高金素梅が靖国神社で暴挙 2009年8月11日
シナの走狗 11月4日、近海の視察を計画
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載
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靖国神社で狼藉を働いて我が国の聖域を冒涜し、中国の反日カルトのあいだではすっかり有名人となった。日本では極悪人の高金素梅。
台湾の立法委員(国会議員)である高金素梅は11月4日に議員としての「視察」を計画し、船をチャーターしているとの情報がある。しかも台湾海軍が護衛するという(未確認)。
北京の狙いは、この極左反日議員を駆使して台湾国内の親日ムードに冷や水を浴びせる一方で、日本の親台派には「台湾にこんな反日議員がいるのか」と悪印象を抱かせて、日本と台湾の民間交流を分断させる思惑がある。
それにしても、台湾版辻元清美?
高金素梅は「平地原住民」という恵まれた選挙区から出馬しているが外省人の娘。票割の関係でかなり楽々と当選できる。彼女が芸能活動をしていた時代は「原住民」を名乗っていなかった。
2010年10月29日金曜日
World Golf Salutes King Bhumibol
The “World Golf Salutes King Bhumibol” tournament aims to be a part of the celebration of His Majesty the King’s Birthday and the 60th Anniversary of His Accession to the Throne projects under Ministry of Energy. The prestige event is sponsored by PTT Public Company Limited, PTT Exploration and Production Public Company Limited, PTT Aromatics and Refining Public Company Limited, PTT Chemical Public Company Limited, Thai Oil Public Company Limited, International Research Corporation Public Company Limited (IRPC), Electricity Generating Authority of Thailand (EGAT), Electricity Generating Public Company (EGCO), Ratchaburi Electricity Generating Holding Public Company Limited and Amata Spring Country Club. IMG, the leading worldwide Sports, Media & Entertainment agency, is the promoter of the event. This is the first time that major corporations in Thailand joined hands to celebrate the special occasion of the His Majesty the King.
Thai ace Thongchai Jaidee, who is the record three-time Asian tour number one, will represent Thailand and Asia as a whole when competing with 3 world class professional golfers; world no. 1 Tiger Woods of the USA, world no. 7 Paul Casey of England and world no. 26 Camilo Villegas of Columbiain a one day skins tournament “World Golf Salutes King Bhumibol”. The tournament will be held at the Amata Spring Country Club, Chonburi, Thailand on November 8th, with a total prize purse of 9 Million Thai Baht.
と言う事でタイガー・ウッズがやって来ます。
場所はアマタスプリング、毎年ロイヤルトロフィーという欧州勢VSアジア勢のトーナメント会場だったり、LPGAのHONDAクラシックがあったりしております、宮里藍や石川遼も来ておりました。
WBC世界S・ウェルター級王座決定戦
マニー・パッキャオ vs アントニオ・マルガリート
世界中が注目する2010 年最大のビッグマッチ、NFLのカウボーイズ・スタジアム11月13日、日本時間14日
数々の強豪を打ち破り、“パウンド・フォー・パウンド(=最強)”と称される、アジア人初の5階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)。衝撃の勝利の数々で快進撃を続けるパッキャオが、またもや世界を震撼させる。史上最高のスーパースター、オスカー・デラ・ホーヤに続く史上2人目の6階級制覇に挑むのだ。
L・フライ級(48.9kg)でキャリアをスタートさせ、フライ級、S・バンタム級、S・フェザー級、ライト級、ウェルター級で世界を制したこの男が今回挑むのは、S・ウェルター級(69.8kg)での世界制覇。デビュー時から実に10階級(20kg以上)上げる事になり、これだけの階級に渡り活躍したのはボクシング史上、過去に例がない。パッキャオは歴史的な勝利を収める事ができるのか!?
そんなパッキャオと対するのは、ウェルター級で3度の王座戴冠を果たした“ティファナ・トルネード”の異名を持つアントニオ・マルガリート(メキシコ)。好戦的なボクシングスタイルとその長身から繰り出す連打で、こちらも数々の激闘を繰り広げてきた強豪だ。
また、身長で11センチ、リーチで15センチもパッキャオを上回っており、パッキャオにとってはこれまでで一番サイズの違う「危険な相手」との対戦に、苦しい戦いを強いられる事が予想される。
しかし、数々の不可能を可能にしてきたのがパッキャオ。またもや、誰もが想像しないような奇跡的な瞬間を世界に見せてくれるはずだ。
2010年10月27日水曜日
留魂録 安政六年十月二十七日
吉田松陰
(教学局編纂「日本精神叢書 十」紀平正美執筆『吉田松陰の留魂録』昭和15年7月発行。昭和16年6月5刷 による)
留魂録
身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
(第一項)
一。余去年以来心蹟百変挙て数へ難し就中趙の貫高を希ひ楚の屈平を仰く諸知友の知る所なり故に子遠が送別の句に燕趙多士一貫高荊楚深憂只屈平と云も此の事なり然るに五月十一日関東の行を聞しよりは又一の誠字に工夫を付たり時に子遠死字を贈る余是を用ゐす一白綿布を求て孟子至誠而不動者未之有也の一句を書し手巾へ縫付携て江戸に来り是を評諚所に留め置くも吾志を表する也去年来の事恐多くも 天朝幕府の間誠意相孚せさる所あり天苟も吾か区々の悃誠を諒し給はゝ幕吏必吾説を是とせんと志を立たれとも蚊虻負山の喩終に事をなすこと不能今日に至る亦吾徳の菲薄なるによれは今将誰をか尤め且怨んや
(第二項)
一。七月九日初て評諚所呼出あり三奉行出座尋鞠の件両条あり一曰梅田源次郎長門下向の節面会したる由何の密議をなせしや二曰御所内に落文あり其手跡汝に似たりと源次郎其外申立る者あり覚ありや此二条のみ夫梅田は素より奸骨あれば余与に志を語ることを欲せさる所なり何の密議をなさんや吾性公明正大なることを好む豈落文なんとの隠昧の事をなさんや余是に於て六年間幽囚中の苦心する所を陳し終に大原公の西下を請ひ鯖江侯を要する等の事を自首す鯖江侯の事に因て終に下獄とはなれり
(第三項)
一。吾性激烈怒罵に短し務て時勢に従ひ人情に適するを主とす是を以て吏に対して幕府違勅の已むを得さるを陳し然る後当今的当の処置に及ふ其説常に講究する所にして具に対策に載するか如し是を以て幕吏と雖甚怒罵すること不能直に曰く汝陳白する所悉く的当とも思はれす且卑賤の身にして国家の大事を議すること不届なり余亦深く抗せす是を以て罪を獲るは常々辞せさる所なりと云て已みぬ幕府の三尺布衣国を憂ることを許さす其是非吾曾て弁争せさるなり聞く薩の日下部以三次は対吏の日当今政治の欠失を歴詆し如是にては往先三五年の無事も保し難と云て鞠吏を激怒せしめ乃曰是を以死凄を得ると雖とも悔さるなりと是吾の及さる所なり子遠の死を以て吾に責むるも亦此意なるへし唐の段秀実郭●(「田」+「羲」)に於ては彼か如くの誠悃朱●(サンズイ+「此」)に於ては彼か如くの激烈然らは則英雄自ら時措の宜しきあり要内省不疾にあり抑亦人を知り幾を見ることを尊ふ吾の得失当さに葢棺の後を待て議すへきのみ
(第四項)
一。此回の口書甚草々なり七月九日一通り申立たる後九月五日十月五日再度の呼出も差たる鞠問もなくして十月十六日に至り口書読聞せありて直に書判せよとの事なり余か苦心せし墨使応接航海雄略等の論一も書載せす唯数ケ所開港の事を程克申延て国力充実の後御打払可然なと吾心にも非さる迂腐の論を書付て口書とす吾言て益なきを知る故に敢て云はす不満の甚しき也甲寅の歳航海一条の口書に比する時は雲泥の違と云ふへし
(第五項)
一。七月九日一通り大原公の事鯖江要駕の事等申立たり初意らく是等の事幕にも諜知すへけれは明白に申立たる方却て宜しきなりと已にして逐一口を開きしに幕にて一円知らざるに似たり因て意らく幕にて知らぬ所を強て申立て多人数に株連蔓延せは善類を傷ふこと少なからす毛を吹て瘡を求むるに斉しと是に於て鯖江要撃の事も要諫とは云替たり又京師往来諸友の姓名連判諸士の姓名等可成丈は隠して具白せす是吾後起人の為めにする区々の婆心なり而して幕裁して吾一人を罰して一人も他に連及なきは実に大慶と云ふへし同志の諸友深く考思せよ
(第六項)
一。要諫一条に付事不遂時は鯖項と刺違て死し警衛の者要蔽する時は切払へきとの事実に吾か云はさる所なり然るに三奉行強て書載して誣服せしめんと欲す誣服は吾肯て受んや是を以て十六日書判の席に臨て石谷池田の両奉行と大に争弁す吾肯て一死を惜まんや両奉行の権詐に伏せさるなり是より先九月五日十月五日両度の吟味に吟味役まて具に申立たるは死を決して要諫す必しも刺違切払等の策あるに非すと吟味役具に是を諾して而も且口書に書載するは権詐に非すや然とも事已に爰に至りて刺違切払の両事を受けさるは却て激烈を欠き同志の諸友亦惜むなるへし吾と云とも亦惜しまさるに非す然とも反復是を思へは成仁の一死区々一言の得失に非す今日義卿奸権の為めに死す天地神明照鑑上にあり何惜むことかあらん
(第七項)
一。吾此回初め素より生を謀らす又死を必せす唯誠の通塞を以て天命の自然に委したるなり七月九日に至ては略一死を期す故に其詩に云継盛唯当甘市戮倉公復望生還其後九月五日十月五日吟味の寛容なるに欺かれ又必生を期す亦頗る慶幸の心あり此心吾此身を惜しむ為めに発するに非す抑故あり去臘大晦朝議已に幕府に貸す今春三月五日吾公の駕已に萩府を発す吾策是に於て尽果たれは死を求むること極て急なり六月の末江戸に来るに及んて夷人の情態を見聞し七月九日獄に来り天下の形勢を考察し神国の事猶なすへきものあるを悟り初て生を幸とするの念勃勃たり吾若し死せすんは勃々たるもの決して汨没せさるなり然とも十六日の口書三奉行の権詐者を死地に措んとするを知りてより更に生を幸の心なし是亦平生学問の得力然るなり
(第八項)
一。今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり蓋し彼禾稼を見るに春種し夏苗し秋苅冬蔵す秋冬に至れは人皆其歳功の成るを悦ひ酒を造り醴を為り村野歓声あり未た曾て西成に臨て歳功の終るを哀しむものを聞かす吾行年三十一事成ることなくして死して禾稼の未た秀てす実らさるに似たるは惜しむへきに似たり然とも義卿の身を以て云へは是亦秀実の時なり何そ必しも哀まん何となれは人事は定りなし禾稼の必す四時を経る如きに非す十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり二十は自ら二十の四時あり三十は自ら三十の四時あり五十百は自ら五十百の四時あり十歳を以て短とするは●(ムシヘン+「惠」)蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり百歳を以て長しとするは霊椿をして●蛄たらしめんと欲するなり斉しく命に達せすとす義卿三十四時已備亦秀亦実其秕たると其粟たると吾か知る所に非す若し同志の士其微衷を憐み継紹の人あらは乃ち後来の種子未た絶えす自ら禾稼の有年に恥さるなり同志其是を考思せよ
(第九項)
一。東口揚屋に居る水戸の郷士堀江克之助余未た一面なしと雖とも真に知己なり真に益友なり余に謂て曰昔し矢部駿州は桑名侯へ御預けの日より絶食して敵讐を詛て死し果して敵讐を退けたり今足下も自ら一死を期するからは祈念を籠て内外の敵を払はれよ一心を残置て給はれよと丁寧に告戒せり吾誠に此言に感服す又鮎沢伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す余に告て曰今足下の御沙汰も未た測られす小子は海外に赴けは天下の事総て天命に付せんのみ但し天下の益となるべき事は同志に託し後輩に残し度ことなりと此言大に吾志を得たり吾の祈念を籠る所は同志の士甲斐々々しく吾志を継紹して尊攘の大功を建てよかしなり吾死すとも堀鮎二子の如きは海外に在とも獄中に在とも吾か同志たらん者願くは交を結へかし又本所亀沢町に山口三●(クルマヘン+「酋」)と云医者あり義を好む人と見へて堀鮎二子の事なと外間に在て大に周旋せり尤も及ふへからさるは未た一面もなき小林民部の事二子より申遣たれは小林の為めにも亦大に周旋せり此人想ふに不凡ならん且三子への通路は此三●老に託すへし
(第十項)
一。堀江常に神通を崇め天皇を尊ひ大道を天下に明白にし異端邪説を排せんと欲す謂らく天朝より教書を開版して天下に頒示するに如かすと余謂らく教書を開版するに一策なかるへからす京師に於て大学校を興し上天朝の御学風を天下に示し又天下の奇材異能を京都に貢し然る後天下古今の正論確議を輯集して書となし天朝御教習の余を天下に分つときは天下の人心自ら一定すへしと因て平生子遠と密議する所の尊攘堂の議と合せ堀江に謀り是を子遠に任することに決す子遠若し能く同志と謀り内外志を協へ此事をして少しく端緒あらしめは吾の志とする所も亦荒せすと云ふへし去年勅諚綸旨等の事一跌すと雖とも尊皇攘夷苟も已むへきに非れは又善術を設け前緒を継紹せすんはあるへからす京師学校の論亦奇ならすや
(第十一項)
一。小林民部云京師の学習院は定日ありて百姓町人に至るまて出席して講釈を聴聞することを許さる講日には公卿方出座にて講師菅家清家及ひ地下の儒者相混するなり然らは此基に因て更に斟酌を加へは幾等も妙策あるへし又懐徳堂には霊元上皇宸筆勅額あり此基に因り更に一党を興すも亦妙なりと小林は鷹司家の諸大夫にて此度遠島の罪科に処せらる京師諸人中罪責極て置し其人多材多芸唯文学に深からす処事の才ある人と見ゆ西奥揚屋にて余と同居す後東口に移る京師にて吉田の鈴鹿石州同筑州別て知弓の由亦山口三●も小林の為めに大に周旋したれは鈴鹿か山口かの手を以て海外まても吾同志の士通信をなすへし京師の事に就ては後来必す力を得る所あらん
(第十二項)
一。讃の高松の藩士長谷川宗右衛門年来主君を諫め宗藩水家と親睦の事に付て苦心せし人なり東奥揚屋にあり其子速水余と西奥に同居す此父子の罪科何如未た知るへからす同志の諸友切に記念せよ余初て長谷川翁を一見せしとき獄吏左右に林立す法隻語を交ることを得す翁独語するものゝ如くして曰寧為玉砕勿為瓦全と吾甚た其意に感す同志其之を察せよ
(第十三項)
一。右数条余徒に書するに非す天下の事を成すは天下有志の士と志を通するに非れは得す而して右数人余今回新に得たる所の人なるを以て是を同志に告示すなり又勝野保三郎早已に出牢す就て其詳を問知すへし藤野の父豊作今潜伏すと雖とも有志の士と聞けり他日事平くを待て物色すへし今日の事同志の諸士戦敗の余傷残の同志を問訊する如くすへし一敗乃挫折する豈勇士の事ならんや切に嘱す切に嘱す
(第十四項)
一。越前の橋本左内二十六歳にして誅せらる実に十月七日なり左内東奥に座すること五六日のみ勝保同居せり後勝保西奥に来り余と同居す勝保の談を聞て益々左内と半面なきを嘆す左内幽囚邸居中資治通鑑を読み註を作り漢紀を終る又獄中教学工作等の事を論せし由勝保予が為めに是を語る獄の論大に吾意を得たり予益々左内を起して一議を発せんことを思ふ嗟夫清狂の護国論及ひ吟稿口羽の詩稿天下同志の士に寄示したし故に余是を水人鮎沢伊太夫に贈ることを許す同志其吾に代て此言を踐まは幸甚なり
(第十五項)
一。同志諸友の内小田村中谷久保久坂子遠兄弟等の事鮎沢堀江長谷川小林勝野等へ告知し置く又村塾の事須佐阿月等の事も告置けり飯田尾寺高杉及ひ利輔の事も諸人に告置しなり是皆吾か苟も是をなすに非す
かきつけ終りて後
心なることの種々かき置ぬ思のこせることなかりけり
呼たしの声まつ外に今の世に待へき事のなかりける哉
討れたる吾をあわれと見む人は君をあかめて夷払へよ
愚なるわれをも友とめつ人はわかとも友とめてよ人々
七たひも生かへりつゝ夷をそ攘はむこゝろ吾忘れめや
十月二十六日黄昏書 二十一回猛士
安政六年十月二十七日朝、松陰は死罪の申し渡しを受け、四ツ時又は九ツ時伝馬町の露と消える三十歳(満二十九歳)
政治家やその他売国企業家などが、龍馬人気もあって現在をよく幕末に例えるものがいるが、現在と幕末では決定的な違いがひとつだけある、幕末は倒幕であれ佐幕であれ全ての人が尊皇であったということです。
この一点が違えば例えることも出来ないということであります。
(教学局編纂「日本精神叢書 十」紀平正美執筆『吉田松陰の留魂録』昭和15年7月発行。昭和16年6月5刷 による)
留魂録
身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
(第一項)
一。余去年以来心蹟百変挙て数へ難し就中趙の貫高を希ひ楚の屈平を仰く諸知友の知る所なり故に子遠が送別の句に燕趙多士一貫高荊楚深憂只屈平と云も此の事なり然るに五月十一日関東の行を聞しよりは又一の誠字に工夫を付たり時に子遠死字を贈る余是を用ゐす一白綿布を求て孟子至誠而不動者未之有也の一句を書し手巾へ縫付携て江戸に来り是を評諚所に留め置くも吾志を表する也去年来の事恐多くも 天朝幕府の間誠意相孚せさる所あり天苟も吾か区々の悃誠を諒し給はゝ幕吏必吾説を是とせんと志を立たれとも蚊虻負山の喩終に事をなすこと不能今日に至る亦吾徳の菲薄なるによれは今将誰をか尤め且怨んや
(第二項)
一。七月九日初て評諚所呼出あり三奉行出座尋鞠の件両条あり一曰梅田源次郎長門下向の節面会したる由何の密議をなせしや二曰御所内に落文あり其手跡汝に似たりと源次郎其外申立る者あり覚ありや此二条のみ夫梅田は素より奸骨あれば余与に志を語ることを欲せさる所なり何の密議をなさんや吾性公明正大なることを好む豈落文なんとの隠昧の事をなさんや余是に於て六年間幽囚中の苦心する所を陳し終に大原公の西下を請ひ鯖江侯を要する等の事を自首す鯖江侯の事に因て終に下獄とはなれり
(第三項)
一。吾性激烈怒罵に短し務て時勢に従ひ人情に適するを主とす是を以て吏に対して幕府違勅の已むを得さるを陳し然る後当今的当の処置に及ふ其説常に講究する所にして具に対策に載するか如し是を以て幕吏と雖甚怒罵すること不能直に曰く汝陳白する所悉く的当とも思はれす且卑賤の身にして国家の大事を議すること不届なり余亦深く抗せす是を以て罪を獲るは常々辞せさる所なりと云て已みぬ幕府の三尺布衣国を憂ることを許さす其是非吾曾て弁争せさるなり聞く薩の日下部以三次は対吏の日当今政治の欠失を歴詆し如是にては往先三五年の無事も保し難と云て鞠吏を激怒せしめ乃曰是を以死凄を得ると雖とも悔さるなりと是吾の及さる所なり子遠の死を以て吾に責むるも亦此意なるへし唐の段秀実郭●(「田」+「羲」)に於ては彼か如くの誠悃朱●(サンズイ+「此」)に於ては彼か如くの激烈然らは則英雄自ら時措の宜しきあり要内省不疾にあり抑亦人を知り幾を見ることを尊ふ吾の得失当さに葢棺の後を待て議すへきのみ
(第四項)
一。此回の口書甚草々なり七月九日一通り申立たる後九月五日十月五日再度の呼出も差たる鞠問もなくして十月十六日に至り口書読聞せありて直に書判せよとの事なり余か苦心せし墨使応接航海雄略等の論一も書載せす唯数ケ所開港の事を程克申延て国力充実の後御打払可然なと吾心にも非さる迂腐の論を書付て口書とす吾言て益なきを知る故に敢て云はす不満の甚しき也甲寅の歳航海一条の口書に比する時は雲泥の違と云ふへし
(第五項)
一。七月九日一通り大原公の事鯖江要駕の事等申立たり初意らく是等の事幕にも諜知すへけれは明白に申立たる方却て宜しきなりと已にして逐一口を開きしに幕にて一円知らざるに似たり因て意らく幕にて知らぬ所を強て申立て多人数に株連蔓延せは善類を傷ふこと少なからす毛を吹て瘡を求むるに斉しと是に於て鯖江要撃の事も要諫とは云替たり又京師往来諸友の姓名連判諸士の姓名等可成丈は隠して具白せす是吾後起人の為めにする区々の婆心なり而して幕裁して吾一人を罰して一人も他に連及なきは実に大慶と云ふへし同志の諸友深く考思せよ
(第六項)
一。要諫一条に付事不遂時は鯖項と刺違て死し警衛の者要蔽する時は切払へきとの事実に吾か云はさる所なり然るに三奉行強て書載して誣服せしめんと欲す誣服は吾肯て受んや是を以て十六日書判の席に臨て石谷池田の両奉行と大に争弁す吾肯て一死を惜まんや両奉行の権詐に伏せさるなり是より先九月五日十月五日両度の吟味に吟味役まて具に申立たるは死を決して要諫す必しも刺違切払等の策あるに非すと吟味役具に是を諾して而も且口書に書載するは権詐に非すや然とも事已に爰に至りて刺違切払の両事を受けさるは却て激烈を欠き同志の諸友亦惜むなるへし吾と云とも亦惜しまさるに非す然とも反復是を思へは成仁の一死区々一言の得失に非す今日義卿奸権の為めに死す天地神明照鑑上にあり何惜むことかあらん
(第七項)
一。吾此回初め素より生を謀らす又死を必せす唯誠の通塞を以て天命の自然に委したるなり七月九日に至ては略一死を期す故に其詩に云継盛唯当甘市戮倉公復望生還其後九月五日十月五日吟味の寛容なるに欺かれ又必生を期す亦頗る慶幸の心あり此心吾此身を惜しむ為めに発するに非す抑故あり去臘大晦朝議已に幕府に貸す今春三月五日吾公の駕已に萩府を発す吾策是に於て尽果たれは死を求むること極て急なり六月の末江戸に来るに及んて夷人の情態を見聞し七月九日獄に来り天下の形勢を考察し神国の事猶なすへきものあるを悟り初て生を幸とするの念勃勃たり吾若し死せすんは勃々たるもの決して汨没せさるなり然とも十六日の口書三奉行の権詐者を死地に措んとするを知りてより更に生を幸の心なし是亦平生学問の得力然るなり
(第八項)
一。今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり蓋し彼禾稼を見るに春種し夏苗し秋苅冬蔵す秋冬に至れは人皆其歳功の成るを悦ひ酒を造り醴を為り村野歓声あり未た曾て西成に臨て歳功の終るを哀しむものを聞かす吾行年三十一事成ることなくして死して禾稼の未た秀てす実らさるに似たるは惜しむへきに似たり然とも義卿の身を以て云へは是亦秀実の時なり何そ必しも哀まん何となれは人事は定りなし禾稼の必す四時を経る如きに非す十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり二十は自ら二十の四時あり三十は自ら三十の四時あり五十百は自ら五十百の四時あり十歳を以て短とするは●(ムシヘン+「惠」)蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり百歳を以て長しとするは霊椿をして●蛄たらしめんと欲するなり斉しく命に達せすとす義卿三十四時已備亦秀亦実其秕たると其粟たると吾か知る所に非す若し同志の士其微衷を憐み継紹の人あらは乃ち後来の種子未た絶えす自ら禾稼の有年に恥さるなり同志其是を考思せよ
(第九項)
一。東口揚屋に居る水戸の郷士堀江克之助余未た一面なしと雖とも真に知己なり真に益友なり余に謂て曰昔し矢部駿州は桑名侯へ御預けの日より絶食して敵讐を詛て死し果して敵讐を退けたり今足下も自ら一死を期するからは祈念を籠て内外の敵を払はれよ一心を残置て給はれよと丁寧に告戒せり吾誠に此言に感服す又鮎沢伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す余に告て曰今足下の御沙汰も未た測られす小子は海外に赴けは天下の事総て天命に付せんのみ但し天下の益となるべき事は同志に託し後輩に残し度ことなりと此言大に吾志を得たり吾の祈念を籠る所は同志の士甲斐々々しく吾志を継紹して尊攘の大功を建てよかしなり吾死すとも堀鮎二子の如きは海外に在とも獄中に在とも吾か同志たらん者願くは交を結へかし又本所亀沢町に山口三●(クルマヘン+「酋」)と云医者あり義を好む人と見へて堀鮎二子の事なと外間に在て大に周旋せり尤も及ふへからさるは未た一面もなき小林民部の事二子より申遣たれは小林の為めにも亦大に周旋せり此人想ふに不凡ならん且三子への通路は此三●老に託すへし
(第十項)
一。堀江常に神通を崇め天皇を尊ひ大道を天下に明白にし異端邪説を排せんと欲す謂らく天朝より教書を開版して天下に頒示するに如かすと余謂らく教書を開版するに一策なかるへからす京師に於て大学校を興し上天朝の御学風を天下に示し又天下の奇材異能を京都に貢し然る後天下古今の正論確議を輯集して書となし天朝御教習の余を天下に分つときは天下の人心自ら一定すへしと因て平生子遠と密議する所の尊攘堂の議と合せ堀江に謀り是を子遠に任することに決す子遠若し能く同志と謀り内外志を協へ此事をして少しく端緒あらしめは吾の志とする所も亦荒せすと云ふへし去年勅諚綸旨等の事一跌すと雖とも尊皇攘夷苟も已むへきに非れは又善術を設け前緒を継紹せすんはあるへからす京師学校の論亦奇ならすや
(第十一項)
一。小林民部云京師の学習院は定日ありて百姓町人に至るまて出席して講釈を聴聞することを許さる講日には公卿方出座にて講師菅家清家及ひ地下の儒者相混するなり然らは此基に因て更に斟酌を加へは幾等も妙策あるへし又懐徳堂には霊元上皇宸筆勅額あり此基に因り更に一党を興すも亦妙なりと小林は鷹司家の諸大夫にて此度遠島の罪科に処せらる京師諸人中罪責極て置し其人多材多芸唯文学に深からす処事の才ある人と見ゆ西奥揚屋にて余と同居す後東口に移る京師にて吉田の鈴鹿石州同筑州別て知弓の由亦山口三●も小林の為めに大に周旋したれは鈴鹿か山口かの手を以て海外まても吾同志の士通信をなすへし京師の事に就ては後来必す力を得る所あらん
(第十二項)
一。讃の高松の藩士長谷川宗右衛門年来主君を諫め宗藩水家と親睦の事に付て苦心せし人なり東奥揚屋にあり其子速水余と西奥に同居す此父子の罪科何如未た知るへからす同志の諸友切に記念せよ余初て長谷川翁を一見せしとき獄吏左右に林立す法隻語を交ることを得す翁独語するものゝ如くして曰寧為玉砕勿為瓦全と吾甚た其意に感す同志其之を察せよ
(第十三項)
一。右数条余徒に書するに非す天下の事を成すは天下有志の士と志を通するに非れは得す而して右数人余今回新に得たる所の人なるを以て是を同志に告示すなり又勝野保三郎早已に出牢す就て其詳を問知すへし藤野の父豊作今潜伏すと雖とも有志の士と聞けり他日事平くを待て物色すへし今日の事同志の諸士戦敗の余傷残の同志を問訊する如くすへし一敗乃挫折する豈勇士の事ならんや切に嘱す切に嘱す
(第十四項)
一。越前の橋本左内二十六歳にして誅せらる実に十月七日なり左内東奥に座すること五六日のみ勝保同居せり後勝保西奥に来り余と同居す勝保の談を聞て益々左内と半面なきを嘆す左内幽囚邸居中資治通鑑を読み註を作り漢紀を終る又獄中教学工作等の事を論せし由勝保予が為めに是を語る獄の論大に吾意を得たり予益々左内を起して一議を発せんことを思ふ嗟夫清狂の護国論及ひ吟稿口羽の詩稿天下同志の士に寄示したし故に余是を水人鮎沢伊太夫に贈ることを許す同志其吾に代て此言を踐まは幸甚なり
(第十五項)
一。同志諸友の内小田村中谷久保久坂子遠兄弟等の事鮎沢堀江長谷川小林勝野等へ告知し置く又村塾の事須佐阿月等の事も告置けり飯田尾寺高杉及ひ利輔の事も諸人に告置しなり是皆吾か苟も是をなすに非す
かきつけ終りて後
心なることの種々かき置ぬ思のこせることなかりけり
呼たしの声まつ外に今の世に待へき事のなかりける哉
討れたる吾をあわれと見む人は君をあかめて夷払へよ
愚なるわれをも友とめつ人はわかとも友とめてよ人々
七たひも生かへりつゝ夷をそ攘はむこゝろ吾忘れめや
十月二十六日黄昏書 二十一回猛士
安政六年十月二十七日朝、松陰は死罪の申し渡しを受け、四ツ時又は九ツ時伝馬町の露と消える三十歳(満二十九歳)
政治家やその他売国企業家などが、龍馬人気もあって現在をよく幕末に例えるものがいるが、現在と幕末では決定的な違いがひとつだけある、幕末は倒幕であれ佐幕であれ全ての人が尊皇であったということです。
この一点が違えば例えることも出来ないということであります。
2010年10月26日火曜日
ガラタサライ新監督に往年の名選手ゲオルゲ・ハジ、2度目の就任
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010)10月26日(火曜日)
通巻3113号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やっぱりそうか。陝西省、甘粛省、四川省の「反日デモ」なるものの実態
反政府、反共産党への起爆剤を狙う民衆の意志が露見した
****************************************
日本人をみたこともない中国内陸部の田舎で、なぜ反日デモが起きるのか?
四川省の綿陽、徳陽は成都に近い所為もあって、味千ラーメン店も襲われたが、あれは日本のフランチャイズで、中国人が経営している。同ラーメンFCは、中国全土で170店舗近く、筆者も南京で食べたことがあるが、美味、廉価!
さて甘粛省の蘭州と宝鶏でおきたデモは、先頭のプラカードこそ「打死小日本」(日本人を皆殺し)「抵制日貨」(日本製品ボイコット)などと書かれているが、デモ隊のなかには「多数政党制度を認めよ」「住宅価格をおさえろ」「腐敗粛正」などと、およそ日本とは関係のないテーマが並んだ。
香港のメディアは「反日から華麗に反政府に変身した勇気」と宝鶏デモを称賛するネットの書き込みを伝えた。
実態は反日ではなく、反政府であることはもはや動かぬ事実である。
10月24日付け読売新聞
アーミテージ氏が「中国に対し、近隣諸国の決意の固さを告知するため、日本はAPEC首脳会議を利用し地域の先頭に立ち、民主主義的な価値を支持し、経済的繁栄を追及し、領土問題の平和的解決を含む、国際的規範を尊重するアジア共同体を促進し、日本の決意を明白に証明すること。日本は防衛費の低下により北朝鮮と中国からの潜在的脅威に直面しているにもかかわらず、安全保障面でも兵器技術面でも後れを取りかねない状況におかれている。防衛費の増額を図るべきだ」。
沖縄の陸自旅団が観閲式 「中国は積極姿勢」と幹部
南西諸島防衛の強化のため、3月に陸上自衛隊第1混成団から昇格した第15旅団が24日、那覇市の駐屯地で観閲式を行い、在沖縄米軍幹部や沖縄県の仲井真弘多知事らが出席した。
反怖謙一旅団長はあいさつで「中国は国際的な存在感の高まりを背景に国際社会で自信を深め、より積極的な姿勢を見せている」と指摘。「旅団の一体感を醸成しつつ、南西防衛警備の第一線にふさわしい精強な部隊を育成する」と述べた。
観閲式では、旅団化に伴い新設された化学防護隊や偵察隊、普通科連隊の装甲車やバイクが次々と行進。輸送ヘリコプターなども観閲飛行した。
一般市民数百人も見学。駐屯地の一部が武装勢力に占拠されたとの想定で、迫撃砲やヘリを使い制圧する訓練も公開した。
沖縄海兵隊の抑止力必要 在日米軍司令官
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/101021/asi1010212339004-n1.htm
戦闘部隊もグアムに移転 次期海兵隊司令官が証言 沖縄の負担軽減も
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100922/amr1009221003004-n1.htm
日越首脳会談、レアアース共同開発で合意となるか
http://www.viet-jo.com/news/politics/101025083130.html
中国語での学校教育に反対 チベット人大規模抗議が多発 当局、実施を先送りへ
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d85123.html
東京国際映画祭で「主権」争い 中国と台湾、開幕式に登場せず
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d76209.html
ノーベル平和賞受賞者、G20で「劉氏釈放で圧力を」と書簡
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2010-10-26T131444Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-178366-1.html
タイの洪水死者41人に チャオプラヤ川の水位上昇
http://www.newsclip.be/news/20101026_028899.html
ミャンマー西部をサイクロン直撃
http://www.newsclip.be/news/20101025_028897.html
ここで一つニュースなどでたまにお世話になっているので余り書きたくはないのですが、恐らくタイに居る殆どの日系メディアはこの程度の歴史認識しかもっていないのであろう記事
ミャンマーが国旗を変更
【ミャンマー】ミャンマー軍政は21日、国旗のデザインを変更し、使用を開始した。新しい国旗は、黄・緑・赤の3色で、真ん中に大きな白い星が描かれいる。三色旗のデザインは、日本が第二次世界大戦中に建国したかいらい国家、ビルマ国の国旗と似ている。新国旗の制定は2008年の憲法改正で定められていたが、変更時期は明示されていなかった。
軍政の説明によれば、黄色は国民の団結、緑は平和と豊かな自然環境、赤は勇気と決断力を象徴している。旧国旗は1974年から使用されてきた。
http://www.newsclip.be/news/20101025_028890.html
この人達はビルマは、日本の傀儡国家ぐらいにしか思っていないのですね、あびっくりした、ほとんどの日系は左曲がりの人達っばかりなのですね海外でもこんなだからどうしようもならない。
パタヤの今がわかるパタヤニュース、結構面白い
Pattaya news VDO
http://www.youtube.com/user/PDNvdo#p/u
ルーマニア代表監督も務めたハジがガラタサライに帰ってきた
2010年10月22日付 Zaman紙
ガラタサライで、フランク・ライカールト監督の後任に任じられたゲオルゲ・ハジ氏は、ガラタサライサッカーチームでの2度目の監督時代を正式にスタートさせた。
フロルヤ・メティン・オクタイ施設で行われた就任式典にはクラブ副理事長のイイト・シャルダン氏も参加し、以前1年半の契約を結んでことのあるこのルーマニア人の監督と、副監督を務めるトゥガイ・ケリムオール氏がメディアにお披露目された。
ガラタサライで選手として活躍した時代、トルコとヨーロッパで多くの重要な成功を手にし、サポーターの間で伝説となっているゲオルゲ・ハジ氏は、ファーティフ・テリム監督の第2期の後、2003年から2004年のシーズンの最後の7週間と、2004年から2005年のシーズンに、ガラタサライチームで1度目の監督を経験している。
ハジ氏率いるガラタサライは、2004年から2005年のシーズンはリーグ第3位に留まったものの、トルコカップでは永遠のライバル、フェネルバフテェを決勝で5対1で破りを優勝した。
フロルヤ・メティン・オクタイ施設でメディアの前に姿を現したハジ氏は、たくさんのメディア関係者を前に、「つまりトルコでの私の業績は忘れられていなかったのだ、私を愛してくれているから皆さんはここに来てくれている。ガラタサライで選手として、そして監督として私がしたことが忘れられていないのだと思う」と述べた。
現在、困難な時期にあるにガラタサライで再び、トップに就いたと言われていることに対して、ルーマニア人監督は、「私がガラタサライを選んだ理由は、1996年にサッカー選手として選んだ理由と同じだ」と述べて次のように語った。
「ガラタサライは大きなクラブだ。トルコの、そしてヨーロッパの有力チームに数えられる。私にとって大きな闘争心を生み出すだろうと考えて、このクラブを選んだ。これはいつも言っていることだが、ガラタサライで監督を務めたことは大きな名誉だ。困難でデリケートな時期であることはよく分かっている。しかし、私はできる限りのことをしよう。チームに力がないと思ったのならここへは来なかっただろう。私はガラタサライには力があると思うし、またそう信じている。ガラタサライで初めて仕事をした時代よりも、より良い仕事が出来ると信じている。少なくともこれは出来るだろうと思っている。2つめの抱負は、ヨーロッパのチャンピオンリーグで戦うことだ。私は前回もこのことで不運を味わった。」
ゲオルグ・ハジ氏は、副監督に任命されたトゥガイ・ケリムオール氏に、自身の助けになってくれることを感謝し、「彼は私の選手時代にも最良の友人の一人だった。彼も私のように、またほかのチームメイトのようにチャンピオンだ。我々はこの家の人間であり、この家をとても良く知っている。我々のこのすべての信頼を、選手が担ってくれることを信じている」と述べた。あわせてルーマニア人のコーチ補佐とトレーナーも任用されたことが発表された。
■「一試合のために来たのではない」
ルーマニア人監督は、ガラタサライでの監督就任直後に永遠のライバル、フェネルバフチェとの重大なダービーマッチが控えていることに言及し、トゥガイ氏とともに今後短期間に非常に多くのことをしなければならないと話した。
ハジ氏は、選手の身体的、精神的状態を知ることが必要であると述べ、「ガラタサライの名前が出たすべての場所で勝利しなければならない。我々はガラタサライとして戦うためにフィールドへ行く。この試合では3点をとりたい」と語った。
ハジ氏はガラタサライへ来た理由は自分の哲学に沿って仕事をするためであると話し、「リーグのすべての試合が重要だ。フェネルバフチェのホームで行われる試合はいつも難しかった。私はフェネルバフチェを大いに尊敬しているが、我々はガラタサライだ。そして良いプレイをし、勝利するためにあのフィールドへ出向くのだ」と述べた。(後略)
今季はガラタサライが面白い
平成22年(2010)10月26日(火曜日)
通巻3113号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
やっぱりそうか。陝西省、甘粛省、四川省の「反日デモ」なるものの実態
反政府、反共産党への起爆剤を狙う民衆の意志が露見した
****************************************
日本人をみたこともない中国内陸部の田舎で、なぜ反日デモが起きるのか?
四川省の綿陽、徳陽は成都に近い所為もあって、味千ラーメン店も襲われたが、あれは日本のフランチャイズで、中国人が経営している。同ラーメンFCは、中国全土で170店舗近く、筆者も南京で食べたことがあるが、美味、廉価!
さて甘粛省の蘭州と宝鶏でおきたデモは、先頭のプラカードこそ「打死小日本」(日本人を皆殺し)「抵制日貨」(日本製品ボイコット)などと書かれているが、デモ隊のなかには「多数政党制度を認めよ」「住宅価格をおさえろ」「腐敗粛正」などと、およそ日本とは関係のないテーマが並んだ。
香港のメディアは「反日から華麗に反政府に変身した勇気」と宝鶏デモを称賛するネットの書き込みを伝えた。
実態は反日ではなく、反政府であることはもはや動かぬ事実である。
10月24日付け読売新聞
アーミテージ氏が「中国に対し、近隣諸国の決意の固さを告知するため、日本はAPEC首脳会議を利用し地域の先頭に立ち、民主主義的な価値を支持し、経済的繁栄を追及し、領土問題の平和的解決を含む、国際的規範を尊重するアジア共同体を促進し、日本の決意を明白に証明すること。日本は防衛費の低下により北朝鮮と中国からの潜在的脅威に直面しているにもかかわらず、安全保障面でも兵器技術面でも後れを取りかねない状況におかれている。防衛費の増額を図るべきだ」。
沖縄の陸自旅団が観閲式 「中国は積極姿勢」と幹部
南西諸島防衛の強化のため、3月に陸上自衛隊第1混成団から昇格した第15旅団が24日、那覇市の駐屯地で観閲式を行い、在沖縄米軍幹部や沖縄県の仲井真弘多知事らが出席した。
反怖謙一旅団長はあいさつで「中国は国際的な存在感の高まりを背景に国際社会で自信を深め、より積極的な姿勢を見せている」と指摘。「旅団の一体感を醸成しつつ、南西防衛警備の第一線にふさわしい精強な部隊を育成する」と述べた。
観閲式では、旅団化に伴い新設された化学防護隊や偵察隊、普通科連隊の装甲車やバイクが次々と行進。輸送ヘリコプターなども観閲飛行した。
一般市民数百人も見学。駐屯地の一部が武装勢力に占拠されたとの想定で、迫撃砲やヘリを使い制圧する訓練も公開した。
沖縄海兵隊の抑止力必要 在日米軍司令官
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/101021/asi1010212339004-n1.htm
戦闘部隊もグアムに移転 次期海兵隊司令官が証言 沖縄の負担軽減も
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100922/amr1009221003004-n1.htm
日越首脳会談、レアアース共同開発で合意となるか
http://www.viet-jo.com/news/politics/101025083130.html
中国語での学校教育に反対 チベット人大規模抗議が多発 当局、実施を先送りへ
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d85123.html
東京国際映画祭で「主権」争い 中国と台湾、開幕式に登場せず
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d76209.html
ノーベル平和賞受賞者、G20で「劉氏釈放で圧力を」と書簡
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2010-10-26T131444Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-178366-1.html
タイの洪水死者41人に チャオプラヤ川の水位上昇
http://www.newsclip.be/news/20101026_028899.html
ミャンマー西部をサイクロン直撃
http://www.newsclip.be/news/20101025_028897.html
ここで一つニュースなどでたまにお世話になっているので余り書きたくはないのですが、恐らくタイに居る殆どの日系メディアはこの程度の歴史認識しかもっていないのであろう記事
ミャンマーが国旗を変更
【ミャンマー】ミャンマー軍政は21日、国旗のデザインを変更し、使用を開始した。新しい国旗は、黄・緑・赤の3色で、真ん中に大きな白い星が描かれいる。三色旗のデザインは、日本が第二次世界大戦中に建国したかいらい国家、ビルマ国の国旗と似ている。新国旗の制定は2008年の憲法改正で定められていたが、変更時期は明示されていなかった。
軍政の説明によれば、黄色は国民の団結、緑は平和と豊かな自然環境、赤は勇気と決断力を象徴している。旧国旗は1974年から使用されてきた。
http://www.newsclip.be/news/20101025_028890.html
この人達はビルマは、日本の傀儡国家ぐらいにしか思っていないのですね、あびっくりした、ほとんどの日系は左曲がりの人達っばかりなのですね海外でもこんなだからどうしようもならない。
パタヤの今がわかるパタヤニュース、結構面白い
Pattaya news VDO
http://www.youtube.com/user/PDNvdo#p/u
ルーマニア代表監督も務めたハジがガラタサライに帰ってきた
2010年10月22日付 Zaman紙
ガラタサライで、フランク・ライカールト監督の後任に任じられたゲオルゲ・ハジ氏は、ガラタサライサッカーチームでの2度目の監督時代を正式にスタートさせた。
フロルヤ・メティン・オクタイ施設で行われた就任式典にはクラブ副理事長のイイト・シャルダン氏も参加し、以前1年半の契約を結んでことのあるこのルーマニア人の監督と、副監督を務めるトゥガイ・ケリムオール氏がメディアにお披露目された。
ガラタサライで選手として活躍した時代、トルコとヨーロッパで多くの重要な成功を手にし、サポーターの間で伝説となっているゲオルゲ・ハジ氏は、ファーティフ・テリム監督の第2期の後、2003年から2004年のシーズンの最後の7週間と、2004年から2005年のシーズンに、ガラタサライチームで1度目の監督を経験している。
ハジ氏率いるガラタサライは、2004年から2005年のシーズンはリーグ第3位に留まったものの、トルコカップでは永遠のライバル、フェネルバフテェを決勝で5対1で破りを優勝した。
フロルヤ・メティン・オクタイ施設でメディアの前に姿を現したハジ氏は、たくさんのメディア関係者を前に、「つまりトルコでの私の業績は忘れられていなかったのだ、私を愛してくれているから皆さんはここに来てくれている。ガラタサライで選手として、そして監督として私がしたことが忘れられていないのだと思う」と述べた。
現在、困難な時期にあるにガラタサライで再び、トップに就いたと言われていることに対して、ルーマニア人監督は、「私がガラタサライを選んだ理由は、1996年にサッカー選手として選んだ理由と同じだ」と述べて次のように語った。
「ガラタサライは大きなクラブだ。トルコの、そしてヨーロッパの有力チームに数えられる。私にとって大きな闘争心を生み出すだろうと考えて、このクラブを選んだ。これはいつも言っていることだが、ガラタサライで監督を務めたことは大きな名誉だ。困難でデリケートな時期であることはよく分かっている。しかし、私はできる限りのことをしよう。チームに力がないと思ったのならここへは来なかっただろう。私はガラタサライには力があると思うし、またそう信じている。ガラタサライで初めて仕事をした時代よりも、より良い仕事が出来ると信じている。少なくともこれは出来るだろうと思っている。2つめの抱負は、ヨーロッパのチャンピオンリーグで戦うことだ。私は前回もこのことで不運を味わった。」
ゲオルグ・ハジ氏は、副監督に任命されたトゥガイ・ケリムオール氏に、自身の助けになってくれることを感謝し、「彼は私の選手時代にも最良の友人の一人だった。彼も私のように、またほかのチームメイトのようにチャンピオンだ。我々はこの家の人間であり、この家をとても良く知っている。我々のこのすべての信頼を、選手が担ってくれることを信じている」と述べた。あわせてルーマニア人のコーチ補佐とトレーナーも任用されたことが発表された。
■「一試合のために来たのではない」
ルーマニア人監督は、ガラタサライでの監督就任直後に永遠のライバル、フェネルバフチェとの重大なダービーマッチが控えていることに言及し、トゥガイ氏とともに今後短期間に非常に多くのことをしなければならないと話した。
ハジ氏は、選手の身体的、精神的状態を知ることが必要であると述べ、「ガラタサライの名前が出たすべての場所で勝利しなければならない。我々はガラタサライとして戦うためにフィールドへ行く。この試合では3点をとりたい」と語った。
ハジ氏はガラタサライへ来た理由は自分の哲学に沿って仕事をするためであると話し、「リーグのすべての試合が重要だ。フェネルバフチェのホームで行われる試合はいつも難しかった。私はフェネルバフチェを大いに尊敬しているが、我々はガラタサライだ。そして良いプレイをし、勝利するためにあのフィールドへ出向くのだ」と述べた。(後略)
今季はガラタサライが面白い
2010年10月22日金曜日
北朝鮮3度目の核実験
北朝鮮 3度目の核実験を準備か 米衛星が捉える
北朝鮮が新たに地中での核実験を準備している可能性があるとみられる兆候を、米国の人工衛星が捕捉した。
インターファクス通信が韓国紙「朝鮮日報」の報道を引用して伝えたところによると、過去に核実験が行われた威鏡北道の豊渓里周辺で活発な動きが見られるという。とくに、06年10月と09年5月に核実験が実施された際に破損したトンネルの修理が進んでいるとのこと。「朝鮮日報」は、北朝鮮が近く3度目の核実験を実施する可能性は低いとしている。
北朝鮮が核実験の準備を進めているというこの情報について、韓国政府の安全保障担当部処(省庁)からの公式は発表はない。
北朝鮮と韓国 国際空港間のホットラインを復活
北朝鮮と韓国は、双方の国際空港間のホットラインを復活させた。
平壌と仁川にある飛行管制センターは18日、すでにテスト通話を実施した。ソウルで統一省のヘソン報道官が声明を表した。
両国際空港間のホットラインは、韓国政府が5月に対北朝鮮措置リストを発表後、北朝鮮によって遮断された。韓国は3月末に黄海で発生した同国哨戒艦の沈没事件で北朝鮮を非難している。この事件では、46人の乗組員が犠牲となった。これにより、両国間の関係は深刻化した。
南北統一で一番困るのは韓国なんですけどね、見せかけのポーズだけは対外的に取りますよね。
金キム3世は 将来 北朝鮮の領袖となり得るか?
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の指導者金正日(キムジョンイル)氏の三男、金正恩(キムジョンウン)氏は、後継者として権力を掌握するための準備に入ってる。しかし、最高権力者への道は、恐らく長いイバラの道となるだろう。
先日、北朝鮮の議会、最高人民会議のヤンヘンソップ副議長は、金正恩氏が、この国の三代目の最高指導者となる事を公式に認めた。こうした類の情報としては、これは最初の公的発言だった。世界中のマスコミが、あり得る後継者についてあれこれあげつらい検討していた間、金正恩氏はすでに権力の階段を上り始めていた。氏は、昨年秋、父金正日氏の安全を守る部署の責任者に任命され、また北朝鮮における最高軍事指導機関である国防委員会のメンバーとなった。そして今年9月27日、氏には朝鮮人民軍大将の称号が与えられ、そのすぐ後、労働党中央委員会の委員となり、さらに国防委員会の副委員長のポストについた。国防委員会のトップ、委員長は、言うまでもなく彼の父、金正日氏である。
こうした権力譲渡の道筋を作りながらも、今年68歳の金正日氏は、安心して後継者に道を譲る気はまだないようだ。つい先日開かれた朝鮮労働党大会では、彼は再び総書記に選ばれたし、今も国防委員会委員長の座にある。後継者の今後を懸念して、恐らく金正日氏は、最後まで権力の座にい続けたいと欲しているのだろう。というのは、軍のエリートの間で、金正恩氏の人気は今ひとつ高くないからだ。
ここ最近の北朝鮮情勢について、ロシア政治・軍事分析研究所分析課のアレクサンドル・フラムチヒン課長は、次のように指摘している-
「金正日氏は、急いで権力を手放すつもりはない。なぜなら、彼には、自分の息子が権力を維持できるのかどうか確信が持てないからだ。正恩氏は、まだ27歳であり、軍人の間での権威は言うまでもなく、彼には何の実績もない。金正日氏が権力の座を去れば、軍人達が国の権力を握る恐れがある。今金親子は、軍上層部との問題を解決するためあらゆる事をしている。金正恩氏は、意志の力と覚悟を示すことで、高級将校など朝鮮軍首脳部における自分の権威を高めていく考えだ。北朝鮮国内が不安定化すれば、朝鮮半島で戦争が勃発する可能性が生ずる。しかし、そうしたことが起こるとは思えない。例え軍事紛争が起きたとしても、それは決して、今日・明日の話ではない。」
ここで付け加えておきたい事は、軍の上層部が力を持つようになったのは、金正日氏本人に負うところが大きいという点だ。権力の座についた後、彼はまさに軍に支えられる指導者となり、事実上、朝鮮労働党の運営からは退いている。又北朝鮮では「軍はすべてに優先する」というドクトリンのもと、すべての必要物資はまず、軍に集められる。しかし、北朝鮮国内からもれてくる情報によれば、「金正恩氏は、あらゆる点で祖父や父を見習おうと努力し、自分に厳しく、生まれつき十分しっかりとした人物だ」と口では評価しながらも、軍の上層部のかなりの数の人々は、金正日氏の選択に不満を抱いているらしい。
とはいえ北朝鮮国内ではもう、偶像を作り上げ、若い金正恩氏を将来の「国父」「領袖」に変えるプロセスが始まっている。彼の誕生日は、朝鮮人民の祝祭日となったし、彼へ忠誠を誓うキャンペーンも広まっている。例えば、そうした事を背景に、今年南アフリカで開かれたサッカーのワールドカップで散々な成績に終わった北朝鮮チームのメンバー達は「裏切り者」として槍玉に挙げられている。韓国の北朝鮮向けラジオ放送によれば、北朝鮮国内ではすでに、数千万枚の金正恩氏のポートレートが準備され、学校の生徒達は、声をそろえて彼を讃える歌を歌っているという。
北朝鮮大使館の写真棚気になる
北朝鮮が新たに地中での核実験を準備している可能性があるとみられる兆候を、米国の人工衛星が捕捉した。
インターファクス通信が韓国紙「朝鮮日報」の報道を引用して伝えたところによると、過去に核実験が行われた威鏡北道の豊渓里周辺で活発な動きが見られるという。とくに、06年10月と09年5月に核実験が実施された際に破損したトンネルの修理が進んでいるとのこと。「朝鮮日報」は、北朝鮮が近く3度目の核実験を実施する可能性は低いとしている。
北朝鮮が核実験の準備を進めているというこの情報について、韓国政府の安全保障担当部処(省庁)からの公式は発表はない。
北朝鮮と韓国 国際空港間のホットラインを復活
北朝鮮と韓国は、双方の国際空港間のホットラインを復活させた。
平壌と仁川にある飛行管制センターは18日、すでにテスト通話を実施した。ソウルで統一省のヘソン報道官が声明を表した。
両国際空港間のホットラインは、韓国政府が5月に対北朝鮮措置リストを発表後、北朝鮮によって遮断された。韓国は3月末に黄海で発生した同国哨戒艦の沈没事件で北朝鮮を非難している。この事件では、46人の乗組員が犠牲となった。これにより、両国間の関係は深刻化した。
南北統一で一番困るのは韓国なんですけどね、見せかけのポーズだけは対外的に取りますよね。
金キム3世は 将来 北朝鮮の領袖となり得るか?
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の指導者金正日(キムジョンイル)氏の三男、金正恩(キムジョンウン)氏は、後継者として権力を掌握するための準備に入ってる。しかし、最高権力者への道は、恐らく長いイバラの道となるだろう。
先日、北朝鮮の議会、最高人民会議のヤンヘンソップ副議長は、金正恩氏が、この国の三代目の最高指導者となる事を公式に認めた。こうした類の情報としては、これは最初の公的発言だった。世界中のマスコミが、あり得る後継者についてあれこれあげつらい検討していた間、金正恩氏はすでに権力の階段を上り始めていた。氏は、昨年秋、父金正日氏の安全を守る部署の責任者に任命され、また北朝鮮における最高軍事指導機関である国防委員会のメンバーとなった。そして今年9月27日、氏には朝鮮人民軍大将の称号が与えられ、そのすぐ後、労働党中央委員会の委員となり、さらに国防委員会の副委員長のポストについた。国防委員会のトップ、委員長は、言うまでもなく彼の父、金正日氏である。
こうした権力譲渡の道筋を作りながらも、今年68歳の金正日氏は、安心して後継者に道を譲る気はまだないようだ。つい先日開かれた朝鮮労働党大会では、彼は再び総書記に選ばれたし、今も国防委員会委員長の座にある。後継者の今後を懸念して、恐らく金正日氏は、最後まで権力の座にい続けたいと欲しているのだろう。というのは、軍のエリートの間で、金正恩氏の人気は今ひとつ高くないからだ。
ここ最近の北朝鮮情勢について、ロシア政治・軍事分析研究所分析課のアレクサンドル・フラムチヒン課長は、次のように指摘している-
「金正日氏は、急いで権力を手放すつもりはない。なぜなら、彼には、自分の息子が権力を維持できるのかどうか確信が持てないからだ。正恩氏は、まだ27歳であり、軍人の間での権威は言うまでもなく、彼には何の実績もない。金正日氏が権力の座を去れば、軍人達が国の権力を握る恐れがある。今金親子は、軍上層部との問題を解決するためあらゆる事をしている。金正恩氏は、意志の力と覚悟を示すことで、高級将校など朝鮮軍首脳部における自分の権威を高めていく考えだ。北朝鮮国内が不安定化すれば、朝鮮半島で戦争が勃発する可能性が生ずる。しかし、そうしたことが起こるとは思えない。例え軍事紛争が起きたとしても、それは決して、今日・明日の話ではない。」
ここで付け加えておきたい事は、軍の上層部が力を持つようになったのは、金正日氏本人に負うところが大きいという点だ。権力の座についた後、彼はまさに軍に支えられる指導者となり、事実上、朝鮮労働党の運営からは退いている。又北朝鮮では「軍はすべてに優先する」というドクトリンのもと、すべての必要物資はまず、軍に集められる。しかし、北朝鮮国内からもれてくる情報によれば、「金正恩氏は、あらゆる点で祖父や父を見習おうと努力し、自分に厳しく、生まれつき十分しっかりとした人物だ」と口では評価しながらも、軍の上層部のかなりの数の人々は、金正日氏の選択に不満を抱いているらしい。
とはいえ北朝鮮国内ではもう、偶像を作り上げ、若い金正恩氏を将来の「国父」「領袖」に変えるプロセスが始まっている。彼の誕生日は、朝鮮人民の祝祭日となったし、彼へ忠誠を誓うキャンペーンも広まっている。例えば、そうした事を背景に、今年南アフリカで開かれたサッカーのワールドカップで散々な成績に終わった北朝鮮チームのメンバー達は「裏切り者」として槍玉に挙げられている。韓国の北朝鮮向けラジオ放送によれば、北朝鮮国内ではすでに、数千万枚の金正恩氏のポートレートが準備され、学校の生徒達は、声をそろえて彼を讃える歌を歌っているという。
北朝鮮大使館の写真棚気になる
2010年10月19日火曜日
2010年10月18日月曜日
タイ王女シリントン殿下 日本御訪問
ご夕餐(タイ王女シリントン殿下)(御所)
平成22年10月12日(火)
タイ王女シリントン殿下をお出迎えになる天皇皇后両陛下(御所)
皇后さま、目の病気で一部公務を取りやめ
宮内庁は13日、皇后さまが目の病気のため、今週予定していた公務の一部を取りやめられると発表した。
宮内庁によると、皇后さまは13日午前、右目に痛みを伴う結膜下出血があると診断されたという。結膜下出血は疲れがたまって起こる場合が多いため、今週予定している公務の一部を欠席されるという。
皇后さまは先月、「せきぜんそく」の可能性が高いと診断され、薬による治療を続けながら公務を行われている。また、今月7日から10日にかけて、天皇陛下と共に奈良県を訪れ、その後も外出を伴う公務に2日連続で出席されていた。
平成22年10月12日(火)
タイ王女シリントン殿下をお出迎えになる天皇皇后両陛下(御所)
皇后さま、目の病気で一部公務を取りやめ
宮内庁は13日、皇后さまが目の病気のため、今週予定していた公務の一部を取りやめられると発表した。
宮内庁によると、皇后さまは13日午前、右目に痛みを伴う結膜下出血があると診断されたという。結膜下出血は疲れがたまって起こる場合が多いため、今週予定している公務の一部を欠席されるという。
皇后さまは先月、「せきぜんそく」の可能性が高いと診断され、薬による治療を続けながら公務を行われている。また、今月7日から10日にかけて、天皇陛下と共に奈良県を訪れ、その後も外出を伴う公務に2日連続で出席されていた。
2010年10月14日木曜日
福岡県バンコク事務所開設
福岡県バンコク事務所の開所式が12日、麻生渡知事、スクムパン・バンコク都知事、小島誠二駐タイ日本大使らを迎えて行われた。バンコクに単独で事務所を設置する日本の地方自治体は初めて。東南アジア諸国連合(ASEAN)とインドを管轄する拠点として、アジア中小企業交流事業や姉妹都市交流事業に力を入れていく。
福岡県バンコク事務所は、在タイ日本大使館もあるウィタユ(ワイヤレス)通りの「シントン・ビルディング・タワー2」9階に設置した。
福岡県は2006年にバンコクと姉妹都市提携を締結しており、ベトナム・ハノイ、インド・デリーとも友好関係を結んでいる。今年初めには、研究開発、中小企業交流、企業誘致、ベンチャー育成、人材育成、環境などを重点項目とした『福岡アジア新時代創造特区』構想を発表し、アジアとの関係強化に一層力を入れる方針だ。
麻生知事はNNAに対し、「今後伸びていくASEANの中心として、バンコクを拠点に選んだ。ここからASEAN、インドなど広域的に活動を展開していく」と豊富を語った。
今年8月から福岡県とタイの中小企業の間で始まった交流事業「アジア中小企業大学校」は、今月2、3日に岐阜市で開かれた「2010年アジア太平洋経済協力会議(APEC)中小企業相会合」で中小企業提携のモデルとして選ばれ、今後も継続的に行われる予定だ。
8月末に、タイ中小企業の経営者20人が福岡県を訪れ、地元企業5社を訪問し、活発な意見交換を通して日本の経営方針などを学んだ。第2回目は11月下旬を予定している。両国企業の信頼関係を構築し、将来の海外事業展開の基盤づくりにつなげる狙いだ。
バンコク事務所の諸富博所長によると、主要業務としては◇アジア中小企業交流◇姉妹都市交流◇福岡県産農産物の輸出促進◇観光PR◇環境人材育成――などがある。同事務所は広くASEAN、インドを管轄するが、当初はタイとの関係強化に力を入れる。
福岡県産農産物としては現在、イチゴの「あまおう」がタイに出荷され日系デパートなどで販売されているが、今後は食品・加工品の取扱品を広げる。また環境人材育成については、タイ天然資源・環境省やバンコク都庁(BMA)の関係者らを福岡県に招致し、環境行政の研修を行う事業を数年前から始めており、今後も継続していく方針だ。
■ベンチャー企業、タイに注目
バンコク事務所の開所式に合わせ、福岡県企業50社がバンコクを訪問し、「福岡・タイビジネス交流会」が開かれた。この中には「福岡ベンチャーマーケット(FMV)協会」に加盟するベンチャー企業が数社あり、活発な企業プレゼンテーションを行った。
エコバイオ・ブロック(EBB)の製造販売を行うコヨウ(福岡県みやま市)はすでに、マレーシア、インド、中国、カナダなど海外での販売実績がある。古賀雅之代表取締役によると、今回はタイの販売代理店を探す目的で参加した。7社ほどから商談の申し入れがあり、手ごたえを感じているという。
EBBはセメントペーストの中に納豆菌群を封入したもので、池や河川に設置することで汚泥が減り水質改善に役立つ。工場の排水処理施設での使用も可能で、タイでも排水処理関係者らから問い合わせがあった。
昨年の売上高は1億7,000万円で、今年は倍の3億5,000万円を目指す。このうち海外の売上比率は4割を見込む。今後もインド、中国で継続的に受注があると見込んでおり、タイでの商機獲得にも期待がかかる。
ナノ・スケール(神奈川県川崎市)は、7ミクロン以下という細かな霧を噴射する装置を製造する、創業2年の新しい企業。福岡市にある西日本事業部の和田創企取締役によると、今回はタイの市場動向調査、販売代理店を探す目的で参加した。
今年6月に販売開始したばかりの消臭剤噴霧器「deoドライミストX」は日本のホテルを中心に納入しており、来週には米国に初出荷する予定。また従来から販売している加湿・薬剤噴霧器の「ecoドライミスト」は日本の病院などに納入しており、来月からは月50台の販売を見込む。
ドライミストはJAXA(宇宙航空研究開発機構)開発の噴射ノズルを使用したシンプルな装置で、さまざまな用途への応用が可能なため、タイを含む東南アジアでどのようなニーズがあるか、アイデアを考えていきたいという。今年は1億円の売上高を見込む。
情報通信(IT)システム開発のPicoCELA(福岡市)は、同社製品の無線アクセスポイント「PCWL―0100」のタイ国内の販売代理店募集と、自社が開発した次世代機の製造パートナー募集の2つの目的で参加した。井上聡志代表取締役によると、いずれの募集についても商談の申し入れがあり、大きな収穫があったという。次世代機は日本での販売向け。タイ企業に見積もりを依頼し、発注も検討していきたいという。
日本のように光回線が普及していないインドネシアやタイなどの新興国では有線、無線LANの効率的なネットワーク構築が求められており、同社製品に対する海外での需要は大きいとみる。昨年の売上高は5,700万円、今年は1.5~2倍を見込む。将来的には海外の売上比率を50%以上に引き上げたい考えだ。
井戸乱掘でアンコール崩壊懸念、JICAが対策提言へ
カンボジアの脆い土質の上に組み上げられたアンコール寺院群が、周辺地域の無秩序な井戸の掘りすぎによる地盤沈下で崩壊するおそれがあることがわかった。英「ザ ガーディアン」紙が先月27日付で報じた。
カンボジアの諸遺跡の石組み構造は、地下水に支えられた砂と水の混合土壌の上に組み上げられた脆い造り。ほんの数センチメートル地盤が沈下すればそのあやういバランスが崩れてしまうおそれが大きいという。
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)プノンペン事務所のフィリップ=ドゥランゲ文化局計画専門家は「アンコール寺院群は、砂と水の混合土壌の上で安定を保っている。水を汲み上げすぎれば安定性に問題を引き起こすおそれがある」と話す。
アンコール遺跡群を管理するアプサラ オーソリティのパウ=ホーン水管理局副局長は、地下水汲み上げは野放しで規制を逃れているとして、「水を汲み上げている者たちに、我々がその量をたずねても、彼らは答えようとしない。水を汲み上げすぎれば地下水が涸れ、寺院の地盤に問題が生じて寺院が崩壊するおそれがある」と述べた。
「クメール寺院は一つの塊ではない。下部にズレが生じれば、それがたとえ数センチメートルであっても、問題を引き起こすおそれがある」と同副局長。
皮肉なことは、アンコール寺院群の人気が高まるに伴い、プールやバスルームをそなえたホテルがシエムリアプに多く建設された結果、それが過剰揚水に拍車をかけていることだ。またよりによって、水が少ない乾季に観光客が集中することも問題に輪をかけている。
日本の国際協力機構(JICA)ではカンボジア政府の依頼を受け、シエムリアプ地域に水を供給する別の方法を提言するべく研究を進めている。報告書は現在ドラフト段階にあり、年末には完成予定だという。地下水汲み上げの規制や、20キロメートル強離れたサープ湖などからの取水といった提言が盛り込まれるとみられている。
シエムリアプ水道機構のサオム=クンティア理事長は、シエムリアプ全域ですでに井戸1,000基とポンプ6,000台が一日5000万リットルの地下水を汲み上げていると推定している。また、各地にちらばる零細な製氷業が汲み上げる地下水は一日100万リットルを超えるとみている。
「今すぐ行動を起こして、未来を考えなければならない。このまま地下水汲み上げを許しつづければ、懸念は現実になるだろう」と同理事長は語った。
ラオスのダム計画、下流に壊滅的打撃か
ラオスが先月22日にメコン川委員会に建設計画を提出したサイニャブリ県の1,260メガワット水力ダムについて、世界自然保護基金(WWF)の大メコンにおける持続可能なインフラストラクチャに関するシニアアドバイザーを務めるマルク=ゴアショ氏は、下流に壊滅的打撃を与えるおそれがあると警告した。メコン川下流に位置するカンボジアの漁業・生物多様性・生計に深刻な悪影響を起こすおそれがあるという。
「サイニャブリを含む、提案されている11のメコン川下流本流ダムのいずれか一つでも建設されれば、カンボジアは最も甚大な打撃を受ける国の一つになるだろう。これらの打撃は壊滅的である可能性があり、また河岸の浸食を引き起こして沿岸数百万人のカンボジア人家屋に影響を与えるおそれもある」と同氏は述べた。
カンボジアウォッチニュースから
ゴールデントライアングルを開発
ジャングルの中にこんなモノが幾つも出来ていると言う
中国の投資家によりボケオ県における20億ドルのゴールデントライアングル経済特区開発契約が締結され、2009年9月9日に記念式典が開催された。
これは中国のドークンギウカム社による開発で22.4億ドルの投資で、3000haの土地を50年に駆けて開発するもの。
第一フェーズとしては8600万ドルで827haの土地を開発し、ホテル、カジノを運営し、その他にも300社の入居を募集するとしている。
既にここは営業を始めておりどんでもない田舎で、とんでも無い事になっております、カンボジアの開発もラオスのダムも殆どシナが噛んでおります、金がない国は何を言っても無駄ということなのでしょうか?
ベトナムニュース
独身中年男性向けサービス「恋人レンタル」
ホーチミン市では仕事で疲れた中年男性と、週末限定でデートのお相手をする新サービス「恋人レンタル」が登場している。都会に住む男性が寂しさを和らげるために、若い女性を1日だけの恋人として雇うというもの。
縫製工場で働くホンさんは、週末になるとこのアルバイトをする日々。男性と会って一緒にカフェに行き話相手になる。料理を作ることもあるが、セックスはしない。半日または1日で、報酬は30万~50万ドン(約1600~2600円)。彼女は「この仕事で得たお金で、家族に送金できるようになった。工場での仕事は大変だけど、週末はデートの仕事ができると思うとうれしい」と語る。
ホンさんによると、同市に住む成功した中年男性は独身生活を好み、週末や特別な機会にのみ同伴者を求めているという。あるITエンジニア(42歳)は「仕事のストレスがきつい。自由でいたいから家族は持ちたくないが、ナイトクラブや歓楽街では見かけないタイプの美人女性と時々デートがしたくなる」と語る。
何人かの男性とデートした履物工場に勤めるハーさんも、「男性らは本気で慰めを必要としている。家族や友人には言えないような悩みを語ってくる」と述べた。またこのような仕事柄、簡単に売春婦になり下がってしまう可能性もあるが、ハーさんは「あくまでも恋人の役目が仕事」と強調、デート開始に際して相手の男性にきちんと確認するという。
これはただの売春ではないのか?
2010年10月11日月曜日
高智晟 中国が最も恐れる男
くだらないメッセージを遺す我が国首相
日本国内の報道によると、菅首相は8日夜、同委員会の劉氏への平和賞授与の決定は中国に人権問題の改善を促しているとの見方について、「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」と語った。
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
ドイツとフランスの首脳たちも、中国に劉氏の釈放を呼びかけている。
ノーベル平和賞受賞者で、ポーランド反共産党連帯労働組合運動の創始者、レフ・ワレサ氏は同日、メディアの取材に、ノーベル賞委員会の決定について、「中国と全世界への挑戦である」とコメントした。
中国当局は同決定について、「劉暁波は懲役刑を科された罪人である。このような人物に同賞を与えることは、ノーベル賞の原則に反する」と反発した。また、ノーベル賞委員会のあるノルウェーに対しても警告した。8日の時点、国内では関連の報道が一切見当たらず、劉氏の名前もネット上でフィルタリングされている。
一方、中国内外の中国人民主活動家の間では、今回のノーベル平和賞の中国人反体制者への授与は、中国の自由民主化運動に大きな影響を与えることになるとしながらも、同じく候補者として挙げられた服役中の人権弁護士・高智晟(Gao Zhisheng)氏や民主活動家の胡佳(Hu Jia)氏などのほうがもっと適任であるとの意見も出ている。
劉暁波氏は、89年の天安門での民主活動後、中共当局の圧力に妥協し、テレビで天安門民主デモ事件に否定的な発言をしたことや、近年中共当局に対してよりマイルドなスタンスを取っていることから、民主活動家の間では、劉氏に対して賛否両論の見方がある。
ドイツ在住の中国人民主活動家で全体主義研究者の仲維光(Zhong Weiguang)氏は、ノーベル平和賞の中国人反体制者への授与は、独裁に対する民主国家の断固とした態度表明であると見ている。「これまで、中共当局の経済買収手段によって、欧米国家は中国の人権問題に目をつぶってきている。今回、中国の反体制者に授与されたことによって、国際社会は中国問題に更なる注目をするようになる」
また、「ノーベル平和賞の中国人への授与は、89年の天安門事件における北京市民の努力や、その後の民主政党の設立、さらに99年に始まった中共の法輪功迫害に抵抗する法輪功学習者の平和運動、そして、現在中国国内で広まっている共産党離脱運動など、20年来の中国民衆の一連の努力による結果である。劉暁波さんが今後、多くの民主活動家と共に、共産党の独裁に対抗していくよう期待している」と同氏はコメントしている。
高智晟 中国が最も恐れる男――劉暁波氏よりもタブーの人物――本当にノーベル平和賞を受賞すべき人
【新唐人2010年10月10日付ニュース】10月8日、中国の民主活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を獲得。同じような境遇にある人権派弁護士、高智晟氏も再び注目を集めています。9月9日、フランスの報道雑誌「ヌーベル・オブザーバーチュア」は、高氏を詳しく紹介しました。
雑誌は、立ち退き、公害、医療事故や宗教迫害に遭っている中国人のために立ち上がった高智晟氏を紹介。実は、中国当局も2001年、高氏を「中国の最も優れた弁護士トップテン」に選んでいます。
輝かしい功績を持つ高氏が、なぜわずか数年の間に弾圧の対象となったのでしょうか。それは、中国共産党にとって超えてはならない一線を越えたからです。
2004年、12月26日、高氏は法輪功学習者の黄偉氏の弁護人となりました。
そして、法輪功学習者の案件はどの裁判所も受けたがらないことを発見。共産党政府がこの種の案件の審理を禁じたためです。これに義憤を感じた高氏は、勝つ見込みのない裁判に身を投じる決意をしました。
2004年12月31日、高氏は初めて全国人民代表大会に公開状を出して、法輪功迫害の停止を訴えました。2005年11月22日、2度目の公開状を送った後、妻とともに公に共産党を脱退しました。
2005年12月12日、胡錦濤主席と温首相にあてた、3度目の公開状を発表しました。
高氏が共産党のレッドラインを超えてから、高氏への執拗な迫害が始まります。「ヌーベル・オブザーバーチュア」は、2006年からずっと、高氏は絶えず殺人予告を受け、長期間拘束されたほか、拷問も受けたと指摘。2009年1月、高氏の妻と子供はやむなくアメリカに逃れました。
1年余り行方不明だった高智晟氏は今年の4月、再び姿を現しました。彼を目にした友人によると、高氏は心身ともに崩壊していました。「中国の良心」と称され、腐敗官僚を恐れさせた高氏は、自分の信念を捨ててアメリカの家族と再会する道を選んだといいます。
しかし4月21日、高氏は再び当局に拉致され、一切の消息が途絶えました。
信念を捨てる決意は、高氏の本音なのでしょうか。
「九評共産党」には、中国共産党の本質が記されています。例えば、人を殺すにしても、まずは魂をうちのめしてから肉体を殺す。共産党は一切の権力を独占しているので、いったん敵とみなされた人は、仕事から名声まですべてを失います。しかも、心の支えとなる家族すら巻き込んで、相手をとことん破壊します。
北京の人権派弁護士の滕彪氏は高氏について、「初めて法輪功学習者を弁護した弁護士。実に大きな犠牲を払ったが、彼の勇気は、ひとつの突破口になった。彼の後に続く、人権派弁護士が増えていったからだ」と評価しました。
日本国内の報道によると、菅首相は8日夜、同委員会の劉氏への平和賞授与の決定は中国に人権問題の改善を促しているとの見方について、「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」と語った。
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
「そういうメッセージも込めて賞を出されたわけだから、そのことをしっかりと受け止めておきたい」
ドイツとフランスの首脳たちも、中国に劉氏の釈放を呼びかけている。
ノーベル平和賞受賞者で、ポーランド反共産党連帯労働組合運動の創始者、レフ・ワレサ氏は同日、メディアの取材に、ノーベル賞委員会の決定について、「中国と全世界への挑戦である」とコメントした。
中国当局は同決定について、「劉暁波は懲役刑を科された罪人である。このような人物に同賞を与えることは、ノーベル賞の原則に反する」と反発した。また、ノーベル賞委員会のあるノルウェーに対しても警告した。8日の時点、国内では関連の報道が一切見当たらず、劉氏の名前もネット上でフィルタリングされている。
一方、中国内外の中国人民主活動家の間では、今回のノーベル平和賞の中国人反体制者への授与は、中国の自由民主化運動に大きな影響を与えることになるとしながらも、同じく候補者として挙げられた服役中の人権弁護士・高智晟(Gao Zhisheng)氏や民主活動家の胡佳(Hu Jia)氏などのほうがもっと適任であるとの意見も出ている。
劉暁波氏は、89年の天安門での民主活動後、中共当局の圧力に妥協し、テレビで天安門民主デモ事件に否定的な発言をしたことや、近年中共当局に対してよりマイルドなスタンスを取っていることから、民主活動家の間では、劉氏に対して賛否両論の見方がある。
ドイツ在住の中国人民主活動家で全体主義研究者の仲維光(Zhong Weiguang)氏は、ノーベル平和賞の中国人反体制者への授与は、独裁に対する民主国家の断固とした態度表明であると見ている。「これまで、中共当局の経済買収手段によって、欧米国家は中国の人権問題に目をつぶってきている。今回、中国の反体制者に授与されたことによって、国際社会は中国問題に更なる注目をするようになる」
また、「ノーベル平和賞の中国人への授与は、89年の天安門事件における北京市民の努力や、その後の民主政党の設立、さらに99年に始まった中共の法輪功迫害に抵抗する法輪功学習者の平和運動、そして、現在中国国内で広まっている共産党離脱運動など、20年来の中国民衆の一連の努力による結果である。劉暁波さんが今後、多くの民主活動家と共に、共産党の独裁に対抗していくよう期待している」と同氏はコメントしている。
高智晟 中国が最も恐れる男――劉暁波氏よりもタブーの人物――本当にノーベル平和賞を受賞すべき人
【新唐人2010年10月10日付ニュース】10月8日、中国の民主活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を獲得。同じような境遇にある人権派弁護士、高智晟氏も再び注目を集めています。9月9日、フランスの報道雑誌「ヌーベル・オブザーバーチュア」は、高氏を詳しく紹介しました。
雑誌は、立ち退き、公害、医療事故や宗教迫害に遭っている中国人のために立ち上がった高智晟氏を紹介。実は、中国当局も2001年、高氏を「中国の最も優れた弁護士トップテン」に選んでいます。
輝かしい功績を持つ高氏が、なぜわずか数年の間に弾圧の対象となったのでしょうか。それは、中国共産党にとって超えてはならない一線を越えたからです。
2004年、12月26日、高氏は法輪功学習者の黄偉氏の弁護人となりました。
そして、法輪功学習者の案件はどの裁判所も受けたがらないことを発見。共産党政府がこの種の案件の審理を禁じたためです。これに義憤を感じた高氏は、勝つ見込みのない裁判に身を投じる決意をしました。
2004年12月31日、高氏は初めて全国人民代表大会に公開状を出して、法輪功迫害の停止を訴えました。2005年11月22日、2度目の公開状を送った後、妻とともに公に共産党を脱退しました。
2005年12月12日、胡錦濤主席と温首相にあてた、3度目の公開状を発表しました。
高氏が共産党のレッドラインを超えてから、高氏への執拗な迫害が始まります。「ヌーベル・オブザーバーチュア」は、2006年からずっと、高氏は絶えず殺人予告を受け、長期間拘束されたほか、拷問も受けたと指摘。2009年1月、高氏の妻と子供はやむなくアメリカに逃れました。
1年余り行方不明だった高智晟氏は今年の4月、再び姿を現しました。彼を目にした友人によると、高氏は心身ともに崩壊していました。「中国の良心」と称され、腐敗官僚を恐れさせた高氏は、自分の信念を捨ててアメリカの家族と再会する道を選んだといいます。
しかし4月21日、高氏は再び当局に拉致され、一切の消息が途絶えました。
信念を捨てる決意は、高氏の本音なのでしょうか。
「九評共産党」には、中国共産党の本質が記されています。例えば、人を殺すにしても、まずは魂をうちのめしてから肉体を殺す。共産党は一切の権力を独占しているので、いったん敵とみなされた人は、仕事から名声まですべてを失います。しかも、心の支えとなる家族すら巻き込んで、相手をとことん破壊します。
北京の人権派弁護士の滕彪氏は高氏について、「初めて法輪功学習者を弁護した弁護士。実に大きな犠牲を払ったが、彼の勇気は、ひとつの突破口になった。彼の後に続く、人権派弁護士が増えていったからだ」と評価しました。
2010年10月10日日曜日
North Korea celebrates 65 years of Communist rule
こんなモノ載せる必要もないのですが何処よりも画像が冴えていたので
其れよりもこちら、同じ日にどうも怪しいのですが、健康状態も余り良くも見えません
黄長燁元書記が死去
97年韓国亡命、主体思想の理論家
1997年に韓国に亡命した北朝鮮の黄長燁元朝鮮労働党書記(87)が10日、ソウル市内の自宅で死去した。黄元書記は韓国に亡命した脱北者の中で最高位の人物。亡命後は一貫して北朝鮮の金正日総書記体制を痛烈に批判し、脱北者たちの精神的支柱となってきた。
警察当局によると、黄元書記はこの日午前、自宅の浴室で死んでいるのを保安要員によって発見された。自宅は厳重な警護が敷かれており、この日も外部から何者かが侵入した形跡はなかったことから、警察は事件性はないとみている。政府筋によると、死因は心臓麻痺とみられるという。
黄元書記は1923年生まれ。留学先のモスクワから帰国後、金日成総合大学で教鞭を執り、65年同大学総長に就任。70年に党中央委員会委員に選出された後、要職を歴任した。北朝鮮の統治理念である主体思想の理論家として知られ、金日成主席のゴーストライターや金総書記の家庭教師を任されるなど金父子の信任は厚かった。しかし、80年代に入って同思想をめぐり金総書記と意見が合わず、葛藤し始めたといわれる。
亡命の翌年から10年間は、北朝鮮に融和的な金大中・盧武鉉政権下で外部での活動が制約されていたが、李明博政権の発足後は積極的に集会や講演に参加。今春は二度目となる訪米と亡命後では初の訪日を果たした。
黄元書記の発言は影響力が大きいため、北朝鮮は何度も暗殺を企図。今年4月にも黄元書記暗殺の指令を受けた2人組の工作員が脱北を偽装して韓国に入国しようとし、逮捕される事件が起きた。
2010年10月9日土曜日
尖閣はまさしく「取るか取られるか」
元海将補で尖閣防衛にも携わっておられた川村純彦氏をお迎えし、尖閣諸島沖から漁業監視船が立ち去るなど、中国が態度を軟化させたとの見方もあるが、中国にとって資源確保はあくまでも二次的な目的であり、実際には、尖閣はまさしく「取るか取られるか」で臨むべき問題であるという事実についてご指摘いただくとともに、中国海軍の対潜能力や、要衝の地としての台湾の存在などに触れていただきながら、「核戦略」という視点から、尖閣問題を読み解いていただきます。
尖閣をグーグルで見ましたが、住めますね、問題は水なのでしょうが、恐らく水もあるのではないでしょうか、基、問題は日本政府でした。
2010年10月8日金曜日
港川人
港川人、縄文人と似ず 顔立ち復元、独自の集団か
asahi.com
沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館(科博)が、顔立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下=から大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。
港川人は1967~76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5~9体分の人骨と考えられ、出土地層は約2万年前と推定されている。全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではその後も発見はない。
顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、縄文人の祖先は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合して日本人が形成されたと考えられてきた。科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、その一環として港川人を再調査してきた。
CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとしており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。
縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考えられてきた。だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団など多様なルーツのあることが見えてきた。
新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い」と語った。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えることができそうだ。(渡辺延志)
新しい研究をもとに、国立科学博物館が作り直した港川人の復元図
国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ
どうもコイツらが言う事はおかしい、余りにも顔が違いすぎる、それでは以前作成した者は間違っていたと言う事か、いや、そうではない朝日の記事であるからして、何かと何かを離反させるような動きがあるのかも知れない港川人と縄文人は違う云えに日本人と沖縄のルーツはそもそも違うのだ、であるから沖縄は独立する権利があるのだ、と突拍子も無い事を行って笑われるがマスコミの情報操作により後日現実を帯びてくるのだ、そんな事に成らないよう期待する。
環太平洋経済協定、マレーシアも参加へ 8カ国が合意
【クアラルンプール】 通産省は6日発表した声明の中で、現在進められている「環太平洋戦略経済連携協定(TPP)」の第3ラウンド交渉にマレーシアが参加する予定であることを明らかにした。
交渉はブルネイで行われる予定で、▽豪州▽ブルネイ▽チリ▽ニュージーランド▽ペルー▽シンガポール▽米国▽ベトナム−−の参加8カ国がマレーシアを交渉国に加えることで合意した。
マレーシアは2006−2008年、米国との間で自由貿易協定(FTA)締結に向けた交渉を行っていたが、数ラウンドの交渉の末、合意には至っていない。
通産省は、TPPを、東南アジア諸国連合(ASEAN)FTAと同様、アジア太平洋地域諸国とのより深い融合への第1歩とみており、各省庁、政府機関の代表をTPP交渉のワーキング・グループに派遣すると表明した。そのうえで、TPPの参加が実現した場合はアジア太平洋地域の大規模な市場の創出が実現することとなると指摘、世界貿易や投資のダイナミクスの変化に繋がると期待を示した。加えて、米国がTPPメンバーであることから、マレーシアの世界貿易の71.2%が優遇措置の対象となると説明。輸出製品の12.4%にかかる関税が撤廃され、靴や繊維・アパレル製品、ココア製品、石油、金属製品、時計などの品目の輸出に関税がかからなくなるとした。
2009年、マレーシアとTPP加盟国との間の二国間貿易額は2,858億リンギでマレーシアの対外貿易額の28.9%を占めた。トップの貿易相手国はシンガポールで額は1,255億リンギ、次いで米国の1,092億リンギとなっている。
何故日本は参加要請されているにも拘わらず、参加しないのだ、農業分野が厳しいのは分かる、しかし今から其れは何処と協定を結ぶにしても厳しい現実があるのは分っていること、ハードルは非常に高いがこのチャンスを逃さず参加を表明すべきだ。
シナなどとは早く縁を切って別方向を模索すべきである。
来年4月に全国統一のハラルロゴを導入へ
イスマイル・サブリ国内取引共同組合消費者行政相は5日、イスラム開発局(JAKIM)との会合において来年4月をメドに統一のハラル(イスラムの戒律に則った)ロゴおよび認証制度を導入すると発表した。
国内取引協同組合消費者行政省は統一認証基準、ロゴの導入に備えて商品表示法の改正案を作成中で、既に全ての州の宗教当局、法務長官から合意を得ている。10月末に国会審議を行い、公示を経て来年4月までの発効を予定している。
全ての州におけるハラル・ロゴおよび認証制度を統一し、民間のハラル認定サービス請負企業における認定基準の不明点などに関するリスクを軽減する。今後はJAKIMに加えて各州の宗教局のみにハラル認証の発行の権限がも与えられる。
タイガー・ウッズが来タイ参戦 国王戴冠60年記念ゴルフイベント
タイ・エネルギー省はプミポン国王の戴冠60周年を記念するゴルフイベント「ワールド・ゴルフ・サルーツ・キング・プミポン」を11月8日、タイ東部チョンブリ県のアマタ・スプリング・カントリークラブで開催する。男子ゴルフ世界ランク1位で母親がタイ人のタイガー・ウッズ(米国)が10年ぶりに来タイして出場するほか、トンチャイ・ジャイディー(タイ)、ポール・ケーシー(英国)といった有力選手が参戦する。試合は各ホールに賞金が設定されたスキンズゲーム方式で行われる。
タイには二度と行かないと言っていたと噂されるウッズが来タイ、どういう風の吹き回しなのでしょうか?
中国、ベトナム漁船を拿捕 南シナ海で領有権めぐって対立
中国とベトナムが領有権をめぐって争っている西沙諸島海域で9月11日、ベトナム漁船一隻が中国側に拿捕され、乗員9人は今も拘束されていることが明らかになった。ベトナム国営通信が5日に報じた。同国では中国による漁船の拿捕が相次いでいるが、公になるのは異例だという。
同通信によると、ベトナム外務省は5日、駐ハノイの中国大使館に対し、漁はベトナムの領海内で行われたもので、拿捕は主権の侵害だと抗議し、無条件の解放を求めた。一方、中国側は抗議に対し、拘束の理由を「爆発物を使って漁をした」と主張し、解放の条件として船長に罰金を要求している。
この件をめぐって、今回の協議を含め、先月から両国代表による協議が数回にわたって行われてきたが、未解決のままという。
西沙諸島は現在中国が実効支配しており、昨年3月ごろから海洋権益を守るとして、漁業監視船による監視を強めている。今年3月にもベトナムの漁船が拿捕され、船長は1か月余り拘束されたすえ、およそ90万円の罰金を支払って解放されたが、漁船や漁の道具はすべて中国側に没収されたという。
ベトナムと中国は、西沙諸島のほか、南沙諸島など、南シナ海のほかの島をめぐっても領有権を争っている。
asahi.com
沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館(科博)が、顔立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下=から大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。
港川人は1967~76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5~9体分の人骨と考えられ、出土地層は約2万年前と推定されている。全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではその後も発見はない。
顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、縄文人の祖先は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合して日本人が形成されたと考えられてきた。科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、その一環として港川人を再調査してきた。
CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとしており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。
縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考えられてきた。だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団など多様なルーツのあることが見えてきた。
新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い」と語った。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えることができそうだ。(渡辺延志)
新しい研究をもとに、国立科学博物館が作り直した港川人の復元図
国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ
どうもコイツらが言う事はおかしい、余りにも顔が違いすぎる、それでは以前作成した者は間違っていたと言う事か、いや、そうではない朝日の記事であるからして、何かと何かを離反させるような動きがあるのかも知れない港川人と縄文人は違う云えに日本人と沖縄のルーツはそもそも違うのだ、であるから沖縄は独立する権利があるのだ、と突拍子も無い事を行って笑われるがマスコミの情報操作により後日現実を帯びてくるのだ、そんな事に成らないよう期待する。
環太平洋経済協定、マレーシアも参加へ 8カ国が合意
【クアラルンプール】 通産省は6日発表した声明の中で、現在進められている「環太平洋戦略経済連携協定(TPP)」の第3ラウンド交渉にマレーシアが参加する予定であることを明らかにした。
交渉はブルネイで行われる予定で、▽豪州▽ブルネイ▽チリ▽ニュージーランド▽ペルー▽シンガポール▽米国▽ベトナム−−の参加8カ国がマレーシアを交渉国に加えることで合意した。
マレーシアは2006−2008年、米国との間で自由貿易協定(FTA)締結に向けた交渉を行っていたが、数ラウンドの交渉の末、合意には至っていない。
通産省は、TPPを、東南アジア諸国連合(ASEAN)FTAと同様、アジア太平洋地域諸国とのより深い融合への第1歩とみており、各省庁、政府機関の代表をTPP交渉のワーキング・グループに派遣すると表明した。そのうえで、TPPの参加が実現した場合はアジア太平洋地域の大規模な市場の創出が実現することとなると指摘、世界貿易や投資のダイナミクスの変化に繋がると期待を示した。加えて、米国がTPPメンバーであることから、マレーシアの世界貿易の71.2%が優遇措置の対象となると説明。輸出製品の12.4%にかかる関税が撤廃され、靴や繊維・アパレル製品、ココア製品、石油、金属製品、時計などの品目の輸出に関税がかからなくなるとした。
2009年、マレーシアとTPP加盟国との間の二国間貿易額は2,858億リンギでマレーシアの対外貿易額の28.9%を占めた。トップの貿易相手国はシンガポールで額は1,255億リンギ、次いで米国の1,092億リンギとなっている。
何故日本は参加要請されているにも拘わらず、参加しないのだ、農業分野が厳しいのは分かる、しかし今から其れは何処と協定を結ぶにしても厳しい現実があるのは分っていること、ハードルは非常に高いがこのチャンスを逃さず参加を表明すべきだ。
シナなどとは早く縁を切って別方向を模索すべきである。
来年4月に全国統一のハラルロゴを導入へ
イスマイル・サブリ国内取引共同組合消費者行政相は5日、イスラム開発局(JAKIM)との会合において来年4月をメドに統一のハラル(イスラムの戒律に則った)ロゴおよび認証制度を導入すると発表した。
国内取引協同組合消費者行政省は統一認証基準、ロゴの導入に備えて商品表示法の改正案を作成中で、既に全ての州の宗教当局、法務長官から合意を得ている。10月末に国会審議を行い、公示を経て来年4月までの発効を予定している。
全ての州におけるハラル・ロゴおよび認証制度を統一し、民間のハラル認定サービス請負企業における認定基準の不明点などに関するリスクを軽減する。今後はJAKIMに加えて各州の宗教局のみにハラル認証の発行の権限がも与えられる。
タイガー・ウッズが来タイ参戦 国王戴冠60年記念ゴルフイベント
タイ・エネルギー省はプミポン国王の戴冠60周年を記念するゴルフイベント「ワールド・ゴルフ・サルーツ・キング・プミポン」を11月8日、タイ東部チョンブリ県のアマタ・スプリング・カントリークラブで開催する。男子ゴルフ世界ランク1位で母親がタイ人のタイガー・ウッズ(米国)が10年ぶりに来タイして出場するほか、トンチャイ・ジャイディー(タイ)、ポール・ケーシー(英国)といった有力選手が参戦する。試合は各ホールに賞金が設定されたスキンズゲーム方式で行われる。
タイには二度と行かないと言っていたと噂されるウッズが来タイ、どういう風の吹き回しなのでしょうか?
中国、ベトナム漁船を拿捕 南シナ海で領有権めぐって対立
中国とベトナムが領有権をめぐって争っている西沙諸島海域で9月11日、ベトナム漁船一隻が中国側に拿捕され、乗員9人は今も拘束されていることが明らかになった。ベトナム国営通信が5日に報じた。同国では中国による漁船の拿捕が相次いでいるが、公になるのは異例だという。
同通信によると、ベトナム外務省は5日、駐ハノイの中国大使館に対し、漁はベトナムの領海内で行われたもので、拿捕は主権の侵害だと抗議し、無条件の解放を求めた。一方、中国側は抗議に対し、拘束の理由を「爆発物を使って漁をした」と主張し、解放の条件として船長に罰金を要求している。
この件をめぐって、今回の協議を含め、先月から両国代表による協議が数回にわたって行われてきたが、未解決のままという。
西沙諸島は現在中国が実効支配しており、昨年3月ごろから海洋権益を守るとして、漁業監視船による監視を強めている。今年3月にもベトナムの漁船が拿捕され、船長は1か月余り拘束されたすえ、およそ90万円の罰金を支払って解放されたが、漁船や漁の道具はすべて中国側に没収されたという。
ベトナムと中国は、西沙諸島のほか、南沙諸島など、南シナ海のほかの島をめぐっても領有権を争っている。
2010年10月6日水曜日
ジョン・バッチェラー・ショー 船長人民解放軍海軍大佐
アメリカの企業舎弟
船を調べた海上保安庁はかなりの情報を持っていると思う、が其れを公開させない政府のヘナチョコ、海外では日本人はヘナチョコだと言う事が一般市民レベルまで浸透して来ていると言うのに、本当に外交音痴もいいとこだ、何れアメリカの企業舎弟ではにっちもさっちもいかない日がそう遠くない将来訪れるというのに。
船長人民解放軍海軍大佐?
中国メディアは、セン船長が日本で取り調べを受けた当時の経緯に関心を示した。セン船長のいとこに当たるセン其国さんは、テレビの取材に対し、「日本側が十数時間にわたり眠ることを許さず、机をたたきながら、釣魚島での操業は違法だったという文書に署名するよう求めた。セン船長はこめかみに銃を突き付けられても、署名できないと拒否し続けた」と語った。
たとえ海上保安庁の職員がそのような事をしたとしてその勇気は何処から来るものでしょうか?
この船長が実は中国人民解放軍の海軍大佐だという報道がワシントンで流れた。ワシントンのラジオ放送WMALの「ジョン・バッチェラー・ショー」というニュース・トーク番組。
この番組はバッチェラーというベテランのジャーナリストが司会で、時事問題を主題に、当事者や専門家のコメントをまじえて進める3時間ものプログラムです。この番組が9月26日の夜に日中の尖閣事件を取り上げました。
この番組に定期に登場する中国専門家のゴードン・チャン氏が「日本で逮捕され、中国に送還された中国人の漁船船長は実は中国人民解放軍の海軍の大佐だという情報を私は得ています」と語ったのです。
チャン氏といえば、中国系のアメリカ人弁護士で中国の在住が長く、アメリカの大手メディアに頻繁に出て、中国関連のテーマを論評しています。著作も多く、そのひとつの「やがて中国の崩壊が始まる」は日本でもベストセラーとなりました。
チャン氏はこの情報について「日本の防衛省筋の二人の情報源から得た」と述べていました。これ以上には語りませんでした。
ジョン・バッチェラー・ショー
The John Batchelor Show
http://johnbatchelorshow.com/
ゴードン・チャン氏出演の9月26日の番組がこちら
September 26, 2010: Hour 2
By John Batchelor on September 27, 2010 6:40 PM
GUESTS: John Fund, WSJ; Claudia Rosett, Forbes.com; Jeff Bliss, The Bliss Index.com; Larry Johnson, No Quarter; Gordon Chang, Forbes.com (Listen Here)
ポッドキャストで聞けますhttp://podfuse-dl.andomedia.com/800185/podfuse-origin.andomedia.com/citadel_origin/pods/WABC/WABC-Batchelor/source/jbs_92610b.mp3
船を調べた海上保安庁はかなりの情報を持っていると思う、が其れを公開させない政府のヘナチョコ、海外では日本人はヘナチョコだと言う事が一般市民レベルまで浸透して来ていると言うのに、本当に外交音痴もいいとこだ、何れアメリカの企業舎弟ではにっちもさっちもいかない日がそう遠くない将来訪れるというのに。
船長人民解放軍海軍大佐?
中国メディアは、セン船長が日本で取り調べを受けた当時の経緯に関心を示した。セン船長のいとこに当たるセン其国さんは、テレビの取材に対し、「日本側が十数時間にわたり眠ることを許さず、机をたたきながら、釣魚島での操業は違法だったという文書に署名するよう求めた。セン船長はこめかみに銃を突き付けられても、署名できないと拒否し続けた」と語った。
たとえ海上保安庁の職員がそのような事をしたとしてその勇気は何処から来るものでしょうか?
この船長が実は中国人民解放軍の海軍大佐だという報道がワシントンで流れた。ワシントンのラジオ放送WMALの「ジョン・バッチェラー・ショー」というニュース・トーク番組。
この番組はバッチェラーというベテランのジャーナリストが司会で、時事問題を主題に、当事者や専門家のコメントをまじえて進める3時間ものプログラムです。この番組が9月26日の夜に日中の尖閣事件を取り上げました。
この番組に定期に登場する中国専門家のゴードン・チャン氏が「日本で逮捕され、中国に送還された中国人の漁船船長は実は中国人民解放軍の海軍の大佐だという情報を私は得ています」と語ったのです。
チャン氏といえば、中国系のアメリカ人弁護士で中国の在住が長く、アメリカの大手メディアに頻繁に出て、中国関連のテーマを論評しています。著作も多く、そのひとつの「やがて中国の崩壊が始まる」は日本でもベストセラーとなりました。
チャン氏はこの情報について「日本の防衛省筋の二人の情報源から得た」と述べていました。これ以上には語りませんでした。
ジョン・バッチェラー・ショー
The John Batchelor Show
http://johnbatchelorshow.com/
ゴードン・チャン氏出演の9月26日の番組がこちら
September 26, 2010: Hour 2
By John Batchelor on September 27, 2010 6:40 PM
GUESTS: John Fund, WSJ; Claudia Rosett, Forbes.com; Jeff Bliss, The Bliss Index.com; Larry Johnson, No Quarter; Gordon Chang, Forbes.com (Listen Here)
ポッドキャストで聞けますhttp://podfuse-dl.andomedia.com/800185/podfuse-origin.andomedia.com/citadel_origin/pods/WABC/WABC-Batchelor/source/jbs_92610b.mp3
2010年10月5日火曜日
中国首相、日中首脳会談で尖閣諸島は中国の領土と主張=新華社
尖閣諸島に灯台を建てた一人として
「ヴェクトル21」10月号より転載
図.魚釣島灯台(1978年魚釣島に建設し保守管理してきた私設灯台。2005年2月から日本政府が正式に海図に記載し、海上保安庁に譲渡された。)
日本青年社 常任理事 水野 孝吉
尖閣諸島は日本の領土であることは疑う余地がない。中国に対しても台湾に対しても日本は「尖閣諸島に関する領土問題は存在しない。」という毅然たる態度を堅持すべきである。
さて今回の中国漁船による尖閣諸島の領海侵犯問題で、中国と台湾が連携して日本を攻める様相を呈するかにも見えるが、この問題で台湾を中国と同一視すべきではない。
日本は尖閣諸島を領有した1895年、台湾をも領有した。台湾人は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効するまでは日本国民であった。そして戦後も台湾の漁民は1972年にアメリカが日本に沖縄を返還するまで、尖閣諸島近辺で自由に操業していた。
一方その前年から、中華民国と中華人民共和国が、大規模油田がある可能性を指摘した海底資源調査発表をきっかけに、領土権の主張し始めていた。それ以来尖閣問題が浮上する度、中国と台湾の「連合体」が日本と対抗する形になっている。
無理もない。台湾では尖閣諸島の問題に対する理解が乏しく、蒋介石国民党政権時代の宣伝を鵜呑みにしている側面がある。しかし、李登輝氏が「尖閣諸島は日本の領土だ」と明言してからは、その様相も大きく様変わりした。尖閣諸島で騒いでいるのは台湾内部の親中国派だという認識が広がり、中国と一線を画すべきだという主張が日に日に強くなっている。
日本はこの台湾での微妙な変化を捉えるべきではないか。なぜなら、例え尖閣諸島であれ、世界で一番親日的な台湾を中国と同一視にすべきではないからだ。台湾は実質的にアメリカの影響下にあるが、日本もアメリカの最重要な同盟国である。その関係からして日米台は実質的な同盟国であり、東アジアの安全保障の要になっているといっても過言ではない。
そしてそれに対して中国は、尖閣諸島問題で台湾を自国の側に引っ張り、中台連合体を形成して日米台の連帯を崩そうとの策略に出ている。
中国には法と理の立場で毅然たる態度をとるべきだが、かつて日本国民であった台湾人には情を持って接するべきなのではないか。そのためには、台湾に尖閣諸島は日本の領土であるとの前提で、漁業権問題交渉を通じて台湾の漁民に操業の許可を与えることは望ましい。
領土と主権の問題では一歩も引くことはできない。漁業権も主権の一部と考えれば、台湾に譲歩すべきではないとの考えも分かる。しかし、それは理と法の論理であり、台湾には情という部分をそれ以上の重みを置くべきではなかろうか。その小さな一歩の譲歩が、実は台湾と日本の大きな安全保障に繋がるのである。
※ 参考 魚釣島灯台Uotsurishima N 25°44′5″ E 123°27′6″
灯高 18 白やぐら形 FIW5s 単閃白光 毎5秒に1閃光
中国首相、日中首脳会談で尖閣諸島は中国の領土と主張=新華社
【シンガポール 5日 ロイター】 新華社の英語報道によると、中国の温家宝首相は日中首脳会談で、尖閣諸島は中国の領土と述べた。一方、中国と日本は両国民の利益のため関係強化を図るべきと語ったという。
首脳会談はブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)の合間に行われた。
会談の中で温首相は「釣魚島(尖閣諸島)は古代から中国の領土だ」と主張した。
温家宝首相は沖縄・尖閣諸島を自国の領土と主張し、本質的な議論が深まったわけではない。むしろ主権にかかわる問題を棚上げした上でなどと、またしても菅は有耶無耶にされた状態、いい加減棚卸をしましょうよと何で言うてやらないのだろうか、外交センスや此処で言う皮肉的ユーモアのセンスの欠片もないこんなやつではダメだ。
「ヴェクトル21」10月号より転載
図.魚釣島灯台(1978年魚釣島に建設し保守管理してきた私設灯台。2005年2月から日本政府が正式に海図に記載し、海上保安庁に譲渡された。)
日本青年社 常任理事 水野 孝吉
尖閣諸島は日本の領土であることは疑う余地がない。中国に対しても台湾に対しても日本は「尖閣諸島に関する領土問題は存在しない。」という毅然たる態度を堅持すべきである。
さて今回の中国漁船による尖閣諸島の領海侵犯問題で、中国と台湾が連携して日本を攻める様相を呈するかにも見えるが、この問題で台湾を中国と同一視すべきではない。
日本は尖閣諸島を領有した1895年、台湾をも領有した。台湾人は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効するまでは日本国民であった。そして戦後も台湾の漁民は1972年にアメリカが日本に沖縄を返還するまで、尖閣諸島近辺で自由に操業していた。
一方その前年から、中華民国と中華人民共和国が、大規模油田がある可能性を指摘した海底資源調査発表をきっかけに、領土権の主張し始めていた。それ以来尖閣問題が浮上する度、中国と台湾の「連合体」が日本と対抗する形になっている。
無理もない。台湾では尖閣諸島の問題に対する理解が乏しく、蒋介石国民党政権時代の宣伝を鵜呑みにしている側面がある。しかし、李登輝氏が「尖閣諸島は日本の領土だ」と明言してからは、その様相も大きく様変わりした。尖閣諸島で騒いでいるのは台湾内部の親中国派だという認識が広がり、中国と一線を画すべきだという主張が日に日に強くなっている。
日本はこの台湾での微妙な変化を捉えるべきではないか。なぜなら、例え尖閣諸島であれ、世界で一番親日的な台湾を中国と同一視にすべきではないからだ。台湾は実質的にアメリカの影響下にあるが、日本もアメリカの最重要な同盟国である。その関係からして日米台は実質的な同盟国であり、東アジアの安全保障の要になっているといっても過言ではない。
そしてそれに対して中国は、尖閣諸島問題で台湾を自国の側に引っ張り、中台連合体を形成して日米台の連帯を崩そうとの策略に出ている。
中国には法と理の立場で毅然たる態度をとるべきだが、かつて日本国民であった台湾人には情を持って接するべきなのではないか。そのためには、台湾に尖閣諸島は日本の領土であるとの前提で、漁業権問題交渉を通じて台湾の漁民に操業の許可を与えることは望ましい。
領土と主権の問題では一歩も引くことはできない。漁業権も主権の一部と考えれば、台湾に譲歩すべきではないとの考えも分かる。しかし、それは理と法の論理であり、台湾には情という部分をそれ以上の重みを置くべきではなかろうか。その小さな一歩の譲歩が、実は台湾と日本の大きな安全保障に繋がるのである。
※ 参考 魚釣島灯台Uotsurishima N 25°44′5″ E 123°27′6″
灯高 18 白やぐら形 FIW5s 単閃白光 毎5秒に1閃光
中国首相、日中首脳会談で尖閣諸島は中国の領土と主張=新華社
【シンガポール 5日 ロイター】 新華社の英語報道によると、中国の温家宝首相は日中首脳会談で、尖閣諸島は中国の領土と述べた。一方、中国と日本は両国民の利益のため関係強化を図るべきと語ったという。
首脳会談はブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)の合間に行われた。
会談の中で温首相は「釣魚島(尖閣諸島)は古代から中国の領土だ」と主張した。
温家宝首相は沖縄・尖閣諸島を自国の領土と主張し、本質的な議論が深まったわけではない。むしろ主権にかかわる問題を棚上げした上でなどと、またしても菅は有耶無耶にされた状態、いい加減棚卸をしましょうよと何で言うてやらないのだろうか、外交センスや此処で言う皮肉的ユーモアのセンスの欠片もないこんなやつではダメだ。
2010年10月4日月曜日
汎ヨーロッパ・ピクニック
【尖閣絡みの謀略】フジタ社員4名逮捕の深層
拡散を!!
水間政憲
● 石家荘で逮捕監禁されていたフジタ社員3名が解放され、帰国記者会見を取材したが疑惑だらけでした。
まず、解放されフジタ社員は4名だったことです。その中の1名は中国人だった。(記者会見場で、フジタが配布した文書には中国人社員となっている)
現地採用の中国人は、中国公安警察にコントロールされる立場になっています。それが一党独裁国家体制の自然な姿です。
中国に駐在しているマスメディアの支局で働いている現地採用中国人は、全員、中国公安警察に許可された者が働いています。
今回の石家荘で逮捕されたフジタ社員は、尖閣での領海侵犯追突事件が勃発した後に、中国がシナリオを描き実行した逮捕劇と理解すると分かりやすい。
中国に滞在している日本人で、解放軍管区周辺部をカメラをもってうろつく日本人など皆無でょう。
フジタの土屋執行役員は、小生の質問に「入札が公示されたらまた応札する」と、こたえていたが甘いのです。
今回のフジタ社員による応札準備の為の視察は、南京で運転テスト中の「化学兵器処理施設」のフジタが受注したプラントの「運搬・設置・建屋の建設」と同じ入札情報でなく、フジタの配布文書には「プラントメーカー対応業務が公示され」となっていた。
ところが、内閣府遺棄兵器処理担当室は、石家荘に関する入札情報はまだ一切公示していないと言っており、公示されたのは、神戸製鋼が南京で受注した「プラント設備」と同じものだった。
そもそも、化学兵器禁止条約には、「遺棄化学兵器処理事業」は入ってなかった。
実際には、中国が「化学兵器禁止条約」を批准することを条件に、中国が日本からお金を毟り取るために「遺棄兵器(引渡兵器)」の一項目を付け加えた事業なのです。
中国に残されている化学兵器を含む砲弾は、中国側の接収に応じて旧日本軍が武装解除して引き渡したものなのだ。本来、日本が処理する必要など一切ない事業なのです。
中国は、解放軍が所有している化学兵器を、同禁止条約を批准したことで、処理する義務があるが、設備をもっていません。
化学兵器処理プラント設備のノウハウは、日本にもなく神戸製鋼もヨーロッパのメーカーの協力でプラントを作ったものです。
当然、中国人民解放軍も化学兵器処理プラント設備のノウハウは、もっておりません。
これから導かれる事実は、中国は自ら処理する技術をもってないことで、日本の技術とプラント設備で処理する算段なのです。
そもそも中国が言い募る「遺棄化学兵器」(引渡兵器)の97~8%は、化学兵器禁止条約で処理の対象にしていない「しろ剤」(発煙筒)や「黄色薬」(通常弾含む)、「あか剤」(くしゃみ弾)、「みどり剤」(催涙弾)なのです。
そこで、一連の中国漁船追突事件以降の過程を検証すると、多数の中国漁船の中で、問題漁船だけが海上保安庁巡視船2隻に作為的に追突した自体が、仕掛けられたものと考えられる。
その過程で石家荘においてフジタ社員の逮捕拘留も、尖閣海域漁船追突事件への対抗策として急遽実行されたと考えるのが自然なのです。
フジタ社員は、細い道を入って行ったら進入禁止の看板があったので、車を止めて戻ろうとしたら解放軍関係の車両が後ろから来て動けなくなったと、説明していたが出来過ぎのシナリオで、フジタ社員は、中国人船長救出の「交渉の道具」として拘束されたのです。
その意味で、フジタ社員は、在中国日本人の中から選ばれたのでしょう。
フジタが、石家荘の解放軍管区内の化学兵器処理関連事業を、受注できると考えたことが甘いのです。内閣府遺棄化学兵器担当室でさえ、石家荘のどこにプラント設備を設置するか把握しておらず、まして旧日本軍の引渡兵器を保管していると中国側が言っていても、日本側はそれを見た者は誰もいないのです。
中国は、軍事大国としての責任として、解放軍が所有している化学兵器を、日本のプラント設備で処理するなどと口が裂けても認めないであろうが、それゆえに石家荘解放軍管区内のプラント設備関連工事は、日本側に入札させないであろう。
その現実を理解していないフジタは甘いのであり、今回、石家荘解放軍管区周辺部にノコノコ出かけて行ったフジタは、危機管理情報をもっていなかったのであり、中国に仕組まれた謀略にまんまと載せられたのが真相であろう。
日曜日、各局テレビ報道番組で、野党国会議員が、尖閣の領有権を主張していなかったことが問題だなどと、寝ぼけたことを言っていたが、小生が2004年11月に『SAPIO』誌に発表したリポート「中国の恥地図改竄史にみる『尖閣領有の大嘘』」で、解決できていたことを知らなかったことが問題なのです。
また、前原外務大臣が「1960年に中国で発行した地図に尖閣を日本領と表記してある」と、さかんに発言しているが、その地図の存在を明らかにしたのは同リポートなのです。
尖閣・竹島・北方領土問題は、日本人の国家観の喪失に根本的問題があります。
今回、唐突に中国とロシアが歴史を捏造した共同声明を出してまで、領土を強奪しようと嵩に掛かってきたのには、理由があります。
それは、本年8月、民主党政権は国内外に、「日本は内政干渉に屈して国家主権を放棄しました」と、中国とロシアが解釈できる「全閣僚並びに政務三役は、靖国神社を参拝しません」との声明を出しました。
国家主権を守るために散華した英霊を蔑ろにした、当然の帰結として中国とロシアが、一気呵成に襲いかかって来たのです。
この危機的状況で、日本人は真価が問われているのす。
甘い、独自の情報で動くのは結構、経済活動をする上で其れは大事というよりも商売人なら少々の危険を犯してでも勝算があればやるでしょう、しかしながら危機管理が甘すぎるましてやこれだけの大騒ぎを犯したのだからフジタは即座に撤退すべきである、大企業や個人企業もそうだが、海外に頻繁に行く連中、又海外在住でそこで活動を行っている連中に有りがちなミス、自分は大丈夫だとか、うちの会社は大丈夫だとか、根拠の無き自信が多すぎる、日本のような法治国家ではないのである、、要するに欲が絡んでこのようになったということですから、國民の賛同は得られない勝手におやりなさいという事ですね、そのかわり日本人や日本国に迷惑のかかるような事は遣ってはいけませんよという事ですね。
汎ヨーロッパ・ピクニック
1980年代後半になると、ポーランドやハンガリーでは民主化への模索がはじめられた。しかし東ドイツは未だ保守的でドイツ社会主義統一党の国家評議会議長エーリッヒ・ホーネッカーは国家保安省(秘密警察)を用いて国民に対する締め付けを強くしていた。このような状況の中で1989年5月にハンガリーがオーストリアとの国境を開放する、というニュースが飛び込んでくると、多くの東ドイツ市民はハンガリー・オーストリアを経由して西ドイツに行けるのではないかと考え始めた。
当時の東ドイツでは、旅行は許可制で、当然西側への旅行は許可されなかったが、東側への旅行が許可される可能性は高かった。ハンガリーまでは秘密警察に睨まれることなく合法的に国境を越えられて、ハンガリーに辿り着けば何とかオーストリア経由で西ドイツに越境できるのではないかと考え、多くの人がハンガリーへの旅行許可書を持って、ハンガリーへ向かい、そのままハンガリー・オーストリア国境も越えて西ドイツに行こうと計画して実行に移した。
しかし、ハンガリー・オーストリア国境が開放されたと言っても、通行を許可されるのはハンガリーのパスポートを持った人達だけで、東ドイツ市民がこの通行を許可される可能性は殆ど無かった。このことは彼らがハンガリー・オーストリア国境まで行って初めて明らかになった事であった。結果として1989年8月初め頃にはハンガリー・オーストリア国境地帯には、越境を求める東ドイツ市民で溢れるようになった。
こうした状況の中、ハンガリーで民主化を求める民主フォーラムや他の民主化を求める勢力は、多少強引にでも彼らを越境させてしまおう、と考えるようになった。既に非共産党政治勢力の活動が認められていたハンガリーではこうした民主化を求める運動が活発になっていた。オーストリア側からは、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国帝室のハプスブルク・ロートリンゲン家の当主であるオットー・フォン・ハプスブルクがこの運動を支援した。さらにハンガリーの内務省は、この動きを黙認するどころか、判らないような形で背中を押せるように努力した。
こうして1989年8月19日に、ハンガリー・オーストリア国境地帯に属するショプロンで汎ヨーロッパ・ピクニックが開かれた。ショプロンが選ばれたのはこの町がハンガリーから飛び抜けて、オーストリア領に食い込むような形になっており、3方をオーストリアに囲まれていたため、比較的オーストリアに脱出しやすいと考えられたためである。この集会に参加すれば国境を越えられるという情報は付近一帯に滞在していた東ドイツ市民にも内々に伝わり、およそ1000人の参加者が詰め掛けた。この集会は名目としては「ヨーロッパの将来を考える集会」であった。「民主フォーラム」の代表とオットー・フォン・ハプスブルクの代理人を名乗る人物の挨拶が終わるか、終わらないかの内に、参加者は続々と国境を越え始めた。内務省は予め国境のゲートの内、一つを開放しており、当地の国境警備隊には事前に、上層部から事態の黙認と武装の禁止を命じられていた。
しかも実際にその場に居た隊員たちは単にこの事態を見て見ぬ振りをするどころか、事後の新聞に掲載された写真やテレビ報道では、親と手を離して転んでしまった子供を抱き上げる警備兵もいた。こうして真夏の週末のピクニックは成功裏に幕を閉じた。
ピクニックが成功したと言うニュースは瞬く間に東ドイツ中に広がり、一層多くの東ドイツ市民がハンガリーやチェコスロバキアのオーストリア、西ドイツ国境地帯に詰め掛けた。両国政府とも東ドイツ政府との関係悪化を心配してピクニックの時の「お目こぼし」はさほどできなくなっていた。ブダペストやプラハの西ドイツ大使館、そしてこれらの運動に協力する施設では東ドイツからの脱出民で溢れ、さながら難民キャンプの様相を呈して来た。両国政府と西ドイツ政府は協議の結果、東ドイツ市民に西ドイツのパスポートを与え、西ドイツに出国させる手筈を整えた。更にハンガリーではその後東ドイツに配慮することを止めて、堂々と東ドイツ市民に国境を開放するようになった。東ドイツ政府は西ドイツ、ハンガリー政府に対して激しく抗議を行ったが後の祭りで、東から西への人の移動を止める力は東ドイツに残っていなかった。特にこれらの「難民」には教育水準が高い市民が多く含まれていたと言い、このまま「頭脳の流出」が続けば国家の崩壊も絵空事でないとも言われた。
秋になると、東ドイツ国内でもライプツィヒやベルリンなどで、旅行の自由化、民主化を求めるデモが頻発した。ホーネッカーに事態を収拾出来る力は無く、同年10月にホーネッカーは退陣に追い込まれ、ついには1989年11月9日のベルリンの壁崩壊に行き着く事になった。
20年立つのですね、これには関係しませんが当時ハンガリーの国境やチェコの国境や東ヨーロッパ全体、国境近くには売春婦がわんさかいました、暗い東ヨーロッパの旅其れを見るだけでも楽しくなったものです懐かしい。
拡散を!!
水間政憲
● 石家荘で逮捕監禁されていたフジタ社員3名が解放され、帰国記者会見を取材したが疑惑だらけでした。
まず、解放されフジタ社員は4名だったことです。その中の1名は中国人だった。(記者会見場で、フジタが配布した文書には中国人社員となっている)
現地採用の中国人は、中国公安警察にコントロールされる立場になっています。それが一党独裁国家体制の自然な姿です。
中国に駐在しているマスメディアの支局で働いている現地採用中国人は、全員、中国公安警察に許可された者が働いています。
今回の石家荘で逮捕されたフジタ社員は、尖閣での領海侵犯追突事件が勃発した後に、中国がシナリオを描き実行した逮捕劇と理解すると分かりやすい。
中国に滞在している日本人で、解放軍管区周辺部をカメラをもってうろつく日本人など皆無でょう。
フジタの土屋執行役員は、小生の質問に「入札が公示されたらまた応札する」と、こたえていたが甘いのです。
今回のフジタ社員による応札準備の為の視察は、南京で運転テスト中の「化学兵器処理施設」のフジタが受注したプラントの「運搬・設置・建屋の建設」と同じ入札情報でなく、フジタの配布文書には「プラントメーカー対応業務が公示され」となっていた。
ところが、内閣府遺棄兵器処理担当室は、石家荘に関する入札情報はまだ一切公示していないと言っており、公示されたのは、神戸製鋼が南京で受注した「プラント設備」と同じものだった。
そもそも、化学兵器禁止条約には、「遺棄化学兵器処理事業」は入ってなかった。
実際には、中国が「化学兵器禁止条約」を批准することを条件に、中国が日本からお金を毟り取るために「遺棄兵器(引渡兵器)」の一項目を付け加えた事業なのです。
中国に残されている化学兵器を含む砲弾は、中国側の接収に応じて旧日本軍が武装解除して引き渡したものなのだ。本来、日本が処理する必要など一切ない事業なのです。
中国は、解放軍が所有している化学兵器を、同禁止条約を批准したことで、処理する義務があるが、設備をもっていません。
化学兵器処理プラント設備のノウハウは、日本にもなく神戸製鋼もヨーロッパのメーカーの協力でプラントを作ったものです。
当然、中国人民解放軍も化学兵器処理プラント設備のノウハウは、もっておりません。
これから導かれる事実は、中国は自ら処理する技術をもってないことで、日本の技術とプラント設備で処理する算段なのです。
そもそも中国が言い募る「遺棄化学兵器」(引渡兵器)の97~8%は、化学兵器禁止条約で処理の対象にしていない「しろ剤」(発煙筒)や「黄色薬」(通常弾含む)、「あか剤」(くしゃみ弾)、「みどり剤」(催涙弾)なのです。
そこで、一連の中国漁船追突事件以降の過程を検証すると、多数の中国漁船の中で、問題漁船だけが海上保安庁巡視船2隻に作為的に追突した自体が、仕掛けられたものと考えられる。
その過程で石家荘においてフジタ社員の逮捕拘留も、尖閣海域漁船追突事件への対抗策として急遽実行されたと考えるのが自然なのです。
フジタ社員は、細い道を入って行ったら進入禁止の看板があったので、車を止めて戻ろうとしたら解放軍関係の車両が後ろから来て動けなくなったと、説明していたが出来過ぎのシナリオで、フジタ社員は、中国人船長救出の「交渉の道具」として拘束されたのです。
その意味で、フジタ社員は、在中国日本人の中から選ばれたのでしょう。
フジタが、石家荘の解放軍管区内の化学兵器処理関連事業を、受注できると考えたことが甘いのです。内閣府遺棄化学兵器担当室でさえ、石家荘のどこにプラント設備を設置するか把握しておらず、まして旧日本軍の引渡兵器を保管していると中国側が言っていても、日本側はそれを見た者は誰もいないのです。
中国は、軍事大国としての責任として、解放軍が所有している化学兵器を、日本のプラント設備で処理するなどと口が裂けても認めないであろうが、それゆえに石家荘解放軍管区内のプラント設備関連工事は、日本側に入札させないであろう。
その現実を理解していないフジタは甘いのであり、今回、石家荘解放軍管区周辺部にノコノコ出かけて行ったフジタは、危機管理情報をもっていなかったのであり、中国に仕組まれた謀略にまんまと載せられたのが真相であろう。
日曜日、各局テレビ報道番組で、野党国会議員が、尖閣の領有権を主張していなかったことが問題だなどと、寝ぼけたことを言っていたが、小生が2004年11月に『SAPIO』誌に発表したリポート「中国の恥地図改竄史にみる『尖閣領有の大嘘』」で、解決できていたことを知らなかったことが問題なのです。
また、前原外務大臣が「1960年に中国で発行した地図に尖閣を日本領と表記してある」と、さかんに発言しているが、その地図の存在を明らかにしたのは同リポートなのです。
尖閣・竹島・北方領土問題は、日本人の国家観の喪失に根本的問題があります。
今回、唐突に中国とロシアが歴史を捏造した共同声明を出してまで、領土を強奪しようと嵩に掛かってきたのには、理由があります。
それは、本年8月、民主党政権は国内外に、「日本は内政干渉に屈して国家主権を放棄しました」と、中国とロシアが解釈できる「全閣僚並びに政務三役は、靖国神社を参拝しません」との声明を出しました。
国家主権を守るために散華した英霊を蔑ろにした、当然の帰結として中国とロシアが、一気呵成に襲いかかって来たのです。
この危機的状況で、日本人は真価が問われているのす。
甘い、独自の情報で動くのは結構、経済活動をする上で其れは大事というよりも商売人なら少々の危険を犯してでも勝算があればやるでしょう、しかしながら危機管理が甘すぎるましてやこれだけの大騒ぎを犯したのだからフジタは即座に撤退すべきである、大企業や個人企業もそうだが、海外に頻繁に行く連中、又海外在住でそこで活動を行っている連中に有りがちなミス、自分は大丈夫だとか、うちの会社は大丈夫だとか、根拠の無き自信が多すぎる、日本のような法治国家ではないのである、、要するに欲が絡んでこのようになったということですから、國民の賛同は得られない勝手におやりなさいという事ですね、そのかわり日本人や日本国に迷惑のかかるような事は遣ってはいけませんよという事ですね。
汎ヨーロッパ・ピクニック
1980年代後半になると、ポーランドやハンガリーでは民主化への模索がはじめられた。しかし東ドイツは未だ保守的でドイツ社会主義統一党の国家評議会議長エーリッヒ・ホーネッカーは国家保安省(秘密警察)を用いて国民に対する締め付けを強くしていた。このような状況の中で1989年5月にハンガリーがオーストリアとの国境を開放する、というニュースが飛び込んでくると、多くの東ドイツ市民はハンガリー・オーストリアを経由して西ドイツに行けるのではないかと考え始めた。
当時の東ドイツでは、旅行は許可制で、当然西側への旅行は許可されなかったが、東側への旅行が許可される可能性は高かった。ハンガリーまでは秘密警察に睨まれることなく合法的に国境を越えられて、ハンガリーに辿り着けば何とかオーストリア経由で西ドイツに越境できるのではないかと考え、多くの人がハンガリーへの旅行許可書を持って、ハンガリーへ向かい、そのままハンガリー・オーストリア国境も越えて西ドイツに行こうと計画して実行に移した。
しかし、ハンガリー・オーストリア国境が開放されたと言っても、通行を許可されるのはハンガリーのパスポートを持った人達だけで、東ドイツ市民がこの通行を許可される可能性は殆ど無かった。このことは彼らがハンガリー・オーストリア国境まで行って初めて明らかになった事であった。結果として1989年8月初め頃にはハンガリー・オーストリア国境地帯には、越境を求める東ドイツ市民で溢れるようになった。
こうした状況の中、ハンガリーで民主化を求める民主フォーラムや他の民主化を求める勢力は、多少強引にでも彼らを越境させてしまおう、と考えるようになった。既に非共産党政治勢力の活動が認められていたハンガリーではこうした民主化を求める運動が活発になっていた。オーストリア側からは、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国帝室のハプスブルク・ロートリンゲン家の当主であるオットー・フォン・ハプスブルクがこの運動を支援した。さらにハンガリーの内務省は、この動きを黙認するどころか、判らないような形で背中を押せるように努力した。
こうして1989年8月19日に、ハンガリー・オーストリア国境地帯に属するショプロンで汎ヨーロッパ・ピクニックが開かれた。ショプロンが選ばれたのはこの町がハンガリーから飛び抜けて、オーストリア領に食い込むような形になっており、3方をオーストリアに囲まれていたため、比較的オーストリアに脱出しやすいと考えられたためである。この集会に参加すれば国境を越えられるという情報は付近一帯に滞在していた東ドイツ市民にも内々に伝わり、およそ1000人の参加者が詰め掛けた。この集会は名目としては「ヨーロッパの将来を考える集会」であった。「民主フォーラム」の代表とオットー・フォン・ハプスブルクの代理人を名乗る人物の挨拶が終わるか、終わらないかの内に、参加者は続々と国境を越え始めた。内務省は予め国境のゲートの内、一つを開放しており、当地の国境警備隊には事前に、上層部から事態の黙認と武装の禁止を命じられていた。
しかも実際にその場に居た隊員たちは単にこの事態を見て見ぬ振りをするどころか、事後の新聞に掲載された写真やテレビ報道では、親と手を離して転んでしまった子供を抱き上げる警備兵もいた。こうして真夏の週末のピクニックは成功裏に幕を閉じた。
ピクニックが成功したと言うニュースは瞬く間に東ドイツ中に広がり、一層多くの東ドイツ市民がハンガリーやチェコスロバキアのオーストリア、西ドイツ国境地帯に詰め掛けた。両国政府とも東ドイツ政府との関係悪化を心配してピクニックの時の「お目こぼし」はさほどできなくなっていた。ブダペストやプラハの西ドイツ大使館、そしてこれらの運動に協力する施設では東ドイツからの脱出民で溢れ、さながら難民キャンプの様相を呈して来た。両国政府と西ドイツ政府は協議の結果、東ドイツ市民に西ドイツのパスポートを与え、西ドイツに出国させる手筈を整えた。更にハンガリーではその後東ドイツに配慮することを止めて、堂々と東ドイツ市民に国境を開放するようになった。東ドイツ政府は西ドイツ、ハンガリー政府に対して激しく抗議を行ったが後の祭りで、東から西への人の移動を止める力は東ドイツに残っていなかった。特にこれらの「難民」には教育水準が高い市民が多く含まれていたと言い、このまま「頭脳の流出」が続けば国家の崩壊も絵空事でないとも言われた。
秋になると、東ドイツ国内でもライプツィヒやベルリンなどで、旅行の自由化、民主化を求めるデモが頻発した。ホーネッカーに事態を収拾出来る力は無く、同年10月にホーネッカーは退陣に追い込まれ、ついには1989年11月9日のベルリンの壁崩壊に行き着く事になった。
20年立つのですね、これには関係しませんが当時ハンガリーの国境やチェコの国境や東ヨーロッパ全体、国境近くには売春婦がわんさかいました、暗い東ヨーロッパの旅其れを見るだけでも楽しくなったものです懐かしい。
漁政
ヘリ搭載型の漁業監視船、南沙諸島に配置 中国で最大 航続能力6千海里
【大紀元日本10月2日】中国の最先端と称される漁業監視船「漁政310」の完成披露式典が9月29日、広東省湛江市で行われた。同船は南沙諸島(スプラトリー諸島)の周辺海域の警備を担当するという。
中国国営通信社の報道によると、この2500トン級の漁業監視船は、全長108メートル、幅14メートル、最大速度22海里、最大航海持続能力6千海里、最長航海持続時間60日である。Z-9A型ヘリコプターを搭載するほか、水上のブロードバンド衛星通信システム、光電追跡システム、海上赤外線映像装置などを設置する。
南沙諸島は海洋・海底資源の埋蔵が推定されているため、現在、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシアがそれぞれ領有権を主張している。同漁業監視船は南沙諸島と専属経済水域、西南中沙、北部湾(ドンキンわん)の漁業監視と突発事件への緊急対応を担当すると公表されている。
近頃有名になった漁政、漁政とは、日本で言う所の水産庁ですが、完璧に武装して駆逐艦のようである。
中国渔政311船http://baike.baidu.com/view/2267596.htm
いまだに大人の対応をとか言っている連中がいますが、何を考えているのやら、やる時はやるなどと言っている連中もいますが詰まる所覚悟が出来ていないんです、特に政治家。日本は自衛隊が出ても何もも出来ないという事実をもっと国民に言うべきです、最後にはアメリカがやってくれるだろう等は甘い、アメリカは自分の利益の侵害を受けなければ絶対立ちませんし、やるわけがない、それでは自衛隊がやるよと言っても、海上自衛隊が海上警備行動や、例え防衛出動が出たにせよ、海上保安庁程度の事しかやれないのです、その為にも憲法改正しか無いのですよ、何を尻込みをしているのでしょうか、選挙が怖いのなら政治家は辞めたほうが良い。
【大紀元日本10月2日】中国の最先端と称される漁業監視船「漁政310」の完成披露式典が9月29日、広東省湛江市で行われた。同船は南沙諸島(スプラトリー諸島)の周辺海域の警備を担当するという。
中国国営通信社の報道によると、この2500トン級の漁業監視船は、全長108メートル、幅14メートル、最大速度22海里、最大航海持続能力6千海里、最長航海持続時間60日である。Z-9A型ヘリコプターを搭載するほか、水上のブロードバンド衛星通信システム、光電追跡システム、海上赤外線映像装置などを設置する。
南沙諸島は海洋・海底資源の埋蔵が推定されているため、現在、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシアがそれぞれ領有権を主張している。同漁業監視船は南沙諸島と専属経済水域、西南中沙、北部湾(ドンキンわん)の漁業監視と突発事件への緊急対応を担当すると公表されている。
近頃有名になった漁政、漁政とは、日本で言う所の水産庁ですが、完璧に武装して駆逐艦のようである。
中国渔政311船http://baike.baidu.com/view/2267596.htm
いまだに大人の対応をとか言っている連中がいますが、何を考えているのやら、やる時はやるなどと言っている連中もいますが詰まる所覚悟が出来ていないんです、特に政治家。日本は自衛隊が出ても何もも出来ないという事実をもっと国民に言うべきです、最後にはアメリカがやってくれるだろう等は甘い、アメリカは自分の利益の侵害を受けなければ絶対立ちませんし、やるわけがない、それでは自衛隊がやるよと言っても、海上自衛隊が海上警備行動や、例え防衛出動が出たにせよ、海上保安庁程度の事しかやれないのです、その為にも憲法改正しか無いのですよ、何を尻込みをしているのでしょうか、選挙が怖いのなら政治家は辞めたほうが良い。
2010年10月2日土曜日
各地でアメリカが
エクアドルで非常事態宣言
ロイター通信によると、南米エクアドルの首都キトで9月30日、給与削減に抗議する警官らによるデモが暴徒化した。警官らは説得に訪れたコレア大統領を催涙ガス弾で攻撃したうえ、病院に避難した大統領を取り囲む事態となり、大統領は「クーデター未遂だ」として国家非常事態を宣言した。同日夜、軍部隊が病院を取り囲んでいた反乱側の警官隊を急襲、大統領は救出されたもようだ。
エクアドル大統領が演説「警察よ恥を知れ
(CNN) 南米エクアドルのコレア大統領は30日遅く、警察により一時軟禁されていた首都キト郊外の病院を脱出して大統領府に戻った。
現地のテレビ報道によれば、ガスマスクを着けた国軍兵が大統領を救出した。エクアドル赤十字によると、救出時の衝突で警察官2人が死亡し、少なくとも88人が負傷した。
大統領は集まった数千人の支持者らを前にバルコニーから演説し、自分の失脚を目論んだ警察の反乱は失敗に終わったと宣言。警察は給与が削減されると思い込んでデモを実施したとして、「これほど警察を支援し、これほど給与を引き上げた政府はこれまでなかった。それにもかかわらずこのようなことが起きた」「うわべだけの国家警察よ、恥を知れ」と言い捨てた。
警察の行動には「深い悲しみ」を覚え、「背中に刃物を突きつけられたようだった」と振り返った。
大統領救出作戦では1人が撃たれるのを見たとして遺憾の意を表明。支援者や、特にボディーガードが自分を支持してくれたことに感謝すると述べた。
とこれだけ観ると何てことはない、世界中で起こっているクーデター騒ぎですが
米軍9月に撤退完了 エクアドル 基地協定更新拒否受け
南米エクアドル西部にあるマンタ基地に駐留する米軍は17日、1999年から同基地で行ってきた軍事作戦を終了させました。エクアドル政府が昨年7月、今年11月に期限切れを迎える基地貸与協定を更新しない旨を米国に通告したことを受けた措置です。
米軍は、当初250人いた駐留米兵をすでに30人程度にまで減らしており、9月中に撤退を完了する予定です。基地に勤務する約160人のエクアドル人労働者については、エクアドル政府が再雇用計画を適用し、就職先を確保します。
マンタ基地では17日、米大使館員や米軍司令官が式典を開催。司令官らは、「基地が麻薬対策で積極的な役割を果たした」などと語りました。
一方、カルバハル内外安全保障調整相は同日、メディアで、「米軍作戦に対する評価は極めて低い。情報は常に米国が管理し、エクアドルの主権は弱められた」と反論。基地返還によって「国の主権が再確立され、麻薬対策が進み、市民も安全になる」と強調しました。
マンタ米軍基地は、99年に当時のエクアドル政府と米国が締結した基地貸与協定に基づいて設置。米軍は、麻薬対策を口実に早期警戒管制機AWACSを配備しました。
しかし基地撤去を求める世論を受けて、2006年には対米従属からの脱却を掲げるコレア大統領が当選。同政権は08年7月、協定を更新しないと米国に正式通告しました。08年9月には国民投票で、外国軍基地の設置を禁止する新憲法が承認されました。
米軍が撤退するとこういう事に成るんです、何処かと似てますよね?
フィリピンでは過去に反米運動が盛り上がり、フィリピン政府もその影響を受けて米軍の撤退が決まりました。1992年に米軍はフィリピンから全軍撤退しています。
しかし、その隙を狙ったかのように中国がフィリピンのミスチーフ環礁の領有を宣言、占拠してしまいました。
フィリピン軍には中国軍と正面から戦う力はなく、アメリカに泣きつきましたが、一度は追い出されたフィリピンの為に、アメリカがその力を使う事はありませんでした。
現時点でもミスチーフ環礁は未だ中国が支配しています。
アメリカ様の言うことを聞いていないとこういう事に成るんです。
タイ人に偽装した北朝鮮工作員に関する情報
北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ(代表 海老原智治)がメールニュースで公表している、タイ人に偽装した北朝鮮工作員に関する情報です。
ARNKAメール報(20)
2006.08.29
かつてタイパスポートを用いて韓国とタイを行き来した
北朝鮮工作員チョン・ギョンハクが7月31日に韓国で逮捕された件
1.本件はタイ国籍を偽った工作員事件であり、タイの安全保障上の問題である。
2.チョン・ギョンハクの諜報活動は1時期タイをベースに行われ、在タイ北朝鮮大使館員の関与が明らかになった。
タイ朝関係は良好と認識されてきたが、一方でタイ人に偽装した不正工作の根拠地とされている事実にも目を当てるべきである。
3.タイ国籍を偽った北朝鮮工作員が逮捕されたのは初めてである。偽タイ名「マノップ・シリン」(報道されている発音から本会が仮定するタイ名)とパスポートの記載情報には少なくとも次の可能性が考えられる。
ア.北当局が捏造した実在しない人物
イ.タイに実在する人物
イ.1 実在する人物の個人情報を盗みそれを元にパスポ ートを取得・変造・偽造した。
イ.2 実在する人物に協力を依頼しパスポートを取得し た。
イ.3 実在する人物を拉致して背乗りした。
タイ政府には上記の可能性を踏まえ情報収集をした上、適切な段階で国際社会への公開を願いたい。
本会もイ.3の可能性を念頭にこの件を注視していきたい。
4.アノーチャー拉致の目的は、北朝鮮国内に不正規に在留する外国人の配偶者とするためと考えられていたが、アノーチャー
に工作員が背乗りした可能性を改めて洗い直す必要がある。タイ政府にはアノーチャー拉致が行なわれた78年以降にアノーチャーの国民登録証・パスポート・運転免許証等の取得や更新がタイの在外公館を含めて行なわれたか、アノーチャー名義のパスポートが行使されたかを十分に確認し、可能な範囲を国際社会に公表していただきたい。
ARNKAメール報(22)
2006.09.04
■2006年7月31日に韓国で拘束された北朝鮮工作員が偽装した
タイ人■
タイ政府関係者は本日までに、本会に次の点を明らかにしました。
1.拘束された工作員が用いた偽タイ名(ファーストネーム)は「マノート」である。
2.「マノート」は実在するタイ人男性である。
3.「マノート」は既に死去している。現在の役所の住民登録等からは死亡者として除去されている。
私は韓国人経営のサウナによく出入していうるのだが、そこで朝鮮人によく聞くことがある、貴方は北朝鮮から来たんですかとまず聞いてみる100%「いいえ韓国人ですが」何か?みたいな顔をして聞き返される、次の質問で、ここ(タイ)には相当数北朝鮮の人間が来ているのだろう、あなた方は知ってますか?この質問もほとんど100%、知らないという。
バッジをつけていない北朝鮮の人間がタイには相当潜り込んでいるに違いない、韓国人になりすましたり、在日韓国人になりすました北朝鮮人もいる、日本人になりすました奴も間違いなくいる、明らかに日本人のアクセントではない日本人と言っている奴を私は観て、あんたホントに日本人なのかと問うたら、いや日本に永らく居たんですとか言うていた、こいつらは節操がないし何でもありなんだろうな。
気になった事があります、先日日本大使館へ出向いていったのですが写真を見ていただいたほうが分かりやすいので
上のに囲んだラインはアメリカ大使館、下のに囲んだラインは日本大使館、さて此処で質問です真中に囲んだラインはなんでしょうか、なんと創価学会だったんですね、私もびっくりしました、恐らく余り知られていないでしょうねものすごく地味に何も建っていないから、今から建てるんでしょうが、つい先日もバンコクの結構一等地スクムビット通り沿いに大川隆法の写真が挙げられていましたが、こいつら一体何にで飯食っているんでしょうか?海外まで来て不思議だと気になったことでした。
ロイター通信によると、南米エクアドルの首都キトで9月30日、給与削減に抗議する警官らによるデモが暴徒化した。警官らは説得に訪れたコレア大統領を催涙ガス弾で攻撃したうえ、病院に避難した大統領を取り囲む事態となり、大統領は「クーデター未遂だ」として国家非常事態を宣言した。同日夜、軍部隊が病院を取り囲んでいた反乱側の警官隊を急襲、大統領は救出されたもようだ。
エクアドル大統領が演説「警察よ恥を知れ
(CNN) 南米エクアドルのコレア大統領は30日遅く、警察により一時軟禁されていた首都キト郊外の病院を脱出して大統領府に戻った。
現地のテレビ報道によれば、ガスマスクを着けた国軍兵が大統領を救出した。エクアドル赤十字によると、救出時の衝突で警察官2人が死亡し、少なくとも88人が負傷した。
大統領は集まった数千人の支持者らを前にバルコニーから演説し、自分の失脚を目論んだ警察の反乱は失敗に終わったと宣言。警察は給与が削減されると思い込んでデモを実施したとして、「これほど警察を支援し、これほど給与を引き上げた政府はこれまでなかった。それにもかかわらずこのようなことが起きた」「うわべだけの国家警察よ、恥を知れ」と言い捨てた。
警察の行動には「深い悲しみ」を覚え、「背中に刃物を突きつけられたようだった」と振り返った。
大統領救出作戦では1人が撃たれるのを見たとして遺憾の意を表明。支援者や、特にボディーガードが自分を支持してくれたことに感謝すると述べた。
とこれだけ観ると何てことはない、世界中で起こっているクーデター騒ぎですが
米軍9月に撤退完了 エクアドル 基地協定更新拒否受け
南米エクアドル西部にあるマンタ基地に駐留する米軍は17日、1999年から同基地で行ってきた軍事作戦を終了させました。エクアドル政府が昨年7月、今年11月に期限切れを迎える基地貸与協定を更新しない旨を米国に通告したことを受けた措置です。
米軍は、当初250人いた駐留米兵をすでに30人程度にまで減らしており、9月中に撤退を完了する予定です。基地に勤務する約160人のエクアドル人労働者については、エクアドル政府が再雇用計画を適用し、就職先を確保します。
マンタ基地では17日、米大使館員や米軍司令官が式典を開催。司令官らは、「基地が麻薬対策で積極的な役割を果たした」などと語りました。
一方、カルバハル内外安全保障調整相は同日、メディアで、「米軍作戦に対する評価は極めて低い。情報は常に米国が管理し、エクアドルの主権は弱められた」と反論。基地返還によって「国の主権が再確立され、麻薬対策が進み、市民も安全になる」と強調しました。
マンタ米軍基地は、99年に当時のエクアドル政府と米国が締結した基地貸与協定に基づいて設置。米軍は、麻薬対策を口実に早期警戒管制機AWACSを配備しました。
しかし基地撤去を求める世論を受けて、2006年には対米従属からの脱却を掲げるコレア大統領が当選。同政権は08年7月、協定を更新しないと米国に正式通告しました。08年9月には国民投票で、外国軍基地の設置を禁止する新憲法が承認されました。
米軍が撤退するとこういう事に成るんです、何処かと似てますよね?
フィリピンでは過去に反米運動が盛り上がり、フィリピン政府もその影響を受けて米軍の撤退が決まりました。1992年に米軍はフィリピンから全軍撤退しています。
しかし、その隙を狙ったかのように中国がフィリピンのミスチーフ環礁の領有を宣言、占拠してしまいました。
フィリピン軍には中国軍と正面から戦う力はなく、アメリカに泣きつきましたが、一度は追い出されたフィリピンの為に、アメリカがその力を使う事はありませんでした。
現時点でもミスチーフ環礁は未だ中国が支配しています。
アメリカ様の言うことを聞いていないとこういう事に成るんです。
タイ人に偽装した北朝鮮工作員に関する情報
北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ(代表 海老原智治)がメールニュースで公表している、タイ人に偽装した北朝鮮工作員に関する情報です。
ARNKAメール報(20)
2006.08.29
かつてタイパスポートを用いて韓国とタイを行き来した
北朝鮮工作員チョン・ギョンハクが7月31日に韓国で逮捕された件
1.本件はタイ国籍を偽った工作員事件であり、タイの安全保障上の問題である。
2.チョン・ギョンハクの諜報活動は1時期タイをベースに行われ、在タイ北朝鮮大使館員の関与が明らかになった。
タイ朝関係は良好と認識されてきたが、一方でタイ人に偽装した不正工作の根拠地とされている事実にも目を当てるべきである。
3.タイ国籍を偽った北朝鮮工作員が逮捕されたのは初めてである。偽タイ名「マノップ・シリン」(報道されている発音から本会が仮定するタイ名)とパスポートの記載情報には少なくとも次の可能性が考えられる。
ア.北当局が捏造した実在しない人物
イ.タイに実在する人物
イ.1 実在する人物の個人情報を盗みそれを元にパスポ ートを取得・変造・偽造した。
イ.2 実在する人物に協力を依頼しパスポートを取得し た。
イ.3 実在する人物を拉致して背乗りした。
タイ政府には上記の可能性を踏まえ情報収集をした上、適切な段階で国際社会への公開を願いたい。
本会もイ.3の可能性を念頭にこの件を注視していきたい。
4.アノーチャー拉致の目的は、北朝鮮国内に不正規に在留する外国人の配偶者とするためと考えられていたが、アノーチャー
に工作員が背乗りした可能性を改めて洗い直す必要がある。タイ政府にはアノーチャー拉致が行なわれた78年以降にアノーチャーの国民登録証・パスポート・運転免許証等の取得や更新がタイの在外公館を含めて行なわれたか、アノーチャー名義のパスポートが行使されたかを十分に確認し、可能な範囲を国際社会に公表していただきたい。
ARNKAメール報(22)
2006.09.04
■2006年7月31日に韓国で拘束された北朝鮮工作員が偽装した
タイ人■
タイ政府関係者は本日までに、本会に次の点を明らかにしました。
1.拘束された工作員が用いた偽タイ名(ファーストネーム)は「マノート」である。
2.「マノート」は実在するタイ人男性である。
3.「マノート」は既に死去している。現在の役所の住民登録等からは死亡者として除去されている。
私は韓国人経営のサウナによく出入していうるのだが、そこで朝鮮人によく聞くことがある、貴方は北朝鮮から来たんですかとまず聞いてみる100%「いいえ韓国人ですが」何か?みたいな顔をして聞き返される、次の質問で、ここ(タイ)には相当数北朝鮮の人間が来ているのだろう、あなた方は知ってますか?この質問もほとんど100%、知らないという。
バッジをつけていない北朝鮮の人間がタイには相当潜り込んでいるに違いない、韓国人になりすましたり、在日韓国人になりすました北朝鮮人もいる、日本人になりすました奴も間違いなくいる、明らかに日本人のアクセントではない日本人と言っている奴を私は観て、あんたホントに日本人なのかと問うたら、いや日本に永らく居たんですとか言うていた、こいつらは節操がないし何でもありなんだろうな。
気になった事があります、先日日本大使館へ出向いていったのですが写真を見ていただいたほうが分かりやすいので
上のに囲んだラインはアメリカ大使館、下のに囲んだラインは日本大使館、さて此処で質問です真中に囲んだラインはなんでしょうか、なんと創価学会だったんですね、私もびっくりしました、恐らく余り知られていないでしょうねものすごく地味に何も建っていないから、今から建てるんでしょうが、つい先日もバンコクの結構一等地スクムビット通り沿いに大川隆法の写真が挙げられていましたが、こいつら一体何にで飯食っているんでしょうか?海外まで来て不思議だと気になったことでした。
2010年10月1日金曜日
発想の転換が出来ない旧原人
観光推進機構 九州 入国規制緩和を 特区申請へ アジアから集客狙う
九州7県や九州経済界でつくる九州観光推進機構(会長・石原進JR九州会長)が、国が2011年度創設を目指す総合特区制度に、九州全域で外国人観光客の入国規制を緩和することを柱とする「九州アジア観光戦略特区」を申請することが16日、分かった。県を越えた地域ブロックでの申請は全国初。来春の九州新幹線鹿児島ルート全線開通効果を九州全体に広げるため、7県が一体となって観光客誘致に本腰を入れる。
国への正式申請は来年だが、それに先立つ事前提案を21日行い、石原会長が22日に会見して発表する。
総合特区は、国が新成長戦略で掲げた目玉政策の一つで、規制緩和や金融、財政支援を集中的に行う制度。これまで福岡県など全国百数十件の提案がある。
関係者によると、同機構の申請案は6分野約30項目。主な項目として▽九州内の離島や長崎県佐世保市のハウステンボスなど特定地域に限定して中国人観光客の査証(ビザ)を不要とする▽一度ビザを取得すれば5年程度、九州域内であれば何度でも入国可能とする▽鹿児島県指宿市などの医療・保養観光地域での外国人患者と家族向け医療用ビザ導入▽クルーズ船乗り入れ増加のため日本領海での船上カジノを許可▽格安航空会社の路線誘致に向け着陸料減免の補助-などを盛り込む。
韓国の釜山-ソウル間に年内にも開通する高速鉄道(KTX)と、九州新幹線全線開通を生かし、両地域への中国などからの観光客を増やすため、日韓のどちらかで入国審査を済ませれば相互認定する案を盛り込むことも検討する。
機構関係者は「全線開通を機に特区指定を受け、『アジアの観光客が気軽に回れる九州』を打ち出したい」としている。
政府は提案を基に制度設計し、来年度の通常国会に関連法案を提出する見通し。その後、正式申請を募り、地域指定する方針。
ネアンデルタール人と、現生人類は混血していたそうです、約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノムを骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究結果出ているそうですが、確かに現代においてもどうもこの人は原人に近いのではないかと言う人をたまに見かけます、サル以外の何か得体の知れない「人に似た者」、会えるものなら会ってみたいような気もする、しかし次のような者たちには会いたくもないが話もしたくない、先鋭的でもなんでもない、革命的でもない発想の転換がいまだ出来ない九州の経済界、まさに「浅葱裏」沖縄の次は九州まで売り渡すつもりか?ある一部の項目には賛成する所があるが、別の切り口がいくらでも有ると言うのにしかも金をかけずにそのままの自然を利用して、シナ人が日本へ来てすばらしかったと言って止まない所をご存知でしょうか、秋葉原でも日本の料理でもないんです、それは『フシシャン』なんです富士山「フシシャン」政策に関った方ボケておるのならば早めに引退をお勧めします。
『フシシャン』です。
九州7県や九州経済界でつくる九州観光推進機構(会長・石原進JR九州会長)が、国が2011年度創設を目指す総合特区制度に、九州全域で外国人観光客の入国規制を緩和することを柱とする「九州アジア観光戦略特区」を申請することが16日、分かった。県を越えた地域ブロックでの申請は全国初。来春の九州新幹線鹿児島ルート全線開通効果を九州全体に広げるため、7県が一体となって観光客誘致に本腰を入れる。
国への正式申請は来年だが、それに先立つ事前提案を21日行い、石原会長が22日に会見して発表する。
総合特区は、国が新成長戦略で掲げた目玉政策の一つで、規制緩和や金融、財政支援を集中的に行う制度。これまで福岡県など全国百数十件の提案がある。
関係者によると、同機構の申請案は6分野約30項目。主な項目として▽九州内の離島や長崎県佐世保市のハウステンボスなど特定地域に限定して中国人観光客の査証(ビザ)を不要とする▽一度ビザを取得すれば5年程度、九州域内であれば何度でも入国可能とする▽鹿児島県指宿市などの医療・保養観光地域での外国人患者と家族向け医療用ビザ導入▽クルーズ船乗り入れ増加のため日本領海での船上カジノを許可▽格安航空会社の路線誘致に向け着陸料減免の補助-などを盛り込む。
韓国の釜山-ソウル間に年内にも開通する高速鉄道(KTX)と、九州新幹線全線開通を生かし、両地域への中国などからの観光客を増やすため、日韓のどちらかで入国審査を済ませれば相互認定する案を盛り込むことも検討する。
機構関係者は「全線開通を機に特区指定を受け、『アジアの観光客が気軽に回れる九州』を打ち出したい」としている。
政府は提案を基に制度設計し、来年度の通常国会に関連法案を提出する見通し。その後、正式申請を募り、地域指定する方針。
ネアンデルタール人と、現生人類は混血していたそうです、約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノムを骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究結果出ているそうですが、確かに現代においてもどうもこの人は原人に近いのではないかと言う人をたまに見かけます、サル以外の何か得体の知れない「人に似た者」、会えるものなら会ってみたいような気もする、しかし次のような者たちには会いたくもないが話もしたくない、先鋭的でもなんでもない、革命的でもない発想の転換がいまだ出来ない九州の経済界、まさに「浅葱裏」沖縄の次は九州まで売り渡すつもりか?ある一部の項目には賛成する所があるが、別の切り口がいくらでも有ると言うのにしかも金をかけずにそのままの自然を利用して、シナ人が日本へ来てすばらしかったと言って止まない所をご存知でしょうか、秋葉原でも日本の料理でもないんです、それは『フシシャン』なんです富士山「フシシャン」政策に関った方ボケておるのならば早めに引退をお勧めします。
『フシシャン』です。
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