2011年2月27日日曜日

えっ?前から居たでしょうに

ロシアの声(ロシア政府の代弁機関)

南クリル諸島にロシア軍が配備

 極東の実務訪問を終えたセルジュコフ国防相は声明を表し、ロシア軍が国後島と択捉島に配備されることを明らかにした。
 2島に配備されるのは射撃・砲兵師団で、通信や電磁波を利用して戦闘を有利に進める電子戦の最新システム、またレーダーが用いられ、守りが強化されることになっている。

 これは以前にも書きましたがハバロフスクで用心棒をしていたミーシャという知り合いがいましたが、この者は択捉島に駐留していたスペツナズの空挺部隊にいたんです、ということは択捉島にスペツナズがいるということでしょ、何お今更という感じですね。



日本外務省:北方四島での投資プロジェクト参加を検討

 日本の前原誠司外相は25日、衆院予算委員会分科会で、南クリル諸島(北方四島)におけるロシアとの共同投資プロジェクトへ日本が参加する可能性について、外務省が検討していると伝えた。
 ロシアが提案した南クリル諸島開発への参加に対して、はじめ日本政府は、日本の公式見解に反してロシアの主権を事実上認めることになるとして、否定的な反応を示したが、ロシアが中国や韓国の企業を南クリルでの投資事業に招いたとの情報が伝えられた後、日本の政治家らは、この問題に関する態度を和らげた。

 これも何を言っているのでしょうね、前原本人はロシアに行き気色が優れずロシア人を前にして何も言えずに帰ってきたものを、その辺の子供よりも悪いではないですか、こんな事ですからロシアに漬け込まれるだけで覚悟がないのも甚だしい。ロシアはコチラを向いてもらおうと必死な訳でそのような者は、放しておけば良い事です、何れ靡いてくるのですから。原油高により益々ロシアは漬け上がる事でしょうが、此処は一つ腹を据えて当たらないといけません、その覚悟を見せて欲しいものです。



ロシア極東に近代的漁業市場 日本と共同で

 ロシアと日本の漁業業者は、水産物を電子取引の形で取り扱うことができる市場を、ユジノサハリンスクに共同で設立する計画を進めている。その計画の準備のため、北海道の大手水産市場および日系水産会社の代表者らが、ユジノサハリンスクおよびモスクワを訪問した。
 その計画は、ユジノサハリンスクにおける「サハリン漁業共同体」の創出を促すものだ。「サハリン漁業共同体」は、冷凍水産物のロシア市場への供給をはじめ、水産物のアジア太平洋地域への輸出を行うためのものである、とユジノサハリンスク市は考えている。

 ユジノサハリンスク市食糧品消費市場局のアレクサンドル・バンジュコフ局長は、すでに電子化された水産市場をもっている日本が、テクノロジーの面で協力する用意を見せてくれている、と述べている。

 ―ロシア側でイニシアティブをとったのは、ロシア各地に生鮮漁業品および冷凍水産品を供給しているラマラ社だ。ユジノサハリンスクにも、ラマラ社の支店がある。電子市場の開設の目的は、消費市場の拡大だ。残念ながら現在、ロシア市場は、水揚げされた水産物をすべて受け入れ切れていない。そのため、水産物のより効率的な取引を実現するため、日本側に共同事業を提案させていただいた。市の指導部は、この計画を支持しており、全面的に協力する準備がある。なぜならば、市場での取引こそが、市場システムに基づいた透明性のある卸売りとなるからだ。また日本側も、冷凍水産物および生鮮漁業品の日本への供給や、ロシアであまり知られていない水産物のロシアへの輸出などに、大きな関心を示している。

 もちろん、現代的な市場の創出は1日でできるものではないが、その必要性には大きなものがある。第一に市場の創出によって、ロシアから日本への水産物の密輸が阻止されることとなる。また第二に、より透明性のある価格競争が行われることによって、消費者の利益をまもることが可能となる。




北朝鮮 米韓合同演習に軍事的攻撃を示唆

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、アメリカと韓国が朝鮮半島における合同演習を行った場合、軍事的攻撃を行うことを示唆した。
 公式声明のなかで北朝鮮政府は、ソウルの街を「火の海」とすることを約束している。

 米韓合同演習は今月28日に開始される予定となっている。

 これより先、北朝鮮は、韓国の国境部隊が北に対して心理的圧力を加えているとして、これを攻撃することを警告していた。

 南北軍事境界線付近では、宣伝ビラやアメリカドル札をつけた気球が飛ばされているほか、拡声器を使ったプロパガンダが行われている。

又ここにも覚悟が、ない者達がいる「火の海」にするというのであれば見せてもらおうではありませんか。君たちの勇気を見せてくれ。




写真はTwitter: @TomLasseter氏撮影"China Rises"


眠れるパンダは眠ったままと言う事なのか?支那茉莉花革命

集会封じ込めへ厳戒=呼び掛け、二十数都市に拡大-中国

【北京時事】中国当局は27日、民主化などを求める「中国ジャスミン革命集会」の呼び掛けがあった北京、上海、新疆ウイグル自治区ウルムチなどで、集会を阻止するため大量の武装警察を動員して厳戒態勢を敷いた。集会呼び掛けは20日に続いて2回目。前回の13都市から二十数都市に拡大したが、今回も封じ込める方針だ。

 北京で集合場所に指定された繁華街の王府井では、武装警察が巡回し、物々しい雰囲気に。ファストフード店前に工事用防護壁が設置されたり、大型車両が止められたりして、人が集まりにくくなった。3月に全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれることから、目抜き通りの長安街などでも例年より早く厳しい警備が始まった。

 集会に関する情報はインターネット上から削除され、厳しいネット規制が継続されている。集会情報を拡散させたとして、作家や民主活動家ら少なくとも4人が国家政権転覆などの容疑で拘束されたほか、警察に連行されたまま連絡がとれない人権派の弁護士らもいる。



北京 王府井






2011年2月25日金曜日

不法占拠と言わないで

何か凄い商売を見つけましたね日本では絶対起こらないだろうなと言う感じ

ニュースクリップタイ

子供欲しい顧客にベトナム女性斡旋、妊娠強要 台湾人ら5人、バンコクで逮捕

 タイ警察は23日、バンコク郊外の民家を捜索し、台湾人の女2人と男2人、中国人の男1人の計5人を人身売買などの容疑で逮捕し、ベトナム人の女性13人を保護した。保護されたベトナム人女性のうち7人は妊娠していた。

 逮捕された5人は子供が欲しい客にベトナム人女性を斡旋し、出産させていたもよう。料金は子供1人につき150万バーツ(約400万円)で、出産した女性には15万バーツを払っていた。女性らはパスポートを取り上げられ、逃げられなかったと話している。

先進国には代理出産と言うのがあるのでそれにヒントを得たのだろうか、値段も良い線付いていますね。


タイ空軍、スウェーデン製戦闘機配備へ

タイ空軍が購入したスウェーデン製の戦闘機、サーブ39グリペン12機のうち、最初の6機がスウェーデンからタイに飛来し、22日、タイ南部スラタニ県の空軍基地に到着した。12機の購入費は計352・7億バーツ(約950億円)。残る6機は2013年に納機される。

 グリペンは低コストでメンテナンスが容易とされる。最高速度はマッハ2。タイのほか、チェコ、ハンガリー、南アフリカ、英国に輸出された。

タイ、カンボジアの武力衝突 インドネシアが停戦監視団派遣

タイとカンボジアの武力衝突に関する東南アジア諸国連合(ASEAN)の緊急非公式外相会議が22日、ASEAN議長国であるインドネシアの首都ジャカルタで開かれた。会議後発表された議長声明によると、タイ、カンボジア両国は国境の戦闘地域にインドネシアの停戦監視団を受け入れる。両国はできるだけ早く2国間交渉を再開し、インドネシアは両国の交渉に「適切に関与」することで、事態の友好的解決を支援する。

 ASEANは内政不干渉を原則とし、加盟国間の紛争で監視団を派遣するのは初めて。スリンASEAN事務局長(元タイ外相)は簡易ブログ「ツイッター」で、「歴史的な日だ。よい前例となる」と会議の結果を賞賛した。

 一方、タイのアピシット首相は「タイが主張する2国間交渉が認められた」「停戦監視団の受け入れはタイが拒否してきた第3国の介入を意味しない」という認識を示した。ただし、ASEANはタイの顔を立てるために「関与」という言葉を使用しただけで、実際には2国間交渉にインドネシアが立ち会う形になるようだ。

 タイとカンボジアは今月4日から17日にかけ、世界遺産のヒンドゥー寺院遺跡プレアビヒア周辺の国境地帯で銃撃、砲撃を交わし、双方で数十人が死傷した。タイでは東北部シーサケート県の民家十数棟が砲撃を受け炎上し、周辺地域の住民約2万人が一時避難した。

 プレアビヒアはカンボジアのクメール王国が9―11世紀に建立したとされ、タイ・カンボジア国境地帯のがけの上にある。両国が領有権を争った末、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下したが、周辺の国境は未画定のままだ。

 昨年12月にはプレアビヒア周辺の国境未画定地域を訪れたタイの与党国会議員と同国の保守派政治団体幹部らタイ人7人がカンボジア当局に不法入国などで逮捕された。このうち5人は1月下旬に執行猶予付きの有罪判決を受け、タイに帰国したが、政治団体幹部ら2人は2月1日、スパイ行為、不法入国などで懲役6―8年の実刑判決を受けた。

 タイ国内ではアピシット政権の対カンボジア外交を「弱腰」と非難する保守派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」が1月からバンコクの首相府前で座り込みのデモを開始した。PADはアピシット政権の退陣を求めており、軍の一部と結んでクーデターを画策しているといううわさもある。

ロシアの声

南クリル諸島の防衛 ロシア軍兵器に新たな予算

 ロシアのウラジーミル・ポポフキン防衛次官は声明を発表し、南クリルのロシア軍に対して、新たな攻撃兵器および情報機器が与えられることを明らかにした。

 クリル諸島には現在、第18機関銃・砲兵師団が配備されている。ロシア軍司令部は、同師団の編成を変更し、新しい技術および兵器を強化する計画だ。

 南クリル4島の領有権を主張している日本は最近、ロシア政府に対して過激な声明を行っている。そのような状況の中、南クリルを巡る緊張が高まっている。

 同諸島は、第二次世界大戦の結果、ソビエト連邦に編入された後、ロシアが受け継いでおり、それは国際法によっても確認されている。


国際法などでは確認されていない、不法占拠なのです、不法占拠です。


北方領土で「不法占拠」使わず 前原外相、ロシアに配慮か


 前原誠司外相は24日の衆院予算委員会で、自民党の下村博文氏が北方領土と竹島について「他国による不法占拠ではないのか」と問いただしたのに対し、「法的根拠のない形で支配されている」と述べ「不法占拠」という言葉を避けた。枝野幸男官房長官も同様に答弁した。

 前原氏は沖縄北方担当相だった2009年10月、北方領土について「(ロシアによる)不法占拠という言葉はその通りだし、言い続けなければならない」と述べていた。

 外相に就任してからは「不法占拠」の表現を避けている。ロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問を「許し難い暴挙」と非難した菅直人首相の発言が反発を招いた経緯があり、この日の答弁もロシア側に配慮したとみられる。

 下村氏は「不法占拠という言葉を封印すること自体が、間違ったメッセージを与えることになる」と批判した。外務省のホームページでは「今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いている」などとしている。

 ロシア側からすればシメシメと言う感じでしょうね、と言いますのも、日本側から国際社会に「不法占拠」と言われるのがロシアにとって非常に聞くに堪えられないことなのです、従いまして日本側は根気強く「不法占拠」と言い続けなければならないのです。
それをロシア側に配慮などと戦う前から負けております、このような事では絶対島は帰ってきません、日本は武力を背景にした交渉ができません、かと言ってずば抜けた交渉力があるとも思えません、それでは最後の切り札として「言い続けると言うカード」これを手放してはいけないのです、覚悟が無い者達が国の行く末を考えると言うことは、之ほど悲惨な事は御座いません。

2011年2月24日木曜日

同志諸君今こそ立ち上げる時が来た



 君たちに将来が見えるだろうか、國の行く末が分かるだろうか、一部のブルジョア民主主義にかぶれた連中だけが徳をし人民の大半が粟や稗を食っている、毛沢東同志が唱えたように今こそ人民は立ち上がって革命をを起こさなければならない、鄧小平が南巡講話で唱えた事は今や真っ赤な嘘と言う事が判然しているではないか。

 支那人の中に真の革命家が存在していることを私は知っている。君たち自身が行動を起こさなければならないのである。君たちはますます勝利に近づいている。そうであるならなおさら、革命の主導権を獲得しなければならない。もしこれに成功すれば、偉大な勝利となるだろう。
ブルジョア中南海民主主義はもはや信用されていないが、われわれは何よりも信頼できるマルクス主義的多数派を獲得しなければならない。その後に、われわれは、中国共産党が犯す愚行に対する闘争を通じて、革命を行なうだろう。

人民の英雄たちの名は永遠に不滅である。革命の伝統を発揚し、新たな勝利をかちとり、革命烈士のうち立てた社会主義事業を最後までおしすすめるという決意をしめそうではないか。
資本家を否定しようと思う者は、資本家達の貨幣を破壊しなければならない、今や中国共産党とは名前だけである此の様なブルジョア中南海民主主義は打倒し、真の革命を行う時が来た。

さあ人民よ今こそ立ち上がって毛沢東同志が唱えた真の共産革命を行をうではないか。



本当の革命が起こるぐらい煽りたいのだがなんか書いてて虚しいのでこのへんで止めておこう。



以下27日に支那で起こりそうなデモ(支那語ですから解らない)

ジャスミン革命だって、自由とか書いてあるが自由にはなってほしくないな、そんな事より前近代的共産革命をやって欲しいものだが。



中国“茉莉花革命”227集会地点发布,本次行动代号为“两会”

中国“茉莉花革命”227集会地点,增至18城市,原定地点成都、广州等地有变动。为便于在国内互联网传播,本次行动代号为“两会”,例如成都网友可以给朋友发消息说“本周‘两会’在春熙路麦当劳门前召开“。


时间:2011年2月27日开始 每周日下午2时


地点:

北京 王府井麦当劳门前
上海 人民广场和平影都门前
天津 鼓楼下
南京 鼓楼广场秀水街百货门口
西安 北大街原家乐福门口
郑州 二七路百货大楼前
成都 春熙路麦当劳门前
济南 银座购物广场前
长沙 五一广场新大新大厦门口
杭州 湖滨路凯悦酒店前至音乐喷泉一带
福州 五一广场越洋图书城门前
广州 天河体育中心正门
沈阳 南京北街肯德基门口
长春 文化广场西民主大街快乐购超市门口
武汉 解放大道世贸广场麦当劳门口
拉萨 八廓街大昭寺广场
哈尔滨 西大直街康宁路路口世纪联华门口
乌鲁木齐 建设路人民电影院门口

未在此列出集会地点的城市,请自行到城市中心广场集中。

口号

我们要食物、我们要工作、我们要住房、我们要公平、我们要正义
保障私有产权、维护司法独立
启动政治改革、结束一党专政
开放报禁、新闻自由
自由万岁、民主万岁

守则

“只需走到指定地点,远远围观、默默跟随,顺势而为,勇敢地喊出你的口号。”

“请参与者守望相助。如发生参与集会人员受到不良对待,以最大容忍处理,旁人请及时支持。集会结束时不留垃圾,以华人的高素质品格,并有条件追求民主自由。”

博讯新闻(临时网站)


 大きなことをいうときには、注意しなければならない。偉大な行いにそうした言葉を当てはめることは途方もなく困難なのだ。(レーニン)


支那からパンダがやって来た

日本ではこの所ずっとパンダの話題で持ちきりらしいですね、中国のパンダ外交、タイでもチェンマイ動物園で子どもが生まれて「パンダテレビ」というものまで出来た、24時間檻の中のパンダの赤ちゃんを映しっぱなしというテレビ、又レンタル期限が来てパンダの子供を返すの返さないのという問題も起きていた、結局レンタル期間中に生まれた子供は返さなければならないようである。たしかにパンダは可愛い、しかしパンダは中国の動物ではなく列記としたチベットの動物なのです。

2011年2月23日水曜日

〔緊急〕大使館からのお知らせ(国内治安維持法)

国内治安維持法(ISA)の適用期間延長に関する注意喚起
(2月23日現在)

1.22日、タイ政府は、市民民主化同盟(PAD:通称「黄シャツ・グループ」)及び反独裁民主戦線(UDD:通称「赤シャツ・グループ」)等によるデモ集会等の抑止及び規制を目的として、2月23日までとしていた国内治安維持法(ISA)の適用期間を、3月25日までの30日間延長することを決定しました。なお、対象地域は、同法適用開始時と同じくバンコク都7区(ドゥシット区、プラナコン区、ワッタナー区、ラチャテーウィー区、ワーントーンラーン区、パトゥムワン区、ポムプラープサトルーパーイ区)としており、同地域では、引き続き、「一部交通手段の制限」、「移動規制」、「検問所の設置」、「武器等の所持禁止」、「安全確保のための電子機器の一時使用禁止」といった種々の規制措置が講じられることになります。

2.つきましては、報道等から最新情報の入手に努めるとともに、今後とも集会・デモ等が開催されている付近には近づかないようにし、不測の事態に巻き込まれないよう、安全確保に十分注意を払ってください。また、国内治安維持法の適用により、集会・デモが行われる地域一帯では、治安当局等による交通規制や立入規制等が敷かれるとともに、警察官等による誘導等がなされる場合もありますので、周囲の状況に十分注意を払い、避難等の指示がある場合には、その指示どおりに行動するようにしてください。


(問い合わせ先)
○在タイ日本国大使館領事部
 電話:(66-2)207-8502、696-3002(邦人援護)
 FAX :(66-2)207-8511

2011年2月21日月曜日

竹島は日本の領土です


        2011年(平成23年)は竹島の島根県告示から106周年です。

              韓国による不法占拠から58年目です。



竹島とは?


 竹島は、島根県隠岐郡隠岐の島町に属し、隠岐島の北西約157km、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、その総面積は21万平方メートルで東京ドームの約5倍の広さがあります。島は飲料水にも乏しく人の常住には適しませんが、島の周辺一帯は南からの対馬暖流と北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに極めて豊富です。

 排他的経済水域200カイリ時代を迎えた今日、竹島周辺海域は、島根県のみならずわが国にとって水産業の発展と水産資源の確保の観点から非常に大きな価値をもっているといえるでしょう。


竹島年表(20世紀以降)

1904.9.29(明治37年)
中井養三郎、内務・外務・農商務省に竹島の領土編入と貸下げを出願
1905.1.28(明治38年)
閣議で竹島と命名し、本邦所属、島根県隠岐島司の所管とするを決定
2.22
島根県知事、島根県告示第40号で竹島の名称と所管を告示
5.17
島根県、竹島を隠岐国四郡の官有地台帳に登録
6.5
島根県知事、中井養三郎外3名に対しアシカ漁業の許可をする
7.22
海軍人夫38名竹島に上陸し、仮設望楼を建てる
8.19
島根県知事松永武吉、随員3名とともに海軍用船京都丸にて竹島視察
1906.3(明治39年)
島根県第3部長神西由太郎外43名、竹島の実態を調査
1939.4.24(昭和14年)
島根県隠岐郡五箇村議会、竹島を五箇村の区域に編入することを議決
1940.8.17(昭和15年)
島根県、竹島の公用を廃し、海軍用地として舞鶴鎮守府に引き継ぐ
1945.11.1(昭和20年)
海軍省消滅に伴い、竹島は大蔵省所管になる
1952.1.18(昭和27年)
韓国大統領李承晩、海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)により竹島の領有を主張
1953.6.27(昭和28年)
島根県、海上保安庁協働で竹島を調査し、韓国人6名に対し退去命令をし、領土標識(木柱)を建てる
1954.9.25(昭和29年)
日本政府、竹島問題の国際司法裁判所への付託を韓国に提議
1965.6.22(昭和40年)
日韓基本関係条約調印、竹島問題は解決せず
1965-1976(昭和40年-昭和51年)
島根県知事、県議会議長連名で国に対して竹島の領土権確保を要望
1977.3.19(昭和52年)
島根県議会、竹島の領土権確立及び安全操業の確保について決議
4.27
島根県竹島問題解決促進協議会(促進協)設立
1977-1955(昭和52年-平成7年)
促進協、国に対して竹島の領土権の確立及び安全操業の確保を要望
1987.3.11(昭和62年)
竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議設立
1982-現在(昭和57年-現在)
国への重点要望として竹島の領土権及び安全操業の確保を要望
2004.3.15(平成16年)
島根県議会、国における「竹島の日」制定について意見書を採択
10.25-26
島根県、「竹島の日」制定を国へ要望
2005.3.16(平成17年)
島根県議会、本会議で「竹島の日を定める条例案」を賛成多数で可決
3.25
島根県知事、条例を公布・施行


「竹島の日」式典 県招待の外相ら菅政権閣僚ら招待者6人全員が欠席へ

 政府は18日の閣議で、島根県が「竹島の日」の22日に開く記念式典に前原誠司外相、高木義明文部科学相、鹿野道彦農水相、佐藤正典水産庁長官、外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長、文科省の山中伸一初等中等教育局長の6人が招待されたが、6人全員が「日程上の都合」で欠席することを明らかにした。浅野貴博衆院議員(新党大地)の質問主意書に答えた。同式典には民主党国民運動委員長の渡辺周衆院議員が出席する。


自民党もそうだったが政権与党につくと、自国の領土などどうでもいいらしい、よく政府の大臣などは北方領土や竹島は勿論自国領土だと言っているが、自国領を守らない若しくは、相手が居るなどと戯けた事を言っているようでは政治家の資格はないので早急に退場願いたいものである。


 竹島問題は遠い何処かの島ではないのです、自宅で起きていることなのです、家の垣根を壊し隣の朝鮮人が我が家に居座っているのです、こんな事をされて黙っている者がいますでしょうか、私は草食系でもないし、犯されて快感を覚えるマゾヒストでも御座いませんので、武力を持ってでも朝鮮人を追い出したいのであります、ここタイで直近ではカオプラビハーン(カンボジア名プレアヴィヒア)で近隣の住民を巻き込んで銃撃戦になり兵士住民が血を流しました、国際司法裁判所も既にカンボジア領と認めているにも拘わらずタイは一歩も引きません、又タイの南部地域では此処4年間で兵士住民含め6000人とも7000人とも言われる人達が死亡しております、良し悪しは別として其れくらいの覚悟が日本にも必要ではないでしょうか。

2011年2月18日金曜日

ワンマカブチャー (万仏節) Makha Bucha Day


 タイの朝は僧たちの托鉢によって始まる。愉楽に騒ぐ熱帯の夜の名残りと、新たな一日の光が生起する豊饒への胎動との境目に、密か目と祈りが流れ出る。合掌した手の熱い思いから、あたかも一瞬一瞬紡ぎ出される奇跡のように、生きとし生けるものの時間が動き始める。
裸足の僧と、裸足で食物を捧げる叙の、大地を通した交歓のなかに、洗われる心が光る。「サバーイ チャイ」という内面の輝きの美しさを、タイの人々は生れながらに具備している。祈りの溶け合うそこに、タイの朝がある。

タイ人は朝托鉢に来る僧侶に食物を捧げる。また、誕生日には早朝から寺へ行って捧げ物をする。これらも、幼少の頃から一つの習慣として受け入れられていくものである。「徳を積む」ことを社会と人生の価値観として学んでいく。「ナーム チャイ」(水の心=怦、)とか、「サバーイ チャイ」(心がすっきりする)とか、精神の清らかさやさわやかさを表す言葉が、日常のなかに息づいている


ワンマーカブチャー (万仏節)

陰暦3月の満月の日に釈迦がウェールワン寺院を訪れた際、悟りの境地に達した1,250人の弟子が偶然一堂に会したという奇跡的な出来事を祝う日で、人々は寺で説法を聞き、手にロウソクを持って本堂や仏道を3巡します。


Makha Bucha Day is a very important Buddhist Holiday in Thailand

Makha Bucha takes place on the full moon of the third lunar month. The day commemorates two separate events that occurred on the same date, but 45 years apart during the lifetime of the Buddha over 2500 years ago.

The first event was the spontaneous coming togeather of 1,250 monks to meet and be ordained by the Buddha, woithout any prior announcement having being given. This took place 7 months after the Buddha began his teachings.

The second event, which took place 45 years later, was the Buddha delivering his teachings shortly before his death.

The name of the event is derived from two words in the Buddhist Pali language: "Makha" which is the word for the third lunar month and "Bucha" which means to venerate or to honour. Thus Makha Bucha Day is for the veneration of Buddha and his teachings on the full moon day of the third lunar month.

Makha Bucha Day is a very important Buddhist Holiday in Thailand (where about 92% of the population are Buddhist). Many Thai people take the day off work, but the main festivities take place in the early evening. Thai Buddhists gather at the temples at sunset to "Wian Tian". Wian Tian is the act circumnavigating the Bhot (the main building of a temple complex), where Monks are ordained, three times. While doing this they chant and carry with them one burning candle and three incense sticks held along with one lotus flower between their upright folded hands. They do this as a way to show their respect to what is called the "Tripple Gem", which is the Buddha himself, his teachings and doctrines, and the monkhood he founded. As such, the first time they walk around the Bhot they think of the Buddha, on the second they think of his teachings and the third, they think of the monks who devote themselves to Buddhism.

2011年2月15日火曜日

マニー・パッキャオとデビッド・ヘイが戦う確率

 1941年12月に、大日本帝国陸軍第25軍がマレー半島に上陸した時、英領インド軍第3軍団(オーストラリア第27旅団および幾つかの英本国軍大隊を含む)がこれに立ち向かった。北部マレー半島で日本軍は数的には僅に優勢であるにすぎなかったが、制空権・戦車・歩兵戦術・戦闘経験において優越していた。
日本軍に航空優勢をとられたため、連合軍は切り札として期待していたイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈されてしまった(マレー沖海戦)。日本軍は難攻不落の要塞と考えられていたシンガポール島にむけ、マレー半島を着実に進撃した。シンガポールは第二次世界大戦における連合軍初の合同司令部である、アメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア連合司令部(ABADACOM)の結節点であった。
1月31日、最後の連合軍部隊がマレー半島から撤退し、工兵隊がジョホール・バルとシンガポールを結ぶジョホール・シンガポール・コーズウェイを爆破して約20mの穴をあけた。しかし、その直後には日本軍の襲撃部隊や浸透部隊がゴムボートを用いてジョホール海峡を渡り始めていた。

 これは少年戦車兵の日記でも手記でもない。作戦に忙しいこの若武者達にはそんなものを書いてゐる余裕はまったくなかつた。戦車隊はマレー作戦では殆ど先陣を切ってばかりゐたし、その陣頭には十五名の少年戦車兵がゐたけれど、いずれも七十余日の征旅を寸刻の余裕もなく働きつずけた。彼らはスリムの激戦のさなかにお正月を迎へて一つずつ年を取つた。けれど十八歳から二十二歳の若さである。ここに揚げる一文は記者折に触れて書きとめておいた若武者たちの言葉を折つずり合わせたもので、語り手は 遠藤三郎(香川県大川郡石内村) 西村雅男(高知市田場町)藤本幸男(熊本県湯前町)一色峰男(愛媛県任生川町)藤井博(愛知県牛久保町)大前一郎兵衛(京都市左京区銀閣寺町)下和田巌(鹿児島県日置郡永吉村)の諸君

 僕らの部隊はいよいよ出征ときまつたらしいが、どうやら僕ら少年戦車兵だけは残される模様だ。そこでみんなが集まつて相談してみたところ、残されるくらゐなら死んだ方がましだといふことに意見が一致したので代表五名を選んで部隊長殿に嘆願してみた。

 部隊長殿は「軍隊は何事も命令だ。内地の原隊で訓練してゐることも立派な御奉公だから、なにぶんの命令があるまで待て」といはれた。それから僕らは毎晩戦争の話しをした。ところがO月O日夢に見ていた出征命令だ。ああ嬉しくて嬉しくてたまらない。上陸して初めて知つたのであるが、僕らの初陣の戦場は英米をやつつけるマレー戦線であつた。まつ黒のインド兵とまつ白な英豪兵と戦ふことが何かしら世界的舞壷のやうな気がしてたまらなく心が勇んでくる。

 最初の戦ひは英領マレー国境近くのジツトラであつたが僕ら十五名はお互いに手を握り合つて「しつかりやらうぜ」と励まし合つて、それらポケットに入れてあるお父さんやお母さんや姉さんの写真を調べてみた。

 僕ら十五名はみんな操縦手だつた。僕らが少しでも操縦にドジを踏めば戦争全体が滅茶苦茶になるのだと考えると今更ながら自分の重い責任を感じる。戦車に乗り込む前に目をつぶつて、もういちど原隊にをられる教官殿の訓練を思ひ出して見る。これでいくらか心が落着いた。やがて前進命令、しつかりと操縦桿を握つた。ああ何といふことだらう。僕らは何の考えもなしにただまつしぐらに進んでゐるのに、もう敵陣のまっただ中へはいりこんでゐるのだ。轟音のために敵の大砲も友軍の射撃も何も聞こえぬため状況がさっぱり分からないけど、僕らの戦車のすぐ傍らを黒人兵がフルスピードで通り過ぎていつたので、初めてここが敵陣の渦中と分かつたのだ。


 止まったり進んだり、ただ命令に従つて夢中になつてゐるうちに夜が来た。僕らはここで一旦停止することになつた。戦車から出ると今までは相當の激戦で敵は物凄い砲撃を戦車に加えて来たのだと言ふ。僕らはそんな激戦を知らずにゐたことを惜しいやうにも、また申譯ないやうにも思つた。しかし何しろ腹が空いた。そして無茶苦茶に眠い。マレー人がゴム林の中から手招きをするので行つてみると飯が炊いてあつた焼豚のご馳走もある。丁寧にお辞儀をしてからそれを鱈腹食べた。食べ終わると僕らは直にゴム林の中でそのままゴロリと眠つた。

 夜が明けたら隊長殿が「おい、みんなよく寝てゐたなあ、ゆうべは凄い敵の逆襲があつてこの浜はヒユンヒユンと砲弾が来たんだぜ。よつぽど起さうかと思つたけれど寝かしておいてやつたよ」といはれて僕らははずかしかつた。上陸の夜から眠つてゐないから疲れてゐたとはいへ申譯ないことだ。

 僕らはその後段々戦場へ鍬へられていつた。カンバルやスリムの戦争もすさまじかつたが僕らにいちばん思い出になるのはゲマスの戦争だ。僕らはシンガポール一番乗りをめざしてジュホール州攻撃の先陣を切つて凄いスピードで進んでいつた。

一月十五日の夜、州境ゲマスの町の入り口にある長さ五十メートルの橋を戦車が渡つて、その後歩兵の一部の戦車部隊が渡りきつたとき電気仕掛けで橋は爆破されてしまつた。僕らはこの歩兵部隊とともに敵中に孤立しなければならなかつた。突然火の玉がバツと額に突き當るやうな感じがした。目がくらくらとなつて操縦幹が思わず手から離れようとした。例によつて履隊の喧しさの為に音こそしないけれど敵の砲撃は相當に激しく、火の玉はいくつもいくつもやって来た。戦友の森田章三君(鳥取県)が操縦してゐる第一車はそれでもどんどんと進んでいつたが、突然きりきりと方向を換へて隘路になつてゐる山肌にめり込んでしまつた。よく見ると各坐したまま第一車は盛に砲を射つてゐる。ところが続く第二車は第一車を乗り越へて更にぐんぐんと前へ出たが、これも各坐したらしく第一車、第二車が道路の上に寝てしまったので第三車が通りにくくなつた。

 すると第三車から垣川周八伍長(熊本県牛深町)が飛び出て悠々と誘導をやり始めた。戦車はこの道路両側にある敵の歩兵陣地へ向かつて体当りを食はせるために凄いスピードで前進することになつた。そのころ友軍の迂回部隊が敵の背後に廻つたので、さすがの砲撃も止んでしまつた。みんなで僕ら少年戦車兵最初の犠牲者森田章三君の墓を作ることになりゴムの木を削つた。どこを探しても墨がないので万年筆の中のインキを出して隊長殿から「陸軍軍曹森田章三の墓」と書いて貰つた、、、

 森田よ、僕らは二月九日戦車では困難といはれたシンガポール島の上陸に成功した。随分射たれたけれどシンガポール街道を驀進してブキテマ町魔の三叉路を真先に突破し、そして紀元節には誰よりも先にシンガポールの一角に突入した。森田よ僕らはシンガポールの攻略戦で決して少年戦車兵の名を辱しめるやうなことはしなかつたから安心してくれ。



山下、パーシバル会談

「あなたはどなた」

とまずはワイルド少佐を指さして名前を聞いた。

 山下将軍は淡々と
「先ほどワイルド少佐から簡単なお手紙を受け取りましたが、日本軍としてはただ無条件降伏にのみに応じます。無条件で降伏するかどうか、イエスか、ノーか、でお答え願いたい。」

即座に「イエス」という答えが出るものと誰もが思っていた。
パーシバルは伏目のままワイルド少佐に耳打ちした。ワイルド少佐は震えていた、アクセントのない日本語で
「明朝までに相談してご返答いたします。」

と答えて山下将軍の顔を盗み見したが、将軍のこめかみが大いなる憤りのためか痙攣しているをを早くも見て取って、サット顔を伏せた。

「今更の相談があるのですか。いったい貴方には降伏する意思があるのか疑わしい、戦争をおやりになるつもりなら大いにやりませう。日本軍は今夜私の攻撃命令を待っています。シンガポールは今夜夜襲をもって攻撃を加えます。」

その言葉はパーシバルにとって聞くに堪えない恐怖であった。シンガポール夜襲こそ最も惨烈な敗北であることを誰よりもパーシバルがよく知っていた、彼の決心はこの時初めて固まった。

「無条件降伏に応じます」

大英帝国がアジアから敗北するときの力無きその声を今一度繰り返そう

「無条件降伏に応じます」


 イギリス陸軍は敗北を喫し、シンガポールは陥落した。この戦いで、約8万人の英本国兵や英領インド兵や英領オーストラリア兵が捕虜となり、マレー半島の戦争で投降した5万人に加わった。
印度洋と太平洋を結ぶこの地がチョークポイントであることで十分であろうしイギリスが東洋艦隊に最新鋭の戦艦を派遣したことからこの地の重要性は理解でき、その陥落は欧州の東アジア支配の終焉を意味していたともいえるほどの重大な影響を与えた。
このイギリス軍の敗北は、当時イギリスの植民地であった東南アジアの民衆を鼓舞したという説がある。当時のイギリスは世界最大の植民地帝国であり、中でもシンガポールはアジアにおけるイギリス海軍の最大規模の拠点であり、「東洋のジブラルタル」と呼ばれていた。そして、1945年に日本軍が連合国軍に敗北した後に、勝戦国であるヨーロッパの植民地宗主国軍(英・仏・蘭)は再び侵攻したが、東南アジアの民衆は宗主国軍に勝利し、植民地からの解放を勝ち取った。
このシンガポール陥落また大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスが日本軍に撃沈された事はイギリスにとっては不幸であるが、これを大喜びし、記念として扱っている国がある。その国はイギリスに長年植民地とされ過酷な搾取を受けたアイルランドであり、一部のアイルランド人がいかに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いほどイギリスに対する憎しみを持っていた事が捉えられる。
当時、自由フランス軍の指導者であったシャルル・ド・ゴールは、「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終わりを意味する」と述べた。

なお、戦後に山下が戦犯として絞殺される際、米軍はパーシヴァルをわざわざ呼び寄せて絞殺を見物させた。



マニー・パッキャオとデビッド・ヘイが戦う確率

何故ここにフロイド・メイウェザーと書かないかメイウェザーは現在刑務所にいて非常に戦う確率が低い、またパッキャオの次戦は5月7日ラスベガスのMGMグランドでシェーン・モズリーと決定しております。

シェーン・モズリー偉大な選手ではありますが何分年を食い過ぎている、以前のような動きはできないでしょし、パッキャオが勝利することは間違いないでしょう。
そこで誰がパッキャオを止められるか、又凡戦ではいけませんので、興行的にも大成功するマッチでなければなりません、昨年のアントニオ・マルガリート戦を観た後思いました、これはデビッド・ヘイ以外に止められないのではないかと、そこで試合が実現するか否かは別にして体格やその他を比べてみましょう。


マニー・パッキャオ現在WBC世界スーパーウェルター級王者

プロボクシング:57戦 52勝 (38KO) 3敗 2分

身長 169cm
リーチ 170cm
スタイルサウスポー


獲得タイトル

WBC世界フライ級王座(防衛1回)
IBF世界ジュニアフェザー級王座(防衛4回)
WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛0回=返上)
WBC世界ライト級王座(防衛0回=返上)
WBO世界ウェルター級スーパー王座(防衛1回)
WBC世界スーパーウェルター級王座

体重差を乗り越えて各階級の人気選手を片っ端から倒し続け、ボクシング史上最多タイ記録のメジャー団体6階級制覇を達成したプロボクサーであり、また「事実上の8階級制覇王者」「史上最高のパウンド・フォー・パウンド王者」という評価の呼び声も高く、「2000年代最優秀選手賞」にも選出されている。
苗字を捩って『Pacman(パックマン)』「The destroyer(ザ・デストロイヤー、破壊者)」「Fighting Pride of the Philippines(フィリピンの戦う誇り)」「People's Champion (People's Champ)(人民の王者、庶民の王)」の愛称で知られる。
母国フィリピンでは絶対的な英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を改善するために昔から政界を視野に入れた活動を積極的に行っており、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑えて当選し、プロボクサーと国会議員の二束の草鞋を履きながら活躍している。

 パッキャオが評価されている最大の理由はメジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上二人目である6階級制覇という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(しかも、その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では自身が保持するメジャー世界タイトルを返上してでも他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させる選手が多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。複数階級制覇を狙うだけであれば、同じ6階級制覇のデ・ラ・ホーヤのように世界王者の中でも穴場の選手を選択していけばよいが、パッキャオはノンタイトル戦でマルコ・アントニオ・バレラに完勝してスターダムにのし上がったことをきっかけに世界タイトルを獲得することにこだわらなくなり、ビッグマッチを優先してあえて各階級の最強の選手と戦うようになった。つまり、階級やタイトルにこだわらず多くの超一流選手を撃破し続けた過程で、副産物のように「6階級制覇」と言う数字もついてきた形である。



デビッド・ヘイWBA世界ヘビー級王座

プロボクシング:26戦24勝22KO1敗

身長 191cm
リーチ 198cm
スタイルオーソドックス


獲得タイトル

コモンウェルスイングランドクルーザー級王座
EBU欧州クルーザー級王座
WBC世界クルーザー級王座
WBA世界クルーザー級王座(スーパー王者)
WBO世界クルーザー級王座
WBA世界ヘビー級王座

元WBC・WBA・WBO三団体統一世界クルーザー級チャンピオン

さてほんとにこんな試合があると思いますか?パッキャオ(現在フィリピン下院議員)は今や富も名声も有り次戦に勝って戦う本能があるならば本年年末辺り引退試合としてデビッド・ヘイ戦もありうるかな?

私としてはニコライ・ワルーエフとの一戦を観てみたいような気もしますが。

こんなのありえねえ~という人がいるでしょうがそのありえね~戦いをやって来たのがパッキャオなんです。
後はフレディ・ローチとプロモーターのサインがあれば何時でも行けるのではないでしょうか。

2011年2月14日月曜日

コブラ・ゴールド11


 自衛隊は2月7日から同18日まで、タイで行われる多国間共同訓練「コブラ・ゴールド11」に参加、国際平和協力活動および在外邦人等輸送などの統合運用能力の向上を図る。
 同訓練には内局、統・陸幕、陸自東方、中方、中央即応集団、中央情報隊、空自航空総隊、支援集団、情報本部の計約60人を派遣。日本のほか、タイ、米、シンガポール、インドネシア、韓、マレーシアの7カ国が参加を予定している。

 タイ北西部のチェンマイ県で行われる多国籍軍平和維持活動指揮所演習(CPX)では、自衛隊の約20人が多国籍軍とは別メニューで独自の訓練を実施。同県と周辺県で行う人道・民生支援活動(医療)の実動訓練には医官、看護官、薬剤官計6人が参加。また、バンコク南東部のハタヤオ海岸で行う在外邦人等輸送実動訓練には約20人が参加して邦人の集合、誘導など航空機搭乗までを演練する。


タイ空軍のF16戦闘機2機が墜落 日米参加の多国間軍事演習で

14日朝、タイ空軍のF―16戦闘機2機がタイ東北部チャイヤプム県上空で接触事故を起こし墜落した。パイロット2人はパラシュートで脱出し、無事だった。

 タイ空軍はF16を約50機所有。墜落した2機は2002年に配備され、事故当時は今月7日からタイで行われている多国間軍事演習「コブラゴールド」で訓練飛行中だった。


アブ・バカル・バシール師インドネシア JI精神的指導者が初公判で容疑否認

 反テロ法違反の罪に問われた東南アジアのイスラム地下組織ジェマ・イスラミア(JI)の精神的指導者とされるアブ・バカル・バシル被告(72)の初公判が14日、インドネシアの南ジャカルタ地裁で開かれた。有罪なら最高刑は死刑。国家警察は不測の事態に備え、警官約2500人を地裁周辺に配備し厳戒態勢を取った。

 検察側は冒頭陳述で、バシル被告が2009年2月以降、インドネシア・スマトラ島最北端アチェ州の山岳地帯にジハード(聖戦)のため秘密軍事訓練キャンプを設置する計画に関与し、JIメンバーらに資金提供などをしてきたと指摘した。キャンプでは43人が射撃訓練などをしていたが、昨年2月に地元住民の通報で発覚した。



アブ・バカル・バシール師は、インドネシア生まれのアラブ人活動家で、インドネシア・ムジャヒディン評議会の指導者。東南アジアのイスラム過激派組織ジェマ・イスラミアの精神的指導者であるともされているが、バシル本人は関係を否定している。日本の報道ではバシル師とも呼称される。
2010年8月9日、インドネシア国家警察がバシル師をテロ容疑で逮捕した[1]。ジェマ・イスラミアの強硬派が同国北西部アチェ州内に設置した秘密軍事訓練キャンプなどを摘発した際、バシル師との関連を示す文書を、国家警察が押収したとしている。

2011年2月13日日曜日

イスラムとキリスト

エジプト軍最高評議会:声明3号

 Al-Ahram紙

軍最高評議会は今夜発表した声明第3号において、同評議会はエジプト国民が満足する正統性ある政体の代替ではないと明言し、エジプトの国事運営を担うことの重大さを感じていると述べた。

また同評議会は祖国の自由と安全のために命を投げ出した殉教者[=デモの犠牲者]を称え、声明を読み上げた軍の報道官は殉教者の霊に軍隊式の敬礼を捧げた。

以下は軍の声明の文面である。

「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において。

 声明第3号

 軍最高評議会より。市民のみなさん、エジプト史上の画期であるこの瞬間に、またムハンマド・ホスニー・ムバーラク大統領が職を辞して軍最高評議会に国事の運営を委任するとの決定が発表されたことをもって―偉大なる我々の国民があらゆる場所で根本的な変革を要求している中、この事が持つ重大さを我々はみな承知しているのであるが―軍最高評議会は、誉れ高き神の助力を請いつつ、偉大なる我々の国民の希望を実現させることを願い、今後の手順や措置を定めた声明を追って発表していくこととする。

 また同時に、軍最高評議会は国民が納得する正統性ある政体の代替ではない。また軍最高評議会は戦時にも平時にも祖国のために行ったその功績と、祖国の至高の利益を優先したその愛国的な姿勢ゆえに、ムハンマド・ホスニー・ムバーラク大統領に称賛と敬意を表する。

 同じく軍最高評議会は、祖国と偉大なる国民全員の自由と安全のために命を捧げた殉教者たちの霊を称賛し、誇りに思う。

 神のご加護あれ。平安と神の慈悲と祝福があらんことを」。


原文をPDFファイルで見る

(翻訳者:山本薫)



エジプト軍「国際条約を順守」、イスラエルとの和平維持

約30年に及ぶムバラク前大統領の独裁政権が崩壊したエジプトで、全権を委譲された軍最高評議会は12日、文民統治と民主主義の実現に取り組み、イスラエルとの平和条約などを尊重すると表明した。
 カイロのタハリール広場では、政権崩壊後も一部の民主活動家がとどまり、最高評議会に対し民主的改革への行動計画を受け入れるよう主張。もし軍が「国民の要求」を認めなければ、さらなるデモを敢行すると警告している。

 軍幹部はこの日の声明で、「エジプトはすべての地域的、国際的義務や条約に順守する」と発表。このメッセージは、1979年にアラブ諸国として初めて平和条約を締結したイスラエルの懸念を和らげる狙いがあるとみられ、同国のネタニヤフ首相も歓迎の意向を示した。

 さらに軍は、「選挙で選ばれた市民の力が認められる自由で民主的な枠組みの中で、平和的に権力を移行することを約束する」とも表明した。

 また、米国が懸念視するエジプト最大野党のムスリム同胞団は軍の声明発表後、同党が権力を握るつもりはないと明らかにし、文民への権限移行計画を称賛した。

 一方、ムバラク前大統領は、紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクに滞在しているとみられるが、先行きは不透明なままだ。



バレンタインデー取扱いめぐりイスラム社会で混乱

【プトラジャヤ】 2月14日のバレンタイン・デーの取り扱いをめぐって、キリスト教との関連性を強調する議論が独り歩きし、西側の影響を排除したい保守勢力が極端な規制を求める動きを強めており、これに反発する声も上がっている。

イスラム開発局(JAKIM)は、キリスト教起源のバレンタイン・デーの信仰的な危険性をイスラム教徒の若者に喚起するためのキャンペーンを11日に開始すると発表。各大学に小冊子を配布する計画を明らかにした。キャンペーン実行委員のサイマー・モクタル氏は、「バレンタイン・デーはマレー文化やイスラム文化にはなく、イスラムの教えにも反している」とし、若者がこうしたイベントに加わらないことを望むと言明。イスラム教徒がバレンタイン・デーを祝うことを禁ずることを定めた2005年のファトワ(イスラム法学者の裁定)を尊重するよう呼び掛けた。

原理主義政党の野党・汎マレーシア・イスラム党(PAS)は、ナスルディン・ハサン青年部長がPASが牛耳るケダ、クランタン、セランゴールの各州で自治体に対して警察や自警団(レラ)と協力してファトワ違反者を摘発するよう指示したと報じられた。しかしその後、行き過ぎとの批判を恐れた党上層部などから叱責をうけ、ナスルディン氏が自身の発言が誤解を受けたと釈明、取り締まりを指示したことはないと否定した。

バレンタイン・デーについては、起源について諸説ありキリスト教との関連について疑問視する説もあってカトリック教会も公式な祝日と認めていない。マレーシア・キリスト教会評議会の事務局幹部は、全く非宗教的な行事であるとし、マレーシアを含む世界の教会でも祝うことはないと説明。「西側諸国で祝っているからといって、キリスト教徒が祝っているということにはならない」と述べた。その上で、イスラム教徒がバレンタイン・デーを祝うことを禁ずるファトワについて、キリスト教の要素と不道徳行為などを混同した不公平な裁定だと批判した。


タイニュースクリップ

バレンタインデーは性交のチャンス? タイ私大調査

タイの私立アサンプション大学(ABAC)が8―9日にバンコク首都圏の12―24歳を対象に行ったアンケート調査で、「バレンタインデー(2月14日)に性交したことがある」との回答は29・4%、「今年のバレンタインデーに性交する可能性が非常にある」は16・9%、「ほどほどにある」は12・7%だった。また、「バレンタインデーは特別な日だと思う」との回答は39・5%に上った。回答者は1256人。


乗用車に発砲、放火で住民3人死亡 当局が過激派容疑者3人射殺 タイ深南部


10日午後、タイ深南部パタニー県で、道路脇に転落し焼け焦げた乗用車の車内から同県在住の50代の夫婦と40代の女性教師の計3人の死体が見つかった。3人はいずれもタイ系仏教徒の住民で、知人の葬儀に出席し、帰宅する途中だった。治安当局は深南部の分離独立を目指すマレー系イスラム過激派の武装グループが道路脇から乗用車に自動小銃を発砲し、停車した車にガソリンをかけ火を放ったとみている。

 治安当局は過激派メンバーの捜索を強化し、逮捕に抵抗したとして、9日にパタニー県で容疑者の男1人、11日朝にナラティワート県で男2人を射殺した。

 一方、隣県のヤラーでは11日朝、村外れの草むらで30代イスラム教徒の男性の射殺体がみつかった。

 タイ深南部(ヤラー、パタニー、ナラティワートの3県とソンクラー県の一部)はマレー語方言を話すイスラム教徒が多数派で、タイ語、仏教徒が中心のタイで異質の地域となっている。タイからの独立を求めるマレー系イスラム過激派による武装闘争が2001年から激化し、過去6年で約4000人が銃撃、爆破などで死亡した。

 今年1月にはナラティワートのタイ軍基地が武装グループの襲撃を受け、タイ軍兵士3人と地元住民1人の計4人が死亡、兵士7人が負傷し、銃約50丁、銃弾約4000発などが奪われた。

 ヤラーでは同月、山道を走行中のピックアップトラックが道路に埋設された爆弾の直撃を受け、9人が死亡、2人がけがをした。死傷者はいずれも仏教徒の地元住民。

 今月1日にはヤラー市郊外の草むらで、ナラティワートに住む仏教徒の一家4人の射殺体が見つかった。3日にはパタニー県の村で、ピックアップトラックに乗った数人の男が路上の住民に向け自動小銃を乱射し、73歳の男性ら5人が死亡、12歳の少年を含む4人が負傷した。死傷者はいずれも仏教徒住民。


タイの新航空会社「PCエアー」、ニューハーフのCA3人を初採用

 昨年12月28日に民間航空局(DCA)から事業認可を受けたタイの新航空会社「PCエアー」は1月24日、30人の客室乗務員を採用し、そのうち3人がニューハーフであることを発表した。

 このうちの1人は、ニューハーフの美人コンテスト「ミス・ティファニー・ユニバース2007」で優勝を飾り、その後モデルや女優として活躍していたノン・フィルム(フィルムちゃんの意味)の愛称で知られるタンヤラット・チラパットパコーン(Thanyarat Chirapatpakorn)さん(23)。ほかの2人も長身の美人だという。

 同社では3月就航に向けて客室乗務員の募集を行い、「第3の性」の雇用枠があることを告知。客室乗務員として適性があることに加え、すでに性転換手術を受け、容姿が女性であるなどの採用条件を設けていた。機内では名札でニューハーフであることも記入するとしている。

 これまでにない方針を打ち出した同社。創設者は占い師のピーター・チャンさん(47)と不動産業を営む実業家で投資家のチャトラウィワット・クルムコモン(Chatrawiwat Klumkomol)さんの2人で、投資額は2億バーツ。同社設立や「第3の性」採用枠の創設には、ピーターさんの「第六感」が後押ししたという。DCAも二ユーハーフの採用には、「仕事の必要条件を満たしていれば異議はない」としているという。

 創設者2人が航空業界での経験を持たないことも異例だが、新興航空会社では創設時に航空機をリースで導入ケースが多い中、ヨーロッパ製の中古エアバス機(A310)2機の購入も決め、業界関係者を驚かせている。

 機材は現在、シンガポールで整備と塗装を行っており1機は2月下旬にバンコクに納入し、もう1機もさらに40日後に納入を予定する。バンコク(スワンナプーム)~仁川(ソウル)線のほか、日本は成田、関空便の就航を予定。中国主要都市への定期運航を広げる計画。

 現在、運航スケジュールは未定だが、サイトで随時発表する。

http://www.pcairline.com/



冗談かと思ったらほんとに有りました。

 毎年のことですがマレーシアではイスラム教徒がバレンタイン・デーを祝うことを禁ずる、あたり前のことなんですけど、若者はそのような捉え方をしていない、タイでも仏教儀式ではそんなモノはないので仏教関係者からはおおっぴらに発表はありませんがやはり祝うことは禁止しています、が若者を中心に「イエ~」という感じです。

2011年2月10日木曜日

ゴロツキ国家の行方

ロシアの声から

クリールに対するロシアの主権にいかなる見直しもない

 7日に開かれた北方領土返還要求全国大会で菅直人首相は、昨年11月のメドヴェージェフ大統領の南クリール訪問について「許しがたい暴挙だ」と発言したが、これにより、10日から始まる前原誠司外相のモスクワ訪問にとって、望ましくない状況が生まれてしまった。

 ロシア指導部は、こうした首相の発言に強く反発し、自らの立場を改めて繰り返している。セルゲイ・プリホチコ大統領補佐官は、クリールに対するロシアの主権について「今日も明日も、いかなる再検討の余地もない。必要とあれば、大統領は今後も、この地域への実務訪問を続けるだろう」と言明した。

 またロシア政府は「北方領土」の日だった7日、極右団体の一つが、東京のロシア大使館前でロシア国旗を侮辱した事件に激しく反応した。民族主義者らは、引き裂かれ落書きされた国旗を引きずり大使館に向かって行進した。

 これに関して、セルゲイ・ラヴロフ外相は8日、記者会見で次のように述べている―

 「我々は抗議するばかりでなく、ロシア国旗を侮辱した罪で彼らを刑事告発するよう日本当局に要請した。日本の法律によれば、外国のシンボルを汚すような行為を禁止する条項があると聞いている。又日本政府が、所謂『北方領土返還』活動をしている非政府系組織を財政援助しているだけでなく、次年度の支援額を増やした事、とりわけロシア政府が日本政府との対話と協力の用意を明らかにしている時に、そうした決定を下した事は残念だ。

 我々は以前同様、ロシア連邦のこの地域の具体的プロジェクト実現において、隣国である日本と最も密接な形で協力していく用意があるし、メドヴェージェフ大統領が横浜で菅首相に述べたようなアプローチに立って、平和条約締結問題を含め、他のあらゆる問題に関して、日本との全面的協力及び対話を続けてゆく用意がある。ただもちろん、そうした対話は、第二次世界大戦の結果を無条件で認めることを基盤に行われる必要がある。」

 ロシアは、良識の上に立って、過剰な感情を交えず冷静に、焦眉の諸問題の数々を日本側と話し合う考えだ。10日には前原外相が、モスクワを訪問する。日本側が、ロシアからのシグナルにどのように応えるか、注意して見守りたい。

 

ロシアはクリールの戦略的プレゼンスを強化する


 「ロシアは、クリールの島々における戦略的プレゼンス強化のためあらゆる努力を傾けるだろう。ロシアにとって不可分の一部である、これらの島々の安全を守るため、軍人達には、現代に見合った武器が保障されなければならない。」

 9日メドヴェージェフ大統領は、アナトリイ・セルジュコフ国防相と会談した際、このように述べた。大統領は又、クリールについて「ロシアの切っても切り離せない一部であり、戦略的意義を持った地域だ」と断言し、次のように強調した―

  「クリールに投資家たちを『引っ張ってくる』必要がある。彼らのために、追加的な経済的特典を作り出す事を考えなくてはならない。この事について私は、この特典を利用できる我々の隣国を含めて、皆に言ってきた。そうした協力を自分にとって侮辱的だとはみなさないような国々が、協同行動に招待される。」


 嘗てハバロフスクのサウナの用心棒をしていた元択捉島在住のスペツナズが言っていた、「冬の千島列島は人間の住めるような所ではないよ」、又ロシア人はよっぽどのことでもない限そんな所には移住しない、何時もの如く北朝鮮の住民や支那人をあそこに移住させるつもりでいるのか?



元防衛大学教授でバイクでシベリア横断をしたロシア専門家瀧澤一郎氏がこんな事を言っている

「週刊新潮」平成23年2月10日号

「男性寿命は『59歳』という『ロシア』亡国の未来図」

 ロシアの人口は、2010年の段階で1億4180万人で、この20年間で600万人も激減したそうです。これは世界でも例を見ない速度で、その原因について、あるシンクタンクの研究員は次のように述べています。

「貧困化と死亡率増大(人口減少)は相関しない。問題はむしろ、アルコールや麻薬にある。世界の最貧困諸国は酒を買えないほど貧しいから、アルコール中毒者は少ない。しかし、ロシアはそこまで貧しくない。」

 ロシア人が酒飲みなのは有名です。それが人口減少の一因となっているというのです。1989年に64・21歳だった男性の平均寿命は、93年には58・ 91歳にまで落ち、今も回復できていないそうです。元々低かった平均寿命が一段と下がってしまったわけです。アルコール中毒と人口減少の因果関係について、先の研究員はこう説明しています。

 「85年から時のソ連共産党書記長ゴルバチョフが3年間実施した「反アルコール運動」でアルコール消費量が27%減少しました。その結果、男性の死亡率が12%も減少し、女性も7%減少。死因がアルコール中毒と判明している死亡者は56%も減少したのです。」

 ロシア人は死ぬほど酒を飲むということでしょう。その大きな理由として、寒さが挙げられます。出掛ける前にウォトカを引っかけて体を温め、職場に着いたらそこでまた一杯飲んで仕事に取りかかります。これでは効率など上がるはずがありません。

 かつてエリツィン大統領が訪米してカリフォルニアワインを飲んだとき、「これは水か?」と尋ねたという有名な話があります。飲んべえのロシア人にとって、ワインなど酒ではないのです。

  1991年8月19日に、ゴルバチョフ大統領は、「国家非常事態委員会」を名のる守旧派が起こしたクーデターによって、妻とともにクリミア半島フォロスの大統領別荘に軟禁されました。「8月クーデター」と呼ばれますが、3日後にクーデターの首謀者らは呆気なく逮捕されました。そのとき彼らはへべれけに酔っぱらっていたそうです。クーデター成功を祝っていたのかも知れませんが、余りのだらしなさに世界中の人が呆れ返りました。

 それならアルコール対策をして酒を飲ませなければよいのですが、あるロシアの政府高官によると、酒造業者からクレムリンに莫大な献金がなされているそうです。だからそのまま放置されているのです。こんな体たらくですから、ロシア人から酒を取り上げることはできそうもありません。

 ロシアの人口激減のもう一つの原因は、麻薬です。この国では、世界で生産されるヘロインの20%に当る200トンが1年で消費されているそうです。麻薬漬けの状態なわけです。あるロシアの警察関係者は、こう慨嘆しています。

 「現在の麻薬常用者は、政府の公式統計で500万人を突破しており、これはソ連時代を遥かに上回っています。しかも、このうち麻薬の過剰摂取で毎年10万人が死んでいます。その大半が、生殖可能な年齢層。ロシアでは、麻薬常用者は平均7年以内に死亡する。加えて、麻薬常用者も多数含まれるエイズ患者は 600万人。麻薬による精神疾患患者も600万人にのぼるのです。」

酷い状態で、18歳以下の子供3100万人のうち、3分の1に当る1000万人が麻薬常習者という情報も記されています。
 ロシア人ジャーナリストによると、自殺率のランキングで世界4位までは旧ソ連圏で占められているそうです。ロシア人の自殺率も高く、やはり厭世的な傾向が見られます。日本の自殺率は6位ですから、この点では人のことは言えませんが、我国で年間3万人を超える自殺者を出すようになったのは小泉政権が誕生してからのことで、死神政権だったと言ってよいでしょう。

 ロシア人は、酒と麻薬に走ってボロボロになり、自殺するパターンが多いようです。気の毒ですが放っておけばロシアは日本に助けを求めてくるはずで、北方領土も返ってくるとまとめられている。



 ロシア人気質として、酒や麻薬をやり始めたら死ぬまでやり続けるというところはありますね、所謂猿状態ですね、乞食だろうが何だろうがロシア人はプライドが高い上恥ということを知りませんので、日本人に対してなんでも言うてくる訳ですね、前原外相が今日からロシアを訪問するわけですがクレムリンで自爆テロをするくらいの覚悟がないと言い様に遣り込められることでしょう。



タイ外相がロシア批判、中国けん制 カンボジアとの武力衝突で

タイ・カンボジア国境係争地域で発生した両国軍の武力衝突について、タイ外務省は9日、同国のカシット外相が週末に渡米し、14日にニューヨークの国連本部で開かれる安全保障理事会の会合で状況説明を行うことを明らかにした。現地でカンボジアのホー・ナムホン副首相兼外相との会談も予定している。

 今回の紛争で、カンボジアは当初から安保理や東南アジア諸国連合(ASEAN)に調停・介入を要請してきた。タイはあくまで2国間協議による解決を主張したが、安保理出席でカンボジアの土俵に引きずり出された形だ。タイ外務省は「会合に出席したからといって、安保理が調停・介入するわけではない」と主張している。

 訪米を控えたカシット外相は9日、タイ上院外交委員会主催のセミナーで演説し、カンボジアと安保常任理事国のロシアを批判した。外相は自国を「大人」、カンボジアを「やんちゃ坊主」と評し、「(カンボジアの)フン・セン首相はカオプラウィハーン(係争地域にある世界遺産のヒンドゥー寺院遺跡プレアビヒアのタイ側呼称)と周辺の土地が欲しいのだ」「養育係のロシア、インド、フランスなどが助けてくれると信じて戦闘を仕かけた」などと述べた。また、「カンボジアの兵器は米国、中国、ロシア、ブルガリア製」と指摘した上で、「タイはロシア製の兵器を購入しないので、ロシアとの関係はよくない」「ロシアは非常に身勝手だ」などとロシアを批判した。中国についても、「カンボジアは中国製の兵器をただで入手している」とけん制した。

 一方、国連教育科学文化機関(ユネスコ)はタイ軍の銃弾、砲弾で被害を受けたとされるプレアビヒアに近く調査団を送り、被害状況を調査する方針を明らかにした。タイ政府はユネスコに対し、「調査団の派遣は問題を複雑化させる」として反対の意向を示し、強行する場合は事前にタイ政府の許可を得る必要があると警告した。

 プレアビヒアは国境係争地域のがけの上にあり、両国が領有権を争った末、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下した。2008年にはカンボジアの世界遺産に登録されたが、以来、これを不服とするタイとカンボジアが小規模な武力衝突を繰り返し、双方の兵士数人が死亡した。

 今回は4―7日にかけ、両国軍が銃撃、砲撃を交わし、少なくともタイ側で3人、カンボジア側で5人が死亡、双方に数十人の負傷者が出た。民家が砲撃を受け、周辺の住民1万人以上が避難するなど、2008年以降で最も大規模な武力衝突となった。フン・セン首相は「タイはクラスター爆弾を使った。これは武力衝突とは言えない。戦争だ」と強い調子でタイを非難している。


コラム:ムバーラクは栄誉ある退陣に値しない

2011年02月08日付 al-Quds al-Arabi紙

現政権の存続をのぞみ、民衆革命を挫折させたがっている人々の言い分として、1973年の10月戦争で空軍指揮官の一人であったムバーラク大統領には「ふさわしい形で」政権から退陣してもらわねば、というのがある。ふさわしい形とは、次期大統領選挙がある次の9月まで任期をつとめて、という意味だ。次期選挙ではムバーラク氏もその子息も立候補しないとされる。

10月戦争の英雄のひとりとしてのムバーラク氏には、その当時その肩書において敬意を払うことに異論はないが、共和国大統領として、法に照らせば数々の容疑を構成する過ちを犯した人物については話が違う。

イスラエルに世界市場の半値以下でガスを売り、イスラエルの防護壁の番兵と化し、庇護を求めるアフリカの人々に銃を向け、国内を跋扈する諜報網がエジプトを締め付けナイルの水を横流しするのを見過ごした。これら全てが、10月戦争での名声を帳消しにし、エジプトの国としての安全保障をないがしろにした責任問題の前に大統領を立たせることになる。

ガザ戦争、イスラエルによる南レバノン攻撃、パレスチナ封鎖のための鋼鉄の壁設置などにおけるエジプトの沈黙政策については、ここでは問わない。これらは周知の事実で説明の必要が無いからだ。しかし、エジプトとその国民が30年のムバーラク政権により被ったダメージは見過ごし難い。

大統領は国民を飢えさせ、その尊厳をふみにじり、マフィア実業家集団を放って国民の血肉をむさぼらせ、強権的抑圧機関を用いて人々を弾圧し、腐敗国家の中にさらに腐敗した国を築いた。

大統領は与党国民民主党に手を入れ、検事総長が閣僚や実業家らを公金横領で起訴したが、30年間それらの犯罪者をエジプト国民の前でのさばらせていたのは誰だろうか。彼らをしかるべき地位に付け、国庫を開いて見せ好きなだけ強奪させた張本人に敬意を払えるだろうか。

大統領には相応しい退路が必要だと言う人々は、イタリアへ出国の前アレクサンドリア港の警護された船上で公式に見送られたファールーク国王の例になぞらえているようだ。

ファールーク国王の治世には様々な留保が付くが、彼はとにかく民主体制を樹立し、国会選挙には介入せず憲法に則した政治的多様性を尊重した。彼はアラブ民族主義者ではなく、エジプトの独立は大英帝国によって枷がはめられていたが、1948年のパレスチナ戦争に参戦した。

ファールーク国王も汚職に手を染めていたが、ムバーラク政権のそれに比べれば小規模である。エジプトを後にした同国王が住んだカプリ島の小さなホテルを訪ねて愕然としたことがある。彼は数十億はおろか数百万も所有しておらず、その家族はサウジ国王の慈善金で生活していたのである。

ムバーラク大統領とその一族もサウジへ逃れるかもしれないが、四百億ドル以上あれば王家の慈善は不要である。エジプト国民の汗と労働から絞り取った金だ。そして、国民の退去要請に耳を傾け、とりあえず殺人は犯さなかった国王と、国民を殺すべく用心棒を差し向けた大統領では比較にならない。

国民の意思を尊重して退陣を決意した元首の例をあげてみよう。ナチスからフランスを解放したドゴール将軍と、第二次大戦で連合側を勝利に導いたチャーチル英首相がいいだろう。1960年代、フランスの若者たちがドゴール辞任を求めた時、この歴史的英雄は、それを容れ政界からの引退を決意した。戦後の復興が始まると、チャーチルは民意に逆らう事はしなかった。国民が、次の選挙で彼やその党を選ばなかったからといって、治安部隊を差し向けたりはしなかった。

ジャック・シラクも、アラブの為政者たちにしてみればほんのささいな、バクシーシ程度の金銭的過ちを犯したとして法廷へ送られている。国民が尊重され憲法が適用される国では、法は法なのである。

政権とその関係者が犯した過ちの全責任はムバーラク大統領が負うべきである。数人を起訴し、一方で彼らの頭目には敬意を払い安全な退場を許すというのは、正義ではない。

祖国防衛に身を挺した軍人には敬意が払われ特権が許されるべきという人びとがいる。サダト大統領は真の10月戦争の英雄であった。しかし、その名声にふさわしい退陣を果たしたとはいえない。キャンプデービッド調印の代償を自身の生命であがなうこととなったのだ。ムバーラク大統領は、その合意を完全に履行、適用を更に拡大し、アメリカの好意を得るべくイスラエルとなれあった。

イスラエルがムバーラク政権に同情的で存続を望むのも無理はない。イスラエルは後継者としてスライマーン少将を推奨していたとのウィキリークス文書が出たが、彼らはエジプト国民の安全や利益ではなく自国のそれを最優先させているのだから、当然だ。

スライマーンが冷戦期かそれ以前に設立された野党代表らと行っている一連の交渉は、既に頓挫した。この交渉に対する真の回答は、昨日タハリール広場とエジプト各都市の広場で出た。そこにあふれかえる人々は、大統領退陣だけではなく政権打倒とその幹部らの裁判を新たに要請している。

相応に扱われてしかるべきはエジプト国民の方だ。中東を変え、アラブ・イスラーム共同体に輝きと力を取り戻させる偉大な革命にふさわしい栄誉を彼らに。エジプト国民と若きその指導者たち、殉教者たちに祝福を。

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(翻訳者:十倉桐子)