2011年12月1日木曜日

「ヒノデ」ハ「ヤマガタ」トス

南方軍の攻撃命令と第十五軍の作戦開始

南方軍の攻撃命令下達

南方軍総司令官寺内大将は、十一月二十五日東京発、宇品で諏訪丸に乗船、三十日台湾其隆着、この日大本営宛「各般の作戦準備は予定作戦計画の遂行に支障なし」との趣旨の軍機電報を発信した。十一月二十五日サイゴンから三亜に飛んだ山下第二十五軍司令官は、二十九日乗船龍城丸にその司令部を移した。
次いで十二月二日台北にあった寺内大将は、同日一五四六参謀総長から「日の出」は「山形」とする左記軍機電報を受領した。

参電第四号(十二月二日一四四〇発電)

一 大陸命第五六九号(鷲)発令アラセラル

二 「ヒノデ」ハ「ヤマガタ」トス

三 御稜威ノ下切ニ御成功ヲ祈ル

四 本電受領セハ第二項ノミ復唱アリ度

南方軍はただちに「鷲の大命(ヒノデ)ハ(ヤマガタ)謹ミテ拝受ス挙軍一体愈々志気ヲ旺盛ニシ御稜威ノ下誓ツテ任務ヲ完遂シ聖慮ヲ安シン秦ランコトヲ期ス」と打電(二日二〇〇〇発電)するとともに、さきにのべた密封命令(南総作命甲第五号)補足を隷下各軍に電報して、南方作戦の開始を命じた。

 注 鷲は大本営、「ヒノデ」はX日、「ヤマガタ」は八日の隠語である。


対タイ侵入作戦開始

海南島の三亜に集合したマレー上陸部隊の主力船団十七隻は十二月四日〇七三〇三亜港発、じ後南シナ海をインドシナ南方海域を経て航行し、七日には既にタイ湾に入っていた。 

他方、十一月二十六日千島の単冠湾を出て、ハワイ空襲の壮途についた海軍機動部隊は、十二月六日及び七日の両日、ハワイの真北六〇〇浬で最後の洋上補給を終わり、速力を二十四節にあげて一路南進、真珠湾に迫りつつあった。

また、台湾及びパラオでは、陸海軍両航空部隊はフィリピンに対する航空第一撃の準備を終わり、発進の時期を待っていた。
インドシナでは、第十五軍は十二月六日頃までに近衛師団の主力をタイ、インドシナ国境付近に推進して対タイ侵入作戦の準備を進め、この間駐タイ大使館にあっては、ピブン首相に対する平和進駐申し入れの時期およびその要領について最後の熟議に入っていた。

一方、海路から南部タイに上陸する宇野支隊の乗船は、その待機地点であるサンジャック沖及びフコク島泊地から発進して、既にそれぞれ第二十五軍主力船団に合流していた。

以上の間、北部インドシナに集結を終わった第五十五師団主力は、開戦と同時に、鉄道によりただちに南進を開始するため輸送その他の手はずを進めていた。

こうして、十二月八日未明、ついに開戦の幕は切って落とされた。



対タイ侵入作戦開始については、大本営はもとより、南方軍も、駐タイ大使館側も、万全の事前対策をつくし、慎重な準備を整えて進入の機会を待った。もとよりいずれも平和進駐を願っていた。
しかし、いよいよ開戦の期が迫り、タイ国側に対して外交交渉を始める時になって、ピブン首相の行方不明といった不測の事態が起こり、ここに平和進駐か、武力進駐かで南方軍以下の各当事者が重大な決心問題に当面することになった。

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