2010年6月1日火曜日

国賓 カンボジア国王陛下のための宮中晩餐



天皇陛下のおことば

この度,カンボジア王国ノロドム・シハモニ国王陛下が,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

貴国と我が国との交流は,1569年,貴国の商船が九州沿岸に来航して通交を求めたことに始まりました。そのころ我が国は,群雄割拠の時代から,統一政権が生まれる時代への移行期にあり,外国との貿易も盛んになってきていました。1604年より,鎖国により日本人の海外渡航が禁止された1635年までの間,政府の渡航証明書を与えられて貴国に渡航した我が国の商船は,44艘(そう)に及んでいます。貴国からの輸入品の中には刀の柄(つか)や鞘(さや)に用いた上質の鮫(さめ)皮があり,また,プロミンの開発以前,長い間ハンセン病の薬として使われていた大風子も貴国から輸入されていました。この時代には貴国に2か所の日本人町があり,当時アンコール・ワットを訪れた日本人の墨書も今日に残っています。

しかし,我が国はその後200年以上に及ぶ鎖国政策を続けたことから,貴国との交流はなくなりました。さらに,19世紀半ば過ぎ,我が国が鎖国政策から開国政策に転換したころ,貴国はフランスの支配下に入り,両国の間に国交が開かれたのは先の大戦後,両国がほぼ時を同じくしてそれぞれ自国の独立を回復した時のことになります。

父君に初めてお目にかかりましたのは,父君の様々な御努力により,貴国が独立を達成して程無い時のことでした。国賓として我が国を御訪問になった父君と重光外務大臣との間で友好条約の署名が行われ,昭和天皇香淳皇后による宮中午餐の席には私も,陪席いたしました。それから 55年の月日が流れました。父君が今もお元気にお過ごしとのことをうれしく思っております。

その後,貴国が経てきた道は極めて厳しいものでした。内戦により驚くべき多数の人々の命が失われ,誠に痛ましいことでした。この内戦の残した禍は今も続いており,当時埋められた地雷により被害を受ける人の数は,決して少なくないと聞いております。国民生活とりわけ農業を営む人々の生活に不安の影を落とす地雷の除去に携わる人々の労を思うとともに,作業の安全を心より願っております。

国王陛下と初めてお会いいたしましたのは1988年,父君,母君と共に陛下が我が国にいらっしゃった時であり,貴国が内戦から和平に向かう時期でありました。和平の成立に至るまでの日々を,陛下は御両親と共に厳しい環境下にお過ごしになり,その御苦労は計り知れないものがあったこととお察ししています。

貴国はこの痛ましい内戦を乗り越えて和平を達成し,国政選挙を経て,政治的安定を確保し,今日更なる発展に向け力を注いでいます。貴国国民のたゆみない努力に,心から敬意を表したく思います。

我が国の人々はこれまで,貴国の人々と共に,様々な面で貴国の復興発展に協力してきました。この度の御訪問がこのような両国間の協力に尽くした人々の励ましとなり,両国国民の友好の絆(きずな)を一層強めるとともに,我が国の人々の,アンコール・ワットを始めとし,貴国が世界に誇る優れた文化への関心を今までにも増し高める機会となるよう願っております。

日本は今,日々緑が鮮やかになる季節を迎えております。この良き時に我が国をお訪ねくださった陛下の御滞在が,実り豊かなものとなりますよう念じております。

ここに杯を挙げて,国王陛下の御健勝とカンボジア国民の幸せを祈ります。


カンボジア国王陛下のご答辞

和文(仮訳)(PDF形式:2,350KB)3ページ
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/pdf/okotoba-h22-kokuhin-1.pdf

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