2009年5月17日日曜日

ユーロビジョンファイナル


Googleストリートビュー、ギリシャで禁止に
 ギリシャ政府の個人情報保護局は11日、Googleの提供する「ストリートビュー」サービスを、更なる個人情報を保証することを示さない限り、国内での撮影を禁止することを決めた。

 報道によると、Googleの「ストリートビュー」は、世界の都市や郊外地をまるで歩くように視点360度操作できるインターネットサービス。道を歩く人の顔や、車のナンバープレートを確認できるなど、世界でプライバシー侵害の問題が今まで上がっていた。

 ギリシャ政府の対応に対しGoogle側は「対話を続けている最中だが、私たちはストリートビューがギリシャの観光名所に興味をもつ人にインターネットでバーチャル旅行が出来るなど、相互に有益なサービスであると思っている」と答えた。

ユーロビジョンファイナル
恐らくこの内の何曲かは、日本では3ヶ月から半年後に流行る事だろう。

ターキー

グランプリ ノルウェー

スペイン


ELENA - THE BALKAN GIRLS ルーマニア

2009年5月16日土曜日

中国で何が起こっているのか



毛染め偽装で暴利の業者、中国ペット市場の暗部
 中国ではこのほど、より高値でペットの犬を売るために、人気の色に毛染めして偽装する業者が暗躍していることが判明。大量の毛 染め剤を浴びた犬はぐったりしているため、売り出す直前に痛み止め剤を摂取させ、しばらくは元気に飛び跳ねる様子をみせるが、1週間以内に死亡するケース が多発している。

 北京紙「京華時報」の記者がペットショップの店主を装って、毛染めするペット業者へのおとり調査を行い、偽装の一部終始を明らかにした。

 六畳ほどの仕事場で、白のトイプードル(通常販売価格は700元、約1万円)をテディベアに変身させると自慢げに言いながら、中年の女性が作業を始めた。茶色に毛染めすれば、倍の1500元(約2万2000円)で売れるという。

 女性はすでに黒く変色した黄色のゴム手袋を嵌め、歯ブラシに紫色の液剤をつけ、犬の顔にまんべんなく塗りつけた。予め用意していた黒ずんだ容器にはすで に熱い水で毛染め剤を溶かしている。犬をこの中に押さえつけて毛染めを始める。水温が高いためか、犬は必死に声をあげ、激しく抵抗する。しばらく染めてか ら、犬を取り出してドライヤーで乾かし、ブラシで毛を梳かす、完全に乾いたら、再び上記の毛染め作業を行う。このときに犬はすでに抵抗する力もなくなって いる。このような作業は5回繰り返しされる。毛染め完了時は、大量の毛染め剤を浴びたこの犬はすでに瀕死状態になっていた。記者によると、作業室の外まで 毛染め剤の激しい刺激臭が漂っていた。

 また、業者の説明によると、このように細工された犬は多く売り出されている。毛染めした犬は元気がないため、多くは1週間以内に死んでしまう。買主から 逃れるために、露天商は市場で露天売りするしかない。直前に痛み止め剤を注射すれば、しばらくの間は元気な姿を見せるという。

 報道によると、毛染めのほかに、顔に塩水を注射し、可愛く変身させる業者もいるという。

中共幹部による集団少女強姦事件、非公開審理に疑問の声
 中国貴州省習水県の人民法院(地方裁判所に相当)は4月8日、国家幹部らが長期にわたり、不特定多数の少女を強姦する案件を非 公開で審理した。罪は少女買春。現職の幹部5人を含む7人の容疑者は出廷し、被害者となる少女たちの家族の入廷は禁止され、メディア取材も制限された。

 7人の容疑者には、県役所の主任、県土木所の所長、県社会保険局の幹部、県司法所の幹部、現職の高校教師など5人が含まれ、さらには、全国人民代表大会の代表もいる。

 容疑者らは2007年10月から2008年8月の間、計画的かつ繰り返し十数人の女の子(ほとんどは15歳未満)を強姦した。犯罪の現場は県司法局宿舎3Fである。ある被害者の親が娘の異変に気づき、問いただしことから暴行事件が発覚した。

 法廷審理はすべて非公開で行われた。

 法廷審理の傍聴を求める被害者の父母らに対し、裁判官・莫任利氏は、未成年者のプライバシーを保護するとの理由で、入廷を禁止した。

 殺到する全国各地のメディア記者も入廷を禁止され、官製メディアの新華社と中央テレビの計4人の記者だけが傍聴できたが、いかなる報道機材の持込と現場記録が禁止された。

 当日は、法廷の外で数百人の現地住民が集まり、公正な審理を求めた。

 検察側の起訴罪状は「少女買春」である。

 それについて、法律専門家は、容疑者らの罪を軽くしようとしていると指摘、以下のように分析した。「買春はすなわち、双方が同意の上で性行為を行うこと である。それは明らかに今回の犯罪事実と異なり、容疑者らの罪を軽くしようしている。被害者は少女である上暴行されたのだから、当然、強姦である。量刑も 強姦罪に順ずるべきである」。

 判決が下される時期について、法廷は説明していない。



中国福建省:豚大量死、豚インフルが原因か

 中国福建省福清城頭鎮で、首渓村、黄墩村、星橋村の三村の境界目の河川に捨てられた豚の死骸百頭以上の腐敗臭が付近に充満し、百 メートル離れたところでも臭いが鼻につくという。中国「東南快報」が27日に伝えた。当局は、これら死亡した豚は付近の養豚場から出た可能性が高いとみて いる。

 報道によると、麻袋に詰め込まれて河岸や横その沿道に放置された豚の死骸の殆どが子豚。住民の陳さんによると、これらの死骸はすでに半月以上放置されているという。陳さんは「昼頃、よくバイクで豚の死骸を運ぶ人を見かける」と述べた。

 現場を視察した城頭鎮の何尚貴・副鎮長と鎮の牧畜獣医所の呉所長は、死骸の腐敗程度から、河岸に長く放置されていたとみている。

 一方、世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザに対する警戒水準をフェイズ6まで引き上げた現在、福建省福清河川で発見された大量の豚の死骸の報道 は、さらなる懸念を与えた。数多くの大陸ネット利用者は、これら死んだ豚は豚インフルエンザによる死亡ではないかとの問い合わせがネット掲示板を飛び交っ た。

 別の報道によると、今年2月、山西省洪洞県でも約千頭の豚が発生した病気で死亡した事件があったという。地元政府部門は2月3日に発表した統計による と、洪洞県だけでも少なくとも1300頭以上の豚が死亡したという。同県の牧畜局は病気の原因が通称※紅皮病(こうひびょう)と豚コレラの合併症だと示し た。当時、死亡した豚の一部の豚肉は市場に出回っていたという。

 ※紅皮病は、肥育豚の急性横断性貧血が米国で最初に確認された。分布域は広く、近年の豚の輸入で検出率は高い。 媒介者はアブ、サシバエ、ダニ、シラミ、カなどの吸血昆虫の他、注射針からの感染も疑われる。

ロシアで急死の中国人女性、本当の死因は何か

 モスクワ時間4月15日午前8時ごろ、ロシア南部のブラゴヴェシチェンスクからモスクワ行きの列車の中で一人の中国人女性が急 死した。同日朝、ロシアテレビ局などロシアの各主要メディアは、「死因はSARS感染の可能性が高いと診断された」とこの事件を報道した。しかし、当日 夜、ロシアメディアの報道は一斉に変わり、この中国人女性は手足口病、またはインフルエンザで死亡した可能性が高いと報じた。

 ロシアのヴィエスチ・テレビ局、ロシア新聞社などの各主流メディアの15日午前の報道によると、中国人女性がブラゴヴェシチェンスクからモスクワ行きの 列車の中で急死した。医療機関による初期の診断では、死因はSARSである可能性が高く、最終的な検査結果は1週間後に出るという。

報道によると、死亡した中国人女性の名前は楊翠琴(音読)、23才。彼女の親族も同じ列車に同乗していたという。

しかし、15日夜、多くのメディアは午前の報道とは違い、死亡した中国人女性の死因は手足口病の可能性があると報じ、詳細な検査結果は7日から10日以内に出ると伝えた。

主治医のチュチャリン氏はロシアの通信社に、死因は重度のインフルエンザによる可能性が高いと説明した。

防疫機構の責任者オニシンカ氏は国家テレビ局ヴィエスチの夜のニュース番組で、「現時点において、この中国人女性の死因はSARSであるかどうか確認、ま たは否定する証拠がまだない。防疫機構は現地の状況を完全にコントロールしている。市民は恐怖を感じることはない」と説明した。

また、この中国人女性の死後解剖について、各メディアの報道も異なっている。列車が緊急停車しているキロフ駅の現地政府幹部は、まだ解剖していないとしているが、前述の防疫機構の幹部オニシンカ氏は、すでに解剖を行っていると説明した。

オニシンカ氏は、女性が乗車した第2車両と、隣接する第1、3車両は、徹底的な消毒作業が行ったとした。列車に同乗した五十数人の中国人は隔離され、うち数人は高熱を出していることを明らかにした。


南京に「スパイ博物館」開館:でも外国人は入場お断り

 このほど中国江蘇省南京市で、スパイの歴史を展示した施設が開館した。BBCによると、この「スパイ博物館」は、南京市にある江蘇国家安全教育館で、一般の中国人に無料で公開されているが、外国人が入ることは禁止されているという。

 展示内容は、20世紀初頭から始まる中国の「スパイ」に関する歴史。

 その中には、国共内戦の時期に、中国共産党の党員がどのようにして遊撃戦をおこない、国民党政権に打撃を与えたかというものもある。

 また、特に注目されているのは、中国共産党が政権を掌握した後、どのような手段で「敵」からの国家転覆工作や破壊活動を防止してきたかという内容の展示である。

 これは現在の中国が、外国から受けたスパイ工作を非難してアピールするものであり、非常に敏感な内容になっているという。

 スパイ活動に使われた道具として、タバコや口紅の形をした小型ピストル、文書が入れられるよう中が空洞になったコイン、トランプの図柄に偽装された地図なども展示されている。

 「なぜこの展示館に外国人が入れないのか」とBBCの記者が聞くと、展示館の担当者は、「これらの展示内容は国家の安全に関わることで、非常に敏感であり、外国人に公開するには適さないからだ」と答えたという。

欧州議会副議長、「臓器狩り」記者会見=英国

 欧州議会のスコット副議長は最近、英国ロンドンの外国メディア協会で「沈黙のジェノサイド」と題する記者会見を開いた。中国問題の 専門家、臓器移植の専門家、中国で監禁体験のある法輪功学習者らが会見に臨み、生きた法輪功学習者からの臓器狩りは事実であることを証言した。

モンゴル三千年の遊牧生活:中国当局、わずか十数年で破壊

 春霞などの雅語がつけられた黄砂。遙か昔から存在していた黄砂がこの数十年で有害な汚染物質をもたらす可能性があることを人工衛 星画像やフィールドワークなどで実証した星野仏方理学博士(酪農学園大学環境システム学部教授)の講演会が四月十一日、都内で開かれ、モンゴル三千年の遊 牧生活がわずか数十年で破壊されたという事実が紹介され、来場者は隣国で起きている自然破壊のスピードの速さと、日本に及ぼす影響に衝撃を受けた。
 砂漠化は人災

 星野教授によると、内モンゴルは本来草原が広がる自然の恵みの豊かな地域だが、砂漠化が進んでいることがこの十年の研究・調査からわかり、それは天災というよりは、中国当局の政策の誤りによる人災であるという。

 ゴビ砂漠で発生する砂嵐は、「砂塵暴」と呼ばれ、家屋や自動車のボンネットにも大きな傷をつけるほど破壊力を持つという。

 この莫大なエネルギーで上空に吹き上げられた黄砂が従来、西日本を中心に降り注いでいたが、砂漠化の北上により北海道や東北、関東にまで黄砂が降り注いでいるという。

 しかも、中国の西部辺境地帯には、これまで東部沿岸にあった工場などが移され、大気汚染や廃棄物などから有害物質が発生し、汚染が著しいという。

 この汚染物質が黄砂の粒子に付着し、日本に到達する、いわゆる越境汚染の可能性が高くなっているという。

 内モンゴルの砂漠化が急激に進んだ原因は、中国当局の政策にある。定住化と生産性を高めるために、柵や囲いなどを設置し、放牧を人為的に調整しようとし たが、柵があるために、自由に移動できなくなったヤギの群れは、同じ場所を掘り起こし、二度と草が生えなくしてしまった。

 さらに、生産性をあげようと、頭数を増やしたことが、過放牧となり被害を大きくした。

 また、定住化による農作業も砂漠化を促進させた。内モンゴルは草が生える土壌の層が数センチしかなく、耕すとすぐに砂の層が現れる。

 モンゴルの長老からは代々、「草原を耕すな」と伝えられてきたが、中国当局の強制的な定住化により、内モンゴルの人々は矛盾を感じながらも、放牧という生きる術を失ったからには、農作業をせざるを得なかった。

 モンゴルの自然の均衡を保っていた放牧生活は三千年以上も続いていたが、中国当局はそれをわずか数十年で破壊してしまったといえる。

大紀元日本

2009年5月15日金曜日

サンダカン日本人墓地



ヴァーナルレディース開幕
 女子ゴルフの「ヴァーナルレディース」が、15日、福岡・福岡センチュリーGC(6594ヤード、パー72)で開幕。67で首位に並んだベテラン斉藤は6バーディー(1ボギー)をマークし「結果的にショットもパットもよかった」と笑顔だった。
  年齢的に体力が落ちやすくなるのとは逆に「バーディーをとるゴルフでないと上位に行けない」と最近はドライバーで攻める頻度を増やしたという。2週前のク リスタルガイザー・レディースで3位になって以来、中高年ファンからの声援が大幅に増えたという41歳は「日曜日は優勝争いしたい」と言った。

賞金ランキング上位者が調子が良い中、15番のボギー1つの67ベテラン斉藤は、素晴らしい明日は又期待したい。
横峰も調子が良い様で、このままつ走てほしいものである。




サンダカン日本人墓地に行った
海が見える丘にあり、嘗て、からゆきさと呼ばれた日本人女性の墓が共同で立ててある、他の日本人墓地に比べて少々荒れ気味では有る、日本から訪れてる人も殆どいないであろうから、此の侭でいいのかと言う思いもある、管理は誰がしているのか分りませんが、サンダカンの日本人会辺りがきちっとしてもらいたいものである。
又この地にはオランウータンを見学しに来る日本人観光客が可也の数いるので、その辺をオルガナイズすれば何とかなるだろうに。
この地は映画でも有名になった、サンダカン八番娼館があった所で、女衒として有名な村岡伊平治などもこの地にいたと言う。

オランウータン
オランウータン(マレー語で「森の人」という意味)は、アジアで唯一の大型類人猿です。かつて東南アジアとインドシナに広く分布していたのですが、現在では、ボルネオ(カリマンタン)島とスマトラ島の低地熱帯雨林だけに生息しています。
 体毛の密度は低く、長くて荒く、赤みをおびています。雄は成長すると体毛が非常に長くなり、また頬の肉ひだが大きく発達し、きわめて特徴的な顔になります。スマトラオランウータンは、ボルネオのものに比べると顔が細長く、体毛が長く少し淡い色をしています。
 オランウータンは長い間、一種とされていましたが、現在では、ボルネオ島に生息するボルネオオランウータン(Pongo pygmaeus)と、スマトラ島に生息するスマトラオランウータン(Pongo abelii)の二種に分類されています。
オランウータンの減少
 オランウータンの個体数は、100年前に比べると約92%も減ったといわれています。ボルネオオランウータンは現在,12,300~1万5,500 頭、スマトラオランウータンは9,200頭が生息しているとみられ、両島合わせて約3万頭足らずと推定されています。スマトラ島では、1993年から 2000年のわずか8年足らずの間に、個体数が半分になってしまったといわています。また、ボルネオ島に生息する個体も1980年以来60%減少してい ると考えられています。
密猟・密輸
ペットとしての違法取引も、オランウータンの生存を脅かす脅威の一つです。ワシントン条約によって輸出入の禁止されている動物であるにもかかわら ず、毎年いろいろな国で、オランウータンの密輸が摘発されています。特に台湾では、1995年か1999年にかけて、およそ1000頭ものオランウータ ンが違法に輸入されていたという報告もあるといいます。日本でも、1999年に大阪のペットショップで4頭のオランウータンが売られていたという衝撃的な ニュースがありました。
 オランウータンは成長すると体が大きくなり力も強いため、売り買いされるのは、たいてい子どものオラ ンウータンです。子どもを捕まえるために、まず母親が殺され、しかも輸送される途中で、多くの子どもは死んでしまいます。生息地の保護、火災の予防、違法 取引の取り締まりなど、オランウータンを絶滅の危機から救うためには、多くの課題が残されています。



サンダカン八番娼館 望郷

天草で貧しい暮らしをおくる,元からゆきさんの姿と、その回想のなかで語られる過去のボルネオの
娼館での暮らし、そして現在のボルネオに残るからゆきさんの墓を訪ねるくだりなどが原作に忠実に描かれている。戦後、戦前期日本の恥部」として一般に知られることが少なかったからゆきさんの実像を描き出したとして、原作・映画とも、さまざまな問題を投げかけた話題作であった。元からゆきさんを演じた田中絹代は、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した。

村岡伊平治
18歳で朝頼丸で、香港に渡り、中国各地、シンガポール、カルカッタ、香港、ハノイ、台湾、東インド諸島を転々とし、さまざま仕事、事業を経験した。宿屋、理髪店、女郎屋、行商、真珠貝採取、通訳、食堂、労務者の周旋、野菜栽培、製菓など。その後館や製紙、製菓などの事業を手がけ、その傍ら遊郭で働くからゆきさんの救出をしているうちに、自ら女衒となり、遊郭も経営る.彼の仕事は明治から大正初期までは隆盛を誇ったが、1919年(大正8年)に廃娼制度開始、1937年(昭和12年)に海外売春婦廃止令が出されてからは、事業も立ち行かなくなり、日本に引き上げ、神戸に住んだ。晩年は、妻の郷里である天草に帰り,そこで亡くなった。

2009年5月10日日曜日

日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸管に要請する


 3日目、大音量のアザンの拡声器からの声で目が覚める、現在朝6時前、毎日がこうなのだ、一度起きたら中々眠れない、年を取ったのか、其れとも何かの副作用か、オラウータンでも観に行くか、と思いながら3日目、何時になったらウータンと出会えるのか、そんなものは同でも良いが、しかし折角だから明日でも観に行こう。

 このブログには、現住所ナウル共和国ヤレンと書いていますが、現在ヤレンには在留邦人は一人もいない事が判明いたしました。一体如何した事なんでしょうか、昔、20年ほど前は、ヤレンー福岡間の定期便をナウル航空が飛ばしていた時期がありましたが、二進も三進も行かなくなったのでしょうね、ナウルに一度いってみたい、ここから真っ直ぐ下りたとこにナウルがあるんですが、現在はオーストラリア経由でしかいけないという。

パスポートをふと見ると他の方の旅券と同じく、私は在日韓国人(バミューダパンツを履いた足が短い韓国人)ではないので、私の旅券にも

 「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸管に要請する」と書いてある、パスポートには、この様に書いてありますが、決してこの様な文言には寄り添わないように、そのような諸管は一切面倒見てくれるものではないのです。
皆さんもその様に考えて海外には出ましょう。

 現在の憲法も、そう言う事です。9条が有れば守ってくれるだの、アメリカがだの、思わないことです。
権利を有すると、保障されるはまったく別物で、日米同盟で担保されているものの、アメリカを見てください、金融業その他はすべて崩壊しているではないですか、アメリカが張子の虎だったことを現在はすべての人がお見通しなのに、日本人はうすうすは以前より感じているのだが、なかなか其れが言えない、王様は裸と早く誰かが言わないと、とんでもない事になる、グリーン何やら等まやかしにすぎず、また張子の虎を作ろうとしている。
日本人はこのまま眠ったままではいけない、このまま眠り続けたら何れ死んでしまう、目覚まし時計をかける時は選挙の時以外ありません、みんなで一斉にリントーンをかけましょう。

日系韓国人等はすべて選挙で落としましょう。
と朝から力んだ所で同となる事でもないのですが、さてウータンにでも会いに行くか。

2009年5月7日木曜日

「おい、地獄さ行ぐんだで」


パッキャオ5階級制覇2回TKO
<プロボクシング:スーパーライト級12回戦(IBO同級タイトルマッチ)>◇2日(日本時間3日)◇米ネバダ州ラスベガス
 元4階級王者マニー・パッキャオ(30=フィリピン)が、圧巻KOで「現役最強」を証明した。パッキャオは王者リッキー・ハットン(30=英国)に1回から2度のダウンを奪い圧倒。2回にはハットンの右あごに強烈な左フックを見舞い、マットに沈めた。
 これでマイナー団体ながらタイトルを獲得。フライ級からの5階級制覇(スーパーフライ、バンタム、フェザーを除く)を達成した。1200万ドル (約11億4000万円)のファイトマネーを手にしたフィリピンの英雄は「こんなに楽勝でびっくり。右フックで彼のガードはがら空きだった」と拍子抜けし ていた。パッキャオの戦績は49勝(37KO)3敗2分けとなった。

ボクシング=無敗王者メイウェザー、7月に現役復帰戦へ
[ラスベガス 2日 ロイター] ボクシングの元世界王者、フロイド・メイウェザー・ジュニア(米国、32)が2日、今年7月に現役復帰戦を行うと発表した。
 メイウェザーは7月18日にフアン・マヌエル・マルケス(メキシコ)とウェルター級のノンタイトル戦を行う。
 メイウェザーはMGMグランドホテルでの記者会見で「戦う時期が来たら、心身共に準備ができるだろう」と語った。
 世界5階級を制したメイウェザーは2007年12月のリッキー・ハットン(英国)との対戦を最後に無敗のまま現役引退していた。戦績は39勝無敗(25KO)

 まさに感動した、K-1等とは比べ物にならない、1回右フックでダウンを奪うと終了間際は怒涛のラッシュで2回目のダウン観客大騒ぎ、この時点で勝負あり、ハットンに観客ブーイング、ハットン戦意喪失気味、2回終了間際左フックを右あごに打ち込んで、ハットン大の字万事休す、テレビでは白人のドレス姿の女が映し出されていたが、誰か分からず、ワァワァ泣き叫んでいたがハットンの関係者だろう、恐らく此処までの予想は誰もしていなかったと思うが、あの早さにはこの辺の階級の者はついいて行けない様な気がする、ハットン為す術無しと言う感じであった、此れでメイウェザーが現役復帰するのでフアン・マヌエル・マルケスとの勝者が、10月ぐらいにパウンド・フォー・パウンド(最強)をかけてパックマンと戦うのではないか、私の希望としてはメイウェザーとやって欲しいものだが、恐らくはこの興行は、興行収入100億円下らないだろうから、プロモーターの采配で金を取るか名誉を取るかロイジョーンズ(私が思うパウンド・フォー・パウンド)超へが待っている、駆け引きが面白そうだ。

なんと3階級飛び級の5階級制覇、此れでパックマンもスーパーパックマンになりました。

<南シナ海>中国の漁業監視船に「領土侵犯あれば直ちに駆逐」―マレーシア海軍司令
2009年4月27日、マレーシアの華字サイト・Kuala Lumpur Security Reviewは、中国が南シナ海に漁業監視船「漁政311」号を派遣した件に絡み、マレーシア海軍司令は「領土侵犯が確認されれば、直ちに駆逐する」と述 べたと報じた。中国紙・環球時報が伝えた。

マ レーシアと中国は南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島の領有権をめぐり、長い間対立を続けてきた。先月にはアロヨ大統領が一部を自国領とする法案に署名。 強く反発した中国はこれに対抗するため、「漁政311」号を派遣した。海軍司令はこれに対し、「中国が主張する自国の水域内で漁船警護をするだけの役割で あると信じる」と述べた一方、「万が一、マレーシア領土への侵犯が認められた場合、直ちに海軍艦隊が駆逐する」とする考えも示した。

中国外交部の報道官は、南沙諸島および周辺海域について「中国の主権は争う余地がない」と何度も主張している。だが、他国が中国の領土を侵犯したと認められた場合には「中国海軍はそれを防衛する能力を十分に持っている」とも述べている。

 此れが普通の国の対応です、庭先に訳の分らないチャンコロがうろちょろしていれば駆除するのが当たり前です。
日本ぐらいなもんです、何もせずに追い払うのは、何が悪いのか、全て政治が悪いのです。政治家が弱虫だからこんな事がおきているのです、弱虫の政治家は次の選挙で落としましょ。

 こんな対応をしているから日本人が世界の国から馬鹿にされるのです、観光程度の海外旅行では分らないと思いますが、先人の御陰でまだばれてはおりませんが、何れ化けの皮が剥げる時が来るでしょう、チョッカイ出しても何にもしない連中だと。
アメリカが良いとは申しませんが、何があろうとも国が保護しますので、アメリカ人はなんでもやらかします、それで又中々捕まりません、此れは国が強いからです、したがって国が弱いとステイタスも薄いのです。同盟国だといってアメリカは日本人は保護してくれません、当たり前ですが、日本ではアメリカが守ってくれると信じている人達が山ほどいます。ホントなのでしょうか、海外へ行って、暴漢に襲われたとアメリカ大使館に保護願いを出してみては如何でしょうか?
門前払いでしょう
いい加減自分の事は自分で考えましょう、しかし其れさへも判らなくなっているのでしょうね。
このまま馬鹿政治家と一緒に
「おい、地獄さ行ぐんだで」

2009年5月2日土曜日

玄洋社墓参り




玄洋社
1881年(明治14年)、平岡浩太郎を社長として、頭山満、箱田六輔、進藤喜平太(進藤一馬元福岡市長の実父)らが創立した。旧福岡藩士らが中心となった。

戦前、戦中期にかけて軍部・官僚・財閥、政界に強大な影響力を持ち、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と日本の関わってきた数々の戦争において情報収集や裏工作に関係してきた。またアジア主義の下に、中国の孫文や李氏朝鮮の金玉均をはじめ、当時欧米諸国の植民地下にあったイスラム指導者などアジア各国の独立運動家を強力に支援した。

玄洋社の社則の条項は「皇室を敬戴すべし」、「本国を愛重すべし」、「人民の権利を固守すべし」というものであった。当時、薩長藩閥政府による有司専制を打破するために、議会の開設を要求した有力な政治勢力の一つは、今日「右翼」と称される玄洋社などの民間結社であった。しかし、これらの勢力が議会開設後に一転して政府と一体になって選挙干渉に転じる時期がある。その理由は、当時の議会が「民力休養」を掲げ、軍事予算の削減を要求しながら清国との戦争を盛んに煽動したためであった。玄洋社は、テロも含めた激しい選挙干渉を実行している。

他に玄洋社が関わった有名な事件としては、1889年(明治22年)の大隈重信爆殺未遂事件がある。当時外務大臣だった大隈は、日本が幕末に結んだ不平等条約の改正をはかったが、その改正案は関係各国に対しかなり妥協的であり、国民的反対運動がたちまち全国を覆った。しかし、剛毅な大隈は決して自案を曲げなかったため、玄洋社社員の来島恒喜が大隈に爆弾を投擲し、自身もその場で咽喉を斬って自決したのである。来島の投げた爆弾は過激自由民権運動家の大井憲太郎から提供されたものと言われている。事件で大隈は右足を失いながらも、尚自説を貫く決意であったが、政府は方針を急転し、大隈は辞職したため、この妥協的改正案は見送られることとなった。

玄洋社の社員らが掲げた有名なスローガンには「大アジア主義」(孫文の神戸演説に語源があるとされる)がある。彼らは、朝鮮の改革運動家金玉均や朴泳孝、インドの独立運動家ラース・ビハーリー・ボースらを庇護し、アメリカと独立戦争を戦うフィリピンのアギナルドへは武器と義兵を送ろうとした。当時の日本政府の方針が、各国との外交関係上、しばしばこれらを迫害する立場に立ったのに対し、玄洋社は公然とこれに反抗し、「大アジア主義」の主張を貫いた。

特に1901年(明治34年)に、内田良平らが黒龍会(玄洋社の海外工作を担う)を設立してからは、より多彩な活動が展開されるようになる。孫文らの辛亥革命を支援するために、多くの浪人たちが大刀を抜きダイナマイトを投げて清朝政府軍やその後の軍閥政府軍と戦っている。

日露戦争中全般にわたり、ロシア国内の政情不安を画策してロシアの継戦を困難にし、日本の勝利に大きく貢献した明石元二郎も玄洋社の社中(社員)であった。陸軍参謀本部参謀次長長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と評した。また、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」といって称えた。

また、日韓合邦については、内田良平や李容九は、日本と大韓帝国(韓国)の対等な立場での合邦を希望し運動した。日韓併合によって、朝鮮王族は日本皇族と同格の「公族」となり、朝鮮の有力者らは日本の「華族」に列せられたが、李容九は爵位を辞退し悲嘆のうちに亡くなっている。李は、数度にわたる朝鮮の政治改革の失敗から、両班(朝鮮の支配階層)による下層階級への搾取虐待を朝鮮人自身の力で克服することを不可能と考えており、日本との合邦によって初めてこれが実現できると信じていた。

昭和に入ると、玄洋社と関係の深かった中野正剛らは、大日本帝国憲法を朝鮮・台湾にも施行して、内地と朝鮮の法律上の平等の徹底(参政権は属地主義であったため、日本内地在住の朝鮮人、台湾人にのみ選挙権、被選挙権があった)をはかるべきと主張した。一方、頭山満と親交のあった葦津耕次郎らは、国家として独立できるだけの朝鮮のインフラ整備は既に完了したとして朝鮮独立を主張した。葦津は、満州帝国に対する関東軍の政治指導を終了すべきことも主張している。

以上のような「アジア主義」の思想潮流は、明治維新以降玄洋社等の民間結社の中で受け継がれ、多くの国民によって支持されてきた。これに対し、日本政府中枢で強く受け継がれてきたのは、ヨーロッパ列強型の近代国家を建設し、列国と外交的に協調する路線であった。なお、日本政府が「東亜解放」を正式な方針として採用するようになるのは、欧米との協調外交が完全に破綻する1941年(昭和16年)12月以降のことである。

新聞「福陵新報」を1887年(明治20年)8月から発行した。これは1898年(明治31年)に「九州日報」と改題し、さらに1942年(昭和17年)「福岡日日新聞」を合併して「西日本新聞」となり現在に至っている。福陵新報の初代社長こそが頭山満である。

2009年5月1日金曜日

君が代の 安けかりせば かねてより 身は花守となりてんものを




「我が胸の 燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし 桜島山」


平野國臣

 安政5年(1858年)6月、島津斉彬の率兵上洛の情報が北条右門から入り、国臣は菊池武時碑文建立願いの名目で上京。ところが7月に斉彬は急死し、率兵上洛は立ち消えとなった。国臣は京で北条右門を通じて斉彬の側近だった西郷隆盛と知り合い、善後策を協議、公家への運動を担当することになった。国臣の志士活動のはじまりである。その後、国臣は藩主への歎願のために福岡へ戻る。

 結局、西郷たちの工作は失敗し、幕府から逮捕命令が出された勤王僧月照を薩摩へ逃そうとするが、藩情が一変して難航。筑前で国臣は月照たちと合流し、供となって薩摩へ向かった。国臣と月照は山伏に変装して、関所を突破し、11月にようやく鹿児島に入った。藩庁は西郷に月照を幕吏へ引き渡すべく、東目(日向国)への連行を命じる。暗に斬れという命令であった。西郷は月照、国臣とともに船を出し、前途を悲観して月照とともに入水してしまう。月照は水死するが、西郷は国臣らに助け上げられた。国臣は追放され筑前へ帰った。

 12月に近衛家へ機密文書を返すために再び京へ上る。京では安政の大獄が吹き荒れていたために、翌正月に備中国連島へ隠れ住んだ。同年12月に下関の豪商白石正一郎邸へ移る。ここで水戸藩士や薩摩藩士と大老井伊直弼暗殺計画を話し合った。翌安政6年(1859年)3月、井伊大老暗殺の機が熟したと感じた国臣は掘次郎とともに福岡へ戻り、藩主黒田斉溥へ大老が暗殺されれば大乱となるから薩摩藩との連携と攘夷のための軍備の充実を求める建白書を提出。3月3日に桜田門外の変が起こり、井伊直弼は水戸藩士と薩摩藩士によって暗殺された。

 国臣は下関の白石家で一挙を知り、同志と祝杯をあげた。一方、福岡藩庁は驚愕し、事前に井伊暗殺を知っていた国臣の捕縛を命じた。国臣は捕縛を逃れるために逃避行に出た。薩摩へ入国しようとするが叶わず(なおこの際桜島を謳って「我が胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙は薄し桜島山」と詠んだとされる)。9月に肥後国高瀬の松村家に庇護され、久留米の勤王志士真木和泉と国事を談じる。両者は意気投合して、翌年には国臣は真木の娘のお棹と恋仲になる。

 村田新八らの手引きで薩摩へ入ることに成功するが、国父島津久光は浪人を嫌い、精忠組の大久保一蔵も浪人とは一線を画す方針で、結局、国臣は退去させられることになった。失望した国臣は「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」と詠じている。

 西郷と平野の関係を語る上で、欠く事の出来ないのは、月照の薩摩入りでしょう。
 京都清水寺成就院の住職を勤めていた僧・月照は、公家の近衛家と薩摩藩の仲介役として、西郷らと共に朝廷方面での運動に活躍しました。しかし、井伊直弼が行った「安政の大獄」により、月照もその身が危険となったのです。
 幕府の探索の手から月照を守るため、西郷は月照を薩摩で匿うことを計画しました。西郷は月照と共に京を脱出し、下関に到着した後、月照の身柄を筑前博多 近郊に住む同志の北条右門(ほうじょううもん)に託し、急遽先行して薩摩に戻ることにしました。月照の薩摩入りの下工作をするためです。しかし、西郷が出 発した後、事態は急変しました。幕府が派遣した京都町奉行支配の目明し二人が、月照の後を追い、博多に潜入してきたのです。
 このまま月照が博多に留まっているのは危険と感じた北条は、西郷からの連絡を待たずに、月照を先に薩摩に潜入させるのが良いと考え、上座郡大庭村へ月照 とその下僕を脱出させました。しかし、月照らの力だけで薩摩に行けるはずがなく、誰か月照の供をして薩摩に潜入してくれる頼もしい人物が必要だと、北条は 感じていました。

 「こんな時に、平野どんが居てくれれば・・・」


 北条の頭の中には、平野国臣という人物が浮かんでおり、北条は、彼しかこの大役を果たせる人はいないとも考えていました。

 平野国臣は、筑前黒田家に仕える足軽の次男として生れましたが、大きく変動する時代 の流れに触発され、志を持って諸有志と交わりを持ち、積極的に国事運動に身を投じました。また、余談ですが、平野は奇抜な格好をよく好みました。髪を総髪 にし、刀は一昔前の太刀作りの刀を佩き、烏帽子・直垂を着て町中を歩くこともあったと伝えられています。こういった点だけを見れば、何か豪快な人物だけの ようにも見えますが、平野は和歌も嗜み、笛を奏でることも出来るのです。平野は博多男児に代表される快男児であっただけでなく、一種の風流人でもあったの です。幕末に活躍した数多くの志士達の中でも、平野は異例の人物であったと言えましょう。
 平野と月照を匿った北条とは、非常に親しく付き合っていた間柄であり、平野は若い頃から京や江戸に出向くなど非常に旅慣れた人物であったので、北条は彼 に月照の供を頼みたいと考えました。しかし、その頃、平野は筑後・肥後方面に旅に出ており、不在でした。平野が不在であったため、北条は日々月照の薩摩入 りについて頭を悩ましていたのですが、突然その平野自身が旅の帰りに北条を訪ねて来たのです。北条の喜びは一通りではありません。一番手を借りたいと思っ ていた人物が、期せずして現れたのですから。

「これこそ、天の助けなり」

 北条は平野に全ての事情を話し、月照の供をして薩摩に行ってくれないかと頼みました。その北条の頼みに、平野は二つ返事でこう答えました。

「ようござす。行きましょう。」

 このように、平野という人物は、いついかなる時でも、清々しいほどの男気と勇気を発する人物なのです。