2012年6月18日月曜日

ナガランド



ナガランドとは、ミャンマーと国境を接するインドの最東端。

ナガランドを中心に住むナガ人は、チベット=ビルマ系の言葉を話すモンゴロイド系民族で、人口約300万人。一部はミャンマー領内にも住んでいる。数十年前までは「男は首狩りをしないと結婚できない」という民族だったが、20世紀に入ってキリスト教の宣教師が盛んに布教をし、現在ではほとんどがキリスト教徒になっている。

19世紀、インドとビルマの植民地化を推し進めるイギリスに対しても、ナガは激しく抵抗した。マスケット銃を装備したイギリス軍に対して、槍や山刀で村を守ろうとする人々。100年に及ぶ戦いでも、イギリスはついにナガの地ナガランドを完全に支配することができないまま、植民地放棄のときを迎える。しかしイギリスは撤退に際し、ナガランドをインド・ビルマへと一方的に割譲した。イギリスが地図上に引いた身勝手な一本の線は、後にインド・ビルマ"国境"としてナガランドを大きく二分するものとなった。

ナガランド独立のきっかけとなったのは、日本軍のインパール作戦だ。1944年、日本軍は「ビルマからインドへ攻め込めば、英国の植民地支配にあえぐインド人大衆が合流して戦局を一気に好転できる」と、当時から一部無謀だとも言われたインパール作戦に突入。マレー半島などで日本軍に投降した英軍インド兵を「インド国民軍」に再編して日本軍に同行させた。そして3月にはインパールとともにナガランドの中心地・コヒマまで到達した。この時、ナガ人たちは日本軍を「解放者」と見て協力する者もいれば、英軍に協力して抵抗する者もいたが、後にナガ民族評議会(NNC)の議長となるピゾは、インド国民軍を率いていた自由インド政府のチャンドラ・ボースと接触し、「インド解放の後にはナガランド独立を認める」との約束を得て日本軍に協力した。

「ナガランド独立」を約束したチャンドラ・ボーズは飛行機事故で亡くなり、NNCは「インド独立の父」ガンジーと会見するが、イスラム教徒の分離独立に猛反対しパキスタンを含めた統一インドの独立を主張していたガンジーには、ナガランドの独立なんてトンでもないと諌められてしまう。

こうして孤立無援となったNNCは、インド独立の前日、1947年8月14日にナガランド独立を宣言したが、国際的にはまったく無視された、それが国際的に顧みられることはなかった。

ナガはその後もインド総選挙のボイコットや、自主的な住民投票で9割が独立を主張するなど、平和的手段で強制併合への異を唱え続ける。これに対するインドの答えが、大量の軍・警察の派遣による徹底的な武力弾圧だった。「文明的に遅れた人々を支援する」とインド建国の父、ネルーはこの軍事作戦をそう説明した。

インド軍はナガランドに近代兵器を持ち込み、ナガのアイデンティティの基盤である村を徹底的に焼き払った。1955年からの3年間だけで645ものナガの村が焼かれ、村人たちはなすすべなく山中へと逃げ込んだ。掃討作戦に怯えてジャングルを逃げまどう生活は続き、戦闘や飢餓、病気などにより、この時期だけで10万人ものナガの命が奪われたといわれている。

そこでは軍による弾圧が日常的に行われた。抵抗する男たちに対して投降を呼び掛けるため、見せしめとしてその家族が拷問にかけられ、悲鳴が連日のように各村一帯に響き渡っていたという。女性に対する性的暴行、繰り返される拷問と虐殺。農作業に出ることさえ許されず、村はおのずと飢餓にあえぎ、体力のない者から順に命を落としていった。

 しかし当時のこうした惨状が、世界に伝えられることはほとんどなかった。インドはナガランドを「立ち入り制限地域」として民間人の入域を厳しく制限し、その実情が外部に漏れることを防いでいた。ナガ側はあらゆるルートを通じてイギリス、国連などに窮状を訴え、介入を促す嘆願を続けたが、それらが顧みられることはついになかった。

 独立運動の母体となったナガ民族評議会(NNC)の倉庫には、インド軍による弾圧の詳細な記録が今も眠っている。決して聞き届けられることがなかった、ナガの村人たちの悲鳴。それらを「ナガ側の一方的な主張」と切り捨てることはできない。今日に至るまで事実を意図的に隠蔽し続けているのは、他ならぬインド政府自身だからである。

1997年、ナガの全武装組織がインド政府との停戦に応じ、以後インド軍による大規模な軍事作戦は影を潜めている。しかしインドによる軍事制圧状態と、にらみ合うナガ独立運動組織という構図は今も変わっていない。

また、ドラッグ禍も現在ナガの若者の間で深刻な問題になっている。ビルマ領からマニプル州を経て、大量の麻薬がナガランドに流入しているが、これは「インド軍や政府関係者が裏で糸を引いている」と言われている。独立運動組織が検挙する麻薬は大麻樹脂、ヘロイン、化学合成薬品と多岐にわたり、量も一度に数百キロにおよぶこともある。延々と続く紛争状態に失望した多くの若者がドラッグに手を染め、またそれによってインド軍に操られているのだという。

独立したいと言う気持ち、またインド人に搾取されていると言う気持ちはナガの人たちは誰しもが持っている。しかし近年ナガランド州、及びマニプール州は入域制限も解け外国人でも何処にでもいけるようになった。特にナガランド州は観光に力を入れたいという気持ちが其処彼処に見える、インフラさえ整えばナガランドの潜在能力はかなりあると思うのである。

そしてナガの人々は我々日本人に親近感を持っている、同じモンゴロイド系ということでインド人よりはるかに日本人に似ているのだ。ナガランドにいるとインドにいることを忘れてしまうのだ。



一部ナガランド連邦より抜粋
http://www.geocities.jp/keropero2003/syometsu/naga.html

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