2011年12月2日金曜日

ベトナムとよく似ている

米長官、民主化進展次第で制裁解除も


ミャンマーを訪問中のアメリカのクリントン国務長官は1日、テイン・セイン大統領と初めて会談し、今後、民主化の進展次第で経済­制裁の解除を検討する用意があると表明しました。


 1994年2月当時の米クリントン大統領はベトナムへの経済「制裁」解除を発表した。ベトナム戦争以来、30年にわたって実施されてきた経済封鎖、干渉に終止符がうたれた、日本のマスコミは「ベトナムへのでっかいプレゼント」などと大きく報道して、日本や欧州に後れをとっていた米企業の本格進出は急速に進展した。その後のベトナムの発展はご存知の通りである。ベトナムとの戦争もアメリカは間違った選択で戦争に突入したのである。

反共ならば何でも良かったのか?
背後に中国の影が有ると、どうも思っていた節がある、その後ベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれた、この様にベトナム人は中国人を可也嫌っている。

ビルマでも同じような事が起こっているのである、ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていた。ベトナムの二の舞を踏むという事を知っていたのである。

しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。これを掃討したのが前政権(本当に引退したのだろうか)のタンシュエ議長である。

長年の自宅軟禁はそれは辛かったであろうが、皆さんご存知だろうか女史の邸宅の横は、アメリカ大使館なのである、イギリス大使館もすぐ近くにある、テレビに映る貧しいビルマそのような事は女史とはかけ離れている、タイやビルマは階級意識が強い国でアウンサウンスーチー女史は特権階級中の特権階級、昨年アウンサンスーチーが自宅軟禁解除になったとき、自宅前の交通規制も解除しようとしたら、規制解除すると車が多く成りうるさいか らそのままにしておくようにと警察に申し入れがあったそうなのだ、これだけでガタガタ言うつもりは無いが、民主化が進むのは良い、しかし今から一波乱も二波乱もありそうな雰囲気ではある。

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