2009年11月21日土曜日

民族の唄


 マレーはアジアの場末であつた。そこには色々なアジア民族が英國の統制下にゴミ捨場の如くうごめいて生きてゐた。 英國はこの半島を三つの政治に分けてゐた。一つは海峡植民地(シンガポール、ピナン、ウエルズレー、マラツカ、ラブアン、クリスマス島、ココス島)-これは英國直轄領で住民は英國のの臣民とされてゐた。第二はマレー連邦(ベラ、スランゴール、ネグリースミラン、バハンの各州)-これは英の保護領で君主はゐても実権は英國の知事が握つていた。
第三はマレー非連邦(ジョホール、ケダ、バーリス、ケランタン、トレンガヌー、ブルネイ)で連邦を構成せず英人顧問が指導するといふ仕組みである。

 けれどもこれらはいずれも形式上の区別で事実我々はどの州へ行つても英国のやり方に差別を発見することは出来なかつた。 彼らはまず立派な道路と病院と水道と教会を作つた。ついで米を作る余地を興へない位にゴム園を開拓した。 米の自給自足をやらせると民族は生長して独立する可能性がある。 全土がゴム園になると、まずゴム園の真中に王宮の如き家を作つた。ピストルと猟銃を持つた英人のマネージャーが乗込んで王様の如き生活をして土民を驚かせた.彼らはマレー人学生の中毎年首席の者を英国へ留学させ、二番、三番を、各州の役人に採用した。 彼らは民族のダラ幹となつて抑けんの手先として働いた。こんなお膳立で英國一流の搾取を始めて行つた。

 アロースターの街での話である。所謂コーヒー店で私は老いたる印度人農夫に話しかけられた。
「旦那様、まあ聞いて下さい。あつしは三十年間イギリス人の農園に働いてゐるのですが月給はいくらと思ひます。十ドルですぜ。一ヶ月十ドルですよ。これじや食つて一年に三枚シャツを買うのがやつとですよ。働く甲斐がありませんや。ところで日本政府は俺らにはいくら位賃金をくれるでせうねー」

 こんな風に印度人にはまだ不平をいふだけの勇気があつた。マレー人に至つては「賃金は安くてもよいから書寝をする時間を下さい」と訴へるくらゐに去勢されていた。希望を失つて既に数百年間、彼らの魂は動物に近きにまで没落して行つたのである。 彼らは英人に剄迫されたばかりではない。 支那人さへ押しのけられてしまつた。街々は華僑(くわけう)の独占するところとなり、土着民衆は農園に追ひやられたタメ貧困のみが一年々々と深刻になつて行つた。 マレー人の間では自動車の運転手になることが出世頭であつた。 

 ある日彼らの頭上にスコールの如く無数のビラが降つて来た。美しい印刷のビラには鎌の鎖を切り破つて英人を足の下に踏んまへてゐるマレー青年の姿が描かれてあつた。 ビラの文句には「英米悪魔の桎梏に泣いてゐるアジア民族に自由と解放の日は来た。 救世主日本軍は諸君の解放のためにすぐ眼前にあらはれるであらう。」とある。 彼らには信じられない夢であつた。しかるに夢は数日にして現実となつた。 約束通り幾百の飛行機が頭上に乱舞したし数知れぬ自動車の隊列と、今まで見たこともない戦車の大群が嵐の如くやつて来た。 日の丸を揚げたこの 「救世主」 たちは土着民衆にいつもニコやかに笑つてゐる。 暴行も掠奪もやらない、彼らがあらわれるとその翌日には王様の布告が出る。 治安維持会が出来る。 新しい貨幣が流通する。 美しいビラが毎日意匠を換へててばらまかれ街には映画が上映され、レコードが宣撫のメロデーを奏でる。 めまぐるしい、しかも楽しき革命である。 楽しい心を抱いてそこはかとなく彼らは青空に向かつて唄ひたくなる。 民族の唄が街にも村にも流れてゆく。やがて彼らの街にマレー兵やインド兵孵つて来た。 いずれも白い腕章をつけて日本軍の証明書を持つてゐる。 民族の呼び声に目をさまして英軍の陣地から脱出してきたのだ。百名、二百名、彼らの群は果つることなく街へ逆流して来る。 この兵隊は即日新しい任務を興へられて街の交通整理や警備に當つてゐる。 

 二月八日、シンガポール島攻略の砲撃の火蓋は意外にも我々の想像しなつたコースウエーの東側から切られた。 友軍の砲兵があの側にさう澤山はゐるはずがないと思つたら、やがてそれは投降印度兵の協力砲撃と分つた。 昨日まで日本軍を射つてゐた砲兵陣地はそのままにしてシンガポールへ向けられたのであつた。英軍の大砲で英軍の砲弾で英軍は死滅して行つた。

 アロースターの街で、私は一人のがつちりした印度人を印象にとめた。 彼の目はらんらんと輝いてゐるが、その服装はみすぼらしく風呂敷包みを重さうにかついで流浪の民の如く南へ南へ歩いて行くのであつた。数日後私はタイピンの街でも彼の姿を発見した。 同じ姿でまたも南へトボトボ歩いてゆく。 クララルンプールでも同じやうな姿で歩いてゐる彼を発見した。私はどうしても彼の正体をつきとめたい衝動にかられた。 呼びかけられた彼はニヤリと笑つて告白した。「私はいつも日本軍より先に英軍の陣地に入つて行きますよ。 英軍の鞭のもとに無数の同胞が誤れる戦争をしてゐますよ。 私はそれを救ひにで掛けて行きます。まあお見逃し下さい。」彼は大きな黒い手を差し出して私の手を固く握つた。彼は印度独立同盟の志士であつた。遠くサイゴンやバンコツクから民族解放の戦士として大東亜戦争に馳せ参じたのだ。

 ジョホール州に戦局が発展するころ、敵は印度兵やマレー兵を第一線に出さなくなつた。寝返りを打つ者があまりに多いためであつた。この印度人部隊は想像外に強かつた。 銃剣を持つて突撃して来るのも多くはこのインド兵である。だから彼らは戦ひに敗れて降伏して来るのではなかつた。 アジア人に環る當然の宿命をはたしたのみであつた。 インド兵の大量投降続出を嘆いた當時の英軍指揮官ライオン中将はいくたびか逃亡防止通牒を漢発した。「戦況止むを得ざる場合または不可抗力の場合のほか絶対に投降を禁止する。 特にインド兵の投降の多いのは遺憾の極みである。 自今一層精神教育を施してこれが阻止に務べし。」こんな通達は却つてインド兵の逃亡に拍車をかけるばかりであつた。

 日本軍に投じたインド兵は投降兵といはれるのを極度に嫌がつた。 我が軍でも彼らに協力者とういふ名を興へて優遇した。 彼らは日本兵無しにマレー街道をぞろぞろ列を作つて自由に行動してゐる。 彼らは歩くとき必ず唄を合唱する。私にはその意味は分らなかつた。しかし私はそれを「民族の唄」と名付けて楽しい気持ちになつてゐた。
 
このインド兵たちはマレー作戦が終わると更に他の戦線へ進していつた。



誰が考えても詰んで終わっているものを将棋盤と相手の顔を眺めつつ「待てはもうかけられないな」後先も考えずに貴方は馬鹿ですか?
それとも100手先を読んで国民にサプライズの発表でもやるつもりですか「イェスイッアグレイト、プライムミニスター」という事は有りませんよね、国民からレッドカードを出される前に早めに退陣してください。

何が宇宙人ですかアふぉか

2 件のコメント:

副長 さんのコメント...

政権は 取ってみたけど 難しい
早く辞めたい 一郎さん

BY 由紀夫

Unknown さんのコメント...

今朝のテレビを見ていましたら
由紀夫くんの白髪がえらく多く感じました、また顔つきも若干ですが強張っている様に感じました、何かの予兆でしょうか政治家得意の脳梗塞にでも繋らなければ良いがと危惧していた所です。