ベトナム国会は16日、国家銀行法改正案と呼ばれる金融機関法改正案・中央銀行法改正案・証券法改正案の3法案を可決した。同日には税法改正案の中で、住宅税の導入を延期することも決定した。一方で19日には、ベトナム版新幹線と呼ばれる「南北高速鉄道」の建設計画を否決した。ベトナム株取引サービスを提供するニュースアセットマネジメント(本社・東京都渋谷区)は21日、ベトナム国会における(1)国家銀行法改正案可決、(2)新幹線計画否決 ――に関する見解を発表した。
ニュースアセットマネジメントは同見解で「国家銀行法改正案可決」について、証券投資への融資緩和と、不動産市場の安定化の動きを指摘。証券市場の資金流動性が高まると予想した。
新幹線計画の否決では、国家財政への過度の負担を避けたことで、「安心感」が出ると分析。ベトナムがインフラ建設を必要とすることに変わりはないが、経済効率面などの優先度をこれまで以上に考慮すると考えられるので、市場も好感するとの見方を示した。
ニュースアセットマネジメントの「見解」全文は以下の通り。
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●「国家銀行法改正案可決」について
今回の国家銀行法改正案可決で、ベトナム国会は、商業銀行、外国銀行支店に対して、証券投資への融資を緩和する方向と不動産市場安定化の動きを見せた。
その他、WTO加盟の条件として、2010年第2四半期から、外国籍保険会社はベトナムで100%外資アセットマネジメント子会社を設立できることとなった。証券市場の資金流動性が高まることが予想され、金融市場はこれらの動きを好材料と見ている。
●「新幹線計画否決」について
今回の政府の「南北高速鉄道」の建設計画に対する国会の否決は異例であり、ベトナム国内でも大きな話題となっている。一方、今回の否決は、ベトナム国内ではプラス材料。特に、金融市場においては以下のことが推察される。
まず、ベトナムのGDOの半分以上にあたる巨額の事業費(558 億ドル=約5.1兆円)が必要なうえ、その内7割はODAなど外国からの借入で、現在の対外債務がGDPに対する42.5%程度になっているベトナムにとって、将来「東南アジアのギリシャ」になる懸念があったため、ひとまず安心感を与えると思われる。
そして、距離1500キロメートルの長さで、新幹線方式(貨物を運べない欠点)しか提案しない政府の建設計画に対する比較経済効果の疑問もあったので、今回の否決により、他の方式の導入など、今後のベトナム鉄道全体図を見直す機会となることが予想される。
もっとも、「南北高速鉄道」はもとより、ベトナムインフラ全体が未整備であり、電力・道路・ハノイ市とホーチミン市内地下鉄・洪水対策など様々な投資案件を展開する必要性が再確認できたため、インフラ関連投資は今後も進んでいくと思われる。優先度が高い、経済効率が高いものから建設されることが推測されるため、市場も好感すると思われる。
今回の国会会議では、重要な決定が多く、ベトナム国内世論で注目されており、「南北高速鉄道」の建設計画に関する否決は、国民の大部分の意見を反映したものだと思われる。
こいつら全くの出鱈目で国民は新幹線が出来る事、計画がある事すら知らないのが現状で有る、嘘ばっかり
作ることは間違いないと思われるが、支那の横槍が入ったに間違いない、このニュースアセットマネジメント、こいつらも支那のお先棒を担ぐ「一心太助」ではないか。
屏東県で続く「雪おばあさん」の愛の物語
太平洋戦争中、屏東県で亡くなった夫を偲ぶため、27年前から同県の小学校を訪れて寄付をしている90歳の日本人女性がいる。この女性は水谷雪さん。21日同県の竹田小の卒業式に和服姿で参列した。水谷さんは2、3年おきに同小の卒業式に参加しているという。水谷さんの夫は、戦争当時、同県竹田郷の野戦病院で兵役に就いていたが、その後音信が途絶えた。1982年、水谷さんは娘婿とともに台湾を訪れ、ようやく夫が不幸にも野戦病院で死亡したことを知る。野戦病院は改築されていて、同小となっていた。その後、水谷さんは同小を訪れて校庭の土を日本に持ち帰り、夫の墓に納めた。それ以来、同小を訪れる度、3~5万元を寄付しており、同小ではこれに応えて「雪おばあさん文庫」を設立。さらに竹田からの日本留学の面倒をみている。この話に感動した音楽家出身の竹田村長は3年前に水谷さんを名誉村民に推挙したほか、これをテーマにした歌にしている。
白夜の時期の思いで
サンクトペテルブルグではチャイコフスキーの「眠りの森の美女」、ビゼーの「カルメン」、モスクワでは同じく「白鳥の湖」、マスネーの「タイス」等をみたが特に伝統あるロシアのバレーは素晴らしかった。
十二分に堪能することができた。中でもマリンスキー劇場で見た出し物はこの劇場の古い歴史と雰囲気が独特であり、さすが世界に名だたる劇場との印象を深くした、と言うより楽しむものが他にないのである。観客はロシア人以外にヨーロッパ各国特にドイツ人が多いように感じた。
いずれの劇場もオペラ、バレー、が中心であったが日本とは異なり、観客席は木でできており一つ一つが独立していた。日本にはすばらしいコンサートホールが全国各地に箱物ブームのときに造られたが、内部の重厚な造りや雰囲気は到底マネできるものではない。
ヨーロッパでは夕食が遅く、したがってこのような興行の終了時間も遅くなる。終わりの時間は殆ど11時過ぎになるが外に出てみると薄暮と言った感じでまだ薄明るい。曇っていたせいか街全体がミルク色に染まったような印象で非常に幻想的であった。
こんな時間なのに犬を散歩させている人を何人か見かけた。
ホテルに帰ると夜中の12時を過ぎているのにまだ明るい。
気分が昂ぶり寝付けず外を眺めていると2時ごろになってやっと夜の帳が下りた、不思議な気分だった。
ロシア人が僕たちは自由だデモクラシーだと叫んでいた、それは20年後にしか分からないよと僕が言った、いまだに分っていないようだ。
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