2010年5月2日日曜日

因習殺人、再び

2010年04月26日付 Milliyet紙


21歳のエスラ・カヤさんが、恋人である男性と駆け落ちしたために、弟であるフェルハト・エキンジによって刺されて殺害された。エスラさんは日記に、殺人者となった弟が「サプライズ」で訪れてくれたことをとても嬉しいと書いていたことが分かった。エスラ・カヤさんは、日記に「来てくれてとても嬉しい。家族の中で私を最も理解してくれる兄弟はフェルハト。私にこう言ってくれた。『不運を理解できるのは不運に陥った人』と。フェルハトもとても愛しているからこそ私のことを理解してくれる。ああ、胸が締めつけられる思い」と書いていた。

(恋人である)アール出身の23歳のジハン・ヌル・カヤさんは、シャンルウルファで兵役をしていて、運転免許を取得するためシャンルウルファ市民教育センターで開講されていた教室に通っており、そこで裁縫教室に参加していたエスラ・エキンジさんと出会った。しかしエキンジさんの家族が娘を嫁がせることに反対したため、2人の若者はジハン・ヌルさんが5ヶ月前に退役するのを待ってアールへと駆け落ちした。アールで正式に入籍し結婚した姉エスラ・カヤさんの家にシャンルウルファから遊びに来た19歳の弟フェルハト・エキンジは、4月22日、姉を因習に反したとしてナイフで刺して殺害した。事件の間、自らの殺人を携帯電話で家族に聞かせたフェルハト・エキンジは、その後逮捕され、殺害された姉はアールで涙する人々に見守られて埋葬された。

■すべて日記に記していた
ジハン・ヌル・カヤと2009年10月25日に出会ったエスラ・カヤさんは、自分の心情を日記に記していた。結婚する前に「彼なしで生きていくくらいなら私は死ぬ。神よ、なぜこんな痛みを与えるの。この思いが幸福な形で終わりますように」と祈っていたエスラさんは、その後の日記で「彼と出会ったことで自分がどんなに幸せで、嬉しくて、安らぎで満たされているか言い表せない。あの日あの市民教育センターの教室に行っていたから。そして、あの日たった一人の人に出会うことができたから」と記していた。

■「いつも家族の夢を見る」
5日間家に遊びに来ていた後に殺人者となったフェルハトの来訪を大変喜んでいたエスラ・カヤさんの日記には、次のような文章も綴られていた。

「弟が来た。私たちにサプライズをしてくれた。とても嬉しかった。彼のことをとても恋しく思っていたから。来てくれてとても嬉しい。家族の中で私を最も理解してくれる兄弟はフェルハト。私にこう言ってくれた。『不運を理解できるのは不運に陥った人』と。フェルハトもとても愛しているからこそ私のことを理解してくれる。ああ、胸が締めつけられる思い。フェルハトの電話で音楽を聞いている。『あなたが恋しい』という曲。(この曲は)私の愛に対する気持ちや考えを説明している。一番願った場所に、たった一人のジハン・ヌルの隣に私はいる。今、彼は私の枕元で、私の隣で眠っている。彼が私にはぴったりだと認めてくれるなら、私はその人のために何でもする。私たちに残された唯一の方法は、駆け落ちして結婚することだった。ジハン・ヌルはライオンのように勇猛に私の手をとって逃げてくれた。私たちはよくやったと思う。今、とても、ええ、とても幸せ。アッラーに感謝します。結婚式には何の不足もなかった。ただ、家族が、こんな幸せな日に隣にいてくれたなら。ここに来てからいつも家族の夢を見る。特に母の夢を。」

この記事の原文はこちら

(翻訳者:萩原絵理香)

名誉の殺人
名誉の殺人とは、女性の婚前・婚外交渉を女性本人のみならず「家族全員の名誉を汚す」ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。
 名誉殺人が行われている国および地域として、バングラデシュ、トルコ、ヨルダン、パキスタン、ウガンダ、モロッコ、アフガニスタン、イエメン、レバノン、エジプト、ヨルダン川西岸、ガザ地区、イスラエル、インド、エクアドル、ブラジル、イタリア、スウェーデン、イギリスを挙げている。名誉殺人はシーク教徒の間でも行われているが、主に中東のイスラーム文化圏を中心に行われているため、イスラーム教と関連した風習と見做されることが多い。しかし、実際はイスラーム教とは無関係であり、専ら地域の因習によるものであるとされる。

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