クアラ・ルンプール日本人墓地
Japanese Cemetery in Kuara Lumpur
Jalan Lapangan Terbang Lama, Kuala Lumpur
古くは明治3年の墓もありかなり古い時代からクアラルンプールに日本人が住んでいらしたんだななどと思いました。
マレーシアには大東亜戦争の足跡が各地で見られる此処クアラルンプールでも、この日本人墓地の中に歩兵第十一連隊有志の皆様が建立した慰霊碑が立っている。
慰霊碑の裏面には次のようにある
われわれは太平洋戦争の戦火に倒れたわが仲間および各国軍人と住民の慰霊を弔うとともにマレーシア連邦国民の平和と反映を祈る
We Japanese mourn for the sprits of the citizens and
soldiers of all countries who fell in WORLD WAR II and wish peace and
prosperity to the Malasian Federation
September 1978
ここでも太平洋戦争とあるがこの当時はこれでも精一杯だったんだろうな、、、、
歩兵第11連隊は非常に由緒ある連隊で次のようにある。
歩兵第11連隊
1875年(明治8年)5月 - 第23大隊を基幹に改編
9月9日 - 軍旗拝受
1876年(明治9年)10月 - 萩の乱に出動
1877年(明治10年) - 西南戦争に従軍
1882年(明治15年) - 壬午事変に出動
1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
1900年(明治33年) - 北清事変に従軍
1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
大正期 - シベリア出兵に従軍
1937年(昭和12年) - 日中戦争勃発、北京から沙河にいたり万里の長城沿いに作戦する
1938年(昭和13年) - 徐州会戦後、周辺の警備に当たり、青島へ移動したのち広東作戦に参加
1939年(昭和14年) - 魯北にて治安戦、10月から華南に移動し南寧に向かう
1940年(昭和15年)9月 - 仏印に進入、フランス植民地軍を追撃しつつランソンからハノイを経てハイフォンへ向かう
1941年(昭和16年) - マレー作戦に参加、同地を占領後はスレンバンに駐屯し警備に当たる
1945年(昭和20年)8月 - 転進中に終戦。その過程において橘丸事件が発生する。病院船で軍隊輸送を行なう国際法違反行為だけでなく、航海中米軍に臨検・拿捕されたため同連隊の第1・第2大隊の全員が無傷でそっくり捕虜になるという帝国陸軍最大の恥辱の一つとなった。後にこの責めを負い上級部隊である第5師団師団長山田清一中将・同参謀長浜島厳郎大佐は自刃し、南方軍総参謀長沼田多稼蔵、参謀副長(事件当時)和知鷹二、第2軍司令官豊嶋房太郎中将らが横浜法廷で有罪とされ刑に服した。
その横にはJA8051号機遭難者 慰霊碑
1977年にクアラ・ルンプルで発生した飛行機事故の犠牲者のための慰霊碑あった。
日本航空クアラルンプール墜落事故
1977年(昭和52)年9月27日、日本航空715便DC-8-62型(JA8051)が 悪天候の中クアラルンプール空港に着陸進入中に墜落し大破。旅客26名及び乗組員8名死亡,旅客43名及び乗組員2名重軽傷。
吉隆寺
本尊は日本の物と言われていた、それはすばらしい仏壇でした螺鈿細工の仏壇であんな大きい物は始めて見ました。
クアラ・ルンプール日本人墓地
Japanese Cemetery in Kuara Lumpur
Jalan Lapangan Terbang Lama, Kuala Lumpur
慰霊に行かれる方は前もって管理人のジェリーさんに電話をしていけば、親切に対応してくれるはずです。本当に親切な方でした。
ジェリーさんの電話番号
0166596989
まで