このカダフィ賞の話で、エジプト人作家スヌアッラー・イブラーヒームが、エジプト文化省主催の小説会議が授与するアラブ小説賞を拒否した時に叩かれたことを思い出した。当時スヌアッラーは、アラブ小説の名誉を救済したのだが、権力文化の小鳥たちは狂気にとりつかれており、次には何とこの賞をアッタイイブ・アッサーリフ[1929-2009、スーダン出身]に授与した。『北へ還りゆく時』の著者に余計な名声を与えて抹殺するような真似をしてくれた。

しかし、カダフィと文化やジャーナリズムの小鳥たちの話は長々しく、悲嘆と怒りしか呼び起こさない。愚かな大佐は、自らをナセルの後継者と宣言するだけでは飽き足らず、哲学者で文化人だと主張し、『村々、大地、鼻高々なものの自死』なるタイトルの短編集を著した。それについては、雇われ評論家がおびただしい数のコラムを書いただけで終わった。そこで文学は諦めることにして哲学、思想分野に乗り込み、『卑しき者たちの国、万歳』を出版した。ベイルートとキプロスの新聞出版に出資し、ベイルートにアラブ発展研究所をつくった。リビア国民から奪った金が文化人男女のうえに降り注いだのだ。愚かなまでの単純さが際立つ小著も書き、それに毛沢東の赤い本からインスピレーションを得て『緑の書』と名付けた。この本と共に、リビアへ向かう文化人の巡礼が始まった。アラブ人だけではなく欧米人も含まれていた。例えばイスラームに改宗したロジェ・ガルーディ[Roger Garaudy。フランス人哲学者]。そして彼は多額の金を受け取ったという。

大佐の思想と哲学を議論するための『緑の書』会議は、大学教授や高学歴者を満載したチャーター便を呼び寄せた。思想の矮小化の例であった。『緑の書』の時代には多数の文化人がそれを愉快な祭礼だと考えていた。大佐からちょっとした金銭をかすめとるためにお祭りに加わるのだ。「盗人から盗むのは、父の財産を受け継ぐような[正当な]もの」の諺を言い訳にして。美女の一群に守られたテント住まいの大佐は道化じみていると思いながら、ほとんどの人が、事はちょっとした冗談にすぎないのだからと進んでゲームに参加した。ある者は奨学金をもらい、ある者はご祝儀を得て、皆リビアの殺戮者の平安を讃えたのだ。

しかし、これらの文化人は、実は自分たちが大佐の道化師と化していたのだ。ここで、冗談は深刻なものになる。大佐はあらゆる価値観や原則というものを侮蔑して見せた。スーダンの詩人ムハンマド・アル=フィトゥーリーがリビアルーツの部族に属していると明かしたら、どうなったか、私たちは憶えている。何と彼は、ベイルートで大ジャマーヒリーヤ国の大使になっていた。

この文化的道化芝居に血なまぐさい一幕が続く。ムーサー・アッサドル[1929-。イラン生まれレバノン・シーア派指導者。1979年失踪]がリビアで消息をたったのを序幕とすると、アウズ事件はクライマックスである。チャド国境に近いその地域で、大佐はレバノン左派勢力とパレスチナ組織幹部を説得し、双方の傭兵をリビア・チャド国境での戦闘に加わらせた。この事件のはっきりした結末は知られていないが、向こう見ずな博徒どもに率いられた左派勢力は、戦闘と金の虜となり自滅したらしい。

それから、リビア反体制派に対する数々の暗殺を忘れてはならない。カダフィが示唆し、金を出し、犯人をかくまうことにより加担していた犯罪である。リビアの文化モデルは、1982年のイスラエル侵攻によりベイルートでは終結したが、その競争相手はイラクのバアス党文化モデルであり、こちらもまた文化にとっては多大な試練であった。しかしリビアは、ベイルート陥落後、文化とジャーナリズムに更なる試練の扉を開いた。オイルダラー新聞が文化をつくり、石油富豪の大モスクが文化メディアの拠点となり、それらは自由を知らず成長する。独裁主義と表裏一体の原理主義が我々の生活を圧倒するのである。

アラブ独裁主義の壊滅と共に、文化の新たな段階が始まる。そこには独裁者の小鳥たちや抑圧機構文化のための場所はない。エドワード・サイードが開始し、ナスル・ハーミド・アブー・ザイド[1943-2010、イスラム学者]がそれに殉じ、アブドッラフマーン・ムニーフ[1933-2004、サウジ・イラク系作家]が書いたことに従う文化だ。取引や駆け引きをしない文化、それは自由という風土の中で形作られる。

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(翻訳者:十倉桐子)

2 件のコメント:

副長 さんのコメント...

なんか伝手は無いんですか?
一日16万は魅力なんですけど・・・・

Unknown さんのコメント...

一ヶ月500万ですか、いいですね、死の人材派遣会社が暗躍してるのでしょうけど、資産凍結されてもまだ腐るほど金は持ってるでしょうから、しかしこの者達が貯め込んでいる金は凄まじいですね。