2007年10月31日水曜日

沖縄の教科書検定問題に思う



メディアの情報では沖縄が揺れている様だ

情報操作も甚だしい
沖縄をもっと知って頂きたい、知る事によって沖縄の本質が見えて来ると思う。
自称沖縄通と言っている人たちはこんな事を知っているだろうか

キジムナー
ガジュマルの木に生息すると言う妖怪である、本土で言う所の、河童に相当する。
例えば30代の方に河童が川や沼に本当にいるのかと聞いて、本気でいるよと、答える人は私は知らない
しかし沖縄ではほぼ半分以上の人は、キジムナーがいると思っている、此れは間違いない、私の友人はほぼ100%いると思っている。
キジムナーは結構有名だから、知っている人はいると思うが、本土の人はほぼ間違いなく次の事は知らない

久松3兄弟


この方達は何を遣った方々だと思われますか?

実は沖縄ではいまだに、日露戦争に勝ったのは久松3兄弟のおかげだと語り継がれているわけです

久松3兄弟の出身地は宮古島で当時南方からロシアのバルチック艦隊が攻めて来ると言うのは分かっていて、何時其処を通るかと言うことで、宮古島に偵察部隊を送っていた訳ですが、偵察部隊がバルチック艦隊を発見したのは良いが、無線がない、伝令部は当時石垣島にあった訳です、其処で登場するのが久松3兄弟、3人でサバニを漕いで石垣島まで行ったという事なのですが
がんばったと言うことは認めます

しかしながらこの話には腑に落ちない点が幾つもある訳です
腑に落ちない点を探すのは言いとして
沖縄の人たちは本気で信じている訳です、勿論全てとは言いません

私が何が言いたいかは分かると思うのですが

そんな島なんです

日本政府も配慮が足らない、あまりにも沖縄の事をしらなすぎる
基地の事は此処では書かない事にして

私は帝国陸軍が指令を出したとはとても思えないし、おそらく純粋に日本の事を思い、当時は情報も発達していなかったので、噂そういう類の物が、飛び交っていたと思うわけで、沖縄の人は、日本の兵隊が最後のよりどころみたいな所があったに違いなわけです。

戦後沖縄の人たちがアメリカ人達と仲良くしたと思われますか?
仲よくしていたならば、皆英語を話しますよ、沖縄の基地関係の人以外全然話せません、又本土からアメリカ人を追いかけてきたアメ女(アメージョ)位でしょ話す人は、その他はまったくもって話しません
戦後どうだったかは此れひとつ取っても分かりますよね

日本政府の配慮と言うのは、好きでもないアメリカ人達を何時まででも居座らせて、代替地を考えようともしない。日本人が自主独立を目指すのならば、まずはアメリカ人に退去願おう。

日本の右翼と称する皆様は、まずは沖縄で街宣をやってみては如何か

沖縄の観光建設土木その他の産業、沖縄の人がやっていると思いますか?

殆ど全て本土の人間が牛耳っている訳で、外国にODAを垂流しているのと何ら変わらないわけです
政治家やその他、其処を変えて行かないと何時までも、捻じれ現象は解消できません
沖縄に住み着いている本土の皆さん勇気を出して、同調意見に動じず、違うと言ってみてはどうですか、その後は相手にされませんから、しかし其処で始めて沖縄の覚醒が始まるのです

勇気を出しましょう
Nothing ventured, nothing gained



日々精進





 

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